1-12 魔剣
シノが目を開けると、周りは真っ暗だった。
部屋、というよりは空間といった方がいいかもしれない。
縦も横も高さも上下もない真っ暗な空間。
自分が立っているのか、横になっているのかも分からなくなってきた。
「どこだ、ここ……」
「あら? 貴女、少し見ない間に雄になったの?」
驚いたような声。
姿が見えないが、幼い声色だった。
「ずっと男だったと思いたいけど、以前の俺に女装趣味がなかった、とは言い切れないのが怖い所だな。……待て、お前は俺の事を知っているのか?」
「少なくとも私の主には、女装趣味はなかったわね。だって、女性だったもの。だから、貴方のことは知らないわ」
「主?」
「えぇ、私、これでも魔剣だもの。自分で選んだ主がいるわ。でも、ここにいるという事は、今の主は貴方みたいね。譲渡されたのかしら。私は承知していないけれど」
自分で選ぶ……何言ってるんだ?
魔剣はあくまで、魔力を付与された武器であり、戦士に使われるものだ。
シノの知る限り、魔剣は使い手を選ばないし、こんな風に言葉を話したりする事もないはずだ。
状況は飲み込めないが、シノは声の主に心当たりがあった。
「お前は、あの黒い剣なのか?」
「そうよ」
魔剣の以前の主人なら、俺と何らかの関係がある可能性は高いな。
「なら聞きたいんだけど、さっき言っていた前の主は何処にいったんだ?」
何気ない口調だったが、シノの心中は期待で一杯だった。
「分からないわ。顔を見せないわねぇ、なんて思ってる所に、ここに来たのが、貴方だったんだもの。気付かないうちに、私が食べちゃったのかしら、なんて思ったくらいよ」
「……食べちゃった?」
不穏な言葉が聞こえた気がしたが、それよりも確かめたい事があった。
「お前の主人についてなんだが……名前は何ていうんだ?」
「変な事を聞く子ね。私を譲り受けたなら、貴方の方が詳しいんじゃなくて?」
自分の武器には、事実を伝えておいた方がいいか。
いつ命を預ける事になるか分からないし。
「覚えてない」
「……え?」
「記憶がないんだ、俺」
「記憶が……!? でも、私じゃないし……」
声の主は、心当たりがあるようだった。
「あぁ、ごめんなさい。カーラ、と名乗っていたわね。主といっても、ずっと側に在っただけで、私を抜いたのも、一度だけ。その一度の殺しはとても楽しかったのだけど、流石にもう空腹で死にそう。だから、彼女について知っている事は多くないわ」
「そうなのか…」
残念そうに、シノが言った。
「そういえば、貴方と似たような精気の色をした者を侍らせていたわね」
「それ、いつの話だ?」
「…50年くらい前かしら? もしかしたら70年? 貴方達の時間の概念は、よく分からない。とにかく、少し前の話よ」
大災厄の前後か…。
いずれにしろ、混乱期だ。
ユリアーネ王女の話では、魔力ではなく、精気を使う者は希少だったらしいけど、記録が残っている可能性は低そうだな。
「色がそこまで似ていると、血族か何かだったのかもしれないわね」
「まぁ、ここで考えてもしょうがないか。じゃあ、お前を扱うにはーー」
「質問が多いわね。でも、時間切れよ。過去に目を向けるのも大事だけれど、今を大切にしないと。ね?」
「おい、ちょっとーー」
急に体が落下していくような感覚に襲われ、シノは思わず中空へ手を伸ばした。
「はぁ……」
ため息をつきながら、シェイラは、読んでいた教科書をパタリと膝の上で閉じる。
内容など全く頭に入っていない。
ただ開いて、眺めていただけだ。
目の前のベッドでは、黒髪の男が静かな寝息を立てている。
もう三日間、シノは眠り続けていた。
治療に当たった魔術師の見立てでは、命に別状は無い、との事だった。
治癒魔術の通りが悪い、とその魔術師は嘆いていたが、回復力は異常ともいえるもので、既に殆どの傷は塞がっている。
「もう……いつまで寝てるのよ。いい気なもんよね」
シェイラは、立ち上がり、シノの顔を覗き込んだ。
この三日間、何度も繰り返してきた動作だ。
銀髪が、シノの頰に掛かる。
「今、目を開ければ、あの時の事、あ……謝ってあげなくもないわよ?」
うっすらと頬を染めながら、独り言を言っている。
「キミね、何やってるの?」
シェイラが弾かれたように、座っていた椅子へと戻る。
呆れ顔のスサナ・レモンが、ドアにもたれかかっていた。
「ス、ス、スサナ……ノック!」
無意味に口をパクパクさせながら、ようやくそれだけを言った。
「何度もしたよ。シェイラは夢中で気付いていなかったようだけど」
「ちょっと文句を言ってやってただけよ」
「毎日通って、放課後から門限まで、枕元でずうっと恨み言を言っていたのかい? いい性格してる」
言いながら、スサナもシノのベッドの前に立った。
「ふーん。どんなものかと思ったけど、ただの人間にしか見えないね。傷もほぼ完治か……。治癒魔術の助けがあるとはいえ、早すぎるね」
ベッドの周りを歩きながら、シノを観察する。
シェイラは落ち着かない様子で、身じろぎをした。
「そ、そうよ、当たり前でしょ! おかしな所なんてないわよっ」
「何をそんなに必死なんだい?」
「何でもないわよ」
スサナが露骨に怪しんでいたが、シェイラは、シノが喪失者だ、などと言う訳にはいかず、誤魔化すしかなかった。
「そういえば、生身でザカリアスの魔術を防いでいたように見えたけど……。普通の手だね。全く魔力も感じない。自分で反属性の魔力付与でもしていたのかと思ったけど、自分の魔力自分に魔力付与なんて、それはそれで異常だね」
スサナが、いつの間にかシノの腕を出し、しげしげと眺め回していた。
「ちょっと、スサナ。あんたこそ何してんのよ」
「これでも一応、貴族の娘だからね。男性の身体を観察できる機会なんて、ほとんどないんだ。キミもそうだろ? シェイラ、これはチャンスじゃないか」
「チャンス?」
「今まで、キミが彼にしてあげたことを考えれば、後学のためにちょっと教材にさせてもらうくらいなら、お釣りがくると思わないか?」
「でも──」
「あっそう。じゃあ私だけで」
「分かった、分かったわよっ! あたしがやるわ。スサナは触らないで」
「はいはい」
スサナが苦笑する。
握っていたシノの腕を下ろそうとした時、不意にその手が、彼女の腕を掴んだ。
「ひゃあっ!」
「──ちょっと待て! ……誰だ、お前」
シノが、見覚えのない相手の悲鳴に目を白黒させる。
「ぶ、不躾に女性の手を掴んでおいて、随分だね」
「おぉ、すまん」
自分が手首を掴んでいる事に気付いたシノが、力を緩める。
「私はスサナ・レモン。スサナでいいよ」
掴まれた手首をまださすっている。
「シノ・グウェンだ。シノで構わない。ところで、俺の剣がどこにあるか知ってるか?」
「そんなものより、他に言う事があるだろう?」
スサナが、隣に立っているシェイラに目を向ける。
安堵から、目には涙を湛えている。
すぐに、シノも意図を汲み取った。
そして、少し得意げに言った。
「どうだ、オドリオソラ、ちゃんと勝った──」
しかし、シノは言い終える事が出来なかった。
シェイラが強く抱きしめたからだ。
治癒しつつある傷に、鈍い痛みが走った。
「……お、おい、どうした?」
抱擁したまま、黙りこくって何も言わないシェイラに、シノはひどく狼狽していた。
「死んだかと思った」
シェイラはシノの肩に顔を押しつけるようにして、それだけを呟いた。
「は?」
「ザカリアスの魔術を見たとき、炎の球に追い回されている時、焔にのまれたとき……!それから……」
堰を切ったように、涙声でシノの醜態を並べ立てる。
「待て待て、追い回されてたんじゃない。アレは極めて高度な戦略的思考の下……」
「茶化さないでっ! ……心配した」
いっそう強く顔を押し付ける。
少し空中を彷徨った後、シノの両手がシェイラの背にあてがわれた。
「すみません」
「それに、勝ったと思ったら、3日も眠ったままだし……」
「なに? 3日?」
シノが確かめるようにスサナを見る。
「そうだね」
スサナが肯定した。
魔剣と話していたのは、数分だったはずだけど…。
あの空間は時間の流れ方が違うのかもしれないな。
「先生呼んでくる」
鼻をすすりながら、シノを解放する。
涙を拭きながら、シェイラが医務室を出ていった。
「……」
医務室には、シノとスサナが残された。
「君の剣なら、そこだよ。いつの間にか、君の近くにあったらしい」
横に黒い魔剣が立てかけられていた。
手に取り、引き抜いてみるが、全く動かない。
「ダメか……」
「その剣には、注意した方がいい」
スサナが目を眇め、無機質な声で警告した。
「スサナ、何か知っているのか?」
「少なくとも、良いものには見えないね」
言葉からは、静かだが確かな敵意が見て取れる。
ブゥーン……
スサナに呼応するように、剣が耳障りな音を立てて振動した。
「かもしれないな。でも、これは俺にとって大切なものだ」
内心、シノ自身もこの魔剣が、正しい力だとは思
っていなかった。
この剣は自分を破滅させるかもしれない、そんな予感があった。
唯一といっていい、過去の自分の手がかり。
今、手放すわけにはいかない。
「分かってる。君の……シノの好きにすればいい。私も失礼するよ。実は、面会の許可を得ているのはシェイラだけでね。先生に見つかると都合が悪いんだ」
悪戯っぽく微笑んだ。
「あぁ、それとね」
入り口に向かいかけたスサナが、立ち止まった。
「まだ何かあるのか?」
「さっき言いそびれちゃったんだけど、もし……もし、その剣と君が関わる事で、シェイラに危害が及んだら──」
見えるのは、スサナの後ろ姿だけだったが、伝わってくる殺気は、背筋を凍らせるには十分だった。
シノが、反射的に身構える。
「……へぇ、どうするんだ」
スサナを上回る殺気が、彼女の背に叩きつけられた。
「……。ま、そんな事は起きないか」
スサナの殺気が消えた。
同時に、シノも力を抜く。
「お大事に〜」
軽い言葉と共に、足音が遠ざかっていく。
ザカリアスとは違う意味で、恐ろしいな。
ここにはまともなヤツはいないのか。
……って、俺が一番まともじゃなかったな。
「なんなんだよ……」
剣に向かって溜息をつくが、黒い魔剣は何事もなかったかのように大人しい。
シノは急に疲労を感じ、ベッドに倒れこんだ。
「……?」
窓は閉まっている筈だが、一陣の風が顔を撫でた。
今や懐かしさを感じる、あの小屋とは違う。
風が入る隙間などなかった。
──あぁ! あんなの見せられたら、ますますお腹が空いたわ。
もう限界よ!
確かに、聞き覚えのある無邪気な声が聞こえた気がした。
コンコン。
同時に、扉が叩かれた。
「どうぞ」




