カガミアソビ
『ーー最近、世間を騒がせていた連続殺人事件ですが、先々週の事件を最後に一気になりを潜めましたね。』
『えぇ、第一の事件からこの前の事件で四件の被害者が出て、それっきりですねぇ……警察も犯人の足取りを掴めず、四苦八苦しているようです。』
『この事件の特徴と言えば、第一の事件から第四の事件までの犯行の、いや、死体の状態が事件を重ねる毎に綺麗になっていっているという点ですかね。』
『はい、第一の被害者はどの様な凶器が使われたのかは不明ですが、身体を無理矢理に引き千切られた痕跡が残っており凄惨を極めましたが、次の事件の場合ーー』
「ねぇ、それって噂の連続殺人事件?」
私は昼休みにサンドウィッチを食べながら聞き流していたラジオの司会とコメンテイターの会話の途中にそう話しかけてきた人物に答える。
「ベス、久し振り、かな?」
「やっほ!久し振り、元気そうで良かったよ、メイ。」
ベスはポニーテイルに纏められている金髪を揺らし、ソバカスが目立つが愛嬌のある、快活な笑顔で私にハイタッチを求める。私はそれに応じながら、一緒にお昼でもと空いていた隣の席を彼女に進めた。
「ありがと。二時限目が体育だとお腹がペコペコ〜」
「お疲れ様。」
「うん。あ、そういえばさっきのラジオだけど、怖いよね〜、ぐちゃぐちゃの死体から、事件を重ねる毎に綺麗になっていくってヤツ。コメンテイター曰く、『犯人は死体の扱いを学習していっている』、だっけ?」
「なんか気味悪いよね。それに初めの被害者の状態が余りにも悪いから獣の犯行では?とか、果てには化け物の仕業だ、なんてオカルトチックな噂もあるらしいよ。自称目撃者によると真っ黒な姿に爛々と光る真っ赤な目の怪人らしいけど。」
お昼を食べながらの雑談には内容がグロテスク過ぎて不相応だけど、つい話題にしてしまう程にこの殺人事件は奇妙だった。
約二ヶ月前に始まった連続殺人事件の第一の被害者、その死体は先程もラジオで述べられていた様に凄惨を極めた。
凶器不明で、腕や足が力任せに引き千切られた様な跡が残ったり、内部欠損どころではなく食い荒らされた様にぐちゃぐちゃで、現場の路地裏は血溜まりなんて生温いものではなく、正に血の海だったらしい。この有様から当初警察は野犬か何かでは?と結論付けていた。何故ならば、犯行の動機が全くと言っていい程に見当たらなかったかららしい。
被害者の男性の仕事場や交友関係、既婚者でもあったので男女関係等の考えられるあらゆる可能性を捜査した様だが、それらしい成果は上げられなかった。それ故にこの事件は人為ではないとされた。
しかし、そこで次に起きたのが第二の事件だった。同様に殺害された男性が路地裏で発見されたのだ。だが、初めは誰もが首を傾げ、連続殺人事件の可能性を疑った。その疑問は死体の損傷である。明らかに第一の事件よりも死体の状態が良く、力任せに引き千切られた様な跡はないと報道されていた。そして、警察もこれは模倣犯であると判断し、犯人を捜索した。
ここで更に、これらの事件を連続殺人と認識させる第三の事件が起きたのであった。この事件では女性が被害者だったが、また同様に路地裏が血の海で彩られていたのだ。そして、例の様に死体の状態が綺麗であった。この事から、三つの共通点が見つかる。
一つは、事件を重ねる毎に死体状況がまるで学習していくが如く、良くなっていく。
二つ目は、目撃情報、と言うよりは噂に近く信憑性は無いが一連の事件現場の路地裏付近で『眼が赤く真っ黒な人型』が真夜中に徘徊していた、と言う情報。
三つ目、一つ目の死体状況に繋がるが、事件を重ねる毎に効率良く血が流れる様に傷が付いているのだ。まるで、血を見る為に殺しているかの様に。なので、毎回事件現場は血の海になっている。
これらの点から、警察はこの凶行を猟奇的連続殺人事件と断定し、一月前から集中捜査を行なっているのだ。
が、その捜査の甲斐なく起きたのが、先々週の第四の事件という事らしい。
「ね〜、ほんと気味悪い。警察は何やってるんだか、数ヶ月捜査して何にも分からないとかさ!割と近辺で起きてるらしいし、早く何とかして欲しいよね。」
「ははは……」
警察へのヘイトがヒートアップしていくベスを見て、苦笑を漏らしつつも、彼女の言う事に私も内心で同意する。
数ヶ月前からその犯行は猟奇的且つ、派手であるにも関わらず犯人の動向を一切掴めていない警察には呆れを感じざるを得ないだろう。ラジオでコメンテイターも言っていたから、世間でも無能警察の烙印を押されているに違いない。
「数ヶ月と言えばなんだけど、本当に元気そうで良かったよ。突然両親が亡くなった、って言ってきた時のメイ、凄い顔してたよ。しかもその後、何の連絡もなしに大学休んじゃうんだもん、心配したんだからね!」
「うん、その節は本当に申し訳ありませんでした……」
「うむ、大いに反省しなさい!もし、メイが事件に巻き込まれていたらって気が気じゃ無かったんだから……でも、本当に大丈夫なんだよね、休んでいた間の記憶ないんでしょ?」
「精神科にも行ってきて、特に問題はありません、って言われてきたから平気だよ。」
心配そうに私の顔を覗き込んでくる親友に心底感謝しつつ、これ以上心配させない為にも微笑みながら言葉を返す。
しかし、私がここ数ヶ月の記憶がない事は事実であった。
ベス曰く、私は今から数ヶ月前に突然両親の訃報を告げたと言う。その時の私は幾分か顔がやつれ、目の隈も相当酷かったらしい。そして、次の日から大学に来なくなった。それに不安を覚えたベスは当然、私に連絡をしたが出ず、その事に焦った彼女は警察にも捜索願を出したらしいが、警察は件の連続殺人事件のせいでまともに捜索をしてくれなかった様だ。この事も含めて、ベスも警察に不満を抱いているみたい。こう考えると、やはり私も警察は無能としか思えない。
だけど、結果的に私は先週に無事戻ってきた。……数ヶ月の記憶が無い状態を無事とは言えないと思うが。
精神科医によれば、両親を一度に亡くしたショックによる一時的なもので時間経過で治るが、時折顔を出す様に言われた。
しかし、そんなものなのだろうか?私が失踪している間に両親の親類によって葬式が行われた、と聞いた時は『あ、そうですか』としか思えなかったし、そもそも親類である筈の人達が失踪した私の事を捜しも、気に掛けもしなかった事に対しても特にショックを受けなかった。
今では両親の事さえも朧げな私に二人の死は、記憶喪失になる程のショックを与えたのだろうか?
「そう言えば、メイ。」
「ん、何?」
そう益体も無いことを考えていると、ベスが話しかけてきていた。
「最近、赤色ばっかり着てるね、服。」
「んー、そう?似合わなかったかな。」
「いや、似合ってるよ!でも、前はもう少し落ち着いた色の服を着てた気がしたからさ。」
「そうだっけ?」
「そんな気がしただけだから……ってもうお昼休み終わっちゃう!早く次の教室行かないと、講義に間に合わない!じゃあメイまたね、まだ病み上がりなんだから無理しちゃ駄目だよ。」
そう言って、席を立ち手を振りながら慌ただしく去っていく親友を見送る時には既に先程の思考の事は頭に無かった。
†
ベスとは被る講義が少なく、あれから数日経ったある日の放課後。私はバスに乗る為に停留所のベンチに本を読みながら座っていた。
ふと顔を上げる。今日も一日晴れて良い日だった、最近は夏に近づいている事もあってか日が昇っている時間も長い。清々しく雲一つない青空が広がっている。
「おーい、メイー!待って〜」
「あ、ベス、ギリギリだね。」
バスが乗り込もうと立ち上がった所で、向こうからベスが駆けてきた。走って息が上がり、それを整えようとしているベスと共にバスに乗車する。軽く見回してみるとバス内は閑散としていて、乗客は思っていた程多くはなかった。私達は奥の席に二人並んで座る。その際ベスが私の事を気にかけて窓側に座らせてくれる、本当に良い友人を持ったものだ。
「ねぇ、メイ。」
「どしたの?」
それまで他愛ない雑談を交わしたベスが少し間を置いて私に問い掛けた。
「今日、同じ講義の友達から聞いたんだけど、一昨日の夜中にその友達が近くのコンビニに行く途中にメイの後ろ姿を見たって言ってたんだ……その友達の家ってメイの家から行けない距離ではないけどそこそこ遠いんだよね。そんな夜中に何してたの?」
「え、えぇ?ウソ、一昨日、って言うかここ最近私ずっと午後の七時には寝てる……筈よ。」
「んー、本当?なら、見間違いだったのかなぁ。でも私、心配なのよ?まだ件の連続殺人鬼は捕まってないし……他の友達とかからも先々週に、ちょうど第四の事件が起きた付近でメイを見かけたって子もいたし。」
「え?」
「また記憶無くしたとかはない?それに具合悪いとかなら早く言ってよね、私、本当に心配なんだからね!またメイがいなくなっちゃうとか嫌だからね……」
「う、うん……」
その後もバスが目的地に着くまでの間、ベスがずっと私に何か話しかけていた気がするが全て生返事を返していたと思う。
私の頭の中ではベスが言っていた事が反芻されていた。
その時、ふと見た窓の向こう側にはバスに乗る前に見た青空はなく、赤く輝く夕日を鈍色の分厚い雲が覆い隠し、黒く滲んだ赤色をしていた。
バスを降りベスと別れた後、私は寄り道をせずに家路に着いた。
「ただいま……」
玄関開け、誰も居ない家に一言挨拶をする。そして、靴を揃えてから洗面所へ向い、ついでとばかりに顔も洗いタオルで水気を拭く。無意識に鏡に映る自分を見る。そこに居るのはプラチナブロンドのショートカットに色素の薄い碧眼で、色白だからか少しばかり隈が目立ついつもの私が居た…………だが、何となくだが今日に限っては私に似ている全くの別人に見えた。
……ダメだ。今日は妙に疲れている。先にお風呂に入ってスッキリしよう。
お風呂からあがりキッチンに立って軽めの夕食を作り、食べている時もベスが話していた内容が頭から離れない。
ベスの友人曰く、一昨日の真夜中に自宅からかなり離れた場所に私を見たと言う。しかし、一昨日どころか最近はずっと午後七時には疲れて寝ていた……と、私は記憶してる。
と言うか、よくよく考えてみると午後七時に就寝して午前六時に起床している訳で、約十一時間も寝ていて疲れているなんて可笑しくない?……もしかして、私は夢遊病なのだろうか。一部とは言え記憶喪失なんて精神的に参っている状態なんだから、あり得なくはない。
それに、もう一つ引っかかる事がある。それは私が第四の事件の事件現場付近に居た、と言う事だ。
私が失踪から戻ってきた、と言うより気付いた時には部屋に居た。そして、それ以前の、両親が死んだ後の記憶を思い出す事が出来ず、取り敢えずベスに連絡を入れてみたらワンコールもしない内に直ぐに出て、それはもう怒涛の如く、お怒りの言葉から心配の言葉までを一息に言われた。あの時は物凄く吃驚した、だけど同時にベスの言葉に嬉しさも込み上げてきたのを覚えている。
話が脱線したがつまり、私が戻ってくる前に第四の事件は起きていて、私は記憶がない期間の間に、理由は分からないがあの猟奇的殺人事件現場を彷徨いていた可能性がある。一体何故?幾ら考えても全く思い出す事が出来ない。
……今日は色々考え過ぎたのか、頭痛がしてきた。いつの間にか午後七時を回ったし、取り敢えずもう寝よう。私は食器を片付け歯を磨き、二階の寝室へ向かった。
パジャマに着替える為にタンスに手をかけ、ベスの言葉を唐突に思い出す。
『最近、赤色ばっかり着てるね、服。』
反射的に洋服が折り目正しく納まっているタンスを開ける。其処には見慣れない赤色の服を数着見つける事が出来た。代わりに五着程のお気に入りの服が見つからない。
その事実に背筋が凍りつく思いをする。思い込みが過ぎるかもしれない、ベスの言う通りまた短期的な記憶喪失に陥っているのかもしれない。しかし、私は言い表せない異様な何かを感じ、自分の中に何か在る様な、自分が自分では無い様な気がして、パジャマに着替えるのも忘れて、部屋着のままベッドに入り頭から毛布を被った。
そして、私はこの気味の悪さから逃げるかの様にして直ぐに眠りについたのだった。
†
ーー辺りはもう既に夜の帳が下り、草木も寝静まる時刻。だと言うのに、世界は赤に染められている。ぼんやりと朧げな意識の中、私は何処か他人事の様にその世界を覗いていた。
そして、その視界に何かを捉える。何だろう?そう疑問を持つ前に私の身体は勝手に動いた。いや、これは私の身体ではないのかもしれない。
私は視界の先の何かに声を掛けていた。それに気付いたそれは此方に振り返る。それは女性だった。こんな夜中に外にいるのだ、残業でもしていたのだろうか?黒の上着にタイトスカートを着込んだスーツ姿の女性は振り返り、私を見た瞬間に疲れを感じさせながらもその端整な顔を歪めた。
どうしたのだろうか?
私は彼女の恐怖に歪んだ様な顔を見て心配になり、再び声を掛けた。しかし、それとは裏腹に彼女は悲鳴を上げて向こうへ駆けていく。
そんなヒールでいきなり走ったら危ないですよ、と私は場違いなことを考えながらも彼女を追い掛けた。
最近は夏に近づき昼間はそれなりに暑いが、夜になればまだまだ肌寒い筈であったのに、今は何だか身体中が暑さを訴えている。走っているからだろうか? 暑くて、熱くて身体の奥底から求めている。
何を?
分からない。私?……ワタシは身体中を駆け巡る衝動に身を任せて、只々彼女を追う。
いつの間にか何処かも分からない路地裏に居た。でもどうでも良いかもしれない。
行き止まりになっている壁を背にして絶望に瀕している様な表情で彼女は此方を見ている。何か喚き散らしているが、煩いのでワタシは手を彼女の口に入れていた。その際に、ワタシの視界は既に赤で染まっている筈なのに、口の中に蠢くその鮮やかで真っ赤な舌を捉えワタシの中の何かを刺激した。
もっと見たい。狂おしい程に綺麗で鮮烈な赤を。
それは渇きだった。
ワタシはその渇きを潤す為には何をすればいいのか、直ぐに分かった。空いている右手を震え涙を流す彼女の白い首筋に添える。其処からならワタシが望むものが良く流れ出てくるのを“ワタシ”は知っているのだから。
その瞬間、視界の赤を更に塗りつぶすかの様な勢いで虚空を舞う真紅と、手を伝う生温かく心地良い感触に……“ワタシ”はーー
†
「ーーっ!?」
それは夢というには生易しい、しかし不明瞭な意識からの唐突な覚醒だった。思わずベットから跳ね起きた私は不自然に上がる息を整える為に酸素を求め浅い呼吸を繰り返す。
「……はぁ。」
幾分か落ち着いた所で、思い出す。不明瞭ではあったが、夢の内容は嫌になる程確かに覚えている。昨夜、感じた私が“私”でない感覚。画面越しで景色を見る様な感覚を。最後、あの女性を追い詰めた時は“私”と私ではない“何か”が混ざり合う様なーー
そこまで思考して、私は頬に冷や汗が伝うのを感じ手をやる。血の気が引いていたのか、少し冷たい。
そこで気が付いたのが寝る前にパジャマに着替えずに部屋着のワイシャツのままであり、そのワイシャツが酷い寝汗でジットリと肌に張り付き齎していた不快感だった。
「シャワー浴びないと。」
時計を見れば起きたのはいつもより早い午前五時、余裕がある。
ふと窓を見る。まだ外は暗く、黒洞々と暗鬱な雨雲が広がり雨足を立てていた。
「……喉、渇いたな…………」
私はシャワーを浴びる前に、キッチンへと足を向けた。
私は雨の中いつもの通り大学へ行く為に傘を差しバスの停留所へ向かったのだが、向かう途中で今日が祝日だと言うことに気が付いた。ここまで来ると私がどれだけ参っているかが分かる。
どうしようか、と数瞬考えて私は図書館へ向かう事にした。
幾つか理由はあるが、その一つは起きた後もずっとあの夢の事が頭を離れなかったからだ。そして、今も鮮明に覚えている恐ろしい感覚に、私は一つ嫌な想定を浮かべていた。以前、夢遊病と称したのはあながち間違いではないのかもしれないと言う可能性。それにベスが話していた事も気になる。
なので、私の空白期間の記憶を思い出す為に情報収集として図書館に、と言う安直な考えである。こんな思い付きで突発的に図書館に行ったからと言って、何かが分かる訳でもないだろうけど今は兎に角身体を動かしたい、そんな気分でもあった。
図書館に着いて直ぐに新聞紙が置いてある場所へと向かう。取り敢えず、これまで起こった第一の事件から第四の事件の詳細から調べる。だが、どの記事もテレビやラジオで報道され尽くされた様な内容のものばかりだった。
「まぁ、そりゃそうよね。」
そうぼやきながら、何部目かの新聞紙に目を通した時。
その記事だけこの連続殺人事件をオカルト記事として取り上げていたのだ。その主な内容は『真っ黒な身体に真っ赤な双眸を持つ怪人が血を見る為に夜な夜な人々を襲う』と言った、私でも既に知っている様なものであった。が、唯一つ私が知り得ない情報を見つける。
「『怪人の正体の秘密には宗教団体が絡んでいる』?宗教団体って何、それにこの記事は何の証拠があって……」
「おや、僕の記事を読んで下さっているのですか?」
「え!?」
いつの間にか私が座っている席の真後ろに男性が立って、此方を覗き込んでいた。
その男性を見て初めに感じた印象は“モノクロ”だった。上下黒のスーツ。少し長めの黒髪に微笑んでいる為か弧を描いている細い双眸から微かに覗く目の色も黒。しかしそれらと対照的に病的にまで白い肌。そして、この一連の動作の中、その長身痩躯の男性の顔を見て思わず息を呑む。これまで、テレビや雑誌で見た様な俳優等が路傍の石に見える程に整った顔がそこにあった。だが、それを見た途端、私に言い知れぬ違和感が襲う。その男性は依然微笑んでいる。それが私には作り物の様に見えた。そう、比喩などではなく、もっと根本的なーー
「すみません、急に声を掛けてしまって。申し遅れました、僕、こう言うものです。」
「え、あ、はい。」
私の思考を遮る様に男性が私に名刺を渡してくる。思考に没頭していた事もあり、私は抵抗も無くそれを受け取ってしまう。
「新聞記者の……アルラ、さん?」
「はい、そして貴女が今し方読んでいた記事を担当したものでもあります。」
そう言って、ニコリと笑う。何だろう、物凄く胡散臭い。先程感じた違和感はこの胡散臭さだろうか。
……なんかこれ以上関わってはいけないと、私の第六感が告げている気がする。そう思い、「そうですか、記事、面白かったです。」と言って席を立とうとした時。
「あ、待ってくださいよ。貴女、事件の事を調べていたのでしょう、記憶喪失のマリー・アルフォートさん?」
「っ!?」
「ここでは何です、何処かカフェでも入ってお話ししましょう、メイさん……あ、別にこれナンパとかではありませんよ?」
図書館から出て少しの距離を行った所にある小さなカフェの奥のソファ席に向かい合って座る。
「そんなに睨まないで下さい。別に何かしようとかそんなではないのですから。」
「では、何の用ですか?」
「それに答えるには、貴女の質問に答えながらの方がスムーズに進みそうですので、聞きたいことからどうぞ。」
そう言ってやはり微笑むアルラ。この男性は得体が知れないが何か事件について核心に迫る、かどうかは分からないが少なくとも私よりも知っている様だ。ここはおとなしく質問をし、情報を得よう。
「ではまず、何故私の名前を?」
「ふふ、僕、新聞記者をしていますが探偵の真似事も得意なのですよ。」
「いや、そうではなく、事件と関係ない私を何故調べて……」
「一概にはそう言えないのでは?貴女は両親を亡くしてから失踪しその期間の記憶が無い、そして事件は丁度その時期から始まっている。更に、貴女を第一から第四の事件現場付近で目撃したと言う証言まで僕は掴んでいますよ?」
第一から!?第四だけではなかったの?と言うか、この男、私の事をどれだけ調べたの?何だかこの人がストーカーに見えてきたわ……
「じゃあ、アルラさんは私が犯人だって疑っているんですか?」
「いえ、そうではありません。」
「え、そうなんですか?」
「はい、そもそも僕はこの記事を書いた時点で怪人の仕業だと信じて疑っていないので。」
あぁ……そう言えばこの人オカルト記事を書いていたんだった。なんか毒気が抜かれた。
「はぁ……改めて質問しますが、何故私の近辺をそこまで詳しく?」
「実は、貴女と言うより最初は貴女の両親を調べさせていただいたんですよ。」
「え?」
「そして僕はオカルト記事を書き始めてからずっと追い掛けている宗教団体がありましてね。」
「も、もしかしてそれって。」
「はい、先程の記事に書かせていただいた宗教団体の事です。そして、貴女の両親はその宗教団体、『星の智恵派』に多額の寄付をして多くの借金を抱え込んでいましたね?」
「…………」
アルラさんのその言葉に私はまるで鈍器で殴られたかの様な衝撃を受けた。お父さんとお母さんが借金を?
知らない、分からない、そんな事覚えていない。
頭の中をアルラさんが告げた言葉をぐるぐると回る。酷い頭痛と吐き気に視界が霞む。
「ふふふ、少し混乱しておいでですね。今日はこの辺にいたしましょう。御両親の借金については恐らく、御自宅を調べれば何か見つかるのでは無いでしょうか。そして、もう一つだけ……今日はもう既に遅いので止めた方が宜しいでしょうが、真実に近づきたいのならばこの場所を訪れてみるのがいいでしょう。お勘定は支払っておきます、また何かあればいつでも図書館に居ますので、それでは。」
アルラさんは言うだけ言うと、テーブルに二つに折られたメモを置き、あの胡散臭い笑みで此方にお辞儀をした後、背を向けた。私はそれを目で追い、直ぐに顔を俯けた。その視線の先には私が頼んだオレンジジュースが入ったグラスの中の氷がからん、と虚しい音を響かせていた。
あの後、私は直ぐに家へ帰った。具合が悪くなったと言うのもあるが、それよりも早く落ち着きたいという事とアルラさんが言っていた両親の事。それが分かればきっと私の記憶を戻る切っ掛けになる筈、それに私と連続殺人事件の関係性も恐らくは……
暫くの間、全く入っていなかったお父さんとお母さんの寝室に入る。今となっては何故私は疑問を持たずに今の今までこの部屋を放置していたのだろう。
ドアを開けると目に付くのは壁の一つを覆い隠す大きな本棚が二つにお父さんが仕事用に使っていた机だ。こうして見ると寝室と言うよりも書斎と言った方がしっくりする。取り敢えず、本棚から見ていくことにした。
お父さんの仕事は知らないがよく海外に出張に出ていた……気がする。だからなのか、私が読めるものが少ない。まぁ、私は母国語を含めて二カ国語しか分からないからかもしれないが。その中で私が読めるものを探していくと、タイトルに『宇宙』だったり、『古代エジプト』等の関係性が分からないものが沢山あった。その中に『魔術』なんてのも見かけたからアルラさんが言っていた宗教と言うのもあながち間違いではなさそうだ。
次に本命、と言う程でもないが仕事机を調査する。と言っても机上には数冊本が平積みになっていたり、何枚かのプリントが散らばっているくらいか。引き戸もあるが取り敢えず目に付く所から処理する事にした。
平積みされた本を手に取るが、結局読めず断念する。読めない本を避けていく事で影に隠れて見えていなかった紙束を発見。それを手に取り、私は愕然とする。
領収書の束……お父さんとお母さんは本当に借金をしていたんだ。アルラさんの言っていた『星の智恵派』と言う単語もちらほら散見できる。
今思えば、私は両親の死亡原因すら知らない。なら、二人共借金が理由の自殺?そんな馬鹿な。
私は他にも何か、二人が残した何かがまだあるのではと探した。しかし、見つかるのは同じ様なものばかりであった。
「……ん?」
ふと、机の下に何かが落ちている事に気付く。A4サイズ程の大きさで表紙に何も記載されていない不可解な本が落ちていたのだ。
それを拾おうとし、触れた瞬間に私を酷いデジャヴュが襲う。私はこれを読んだことがあると言う、そんな感覚。
何か薄ら寒い感じがしたが取り敢えず、私はその本を手に取り開く。しかし、中身は一体どこの言語かも分からない言葉で書かれていて、内容を読み取ることが出来ない。それに何だか、読み進めるごとに頭痛がしてきている気がする。
私は何かに取り憑かれたかの様に読む事の出来ないページを只管捲っていたが、ある部分で手を止めた。
「ページが切り取られている?」
その部分だけが不自然に破り取られていたのだ。一体何故?そう思ったが、その時既に立っているのも辛い程の頭痛が私を蝕んでいた。
疑問は色々残るが私は取り敢えず、本を机に置き両親の寝室を出て自室へ戻る。
そして、アルラさんから一方的に渡されたメモを見る。
「『街の郊外にある一軒家に貴方の知りたい真実がある』、ご丁寧に住所まで……あの人は一体どこまで知っているの?」
まだ続いている頭痛を鬱陶しく思いながら、私はベットに潜り込んだ。
†
翌日、結局私はあのメモの通り郊外へと向かった。
今日は大学の講義が入ってるが、無断欠席をするつもりだ。……確か、ベスと同じ講義だった筈なので後で何か言われるかもしれない。
電車を何本か乗り継いで少し歩く。住所を確認して予想はついていたが、かなりの距離だった。辺りも住宅街といった感じではないし、閑散としている。
「あそこ、かな?」
目の前に以前はそれなりの豪邸であっただろうが、今では見る影もない一軒家を見つける。そう、既に外壁は蔓などの植物によって一面覆われており、更に崩れている部分も見受けられた。庭は当然手入れされていない状態で、草木が好き勝手に自らの領地を広げている。これを掻き分けて行くのには少しばかり抵抗があるが、ここまで来て見ただけで帰ることは出来ない。
私は意を決して、廃墟へと足を踏み入れた。
中へ入ると、荒らされているわけではないと言う事実に驚く。ボロボロで床が抜けていたりしている場所は多々あるが、決して人が住めない場所ではなさそうだ。更によく観察して見ると埃が余り積もっていない。
私は今更ながらここが無人ではないと言う可能性がある事に気付き、身体が強張る。
二階へ続く階段は崩れていて登る事は出来なかったので、大人しく一階の部屋を順番に調べていく。一つ、二つと見ていき、最後に玄関から一番奥に相当する部屋のドアを開ける。
「……え、いや…………」
そして、そこに居た……いや、あった。
初めに認識できるのは“赤”。その色は、そこにあったものを中心にして部屋全体に広がっており、既にそれなりの時間が経過しているのが見て取れる赤黒い血であった。
その血で彩られ、中央に横たわる死体は誰であるかも分からない程に損壊が激しかった。顔面は脳漿が飛び散り、如何すればこんな凄惨な状態になるのか理解が追いつかない歪な形へと変貌してしまっている。
私は突然の非日常的な光景にザワザワと肌が粟立つのを感じる。それと同時にいつか感じた既視感を覚える。その感覚に疑問を持つ前に、私は視界の端に何かを捉える。
他の部屋よりも調度品が少なく生活感にかけるこの空間に不自然に落ちている手帳。私は震える手でそれを掴み、開く。
○月××日(△)
お父さんとお母さんが死んだ。自殺だった。しかも、よく分からない宗教に入れ込んでいて、それに寄付する為に多額の借金を抱え込んだ様だった。
こんな額、大学を奨学金で入った私に如何しろって言うんだ。
○月×△日(□)
借金取りが来た。今日で何回目だろうか。
私は関係ないのに、お父さんとお母さんは死んでまで私に嫌がらせをしたいのだろうか。
あぁ、まただ、また借金取りが来た。
私はいつまでこんな生活を送らなければならないのだろう。
×月△日(○)
お父さんとお母さんの部屋から本を見つけた。
見た瞬間、これだ、と思った。これで悪いヤツから逃げられる。
私の平穏は戻ってくるのだ。
×月×○日(□)
見つけた。これだ。
『鏡の写し身』、コレをつかえば私は悪いヤツから逃れられる。
準備はできてる、明日実行しよう。
×月△○日(×)
できた、私の身代わり。
あの本に書いてた通り、最初は知能が幼児並みで時折、元の姿に戻ってしまう様だ。でも、これから時間をかけて記憶を定着させて、アイツラが諦めるまで私の身代わりとなるのだ。
だから、暫くあの廃墟で身を隠そう。だけどそれは、ベスには何か一言、言ってからにしよう。
×月□◎日(□)
写し身が小鳥を殺してきた。血塗れで目の前に来た時は心底おどろいた。余り、食べ物を与えなかったからだろうか?次からは量を増やそう。
何だか、その日ずっと嬉しそうに微笑んでいたのが気味悪かった。
×月□×日(△)
人を殺してきた。流石に不味い。
何故殺したのか聞いた時、綺麗な赤を見たかったのだとほざいた。
幾ら言っても、首を縦に振らない。それどころか私の事を反抗的な目でみてきた。あの本には主人の命令に従うと書いてあったのに。
せっかく、後もう少しで私の平穏が
ここでこのぺーじは血で濡れていて読むことはできなかった。わたしは、次のぺーじをめくった。
ーーワタシは“私”を殺した。綺麗な赤だった。やっぱりもっと赤を見たい。あの赤で渇きを潤したい。
でも、最近ワタシの中の“私”が邪魔をしてくる。
あぁ、次はいつワタシの渇きを潤せるかな。ーー
ワタシの手の中から手帳が滑り落ちる。だけど、そんな事は如何でもよくなっていた。
ワタシの視界に、“私”のお気に入りの服を着ている血塗れた死体が映る。世界は赤に染め上げられ、思わず顔を覆ったワタシの手は黒く変色していく。
しかし、そんな事は些事であった。
ワタシは胸を激しく渦巻く衝動のままに自身の首筋に手を添えた。
「アァ、ノドガ……カワイタナ………」
†
『ーーさて、次のニュースですが○×街の郊外の廃墟で二つの変死体が発見された様です。一つは顔面の損傷が特に酷く身元を特定できず、もう一方は頸動脈を損傷し失血死。両方、女性だそうで。』
『とても痛ましい事件ですねー、更にはとても凄惨な現場の様子に巷では既に例の猟奇的連続殺人事件の第五、第六の被害者なのではと騒がれている様です。』
『警察もその線で捜査中とのことですが、依然捜査は進まずーー』
「んー?何、聴いたんだ……って、そりゃ、お前が担当してるネタじゃねぇか。」
「はい、そうですよ、『先輩』。」
「そうです、じゃねぇよ!新聞記者ならラジオなんかで情報収集してないで、自分の足で稼げ、アルラ!」
そう言って会社の床を踏み抜かんばかりに足を立て去っていく男の背を、長身痩躯で美形の男が目で追う。
「……ふふふふ、『今回』は久方ぶりに面白い観察でしたね。
ーーさて、次の暇潰しは何に致しましょうか。」
その男の呟きは窓から吹く風と共に流れ、誰の耳にも届かなかった。
サークルの合評会提出用に書きました。
初めてホラーテイストに挑戦したのですが、上手くいってますかね?
そこんとこも感想でご指摘と一緒に教えて頂けると嬉しいですね。
当然、評価やブクマ、レビュー等もお待ちしております!
あ、拙僧クトゥルフ大好きですよ(ここ重要)