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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第3部

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084







 その日、エリスティア聖堂院に新たな大聖師が誕生した。

 大聖師は聖王に次ぐ高位階級で、聖堂院の総本山であるエリスティア大聖堂において聖王空位の現在、実質最上位の階級である。

 大聖師は聖なる光を纏いし者のみが就ける位で、滅多に誕生しない。

 新たな大聖師の誕生は三十年振りで、本来であれば国はおろか、大陸を上げて盛大に祝うべき慶事である。

 それでなくとも現在生存する大聖師は老齢の二人のみ。

 久々に誕生した大聖師が若く、かつ美しいとあれば、聖堂院としては大々的に発表して人々の信仰を集めたいところだ。

 しかし当のヴィンセントがそれを拒んだ。


「派手な披露目は不要だ。静謐と清貧が聖堂院の教義。それに今は『魔女』が現れたことに警戒せねばならぬ。浮かれている場合ではない」



***


 時は二時間前に遡る。

 エリスティア聖堂院に異動願いを出したユディネの聖導師長ヴィンセントがエリスティア大聖堂に到着すると、エリスティア聖導師長直々に出迎え、奥の大聖座へと案内された。

 大聖座とは王宮で例えるなら玉座の間である。

 そこには二人の老大聖師が地にひれ伏して額ずいていた。

「……………………っ」

 ヴィンセントは頬が引き攣るのを感じた。嫌な予感しかしない。


「「聖王様……!!お待ち申しておりました……!!」」


 老人二人がむせび泣いている。

 ただの老人ではない。―――聖堂院のトップの二人だ。

 間違っても地にひれ伏していち聖導師長に額ずく立場ではない。

 幸いと言っては何だが、今この場には二人の老大聖師とエリスティア聖導師長しかいない。

「お二方、おやめください」

「ワシらが生きておる間に聖王様にお目に掛かれるとは……」

「ありがたやありがたや」

「いや、私は聖王では…………」

「聖なる光気は隠せませぬ」

「ワシらはずっとお待ちしておりました、メイナード様のお戻りを」

「………………」


『メイナード』の名にヴィンセントは言葉を飲み込む。

 老大聖師たちが懐から手のひらサイズの高価な金縁の額を取り出し中に収められていた絵姿を見せる。

 絵姿はメイナード・ビショップのものだった。しかも何やら憂いを帯びた悩ましい表情をしている。

「なんだこれは!燃やせ!」

 ヴィンセントは思わず叫んでいた。

「これは聖王様が『魔』についての調査に行き詰っていた頃の苦悩を表した――」

「偉大なる聖王様ですらお悩みになるという逸話の――」

 老人二人が聖王の苦悩を思ってか、涙ながらに語る。

「気色悪いわ!持ち歩くな、こんなもん!」

 うっかり素で突っ込んでしまうヴィンセントであった。

「ヴィンセント様。貴方が聖王でなかったなら今の発言は不敬ですよ。どのみち抵抗しても無駄です。彼らにとって聖王様の帰還は悲願なのです。メイナード様の絵姿は聖堂院の上層部では代々受け継がれて来た秘宝…もはや聖遺物なのです」

 

 それまで黙っていたエリスティア聖導師長が苦笑交じりに告げると、壁際の紐を引いた。

 垂れ幕が左右に開かれ、壁に掛けられた等身大の肖像画が現れる。

 メイナードの肖像画、三枚セットだった。

 中央に聖王就任時の祭儀の衣裳のメイナード、左に憂い顔のメイナード、右に微笑むメイナード。

「……………………………………………………………………………………………………」

 それを見つめるヴィンセントの表情は無だった。

 何か物凄いダメージを喰らわされた。

「ちなみに、全世界の聖導師長たちは全てこの三枚セットの折り畳み式手のひらサイズ額装姿絵を常時携帯しておりますよ」

 その上エリスティア聖導師長がダメ押しの致命傷を与えてきた。

「無論、私も」

「………………………………………………………………………………………………は?」

「皆、ヴィンセント様が五歳で聖堂院に入られてきた時より、この日を待ち続けておりました」

「いやぁ~、一目で聖王様の生まれ変わりと解かったでなぁ」

「ちまい聖王様の愛らしさときたら……」

「聖堂院一丸となって聖王様のご成長を見守っておりました」

 知らぬは本人ばかりなり、とはこのことだ。

 三百年前からメイナードの絵姿が密かに聖導師たちに受け継がれていたなどとは知る由もなく、また、ヴィンセントが子供のころからメイナードの生まれ変わりとバレていたこともじわじわとヴィンセントの精神を抉ってくる。

 最早自分は聖王ではないなどととぼけることは不可能だった。



一瞬灰になりかけたヴィンセントであったが、聖王就任を打診されて即座に覚醒した。

「そのつもりはない。今の私はまだ何も成していない。目立ちたくない。面倒くさい」

「本音を暴露し過ぎですよ、聖王様」

「聖王ではない」

「残念です……ヴィンセント様が聖王に就任されれば世の女性全て、いえ人類全ての信仰を聖堂院に集めることが出来るのに。麗しい絵姿もバンバン売れて聖堂院の資金が潤うのに……」

「貴殿も本音がダダ漏れだぞ」

「まぁ、それはともかく。ヴィンセント様がこのタイミングでエリスティアに戻られたのはやはり――」

「……あぁ。『魔女』が動き出したかもしれない」




極力極秘裏に大聖師就任式を終えたいヴィンセントであったが、聖堂院最大の支援者である王家を外すことは出来ず、披露目はそこそこ大々的に二か月後に行うことを報告するため、王宮を訪れることになった。

 そこでヴィンセントとオズワルドは今生の対面を果たした。



 聖堂院から老大聖師二人とエリスティア聖導師長が随行し、王宮の最上位の謁見室にて国王夫妻と王太子夫妻、第二王子そして第三王子オズワルドが新たな大聖師となるヴィンセントと顔合わせをした。

 ヴィンセントは大聖師として空色の生地に金糸で古代語の聖句が刺繍された豪奢な衣裳を纏っていた。

 前髪は後ろへ払い、野暮ったい眼鏡は外し秀麗なかんばせが露わになっている。


 辺りを光り照らすほど眩い美貌だった。


 王妃と王太子妃はヴィンセントの美貌に始めこそ息を飲んで食い入るように見つめていたが、次第に興奮を隠せなくなりきゃあきゃあと黄色い声を上げて喜んだ。隣に座る国王と王太子が若干涙目になっていた。



 正装をしたヴィンセントはあまりにも美しすぎたため、移動の際はヴェールを被った。

 それでも光気を纏う神々しさは隠しようもなく、自然と目が惹き寄せられる。

(ヴィンセントは衣裳が豪華すぎるため目立つと思っている。)

 王宮前に馬車が着いてヴィンセントが現れた瞬間から、空気が変わった。

 

 王宮の使用人は賓客の対応に慣れているはずだが、ヴィンセントには目が釘付けになり一瞬金縛りに合うことは避けられなかった。

 一行が謁見室に入り扉が閉じられて、漸く使用人たちは呪縛が解けた心地だった。


(ふっ……流石は我らがヴィンセント様…………)

 一歩後ろに立つエリスティア聖導師長が何故かどや顔で誇らしそうに微笑んでいる。

「………………………………………………………………………」

 ヴィンセントはこっそりと溜息を吐き出した。



国王一家との挨拶が済むと、女性陣と第二王子は退出し、国王と王太子、オズワルドが残り、『魔女』対策について聖堂院と王家の話し合いが行われた。

代々王位継承者にのみ口伝されてきた事案であるため、本来であれば第三王子のオズワルドが同席することはあり得ない。

けれど国王は既にグランヴィル公爵よりオズワルドがエルバートの生まれ変わりである可能性が高いことを示唆されていた。

そうなればオズワルドは対魔女対策の要である。


また、『魔女』が蘇った可能性が高い中で、ましてやその『魔女』が他国の王族である以上、王妃や第二王子にも警告をしておく必要がある。

 とはいえ、今やお伽噺と思われている『魔女』についてそのまま事実を告げても信じてはもらえないだろう。

 聖堂院と王家で情報をすり合わせ、対処を考える必要があった。

 一通り対策を話し合った後、ヴィンセントとオズワルドは人払いをして二人きりになった。



「メイナード、なのか………?」

 前世の姿とそっくりであるとはいえ、雰囲気が違う。

 メイナードが聖堂院に引き籠って以降はエルバートも殆ど会うことがなかったので、生前の聖王となったメイナードを直接は知らない為、今のヴィンセントとの落差が激しい。


 ヴィンセントは品行方正で躾の行き届いた良家の子息といった態で、国宝級の美貌ではあるもののそれは不可侵のもの、観賞すべき芸術品というべきものだった。

 メイナードは違う。

 彼は棘のある薔薇、あるいは毒があると分かっているのに手を伸ばさずにはいられない、禁断の果実のような男だった。

 

「ええ。お久しぶりです、殿下」


 ふ、とヴィンセントの口元が僅かに弧を描く。途端に華やかな美貌が生彩を放つ。

 甘やかで蠱惑的な眼差し、惹きつけられずにはいられない艶やかさ。


「ああ、メイナードだな……」

 何故か疲れたようにオズワルドが盛大な溜息を吐いた。だがどこか安堵したようにも見えた。

 ヴィンセントはそんなオズワルドを観察しながら本題を告げる。

「オズワルド殿下。プローシャの王女についてですが、一度この目で確認したい」

「あぁ……見た目は『魔女』そのものだ。そなたが見ればはっきりと魔性と断定出来るのだな?」

「ええ、恐らく」

「そうか……」

 ふうっと安堵の溜息を零すオズワルドにヴィンセントは容赦のない問いを投げかける。

「殿下は王女殿下に惹かれてはおられないのですか?」

「っ!あり得ない!!」

「失礼ながら、殿下は魔に魅入られやすい性質をお持ちだ。殿下が魔に魅入られることがあっては今度こそ王国が危ない。確認させて頂いても?」


「あ、あぁ……」


「魅了とは催眠状態、あるいは強い薬物による思考力へのダメージ、依存症などが考えられます。罹患に至る原因としては飲食、または暗示、嗅覚、視覚、聴覚へのなんらかの攻撃。恐らく『魔女』の魅了は魔力を媒介にした複合型攻撃……。一定範囲内に近付くことで発動される催眠術のようなものだと推察しています。過度な酒精を摂取すると酩酊感を覚えることがありますが、そのような状態と近い」


 ぐい、と顎を持ち上げられ、至近距離から瞳を覗き込まれオズワルドはたじろいだ。

 ヴィンセントの艶やかなエメラルドグリーンの瞳に見つめられると何故かくらくらし動悸がしそうだった。


(……!?)

「ヴィ、ンセント……、ち、近すぎるぞ……!」


 顎を掴む腕に手を掛けると、ヴィンセントはふっと笑って手を離し、身を引いた。


「……よく耐えましたね」


「……!」


 ヴィンセントが一歩下がったことで、不意に呼吸が楽になったことに気付く。


「聖堂院では魅了を解く術を確立しています。それは裏を返せば魅了を解析し、魅了を構築することが可能であるということ」

「……まさか、今私に……魅了をかけようとしたのか……?」


 オズワルドが恐る恐る訊ねると、ヴィンセントは蠱惑的に微笑んだ。恐ろしい程の美貌と甘い眼差しにぞくりと背筋が震える。

「……魔女に洗脳されるくらいなら、私に堕ちなさい」

「……!!冗談が過ぎるぞ……!?」


 あまりの色気にオズワルドは慌てて目を瞑る。おかしな扉を開かれてはたまったものではない。


「……どうやら魅了にはかかっていないようですね。安心しました。ですが念のため……」

 ヴィンセントは聖句を唱えながら懐から取り出した小瓶の聖水をオズワルドに振りかける。

 すっと空気が澄み、霧が晴れるような心地がした。目には見えないが何かに守られているような安心感。

「魔払いの祈祷と守護の聖言を唱えました。これで洗脳については耐性が出来ました。後は経口摂取に気を付けてください。魔女から勧められたものを飲食してはなりません」

「……!わかった、気を付ける」

 不思議な感覚だった。不安だった気持ちが消え、穏やかで前向きな心地。

 オズワルドは改めて目の前にいるヴィンセントを見やる。メイナードの生まれ変わり、けれど全く異なる印象の男。

「……そなたは……『大聖師』なのだな……」

「――ええ。ご安心ください、殿下が魔女に魅入られたら私が責任を持って解除して差し上げますよ。……方法は……知らぬほうが御身の為かと」

「いや、何か怖いのだが……?」

「では、予防策として私に堕ちますか?」

「もっと怖いのだが!!」

 ぞぞぞっと悪寒に震える。それだけは死んでも嫌だ。



「仕方ありません。ではせいぜい気を張って警戒を解かぬようにしてください」

 ヴィンセントは軽く肩を竦めると、話は終わりとばかりに立ち上がった。

「あ……」

 オズワルドは逡巡しつつも、ずっと気になっていたことを問わずにはいられなかった。

「……貴殿は……その、レオノーラの生まれ変わりの気配を感じ取れたりするのか……?」

「……………」


 ヴィンセントの瞳は凪いだ湖面のように静謐だった。

 何の感情も読み取れない。

 

(――いや、突きつけられている)

 オズワルドの心臓がぎゅっと締め付けられる。

――お前は彼女が見つかったらどうしたいのか?――、と

「………っ、私は……今度こそレオノーラを幸せにしたい……っ」


「……殿下。彼女が生まれ変わっていたとして、………失意の末に亡くなった彼女がもう一度我々の前に現れるでしょうか」

「……!それ、は………」

「彼女は我々に失望したはずです。我々とは会いたくないと思っているのではないでしょうか。……それでも彼女を見つけたいのですか?」

「…………」

 オズワルドには返す言葉が見つからなかった。








ご無沙汰しておりました。

何年ぶりだろうかとちょっと遠い目。

すみません


何年も空いてしまったのにブクマ外さずにいてくださった皆様

本当にありがとうございます。


年単位にはならないように更新したいと思います…

(^-^;



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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます!!! めっちゃ嬉しいですーーーっっ!!! 次の更新も心待ちにしていますっ
更新ありがとうございます。 このお話、好きなので凄い嬉しいです。
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