083
ローランドの正式な領主拝命式が間近に迫っていた。
式は同時期に領主を拝命する数人と纏めて行われる。式自体は王城の小広間にて王と宰相、他数人の大臣立会いの下、任命の証書を授与されるだけの簡素なものだ。
王都に近い領地の大貴族であればその後夜会を開いて新領主のお披露目をするのだが、ローランドの場合は領地が遠方のため、領地に戻ってから近隣の領主を招いてお披露目会を開く。それも本人が学生なので、長期休暇で帰省する時までお預けだ。
オズワルドは自分と同い年の学院生が領主を拝命すると知り、奇妙に胸が騒いだ。
「レイ領は小さいですが、風光明媚で住民も温厚、良き領です」
側仕えの侍従が諳んじるレイ領の特徴は、田舎の長閑で平凡な地域であるというものだった。
「まぁ、領主が年若くとも然程問題はありますまい」
それでも自分と同年の者が長になるという事実はオズワルドに衝撃を与えた。
(父親を亡くしたのだ。私には兄がいるが……ローランド・レイには母親しかいないという)
ローランド・レイの顔はすぐに浮かんだ。学年が同じなので、受ける授業も重なることが多い。それ程話したことはないが、温厚で思慮深い性格の、信頼できる人柄という印象を持っていた。
何より、彼はジャレッドが今生の主と決めた相手。
ジャレッドとの邂逅後、オズワルドは彼の周囲を調べた。そしてローランド・レイがジャレッドの主だと知った。
(彼は……何かおかしな噂もあるが)
男色疑惑。ローランドは一見地味だがよく見るとかなり整った秀麗な顔立ちをしており、成績も良く、周りからの信頼も厚い好青年だ。女生徒たちに密かに慕われているにも関わらず、浮いた話は全くない。
一部の学生の間では彼と従者の恋仲が噂されているが、オズワルドはジャレッドを知っているため、それはないと思う。
ないとは思うが、一度ローランド・レイには森で押し倒されそうになったことがある。
(いや……あれは何かの間違いだ、多分)
思い出して身震いする。
その後は特に絡まれることもなく、接触もないため忘れていたが。
(なんだったんだ、あれは)
今思い返しても謎の行動だ。
(いや、深く考えるな)
オズワルドは考えることをやめた。
(何より……確か彼は婚約者がいるはず)
レイ領の隣のデシレー領の娘。互いに子爵家同士でつり合いも取れ、幼い頃に決まった婚約。
デシレー家の娘のことは一度調べたことがある。
ジェラルド・デシレーとセドリック・デシレーの妹。
ジェラルドの銀髪とセドリックの紫紺色の瞳がレオノーラを彷彿とさせた。だから会ってみたいと思った。
けれど調べさせた情報によると、デシレー家の娘は野山を駆け回る少年のような少女だと分かった。レオノーラとは似ても似つかない、粗野な娘。
それ以上調べることが叶わなかったのはサイラスに禁止されたためだ。
(まぁ……家格、年齢、諸々、釣り合いのとれた婚約だな)
田舎貴族の結婚。
貴族とはいえ王都から遠く離れた地方の小領の領主家の娘ならば、教養など大して期待できないし、礼儀作法も不調法である可能性が高い。
デシレー家の娘がどんな容姿をしているのか気にならないといえば嘘になるが、既に婚約している少女にそこまでの興味はない。
オズワルドは無意識にデシレー家の娘のことは自分には釣り合わない、品のない田舎娘のような存在だと思い込もうとしていた。
ジェラルドやセドリックを見れば、立ち振る舞いが高位貴族と遜色のないことなど周知の事実なのだが、オズワルドは敢えてそのことを意識から外していた。
サイラスに禁止されており、尚且つ既に婚約している少女を万が一自分が気に入ったとしても手に入れることは叶わない。だから知らず知らずに予防線を張っていたのだ。
ローランドの領主拝命式には後見人としてアデレイドの父であるアーサー・デシレーが出席した。
サイラスの後見は内々のことで、まだ公表はしていない。地方のいち子爵令息が王都の筆頭公爵家と懇意にしていることは不自然だからだ。
サイラスは高位貴族として、グランヴィル公爵の代理として立ち会った。
正装したローランドは凛々しかった。
すらりと伸びた身体は均整がとれ、細身ながらにしっかりと引き締まり、姿勢も良く美しい。
紺色の礼装は金色の神秘的な瞳に映え、立ち会った貴族たちの視線を攫った。
凛とした眼差しは力強く前を向き、若々しさと溌剌とした印象を見る者に与えた。
式は簡素ながらも王宮に仕える上位貴族が出席し、若き新領主の誕生を寿いだ。
大宴会は開かないが、任命式の後、立ち会った者たちに祝いの発泡性ワインが振る舞われた。
ローランドはアーサーと共に出席者たちに挨拶をして回り、一通り済めばそれでお開きとなる。
「若き領主殿。良い目だ、期待している」
グランヴィル公爵家の次期当主へ挨拶に伺うと、サイラスは鷹揚に微笑んでローランドへ言葉をかけた。その声は決して大きくはないのに小広間にいる者すべてに届いた。
「何か困ったことがあればいつでも相談に乗ろう」
「有難きお言葉、感謝いたします。精進してまいります」
その場にいた者たちは内心驚いていた。
グランヴィル公爵家が地方貴族のしかも大して力のない子爵に目をかけた。
新子爵がまだ未成年であることから庇護する必要があると判断したのだろうが、グランヴィル公爵程の大家が動くとは誰も予想していなかったのだった。
公の場でグランヴィル公爵家がレイ子爵を後見すると明らかにした。
サイラスの気紛れだとしても、出席した貴族たちはローランドを強運の持ち主だと密かに注目するのだった。
***
王宮で領主拝命式が無事終わったその夜、学院の寮の自室に戻ったローランドを迎えたのはドレス姿のアデレイドだった。
「お帰りなさい」
「ア、ディ……?」
淡い空色の薄絹のドレスには白い絹糸で小花の刺繍が施されている。
「ローランド、領主就任おめでとうございます」
改まって丁寧にお辞儀する婚約者にローランドはくすぐったいような、照れくさいような、でも少し落ち着かない心地になった。
顔を上げたアデレイドはパッと花が咲くように笑顔を浮かべると、ローランドの腕を取って部屋の奥へと誘導した。
「来て、ローランド。ご馳走を用意したの」
卓上に並べられていたのはレイ領特産のチーズや野菜をふんだんに使った郷土料理、ローランドの好物ばかりだった。
「あれ、これって……」
「ふふ、気付いた?マーサさんに作って貰ったの」
マーサはローランドが生まれる前からレイ家に仕えている料理人だ。
「特別に出張して貰ったの」
サプライズでマーサには前日に王都入りして貰い、レイ家の所有する王都の屋敷で朝から沢山ご馳走を作って貰ったのだ。アデレイドも少しだけ手伝った。
「実はね、ローランドのお母様もいらっしゃっているのよ」
「!」
息子の一世一代の大事な儀式だ。拝命式自体には出席できなくとも、近くで祝いたいというのは当然の親心だ。
しかし、ローランドは母親に手紙でわざわざ王都まで来なくて大丈夫だと伝えていた。
レイ領から王都までは馬車で片道五日もかかる。それに、新領主として王や高位貴族たちに信頼して貰うためにも、母親の付き添いがなければ何もできない坊やなどと思われるわけにはいかない。
だからこれはアデレイドの我儘だ。
「わたしがおばさまと一緒にローランドのお祝いをしたかったから、呼んじゃったの」
明日、レイ邸でプチパーティーをしようね、と言うアデレイドをローランドはぎゅっと抱きしめた。
「アディ、アディ」
婚約者の優しい心根が、気遣いが、ローランドの胸の奥にじんわりと浸透して、温かな気持ちが広がっていく。
アデレイドだけでなく、母親は勿論、領地の使用人たちも自分を支えてくれている。
改めてそのことを思い出させてくれたアデレイドに、ローランドはありがとうと伝えた。
その晩は二人だけでマーサの心の籠った手料理に舌鼓をうち、ささやかにお祝いした。
食事の後、二人で長椅子に並んで腰掛ける。
「ローランド、これ。領主就任のお祝いに」
深緑色のベルベット貼りの箱に巻かれた金色のリボンを解くと、中からは綺麗なオリーブグリーン色の万年筆が現れた。
軸の先端にはローランドの頭文字が刻まれている。
「アディ…ありがとう。大事にする」
「実はローランドとお揃いで私の分も作っちゃったんだ」
アデレイドが白い万年筆を取り出して披露する。
「こういうの、夫婦万年筆って言うんだって」
「めおと……」
ローランドの目元が朱く染まる。
「……なんか。うん。……すごく、幸せ……」
両手で顔を覆って噛みしめるように言うローランドが愛しくて、アデレイドは彼に抱き付いた。
一瞬、ローランドの身体がびくりと硬直したが、そっと優しく抱き返されて、アデレイドも幸福に包まれた。