1-1 喪いし男
50年前、世界は滅亡の危機に瀕した。
世界間の境界線が崩れ、『悪魔』と呼ばれる異形のモノたちとの戦争になったのだ。
『悪魔』に対しては、あらゆる物理的な攻撃手段が全く通用せず、ただ蹂躙されるのみであった。
しかし、救世主が現れた。
己の肉体のみで戦うことこそが誇りだとされていた時代にあって、表舞台に立つことがなかった魔術師によって打開策が見出された。
誰もが魔力を持ち、日常生活において簡素な魔術を無意識のうちに操っているが、彼らは自らの魔力を徹底的に鍛え上げ、現実に影響を及ぼすレベルにまで至った者たちだ。
魔術師達は、異世界からの侵略者を打倒しうるのは、同じく異世界からの戦士だけだと考えた。
世界中の魔術師が力を合わせ、本来ならば存在しないはずの、『悪魔』に打ち克てる戦力を召喚する。
そして、召喚された24人の戦士は11人の犠牲を出しながらも、見事『悪魔』を送り還した。
生き残った13人の異世界人は戦後、『大英雄』と称されることとなる。
そして、世界各国で魔術師が権力の中枢を占めるようになった。
──いったいどうして自分はこんな所にいるのか。
まったく分からない。
「クソッ、どこだここは……」
深夜の闇の中を、赤黒く汚れた襤褸を着た男が力なく歩いていた。
身体には血の匂いがこびりつき、血なまぐささが自分の鼻をさす。
腰には古びた黒い剣を佩き、一歩踏み出すたびに全身が軋む。
男は疲労困憊だった。
身体は鉛のようで、呼吸をする度に重みを増していく。
しかし、男にとって最も深刻な問題は、なぜ自分が疲れ果て、こんな所で彷徨っているのかが分からない事だった。
ただ、心中には何かしなければならないことを終えていないような焦燥感が燻っていた。
重々しく緩慢な歩みが止まる。
辿り着いたのは大きな門を構えた、学舎のような場所だった。
男は前方の暗がりを睨みつける。
夜の闇をさらに色濃く塗りつぶす人影が、溶け出すように現れた。
影の主は、
「お前だけか」
少ししゃがれた、厳かな声は落胆し、影は肩を落とした。
瞬間、男の抱いていた焦燥感が漠然とした殺意へと変わった。
殺意に促されるままに一つ足を踏み出そうとするが、疲弊しきった身体はいうことをきいてくれず、その場で倒れ伏した。
「殺す、絶対に……」
地面に爪を立てて、這いながらも男は前進を止めない。
「まだ殺し足りないか」
人影の右腕が上がる。
すると、右腕を中心に風が渦を巻いた。
渦は瞬く間に速さを増し、轟々と風音を響かせる。
「借りを返すぞ」
這いつくばる男に向けて、風を解き放つ。
風に巻き上げられる落ち葉のように舞い上がった男の身体は、飛翔の頂点に達した後、落ち葉とは対照的に猛烈な勢いで地に叩きつけられ、動かなくなった。
影は滑るように男へ接近し、じっと観察する。
まだ息がある。
「殺したら、きっとお前は怒るのだろうな」
誰に言うでもなく、影がそっと呟いた。
倒れ伏した男の下に風が生まれ、今度は身体を柔らかく浮き上がらせる。
「ぼかぁ、殺しておくべきだと思うけどネ」
調子の外れた声と共に、丸みを帯びた人影がもう一つ、唐突に闇の中に現れる。
「力を取り戻したら、そりゃあ大変なことになっちゃうヨ。キミの全力ですら、彼に及ばないもしれない。ただでさえ、今のキミはーー」
「この男が戦う理由はもういない」
忠告には耳を貸さず、男とともに学舎へと姿を消した。
「ふぅん。ま、その方が面白い。勝者の決まっている戦いほど詰まらないものはないからネ。……それとも、キミは止めて欲しいのかな」
魔術大国アイン・スソーラに在ってなお、最高学府と謳われるシュミート王立魔術学校に、行き倒れの平民が編入したのは、1か月前の事だった。
日も傾き、1日の授業も終わろうかという時間、神経質そうな白髪の教員が教壇で熱弁を振るっていた。
「……我々が生きている世界は50年前、滅亡の危機に晒された。我々の世界と異界との境界線が崩れ、異界から侵略者が現れたのだ。後に『大災厄』と呼ばれるこの大戦は……、聞いているのかね、グウェン君。また君か……」
教壇で講義をしていた白髪の男が、窓際でうたた寝をしていた黒髪の男子生徒に叱声を飛ばした。
片眼鏡の奥の瞳が、不愉快そうに細められている。
「すみません、ゲーユ先生。船を漕いでいました」
指名された少年、シノ・グウェンは起立し、バツが悪そうに謝罪した。
周囲から失笑が漏れる。
その笑い声には、親愛の情は無く、嘲笑に近いものだった。
「もういい、座りたまえ。船を漕ぐのもいいが、自分の学校生活が転覆しないようにしなさい。仮編入の身だということを忘れないように」
そう言って、ゲーユ先生は授業を再開した。
「馬鹿ね」
ゲーユ先生に促され、席に座ったシノに左隣から小声ではあるが、呆れたような声が掛けられた。
「俺を馬鹿だと思わないヤツが、この学校にいるのか考えてみないとな」
シノが声の主へと顔を向ける。
整っていると言っていい顔立ちが、今は険しい表情をしている。
「またそんな事言って……。あの自尊心の塊みたいな先生は、自分の講義を聞かないことが何よりも嫌いだと、そろそろ理解しなさいよ、シノ・グウェン」
銀髪の少女、シェイラ・オドリオソラが言葉を重ねる。
「分かってはいるけど、何度目かも分からないつまらない話は眠くなる。人類の性だな」
実際の所、退屈よりも殺意が勝っていた。
ここに居ると頻繁に聞かされる『大災厄』の英雄譚は、なぜか耳に障る。
シノが気のない返事をしながら、欠伸と殺意をかみ殺した。
「この侵略者、『悪魔』と呼ばれるモノ達は、我々よりも遥かに次元の高い魔術を操り、剣や弓の類は一切通用しなかった。唯一、魔力付与された武器でのみ、致命傷を与えられたが、それも数が少なすぎた……。太刀打ち出来なかった当時の人間は、魔術師を頼り、我が国アイン・スソーラにおいて、異世界から助けとなるモノを召喚した!」
教壇で語っているゲーユの口調が熱を帯びてきた。
「性だか何だか知らないけど、あんたは仮編入なのよ! 試験は勿論、授業中の態度も評価対象! ちゃんと分かってるの!?」
危機感が一切見られないシノに、シェイラはもどかしそうにまくしたてた。
「オドリオソラ、お前……」
眠そうなシノが急に真顔になり、シェイラを見つめた。
「な、何よ?」
シェイラが少し頬を染めて、狼狽える。
「召喚された24人の勇者は、11人の犠牲を出しながらも、悪魔どもを残らず元いた場所へと送り還した。生き残った13人は後に『大英雄』の称号を賜る事となった。知っての通り、わが校の校長もーー」
ゲーユの話はいよいよ最高潮に達していた。疲れた様子の生徒達も、この話題は熱心に聞いている。
「声を潜めながら、大きな声を出すなんて器用なんだな」
シノが、本気で感心した様子でそう言った。
「もう!!」
シェイラの怒声は、今度は潜められる事はなかった。
「ど、どうしたんだね、オドリオソラ君」
普段から真面目な優等生の突然の大声に、ゲーユが動揺する。
「いえ……、何でもありません……」
白い頬を先程よりも紅潮させながら、か細い声で答えた後、あんたのせいよ、とばかりにシノの方を睨んだ。
シノは素知らぬ顔で、自分の机の脇の立てかけられている剣に目をやった。
古びた柄に、漆黒の鞘。
抜き身を見たことはなかった。
なにしろ、鞘から引き抜くことが出来ないのだ。
王国のどこにも記録がなく、王城の魔術師が調査した結果、魔剣ではあるらしい。
魔剣なんていうものは、別に珍しいものではない。
魔術が発達したこの国では、雑兵でさえ、魔力を付与した武器で戦う。
しかし、魔力付与を永久化させたものとなると話は違う。
そんな事が出来る魔術師は、世界に数人しかいないとされている。
その手の武器の所在は厳重に管理される。
魔術師の適性なんか皆無なのに、こうして魔術学校にいる理由。
それは、手にしていた剣が、未確認の魔剣だったからだ。
鍛えた魔術師も不明、付与された力も不明、分かっていることはほとんど無かった。
何しろ、持ち主自身にそれまでの記憶が欠落していたのだから。
シノ・グウェンという名は、身に着けていた衣服らしきものに書いてあったものだった。
「さっきはよくもやってくれたわね、シノ・グウェン!」
憤慨を多分に含んだ声が降り注ぐ。
剣を見つめ、考え込んでいたシノが顔を上げると、不機嫌そうなシェイラが立っていた。
「オドリオソラ、今日もやるのか?」
「当然。あたしが時間を割いてるんだから、不合格なんて許さないわよ」
少し辟易したようなシノの問いかけに、シェイラは即答した。
そのやり取りに、教室の生徒の、特に男子生徒の視線がシノに突き刺さった。
魔術の最先端をいくアイン・スソーラ王国の首都、イストファーンにあるシュミート王立魔術学校は最難関の魔術学校だ。
卒業生の多くが、魔術師として王城に入り、王の傍で責を果たしていくことになる。
仮とはいえ、未知の魔剣をもっている、というだけで編入してきたシノに対する風当たりは強い。
しかも、編入試験が迫っているにも関わらず、1か月間で初歩的な魔術すら習得する気配のないシノを見かねて、ここ最近はシェイラが放課後に個人指導をしていた。
その事が、風当たりの厳しさに拍車をかけていた。
「無駄だと思うんだけど……」
気が進まないシノは、暗に授業の中止を提案するが、使命感に燃える銀髪の少女には届かない。
「あんたがそんなのでどうするの。ある日突然、魔力が発現することだってあるんだから。ほら、いくわよ!」
シェイラに急かされ、重い腰を上げる。
「良いご身分だな、グウェンさんよぉ」
席を立ったシノに、取り巻きを引き連れた金髪の男子生徒が嘲るような声を投げつけた。
先程、ゲーユに叱責された時に、一際大きな声で笑っていた生徒だ。
「そう見えるか?」
シノの表情は変わらない。
「お前などの為に、我が学年首席の貴重な時間が奪われている。魔術師にとって時は何よりも貴重なモノなんだぜ? これは由々しき事態だよ」
ニヤニヤと笑いながら、粘りつくような言葉で糾弾する。
「全くです」
「何て勿体ない!」
取り巻きの生徒たちも口々に同意を示した。
「黙りなさい、イステル!」
会話を聞いていたシェイラが強い口調で言い放った。
「しかし、シェイラ。君は彼に関わるべきではない。身元も分からない、平民の、もしかしたら『喪失者』かもしれない男に入れ込んでいると知ったら、オドリオソラ侯爵様は何て言うかな?」
シェイラの言葉にややたじろぎながらも、イステルはなおも食い下がる。
『喪失者』、という言葉はこの国の人々にとって禁忌だ。
魔力は神から与えられるものだとされているアイン・スソーラにおいては、喪失者とは、神に見捨てられた罪人を意味する。
「二度は言わないわ。今すぐ消えなさい」
その声は先程とは違い、静かなものだった。
静かであるが故に、怒りの感情が鮮明に周囲に伝わっていた。
流石にこれ以上はマズいと思ったのか、イステルは鼻を鳴らし、きびすを返した。
「一応言っておくけど。私は、少なくともあんたよりも数段上の魔術師よ。時間の使い方はよく分かっているわ。それに……これは好きでやっている事だから」
立ち去ろうとしたイステルの背にシェイラは追撃を加える。
振り返ったイステルの顔からは、笑みが消え、怒りの感情が浮かんでいたが、何も言わず足音荒く教室から出ていった。
「フン、嫌なヤツ! あんたもあんたよ! あんなに言われて悔しくないの!?」
怒りの収まらないシェイラの矛先が、シノに向いた。
「そういう気持ちが無いわけじゃないけど、イステルの言葉は9割方当たってるしな」
「はぁ……。とにかく、編入試験に合格して見返してやるしかないわね! あんたの部屋に行くわよっ!」
シノの返答に、ため息を着きながらもシェイラが気炎を上げる。
勢いそのままに腕を引っ張りながら、教室から出ていった。
自分に魔術の才能が無いことは、当事者であるシノの方が痛感していたし、事前の魔力測定においても、魔力を失った『喪失者』との結果が出ていた。
だから、さっきのイステルの言葉は正しい。
唯一、持っていたのはある種の戦闘術のようなものだった。
試したことはないが、人を壊すという一点においては確かな自信が感じられた。
きっと、記憶を失う前の俺は後ろめたい事をしていたんじゃないかと、シノは密かに考えていた。
自分の修練もあるだろうに、無駄だと分かっている自分の練習に真摯に付き合ってくれるシェイラに罪悪感のようなものも感じ始めていた。
いくら優等生といっても、ここは他人の面倒をみながら卒業できるほど甘くはない事は、短期間しか在籍していないシノでも理解していた。
「相変わらずヒトが住むような場所じゃないわね」
家、というよりは掘っ立て小屋と称した方が良いような建造物の中に入り、シェイラがため息をついた。
中は殺風景で毛布が1枚、床に無造作に投げ出されていた。
もし嵐がくれば、建物ごと吹き飛ばされてしまいそうだ。
「元々は厩舎だったものを少し改装した。身寄りのない平民には勿体ないぐらいだそうだ。ありがた過ぎて、涙が出る」
勿論改装したのは俺だが、と付け加えた。
「不満があるのなら、自らの手で勝ち取りなさい。正式に編入すれば、寮の部屋が与えられるわ。魔術師とは元来、そういうものだわ」
シェイラの返答は、彼女自身の信条でもあった。
「魔術師には、なれないんだけどな……」
「え? 何か言った?」
シノの呟きを、シェイラは聞き逃さなかった。
「いや、別に」
シノは、自分にはそもそも魔力がない、『喪失者』である事を彼女には言っていなかった。
本来、喪失者を由緒あるシュミート王立魔術学校に編入させるなどあり得ない事だった。
だが、魔剣に関心を持ったらしい学校長の一声でひっくり返し、仮編入となったのである。
その際、シノは学校側と喪失者であることを第三者に隠す、と魔術的な契約を交わしている。
個人の魔力に対して縛る契約であるので、魔力を持たない者が誓約を破った場合、どうなるのかは不明だが、シノには勿論試してみる気はなかった。
「文句言ってないで、とっとと始めるわよ。いつ試験なのかは分からないけど、あまり日は無いはずなんだから」
シェイラが手際よく、練習の準備を整える。
持参してきた蝋燭をガラスの瓶に入れた。
消灯時間以後、備品の蝋燭の使用は禁じられているほどに贅沢品だ。
「別に蝋燭じゃなくても……」
「試験では蝋燭が使われるわ。できるだけ本番に近い方が良いじゃないの」
その気遣いが、益々シノをいたたまれなくする事を、シェイラは知る由もない。
「さあ、蝋燭に火をつけてみて。試験内容は分からないけど、炎は全ての基礎となる魔術よ」
「……」
シノは目を眇めて、ガラスの中の蝋燭を睨みつけ、集中しているフリをするが、そもそも魔力がないのだ。
火が着くはずもない。
暫しの沈黙が流れた。
「蝋燭の先に集中して。そして、イメージするの。魔術は自分のイメージしたモノを魔力に描き、現実に表現する業よ。形、色、温度、現実に及ぼす影響、できるだけ詳細にね」
無為に過ぎる時間の長さに痺れを切らしたのか、シェイラが今まで何度言ったか分からない、魔術の理屈を口にする。
「なるほど……」
曖昧に師シノは頷き、再び蝋燭の先を見つめるが、勿論何も起こらない。
その後もあれこれとシェイラは助言をしたが、シノに魔力が発現する気配はなかった。
「ふぅ……。今日はここまでね」
2時間ばかり経ったころ、シェイラが授業の終了を宣言した。
日も沈みかけ、外は薄暗くなっていた。
寮の門限までには2時間程の猶予があるものの、シェイラは慌ただしく、帰る支度をしていた。
「そんなに急がなくても、時間ならまだあるぞ」
門限を破り、男の部屋にいたとなれば、大貴族の娘にとっては致命的な失態になるだろうが、シェイラはいつもこれくらいの時間から急いで準備していた。
「女の子にはやることが沢山あるの!」
シノの指摘にも早口で答えながら、シェイラは慌ただしく出ていった。
「……礼を言う暇もなかったな」
閉まった扉を眺めていたシノが振り返ると、床に蝋燭が落ちていた。
(練習しておくか。喪失者が魔力を取り戻した例はないらしいが……)
シノは蝋燭とのにらめっこを始めた。
(イメージ……イメージ……熱い……赤い……燃えている……)
どのくらいそうしていただろうか。
気が付いた時には既に外は真っ暗になっていた。
火を着けようとしていた蝋燭を触ってみると、熱くなるどころか、ひんやりと堅い感触を手に伝えてきた。
人間は例外なく幾らかの魔力を持って生まれてくる。
しかし、ごく希に後天的に魔力を失ってしまう『喪失者』と呼ばれる人間が存在する。
この国では、そういった人間は『神』に罰を与えられた罪人として、排斥されるのが常だ。
自分の事に関する記憶すらない、今のこの状況で孤立するのはマズいな。
「はぁ……」
小さくため息をつくと、急に空腹感に襲われた。
期待を持ちながら扉を開けると、木のトレイにパンとやたらと具の入ったスープが置かれていた。
仮編入の身であるために、一般生徒達が食事をする食堂の利用は認められず、裏口へ取りに来るように言われていた。
メニューも黒パンと中身はほとんど入っていない粗末な付け合わせだった。
しかし、最近は入れすぎなくらい野菜と肉が入ったスープと白パンになり、部屋の前まで配達してくれるという厚遇ぶり。
何らかの魔術で保温されているのか、スープはいつも、さっき作られたかように温かかった。
調理担当者が変わりでもしたんだろうか。
「ありがとうございます。いただきます」
新しい調理担当者に合掌しながら、トレイを部屋に持って入った。
「……味はイマイチなんだよな」
スープを一口飲んで、シノはひとりごちた。




