081
時間は少しばかり遡る。
王女レオノーラは込み上げる笑いを我慢できずににやにやしていた。
(ふふふ…今日はリュッカーが不在!羽を伸ばそうぞ……!)
オズワルドの軽薄な側近が何故かリュッカーを連れ出してくれたのだ。
(堅物と軽薄で話が合うのか?)
二度目は期待できない。つまり、今夜は最初で最後の機会ということになる。
(夜遊びをしよう)
王女は即決した。
王女は持っている中で一番シンプルなドレスに着替え、フードを被り街へと繰り出した。
学院は王都の北西側に位置しており、繁華街へも歩いて行ける距離だ。王女の護衛も当然ながら王女に付き従うが、少し離れていろと命令をされてしまった。
リュッカーがいればそんな命令は勿論却下だが、生憎と今夜は王女のお目付け役が不在だ。
護衛たちは王女の命令に逆らえず、少し離れて付いていくしかなかった。
*
(ぶつかるところだった)
角を曲がった直後、人にぶつかりそうになって王女は相手が躱してくれたためになんとか衝突を避けることが出来きてほっと息を吐いた。
薄暗かったので相手の顔は見えなかったが少年のようだった。
「殿下」
流石に護衛が真後ろに来て苦言を呈する。
「やはり離れていては警護が出来ません」
「わかっている」
王女はしかめっ面をしたが、仕方なく同意した。
「何処か店に入ろう」
王女は面倒になって、目に付いた酒場に入った。
そこは奇しくも以前ジャレッドが庶民仲間のパットに連れて来られた酒場だった。
王女一行は二階席の隅に陣取ると、適当に料理を注文した。
王女は目立つ紅髪を隠すため、スカーフで髪を巻いた。護衛は3人、王女を奥の椅子に座らせると辺りをさり気なく見回して安全を確認する。
王女は気にせず運ばれて来た酒を豪快に呷った。
「殿下」
護衛が咎める声を出すが、王女は無視して他の客に視線を移す。
王女は庶民の酒場で彼らが陽気に飲んでいる様子を見るのが好きなのか、プローシャ王国でも度々城を抜け出してこういった酒場にお忍びで遊びに出ていた。
「ここではノーラと呼べ」
王女はご機嫌で2杯目の酒を注文すると料理に手を付けた。
護衛が慌てて一口毒味をする。
「ノーラさま」
「はいはい」
適当に返事をして意に介さない王女に護衛たちは溜息を禁じ得ないのであった。
***
フードを被った真紅の瞳の女性とすれ違って角を曲がったあと、アデレイドはハロルドに促されて待っていた馬車へ向かった。
「ハロルド……」
馬車に乗り込むとすぐに発車した。
「今すれ違った人の瞳……見た?」
掠れそうな小声で問うと、ハロルドは一瞬躊躇うように沈黙したが、微かに頷いた。
「ええ。……間違いなく王女でした」
「……!」
「あちらからは逆光になってこちらの顔は見えなかったと思います」
(そうよね……もし気付かれていたら……私の顔を見て何事もなく見逃すとは思えないもの)
「なんでこんな街中に王女が……あっ、あの人がどこへ向かったか……追いかけるべきだった…?」
今更ながらそのことに思い至る。動揺のあまり立ち尽くしてしまった己が不甲斐無い。
「護衛の一人を向かわせました。アデレイドさまがあれに近付くなどもっての外です」
「護衛……ハロルドの他にも付いていたの?」
「はい。常に3名は陰ながらお守りさせて頂いております」
(え、そんなに!?常にって……いつも?どこに?)
アデレイドは驚きに目を見開いた。気配を感じたことなどなかったからだ。
「いつから?」
「王都に入られてからです。……王女に近すぎますので」
「そう…だったの」
アデレイドにはそれを過剰だとも、不足とも判断出来なかった。
(でも…あの人は王女だ。その気になれば一介の子爵令嬢なんて簡単に排除できる)
ぞくりと背筋が震える。
怖い。
「――アデレイドさま」
そっと遠慮がちに膝の上で握りしめていた拳に大きな掌が被せられた。
「お守りします」
(ハロルド………)
「――うん、信頼している」
アデレイドが微笑むと、ハロルドの表情も緩んだ。
(そうだった。わたしは一人じゃない。それに、覚悟して来たはずじゃない)
学院へ近付けば、「魔女」と遭遇する確率も自ずと高まる。
狼狽えている場合じゃない。
(――しっかりしろ、アデレイド)
パン、と両手で頬を叩いて気合いを入れる。ハロルドが驚いて固まってしまったのが可笑しくてくすりと笑ってしまった。




