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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第三部

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95/100

082



 その日の寮の食堂は甘い匂いに包まれていた。

「え、なんか今日のデザート豪華じゃね?」

「旨い~」

 生徒たちがデザートを食べ終わったタイミングで寮長が翌日の寮祭について概要を説明した。

「新入生は明日一人でも多くの先輩の部屋を訪れるように。上級生は快く下級生を迎えること……」

 


 食事を終えて部屋に戻ったローランドはしんと静まり返るその部屋に息が詰まる思いがした。

(まだひと月も経っていないのにアディがいることが当たり前になってた)

 可愛らしい婚約者がいないことがこんなにも寂しい。

 

(アディ……)

 ローランドはクローゼットに隠していた『アディ』を取り出してぎゅっと抱きしめた。



 翌日。

 新入生たちは少しばかり緊張を頬に張り付けながら、先輩たちの部屋を訪れた。

 皆、寮での過ごし方や学院の授業のことなど、分からないことや不安に思っていることなどを先輩に聞いたり、相談したりした。

 上級生たちは趣向を凝らして下級生を持て成した。

 

「悩みがあるならひたすら筋トレだ!!もしくは走れ!!身体を動かしていれば何を悩んでいたかも忘れるぞ!!」

「やり方が分からない?貴方は指南書を読んだのですか?まずは指南書です。先人の知恵は偉大です。図書室へ行きますよ」

「旨いもの食ってりゃ大抵うまくいくだろ?」


 個性的な上級生が多い中で、ローランドの穏やかな人柄は下級生たちにとても安心感を与えた。

「ローランド先輩は、肌身離さず婚約者からの贈り物のハンカチを持っていると伺いました!仲良しなんですね!」

 きらきらとした眼差しで見つめられてローランドはにっこりと微笑んだ。

「どんな方ですか?可愛い?」

 好奇心いっぱいに訊ねられるも、ローランドは微笑むだけで答えない。

「君は?婚約者はいるの?」

「えっ、俺ですか。俺はまだ……」

「じゃあ、来月の女子寮との合同パーティーを楽しみにするといいよ」



 ローランドは婚約者のこと以外は丁寧に質問に答え、帰り際にはメレンゲクッキーを渡して次々と下級生を捌いた。

 メレンゲクッキーは下級生に好評で、噂を聞きつけた同級生や上級生までたかりにくる始末だった。

「ローランド、俺らにも」

「何ちゃっかりいい先輩してるんだよ、狡いぞ」

 はいはい、と適当にあしらってローランドは扉を閉めた。やっと長かった寮祭が終わった。

 ひっきりなしに人が出入りして慌ただしい一日だった。



「アディが足りない……」

 ローランドはシャツの襟元を軽く緩めると、寝台の上に倒れるように横たわった。




 深夜、アデレイドはこっそりと寮内に侵入した。

(ローランド、もう寝てるよね……)

 本当は明日の昼間に戻る予定だったが、早くローランドに会いたくて来てしまったのだ。


 そっと室内に入り寝台を覗くと、ローランドが何かを抱えていた。

(あれは……!)

 白銀の毛色に瞳に紫紺色の宝石を嵌めこんだうさぎのぬいぐるみ。『アディ』だ。

『アディ』を抱きしめて眠るローランドはあどけなく、アデレイドの胸がきゅーんとなった。

(か、可愛いローランド……!!)

 ちょっと足をバタバタしたい。

 アデレイドが寝台の横に跪いて胸を押さえて悶えていると、つん、と背中のシャツを引っ張られた。

「……アディ……?」

(あ、起こしちゃった!?)

「ごめ、ローランド……」

「――お帰り」

 アデレイドが振り向くのと同時に寝台の上に起き上がったローランドに抱き寄せられて、耳元で吐息と共に囁かれる。

「た、ただいま……」

「本物のアディだ……」

「あっ、『アディ』、潰れちゃう」

 ローランドが『アディ』ごと、アデレイドを抱きしめたので、『アディ』は二人の間に挟まっていた。

 アデレイドは『アディ』を救出すると、久しぶりの再会に微笑んだ。

「懐かしい……ローランド、一人が淋しくて『アディ』と寝てたの?」

 アデレイドがからかうように聞くと、ローランドはこくりと頷いた。

「うん、淋しかった」

「えっ……」

 ローランドはアデレイドを引き寄せ、自分の前に座らせると背中から抱きしめ、お腹に腕を回す。アデレイドが抱きしめている『アディ』が潰れないように。

「アディが足りなくて、辛かった……」

「ひゃ!?」

 すり、と首筋にローランドの唇が当たってぞくっとする。

「もう少しだけ……このままで」

 とん、とローランドの額がアデレイドの項に押し当てられる。

「!!」

 アデレイドはドキドキして落ち着かず、ぎゅっと『アディ』を抱きしめた。

「アディ……『アディ』が潰れちゃうよ?」

 お腹に回されていた手がそっとアデレイドの手の上に被せられ、外側から指を絡められる。

 アデレイドの腕から力が抜けると同時に反対の手で優しく『アディ』を取り上げられ、さらに近くへと引き寄せられた。

「アディ、可愛い……世界一可愛い」

 耳元でローランドが囁く。アデレイドの耳が真っ赤に染まる。

「ど、どうしたの、ローランド」

 婚約者がいつも以上に甘い。

「……今日、言えなかったから……言いたいだけ」

 余程淋しかったのか、ローランドはアデレイドを離さない。


 ローランドは一日を振り返る。

 下級生たちに婚約者について質問攻めにされた。スタンプラリーの内容が「婚約者から贈られたハンカチを肌身離さず持っている男」だから仕方ないとはいえ、ローランドは婚約者について話すことは出来ない。

「可愛いですか?」などという無遠慮な質問に対し沈黙を貫いたけれど、内心ではこう言いたかった。

 ――可愛い、物凄く。犯罪的に可愛い。存在そのものが可愛い。愛しい。


 木登りをしたり男の子の格好をしても可愛い。

 ローランドはアデレイドが何をしても可愛く見えて仕方なかった。

 末期症状だなと自分でも自覚しているが、どうしようもない。


「ローランド」

 声も可愛い。

 ローランドが無意識にアデレイドの項に口付けると、「ふぁ!?」と可愛い声が聞こえてアデレイドの身体からくたりと力が抜けて、上半身がローランドに倒れ込んで来た。真っ赤になった顔を両手で覆っているアデレイドが可愛すぎる。

「アディ、疲れた?今日はこのまま寝ようか」

 ローランドはアデレイドを抱きしめたまま寝台にころんと横になった。離したくない。

「えっ、このまま!?」

「ああ、まだお帰りのキス、してなかったね」

 ローランドはくすっと笑ってアデレイドの耳に口付けた。

「~~~!?」

「アディ、手、外して?」

 とんとん、とノックするように指でアデレイドの甲をつつくが、手で顔を覆ったままアデレイドはふるふると首を振る。

「い、今キスした…っ」

「してないよ」

「み、耳に……」

「かすっただけ」

 耳元で囁くとアデレイドが耳を手で塞いだ。

「じゃ、アディがただいまのキスして?」

「!?」

 密着している背中越しにアデレイドの鼓動が壊れそうなほど早くなるのを感じてローランドは愛しさが募って仕方がなかった。

「ローランド、目、瞑ってて…!」

 喘ぐように言われてローランドは素直に目を瞑る。

 腕の中でアデレイドが身じろぐ気配がして、彼女がくるりと反転して自分と向き合ったことを感じた。


 ――ぽふ。

「―――」

 目を開けるとうさぎの『アディ』が目の前にあった。唇にはうさぎの鼻先の感触が。

「今日は『アディ』がただいまのキスする!」

『アディ』の背中に押し付けるようにして顔を隠す婚約者が初々しくて可愛い。

 ふふっ、と思わず笑声が零れる。『アディ』越しに腕を伸ばしてアデレイドの頭を撫でる。

「本当、アディは可愛いね……」

 アデレイドの顔が見たくて彼女の顔の前に有った『アディ』を懐に抱き込むと、一瞬アデレイドが羨ましそうに『アディ』を見た。

「アディ?抱きしめられたい?」

 からかうように言うと、アデレイドは顔を真っ赤にして寝台から飛び降りた。

「もう寝るから!おやすみ!」

 アデレイドが続き部屋に飛び込み扉が閉まる音を聞いてローランドは『アディ』を抱きしめたまま込み上げてくる楽しさにくすくすと笑った。

『アディ』からはアデレイドの残り香がほんのり香る。先ほどまでの淋しさは霧散して幸せな気持ちだけが胸を満たす。



 翌朝。アデレイドが「ううーん」と伸びをして目覚めると、何故か枕元に『アディ』がいた。

「あれ……?」

 と、アデレイドが首を傾げると、頭上に影が落ちる。

「おはよう、アディ」

 見上げるとローランドが枕元に腰かけていた。

「おはよ……?」

 いつも寝起きの悪いローランドが自分よりも先に起きていることに驚く。

「今日はお寝坊さんだね」

「え?」

「もう時間だから行くね」

 うっかり寝過ごしたらしい。

「嘘!?ごめんローランド」

「いいよ、もう少し寝ていて」

 くすっと笑ってローランドが身体を倒し、アデレイドの額に口付けを落とす。

「昨日、寝付けなかった?」

「う……」

 言われて、昨夜のことを思い出し、アデレイドは赤面した。至近距離から見つめるローランドの眼差しが甘い。

 アデレイドはシーツの中に潜り込んで顔を隠した。

(なんでローランド嬉しそうなの!?)

 よくわからないけど胸がドキドキする。

「だから今日は『アディ』を貸してあげる」

 シーツ越しに頭を撫でられ、ローランドが立ち上がり、彼の気配が遠ざかり部屋のドアがぱたんと閉じられても、アデレイドはシーツから出ることが出来なかった。










「ああ、アベル、丁度いいところに。本当は青の寮生限定なんだけどね、少し余ってたから。内緒だよ」

 黒縁の丸眼鏡にぼさぼさ頭のひょろひょろな青年は馴染みの寮母に手招きされ、焼き菓子を手渡された。

「いいんですか?ありがとうございます~」

「あんた、痩せすぎだからね~。もっと食べないとだめよー」

 



 アベルは足早に校舎の裏を通り過ぎた。

「うーん……ジャレッドが厨房を借りて菓子を作った、か……」

 寮祭で下級生に振る舞ったらしい。彼の主のローランド・レイが命じたのだと言う。

「大した情報じゃないな……」

 どんな些細なことでもいいと言っているので当たりはずれは当然だ。



 寮棟の側の雑木林の中で素早く髪を撫でつけ、眼鏡を外す。

 だぶだぶのセーターを脱ぎ棄て、襟元を整える。セーターはその辺の植え込みに突っ込んでおく。

 あちこち無造作に跳ねていた髪はすっと整い、野暮ったいセーターを脱いだだけで印象がガラリと変わる。


「お帰りなさいませ、アベル様。殿下がお呼びです」

「わかった」

 出迎えた使用人に短く返してアベルは主の部屋へ向かう。


「遅かったな」

 肘掛けに肘を立て頬杖をして、お行儀悪く彼を待ち構えていたのは紅蓮の瞳を面白そうに細めた女。

「面白い話でも仕入れてきたか?アベル――いや……リュッカー侍従?」

「ノーラ様」

 プローシャ王国第三王女、レオノーラだった。











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