079
コポポポポと小気味いい音を立てて紅茶を注ぎ、軽く一礼して下がったのはプローシャ王国第三王女の専属侍従リュッカー。
黒髪を一分の隙なく後ろになでつけ、皺ひとつないシャツと黒のベスト。すらりと高い背と細身の身体は一見ひ弱そうだがしなやかな筋肉に覆われており、芯のある柳のよう。
切れ長の瞳は少々つり気味な糸目で、キツそうな印象を与える。さらに寡黙、無表情が通常仕様なので、とっつきにくい感じだ。
ハワードは目の端でリュッカー侍従を観察していた。
王女との茶会には常に側に侍っているが、殆ど気配を感じさせない、見事に空気に徹した一流の仕事人だ。
そんな彼を何故気にしているかというと――。
*
二日前の週末の夜。
実家の侯爵邸に帰って気の置けない仲間と楽しく遊んでいたハワードに、オズワルドから呼び出し状が届けられた。
「なんだよ、オズのやつ。いきなり呼びつけるなんて」
文句を言いつつも一応王子殿下の命令には逆らえない。
仕方なく王宮に行くと、オズワルドの私室へ案内された。そこにいたのはグランヴィル次期公爵サイラス卿。
背の中ほどまである白金色の艶やかな髪に紫苑色の瞳、社交界の女性たちの視線を一身に集める傾国の美貌の持ち主。
「なんで……」
驚きのあまり本音が零れ落ちていた。
サイラスは優雅に微笑むといきなり爆弾を投げつけてきた。
「『魔女』について知ってしまったのだろう?」
憐れむように、でも楽しそうに。
(これがこの人の素かよ………!!)
密かに憧れていた人の本性が垣間見えている。それは獰猛でありながら優美な獣のよう。冷酷な牙と爪を隠し持つ、美しい獣。そんな印象を受けた。
(あぁ、でも格好いいな…………)
憧れの人を前に高揚感から身体にぞくぞくと震えが走る。そんなハワードの気持ちを知ってか知らずか、サイラスはさらりと告げた。
「君にはある人物と仲良くなって貰いたい」
*
(~~~~~~って無茶ブリ過ぎだろ、グランヴィル卿―――)
ハワードは内心遠い目をして乾いた笑いを零した。サイラスに「仲良くなれ」と命じられた人物が王女の専属侍従リュッカーだったわけだが。
(無表情無口取り付く島ナシ、隙なし過ぎるだろ………)
サイラスの隣にいたオズワルドが思いっきり目を逸らしていたのも納得だ。
(~~くそ、どうにでもなれ!)
茶葉を変えるために王女の側を離れたリュッカーの後を追って、ハワードも席を立った。
背後から近付いてがしりとその肩を抱く。
「よぉ、リュッカー侍従さんよ。たまには俺に付き合えよ」
脈絡も前置きも何もなく、強引に絡んでみた。
(ただの酔っ払いだろ、これじゃあ)
内心盛大に引き攣りながら。
案の定、リュッカーからは極寒の眼差しを喰らった。
「……………………」
嫌そうに眉間に物凄く深い谷を刻んでいる。
(うーわー)
「この国に来てずっと王女様のお守だろ、たまには息抜き必要じゃん?」
しかしハワードは怯まず突き進む。ばしばしと強めに肩を叩くとぎろりと睨まれた。
(こっわ!!)
しかしそこに鶴の一声がかけられた。
「おぉ、それは道理だな。わたくしも気付いてやれずすまなかった。たまには羽を伸ばして来い、リュッカー」
後ろから現れたのはレオノーラ王女。面白そうに瞳を輝かせている。
リュッカーは「余計なことを」と言いたげに顔を顰めていたが、王女の有無を言わせぬ笑顔に屈して仕方なさそうに頷いたのだった。
**
(案外話の分かる王女サマじゃねぇの)
背後から声を掛けられた時は寿命が縮む思いがしたが、リュッカーを連れ出すことは反対されなかった。
(まぁ……あちらさんもこちらの情報を欲しているってことだろーけど)
相手の懐に飛び込むことは諸刃の剣だ。こちらの手を読まれる危険が付きまとう。
だからこそ、自分のような大して情報を持たない、相手に警戒心を抱かせない軽薄な男が適任なのだろう。
**
ハワードがリュッカーを連れ出したのは王都の高級娼館だった。
「……ここは……」
一緒の馬車に乗って下りた先の建物を一瞥したリュッカーは盛大に眉を顰めている。
「私はこういった店には興味がない」
「まーまー、固いこと言わない。ここは料理が意外とイケるんですよ」
ぽんぽんと宥めるようにリュッカーの肩を叩いてハワードは入店を促す。
リュッカーは嫌そうに目を細めていたが(ほとんど糸目になっていた)、仕方なさそうに息を吐くと店に足を踏み入れた。
「ハワードさま、ご無沙汰ねぇ」
「淋しかったわ」
最上階の広めの部屋に通されると、すぐに綺麗どころが数人入室してきた。
「今日はこのおにーさんを持て成してくれる~?」
ハワードは軽い調子で美女たちをあしらうと、座り心地の良さそうな長椅子に腰を下ろした。
リュッカーは両脇から妓女にくっつかれ、対面に座らされた。
「リュッカー殿は酒はイケる口ですか?」
「……嗜む程度です」
「お、てことは強いんですね」
部屋付の従僕が栓を抜いたワインの瓶を受け取ると、リュッカーのグラスにほんの少し注ぐ。リュッカーが軽く口を付けて頷くのを確認して、並々と注ぐ。
「勝負します?」
リュッカーは軽く片眉を跳ね上げたが、ふんと嘲るように鼻を鳴らすと試すように言った。
「何を賭ける?」
「そうですね~、この妓楼一の美女との一夜とか?」
「それは誰でも簡単に手に入れられる。景品としては物足りない」
「ここの一番人気の妓女は高位貴族でもなかなか予約が取れないんだけどな…。まぁでも、リュッカー殿のお好みの美女をご用意しますよ」
「……」
「逆にリュッカー殿は何を賭けます?」
「…………」
「では、貴方が負けたら好みの女性のタイプを教えてくださいね」
「………………」
「で、リュッカー殿、ぶっちゃけ、おたくの王女さまのご機嫌はいいの?」
「……機嫌がいい、とは」
「だからさー、留学生活満喫してるのかってこと」
本当は何を考えているのか、オズワルドとの関係をどうしたいのか、聞きたいことは山ほどあるが、それを聞いて「好きです、結婚したいです」などと答えられても困る。
まずは小手調べだ。
「……そうですね、殿下は楽しんでおられます」
「そりゃよかった。王女さまってすごい美人だけど、本国ではさぞかし人気なんだろうね」
「ええ、まぁ……」
リュッカーの温度のない声に、ハワードは少し意外に思う。
(この侍従、それ程主への忠誠とか敬愛とかないんだな)
もっと「うちの殿下は世界一美しい」とか言い出すかと思ったのだが。
「あらら。リュッカー殿、実は苦労してる?王女さまって結構我儘なの~?」
「な、無礼な!」
「はは、冗談冗談。でも、ま、あの王女サマは可愛らしいというよりは妖艶だもんな。ひれ伏す野郎共に手を焼いているってところ?」
「…………………」
リュッカーはこれ見よがしに溜息を吐くと席を立った。
「失礼する」
「え~、帰っちゃうの?泊まって行けばいいじゃ~ん」
ここはそういう所だしさ、とニヤニヤしているハワードには一瞥もくれずにリュッカーはさっさと出て行ってしまった。
ハワードはリュッカーが完全に退出したのを見届けてはぁぁと長く息を吐いて天井を仰いだ。
「あの人、底なしのウワバミだな………」
テーブルの上に転がる酒瓶の数に眩暈がする。
二人で二十本程空けただろうか。それでも彼が酔ったようには見えなかった。
(……勝負は引き分けってところかな)
暫くしてリュッカーを出口まで送り届けた妓女が戻ってきた。
「どうだった?」
妓女にはリュッカーの女の好みを聞き出すよう指令を出していた。
「……この館に銀髪で紫紺色の瞳の女は居るか、と聞かれたわ」
「……!」
ぞくり、と肌が粟立った。どこぞの王子と同じ、随分と明確な好み。
(紫紺色って……深い紫色…だよな。紺に近い……)
肖像画でしか見たことがない程珍しい、特徴的な色――。
(これは……どう考えてもオズと同じ人物を探してるってことだろ……)
オズワルドが能天気に初恋の少女との再会を焦がれていることに対し、果たして「王女」の意図が何なのか。
(頭が痛い……)
それはきっと深酒のせいだけでは決してない。ハワードは考えることが面倒になってとさりと長椅子に横たわると目を閉じた。