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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第三部

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「来週の週末は寮祭です」


 新学期が始まってひと月が過ぎた。

 アデレイドがこっそりと寮に潜入してから約3週間が経っていた。


「寮祭?」

「そうだった。そんな時期か」

 ジャレッドが告げた予定にアデレイドは首を傾げ、ローランドはあぁ、と思い出したように頷いた。そんなローランドに対してジャレッドは少々眉を顰めた。

「呑気にしている場合じゃありません。アデレイドさまの存在が露見しかねません」

 寮祭は新入生が入寮してからひと月経つこの時期に親睦を深めるため開かれる恒例行事だ。寮は男女別にそれぞれで四棟あり、今回は各寮棟で個々に交流会を行うという。

「来月は男子寮全体、再来月は女子寮との親睦会があります」

 ジャレッドの説明にアデレイドは頷いた。ヴェネトでも似たような行事があった。

「エリスティア王立学院の寮祭では上級生が新入生を自身の部屋に招く、という伝統があります」

 まだ学院に不慣れな新入生を新しい生活に馴染ませる目的で行われるものだが、同時に上級生にも下級生の様子を見守り、導く意識を持たせるための行事でもある。

「今回は初回ということで、寮全体でスタンプラリーを行うとのことです」

「スタンプラリー?」

「新入生がクイズを解きながら先輩寮生の部屋を回るのです。クイズは寮生についてです。双子の学生の部屋を訪ねよ、とか、学院一の剣士は誰か、とか」

 ちなみにローランドのクイズは「婚約者からの贈り物のハンカチを肌身離さず持ち歩いている者は誰か」である。

 クイズを作成するにあたって、現寮長は全寮生の噂と実態を詳細に調べた。その上で各寮生に対し個別に質問とアンケートを取ったので情報は正確なのだ。


「寮祭でローランド様が下級生をお部屋に招いている間は、アデレイド様にはどこかに隠れて頂かなくては……」

 アデレイドの存在は秘密なのだ。

 アデレイドはジャレッドの話に相槌を打ちながら、何か出来ることはないかと思案した。


(そうだ、ローランドのお部屋に遊びに来てくれた子たちにメレンゲクッキーを振る舞うのはどうかしら)

 ヴェネトの精霊節で作り方を覚えたもので、エリスティアに戻ったらローランドにも食べて欲しいと思っていたのだ。

 姿を見られるわけにはいかないが、ローランドの部屋を訪れてくれる下級生たちをもてなしたい。



「ローランド、下級生の子たちにお茶菓子を用意しようと思うんだけど、どうかしら」

「いい考えだね。じゃあ明日の放課後に街に…」

「ううん、私が作るの」

「え?」

「ヴェネトで覚えたの。ローランドにも食べて欲しくて」

 照れながら微笑むアデレイドが可愛すぎる。

 ローランドは両手で顔を覆って蹲った。

「ローランド!?どうし…」

「アデレイドさま、お気になさらず。ローランドさまは幸せに浸っているだけですので……寮の厨房を借りられるか聞いておきます」

(??まぁ、大丈夫そうだから、いいかな…)

「ありがとうジャレッド。私は明日兄さまと材料を買いに行ってくるわ」

「それは僕が」

「ジャレッドは授業があるでしょ」

「いけません、危険です!」

「そうだよ、アディは可愛いから誘拐されかねない。いや、絶対される」

「え」

 魔女に見つかることを恐れているジャレッドの言にローランドが真顔で惚気る。

「男装してるし、兄さまやハロルドにも付いてきて貰うつもりよ」

「それでもダメです。俺とハロルドに任せてください」

 強硬に反対されてアデレイドは買出しを諦めた。

「ジャレッドに手間をかけさせてしまうことになって悪いわ」

「構いません、全然。その代わり大人しくしていてくださいね」




 寮の厨房は朝食後から午後三時までの寮生がいない時間なら使用可能と言われ、アデレイドは寮祭の前日に借りることにした。その日はジャレッドも授業が休講ということで手伝ってくれることになった。

 材料はハロルド経由でサイラスから最高級の卵と砂糖が届けられている。

 勿論サイラスの分も作ることが条件である。

 基本のものとココア味、レモン味の3種類を作ることにした。

 寮生は一棟六十人。

 メレンゲクッキーの材料は卵白と砂糖だ。卵黄が余るので、カスタードプリンを作り、こちらは厨房を貸して貰うお礼に本日の寮生の夕食のデザートに提供する。

 カスタードプリンのレシピはアデレイドの領地のお気に入りの喫茶店のマダムから教わった。

 オーブンの火加減を調整してくれていた厨房の料理人も手伝ってくれて、三時にはなんとか全部完成した。

 あとは紙袋に詰めて、リボンを巻くだけだ。

 菓子をバスケットに入れてローランドの部屋に戻ると、ローランドも授業を終えて戻ってきた。

「ローランド、味見して?」

 既に冷めてサクサクのものを摘まみ、ローランドの口元へ運ぶ。

「ん、美味しい」

 ローランドの頬が幸せそうに緩む。

 ジャレッドとローランドとアデレイドの三人で袋詰め作業をする。

 それが終わるとアデレイドは週末をグランヴィル公爵邸で過ごすべく、支度をする。


「それじゃ、行くね」

「ん……」

 ローランドは頭では理解していても、アデレイドが不在になることが寂しくて仕方がなかった。アデレイドを抱きしめたまま暫く立ち尽くす。

 アデレイドが見上げるとローランドが不承不承という感じでそっと抱擁を解いた。

「……グランヴィル卿によろしく、アディ」

「うん、ローランドは寮祭楽しんでね」

 ローランドは苦笑して頷いた。寮生との交流も大事な仕事だ。



***



 学院を出たアデレイドはグランヴィル公爵邸へ向かう前に少しだけ街に寄り道をしたいとハロルドに告げ、とある店へと向かった。

 ローランドの領主拝命式が近い。それは父親の喪が明けることを意味する。

(まだ、気持ちの整理がついたわけではないと思うけど…区切りではあるし。代行から正式に領主となるから)

 記念の品を贈りたいのだ。

(やっぱり筆記用具が良いかなぁ)

 アデレイドが訪れたのは老舗の文房具専門店だ。

 従者姿のアデレイドは店主に良家のお使いに見えたのだろう。

 にこやかに声をかけられた。

「何をお探しですかな」

「あ、ええと……万年筆を」

「それでしたらこちらの棚へどうぞ」

 白髪の品のいい老店主に案内され店の奥へ行くと、棚の上に置かれたベルベット貼りのトレーに数種類の万年筆が並べられていた。

(……あ!)

 その中の1本に目を惹かれた。

 それはローランドの髪の色を彷彿とさせるオリーブ・グリーン色の木製の万年筆だった。

(綺麗な色……)

「そちらは黒檀ですね。天然の素材で染めております」

 さまざまな色があるがどれも自然な色合いで美しい。

「木製のものにはお名前を彫ることも出来ますよ」

「!」

 その一言が決め手となった。

 アデレイドはローランドの頭文字を入れて貰うことにした。軸部分の形もサンプルから選択が可能とのことで、何度も握ってみて持ちやすい形を選ぶ。

(これ、いいなぁ)

 ペン先や金具もいつくかのデザインから選びオリジナルの万年筆が作れるという。

 アデレイドはわくわくしながらも時間をかけて一つ一つ吟味しながら全てのデザインを決めた。

(出来た!)

 達成感に包まれてふと軸の並べられたトレーを見ると、白い木製のものが目に入った。

 店主が店の奥から持って来てくれたサンプルだった。

(この白いの、綺麗)

 自分用にも欲しくなってしまった。

(ローランドとお揃いで作っちゃおうかな)

 結構なお値段がするが、幸いにもアデレイドには小説の印税という収入がある。

 名を彫るのに数日必要とのことで、アデレイドは注文を終え受け取り日時を確認して店を後にした。パーツを選ぶのに夢中で時間がかなり過ぎていたことに全く気付かなかった。辺りは既に薄暗くなりかけていた。


 馬車は店から少し離れた路地裏に目立たないように停車している。

 ハロルドはアデレイドと少しだけ距離を取って歩いている。従者の少年に護衛が付くのは不自然だからだ。

「ディー!」

 大通りから細い路地へ入ろうとした時、ハロルドから押し殺しながらも緊迫感のある声で従者姿時の名を呼ばれ、後ろからぐいっと腕を引かれてアデレイドは息を飲んだ。

直後、アデレイドが曲がろうとした路地から人が小走りに飛び出してきた。ハロルドが引き寄せてくれなかったら危うくぶつかるところだったと気付く。

 学院を出る時は変装として眼鏡を装着している。セドリックの私物のそれはアデレイドには少し大きい。ハロルドに腕を引かれた際、眼鏡は地面に落ちてしまった。

 飛び出してきた人物はそれに気付かず眼鏡を蹴ってしまった。

「あっ……」

 飛び出してきた人物は頭からフードを被っていた。

 フードから覗く服はシンプルだが質の良さそうなドレス。良家のお嬢さまだろうか。

「すまない、蹴ってしまった」

 若い女性にしては男性のような言葉遣いにアデレイドは違和感を覚えたが、差し出された眼鏡を見て素早く手に取った。幸い割れてはいないようだった。

「いえ、ありがとうございます」

 さっと装着して礼を言うと、丁度日が落ちたタイミングで、街灯に次々と火がともり始めた。点灯人が街灯に火を入れているのだ。

 その火灯りで一瞬フードの中が見えた。

 アデレイドの心臓がどくりと音を立てた。

 女性は軽く会釈するとそのまま行ってしまった。

(今の人は――)

「……ディー」

 そっと背後からハロルドに促されて、アデレイドははっとして路地を曲がった。

 心臓が針を刺されたように痛い。


 フードの中から垣間見えた女性の瞳は……鮮やかな真紅色だった。















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