075
「ご無沙汰しております、殿下」
「……あぁ、変わりないか、グランヴィル卿」
王宮内のオズワルドの居室にて、その会談は極秘裏に行われた。
ハワードに話したことですっきりし、精神的に追い詰められていた状態が少しだけ改善した。
一人で抱え込んでも何も解決しないどころか、視野が狭まり前世と同じ過ちを犯しかねないと気付いたのだ。
だから前世の記憶を共有する者と連携を取るべきだと考えたのだった。
一応前世のことで相談したいと匂わせて、サイラスを呼び出してある。
だが、どう切り出そうかとオズワルドが言い淀んでいると、サイラスがにこりと笑って爆弾を落としてきた。
「――殿下はプローシャの王女殿下に随分とご執心だとか」
「なっ……!?違う、それは」
「『魔女』に魅入られたか、『エルバート』?」
「―――――!!」
鋭く細められた紫苑の瞳に射竦められる。その眼差しは三百年前に自分を詰った少年のものと重なる。
「……す、まない、ジュリアン……すまない、私は……」
オズワルドは頭を抱えて譫言のように謝罪を繰り返した。
ぼたぼたと大粒の雨のように涙がテーブルに池を作る。
「……殿下」
呆れを含みながらも幾分柔らかい声がオズワルドの耳朶を震わせる。
「洪水をおこすのはおやめください。……貴方が正気か確かめさせていただいただけです」
オズワルドが顔を上げるとちょっと嫌そうに眉を顰められた。
「……お顔を拭いて下さい。……大惨事ですよ」
「……うっ」
……一旦中座して、オズワルドは顔を洗ってから着座し、会談は再開された。
二人は前世に関わることで今現在掴んでいる互いの情報のすり合わせを行うことから始めた。
「そなたはアールを覚えているか。私の従者だった」
「存じております」
「彼は今、ジャレッドという名でこの学院にいる」
「はい。ローランド・レイ子爵の従者をしているとか」
「!……知っていたのか」
サイラスは軽く頷いて肯定した。
「殿下は王女が『魔女』として覚醒していると思われますか」
「……それはまだ、不明だ」
「――王女殿下について、何か分かったことはございますか」
サイラスの問いにオズワルドは緩く頭を振った。
「……一度、アールに興味を示したことがある。だが、真意は不明だ」
「そのアールについてですが……王女がジャレッドを『アール』と呼んだそうです」
「なんだと!?それではやはり、あの女は『魔女』――!」
オズワルドは動揺のあまり立ち上がってその拍子にガタンとテーブルにぶつかり、茶器に満たされていたお茶が揺れた。
「落ち着いて下さい、殿下」
サイラスに宥められてもオズワルドは立ち上がったまま視線を彷徨わせる。
「アールに何かしたのか?」
「いいえ。彼は無事です」
「だが危険だ。彼に護衛を――」
「私の手の者を配置しております。……王女殿下は殿下が監視して下さっているので、殆ど身動きが取れない状況です。そのことは殿下の御功績です」
「……っ」
珍しくサイラスに褒められてオズワルドは言葉を失った。そして力が抜けたようにぺたりと長椅子に腰を落とした。
「ですが、殿下はそれだけ危険に晒されているということでもある。殿下に情報のすべてをお話することは出来ません。『魔女』に情報を奪われる可能性がないとは言い切れないからです。そのことはご理解いただけますか」
「………わかった。だがジャレッドに何かあったらすぐに知らせて欲しい」
「承知いたしました。ジャレッドに関しては、今後も『魔女』が彼に接触を図る可能性が高い。『魔女』本人ではなくその配下の可能性も。王女ともなれば仕える人員はいくらでもいるでしょう。彼に接触する者は全て監視対象です」
「あぁ。王家からも人員を――」
「それは助かります。こちらが王女が留学してきてから一年の間にジャレッドに接触した者のリストです。素性に問題のない者は除いています。主に昨年と今年学院に入学してきた平民やプローシャに縁故のある者をリストアップしています。彼らの素性調査と監視の続行をお願いしたい」
「……流石だな……」
数枚にわたるリストにオズワルドは舌を巻いた。サイラスは有能だ。
「ではこの者たちについては私が調べておく」
「ええ、お願いいたします」
サイラスはにっこりと微笑みを浮かべて真意を隠す。
「魔女」に関してオズワルドと共闘することに異論はない。王家の協力を得るのはやぶさかではないがジャレッドの側をうろつかれるのは遠慮したい。彼の側には今、アデレイドがいるのだから。
そのため王家の配下の目を他に向けさせておく必要がある。幸い仕事は山ほどある。
それと、自分が知っていることのすべてを話すことは出来ないことをしれっとオズワルドに承諾させた。実際、「魔女」が何らかの方法でオズワルドから情報を引き出すことが可能であると想定することは当然の配慮であり、機密保護は相応の対応ではある。……今は、まだ。
王家も魔女もアデレイドの存在に気付いていない。
魔女が覚醒し混乱が生じれば、いずれ「聖女」の存在が必要不可欠となるだろう。
そうなる前になんとしても「魔女」を倒し、憂いを払いたい。
サイラスはアデレイドを危険に晒すつもりは全くない。例え彼女を囮にすれば手っ取り早く魔女を誘き出せるとしても、考慮するまでもなく却下だ。
だが王家はその策を使いかねない。だからこそアデレイドの存在を知られてはならない、絶対に。
一通り打ち合わせが済んで、サイラスは退出を告げた。
「それでは失礼いたします」
「あ、待ってくれ……もう一つ話しておきたいことがある」
立ち上がったサイラスに、オズワルドは冷汗を浮かべながら話を切り出した。
「実は……前世のことについて、………ハワードに話した」
サイラスは軽く目を見開いて口元に笑みを浮かべた。
「……へぇ?」
(―――何その笑顔超怖い!!!)
紫苑色の瞳は全く笑っていない。
オズワルドはガクブルと震えた。それはもう生まれたての小鹿のように。
「ま、魔女のことで……警戒するように、伝えたくて」
「――………」
サイラスは再び長椅子に腰を下ろすと長い足を優雅に組んだ。
「……それで、ハワード卿の反応は」
「……っ、信じて…くれた……」
言いながらオズワルドはその時のことを思い出す。
ハワードは欠片も疑うことなくオズワルドを信じると言ってくれた。その上で側にいることを選んでくれた。それが泣きたくなるほど嬉しかった。
こんなことくらいで涙が出そうになるなど、自分はなんて幼く弱いのかと思う。愚かだったとはいえ、エルバートの方が今よりずっと大人びていたように思う。
エルバートは第二王子だったが異母兄の第一王子が生まれつき病弱だったため、王太子として厳しく育てられた。実質一人っ子のようなものだった。
一方オズワルドは末っ子で、歳の離れた兄二人に甘やかされて育った。
両親からも特に厳しく叱られることもなく、伸び伸びと育った。第三王子とは気楽な身分だった。
そんなオズワルドにとって従兄弟のハワードは歳の離れた兄たちより余程身近な兄のような存在であると同時に大切な幼馴染みだ。
オズワルドの側近として常にハワードも「魔女」の近くに居る以上、彼にも危険が及ぶ。
彼を「魔女」の毒牙から守らなければならない。
「……エルバートのことを…屑王子と…言われたけれど……」
そう零すと、ふっと苦笑された。
「……それは…その通り過ぎて何も言えませんね」
「………」
オズワルドの胸がざっくりと抉られる。しかしジュリアンの生まれ変わりであるサイラスには何も言い返せない。彼の大切な従姉妹を奪ったことは生まれ変わっても消えない罪だから。
サイラスは少し表情を改めてオズワルドを見つめた。
「……『魔女』への警戒は必要です。その周知も。『魔女』に関する出来事は警告と共に代々王位継承者と宮廷の上層部に伝承されています。無論聖堂院にも」
「魔女」と思しき人物が現れた今、国家を上げて防衛、もしくは攻撃に転じる必要がある。
「魔女」はそれくらい脅威だからだ。
とはいえ、本来それを未成年に課すことはない。未成年は守られるべき対象であるからだ。
「周知は必要ですが……その範囲は軽々しく広げるべきではない。……本来ハワード卿は知らされる立場ではない」
「魔女」について知ってしまったら、「魔女」に目を付けられる危険が増すのは必然だろう。
深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗くのだ。
「……ですが、知ってしまった以上、ハワード卿には精々殿下の盾として身を粉にして働いて頂きましょう」
「……………!!」
オズワルドの顔が蒼白になる。何故か自分がまんまと罠にかかった憐れな獲物に思えてならない。いや、それはハワードのことだろうか?
サイラスはどこか慈愛に満ちた優し気な微笑みを湛えている。
(嗜虐心を見事に覆い隠しているが、私には分かる!「どうこき使ってくれようか」と内心うきうきしていることが……!!)
わかったところでオズワルドに拒否権はない。王子だと言うのに、見事なまでに無力だ。
(くっ……赦せ、ハワード)
記憶を持って生まれた者たちがいる――これは対「魔女」防衛において非常に優位に働く情報だ。
生まれ変わることは予言されていた。聖王メイナードによって。
「魔女」も「聖女」も。彼女たちの身近にいた者たちについても。
だから一人でもこの「生まれ変わり」が現れた時点で「魔女」の復活は予見出来ていたのだ。
「生まれ変わり」の姿かたちが前世と全く同じであるとまでは、予見できなかったけれど。
「魔女」の容姿は記録書に記されているが、絵姿は残されていない。
ただし、エルバートとジュリアンの肖像画は残されている。
二人が正式に「記憶持ち」であることと、前世の姿と同じであることを告げ、プローシャ王女が「魔女」と同じ容姿であることを告発すれば、王女を「魔女」認定することが可能だろう。
けれど彼女は王女だ。下手を打てばプローシャ王国が黙っていないだろう。
故に王女の覚醒の確認が最重要になってくる。
それに、三百年経った今、王宮内において魔女の脅威は身近なものではなくなりつつある。それは既に遠い伝説の域に達しており、ひっそりと伝え続けられてはいるものの、魔女の復活を本気で信じている者は殆どいないのが実情だった。
だが、聖堂院だけは本気で「魔女」の復活を恐れ、その対処について代々議論を重ねていた。
メイナードがそのように聖堂院を導いたのだ。
そのメイナードの生まれ変わりであるヴィンセントがもうすぐエリスティア王国に来る。サイラスは既にその情報を掴んでいた。
(彼の存在は「魔女」にとって凶だろう……)
果たして「魔女」はどう動くだろうか。
サイラスは読めない未来に軽く眉根を寄せて息を吐いた。
(手駒は多い方がいいだろう)
飛んで火にいる夏の虫――秘密を知ってしまったハワードには精々働いて貰おう、勿論連帯責任ですよと秘密を洩らしたオズワルドににこりと微笑むのだった。




