074
エルバートはレオノーラとメイナードが至近距離で話しているのを見て苛立ちを覚えた。それは胸の奥の深い部分に眠っていた感情。眉間に皺が寄るのを抑えられない。理性が爆ぜるように消滅する。二人の元へ駈け出そうとしたエルバートの腕が横から伸びたしなやかな手に止められた。
「殿下、どちらへ?」
にっこりと妖艶に微笑む美しい女。ブリジットの紅蓮の瞳を視界に捉えた途端、ふっとエルバートの激情はやみ、身体から力が抜ける。
「……いや。…そこにメイナードと…」
感情すらも抜け落ちたような瞳で先ほど二人を見かけた場所を見遣ると、そこにはメイナードしかいなかった。
(……?)
エルバートは何故先刻あれ程の苛立ちを覚えたのか、その原因が思い出せない。大切な何かを奪われそうな焦燥と苛立ちと嫉妬。けれどその感情は既に大人しくなって眠りについてしまった。
「……なんでもない」
ぼんやりとしたまま呟くと、真紅の女に導かれるまま反対側へと踵を返し、その場を後にした。
なんでもないはずだ。だが、何かが引っかかる。得体の知れない不安が胸の奥に蟠る。引き返せ、目を覚ませと誰かが訴える。
――この感情はなんだ?
エルバートは物思いを振り切るように軽く頭を振ると、前を見つめた。
***
「……っあ……」
掠れて喉に張り付いたような声が自分の発したものだと気付いて目が覚めた。
目が覚めて、夢を見ていたのだと理解した。
オズワルドは天井に向けて伸ばしていた腕を見て、ふっと自嘲気味に息を吐き拳を握ってゆるゆると腕を下ろした。
夢の中で、エルバートはレオノーラへの気持ちを封印された。
オズワルドはエルバートの記憶を彼の中から見ている事しか出来なかった。
――目を覚ませ、魔女に惑わされるな!
どれだけ叫んでもオズワルドの声はエルバートに届かない。
「レオノーラ…………」
オズワルドは片手で顔を覆い、頬が濡れていることに気付いて再び吐息をついた。
***
5月の爽やかな風が優しく頬を擽る。
「良い季節になりましたなぁ、オズワルド殿下?」
日光浴の大好きなレオノーラ王女の希望で、学院の庭園にガーデンテーブルを用意して、お茶会が開かれていた。
オズワルドは自分が今、起きているのか夢を見ているのか分からなくなりそうだった。
彼の向かいの席に座る真紅の髪に紅蓮の瞳の女は優雅に紅茶を飲んでいる。
――ここはレオノーラの死を悼む場所だ。そのつもりがないなら失せろ
――その娘を死に追いやった者が悼むなどと、滑稽なことを
目の前の女に重なるように嘲りの表情を浮かべて吐き捨てる「魔女」の姿が見える。
「魔女」の言葉は残酷だが、……真理だった。
レオノーラを死に追いやったのは紛れもなく自分だ。エルバートにレオノーラの死を悼む権利などない。
エルバートはどうしようもなく愚かで、憐れだった。
(最愛の人を……失ってからそうと気付くなんて……)
「…ズ、おい、オズ!」
隣に座るハワードに小声で話しかけられて、オズワルドははっと覚醒した。二重に見えていた幻が消える。白昼夢を見ていたかのようだった。
「……なんだ?」
「……なんか顔色悪いけど……大丈夫か?」
オズワルドは緩慢に頷く。このところ夢見が悪く、眠れていない。
「あぁ……このくだらない茶会が終わるまでくらいなら、なんとかなる」
「無理するなよ……今日はもう下がれ」
「……あの女に隙を見せたくない」
「……おまえ、なんで……」
オズワルドの妙に意固地な態度にハワードは困惑するしかなかった。
(全く……これはダメだな。今夜問い詰めよう)
日に日に憔悴していく弟分への心配と、けれど何も話してくれないことへの苛立ちがそろそろ限界だった。
***
ダンッと耳の横の壁にハワードの拳が叩きつけられた。
「――で?何なんだよ、おまえのその王女への妙な警戒は」
夕食後、ハワードはオズワルドの居室にて王子を壁際に追い詰めて逃げられないように両腕で囲いを作った上で威圧するように上から王子を見下ろした。
「………っ」
「今日こそ全部吐いて貰うぞ」
*
一時間の攻防の末、オズワルドはハワードに全部白状させられた。
ハワードのしつこさと最近眠れていなかったため判断力が底辺まで落ちていたことが敗因だ。
言い渋るオズワルドの頬を片手で挟み超至近距離からメンチ切られて「あぁん?言わねぇと一晩中このままだぞ?」と脅され、「いい加減にしろよてめぇ」と凡そ侯爵子息とは思えない柄の悪さで怒られ、最終的には「言わないならもう口きかないぞ」と見放されそうに至り、オズワルドは陥落したのだった。
*
「は……?つまりおまえ、三百年前のエルバート王子の生まれ変わりなの?肖像画のレオノーラ公爵令嬢を裏切ったっていう……あの屑王子の?」
「うっ」
ハワードの言葉がオズワルドの心を鋭く抉る。
「なのにレオノーラ嬢の生まれ変わりに会いたい~とかお花畑なこと言ってんの?頭沸いてんの?」
「ううっ」
「歯ぁ喰いしばれ?」
「……………………」
ハワードが超絶笑顔で拳をバチンと片手に当てて威嚇してくる。
最早オズワルドの精神は瀕死のズタボロだった。口から魂魄が半分飛び出ている状態だ。
ちなみにオズワルドは現在壁に背を預けたままずるずると床に座り込み、目の前にハワードが足を広げてしゃがみ両腕を膝に乗せて王子を睨み付けるという構図である。
とん、と音がしてオズワルドが視線を彷徨わせると、隣にハワードが座り壁に凭れたところだった。
「――で、あのプローシャの王女がその『魔女』だ、と」
「魔女」の単語にぎくりとオズワルドの肩が揺れる。
「………」
オズワルドがどう話したものかと逡巡していると、いきなりぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられた。
「!?」
オズワルドは既に追い詰められ過ぎていっぱいいっぱいだった。涙目でハワードを見つめると、溜息を吐かれた。
「確かめたわけじゃないんだろ?つか、本当に『魔女』だったら、めちゃくちゃヤバいんじゃねぇの」
そのままぽんぽんと頭を撫でられる。
「一人で対峙すんな。抱え込むな。取りあえず聖堂院に縋るべきじゃねぇ?一般人には手に余る」
「………………」
オズワルドは呆然とハワードを凝視した。
「……なに、その目」
「……ハワード、私の言ったことを信じるのか……?」
「は?たりめーだろ」
「……………………」
「って、泣くな。………ったく、手のかかる弟だな」
当然のことを聞くな、というように眉を顰められて、オズワルドは瞬きも忘れてただ只管ハワードを見た。涙が止めどなく溢れてくることにも気付かずに。
オズワルドは自分の話を信じた上で尚、ハワードが態度を変えないことに呆然としていた。
「……軽蔑、しないのか……?」
「いや、してる」
「……………………」
「おまえじゃなくて、エルバートをな。生まれ変わりって言ってもそいつはおまえじゃないだろ」
(まぁ、そう言えるのは俺が当事者じゃないからだろうけどな……)
ハワードは胸の中で独り言ちる。例えば今、オズワルドがエリザベスの婚約者だったとして、いきなり王女に鞍替えしたら赦し難い。その上、万が一エリザベスが死んでしまったとしたら――。
(そりゃ、殺したくなるよな。王子も魔女も)
物騒なことを思いつつも、涙を流し続ける弟分を見て、「でも」と思う。
(今のこいつは俺の弟みたいなもんだしな……。俺は味方でいてやるよ)
ハワードは仕方ないなというように苦笑して、ずっと側にいてくれた。
……ハンカチは持ち歩いていなかったようで、勝手にオズワルドの胸ポケットから引っ張り出して乱暴にごしごしと拭いてくれながら。
オズワルドが落ち着いた後、いくつか確認をし、部屋を辞す間際にハワードは思い出したようにぽつりと呟いた。
「オズ、たまにはリズに顔見せてやってくれないか。……あいつ、最近のおまえ、元気ないって心配してたからさ」
「リズが……?そうか……」
そういえば最近全然会っていなかったな、とオズワルドは思った。
*
「リズ。久しぶりだな」
「オズ兄さま……」
翌日の昼休み、オズワルドはエリザベスの個人収納棚の前で待ち伏せていた。
学院は全授業が完全に選択制で、学年ごとに受講必須の課目はあれど定席というものは存在せず、学生は授業ごとに教室を移動する。そのため教科書等の私物は全て各人に割り当てられた鍵付きの収納棚に納めておき、授業が終わると次の授業用の教科書と入れ替えるため、人を捕まえようとするならば個人収納棚前で待つのが一番効率的なのだ。
収納棚の設置された部屋の廊下の壁に軽く背を預け、腕を組み僅かに視線を床に落として待つオズワルドの姿はどこか物憂げで、少しこけた頬と蒼白い肌の色がむしろ退廃的な美しさを醸し出していた。
天窓から差し込む光に蜂蜜色の髪がきらきらと輝いて、薄暗い廊下の中にオズワルドだけが浮かび上がりまるで一幅の絵画のようだった。
「ど、どうされたのです?」
エリザベスは逸る鼓動を誤魔化すように敢えて普段通りの素っ気ない言い方をする。
「…ハワードからリズが私を心配してくれていたと聞いてね。……たまには一緒に昼食を、と思ったのだが」
どうだろうか、と問われてエリザベスの目尻が朱に染まる。
「そ、そんな心配なんて」
「も―――ぅ、良かったですね~リズ様!どうしようどうしようってずーっとそわそわオロオロしてらしたもの。殿下、どうぞリズ様をよろしくお願いしますね」
どこから現れたのか、突然ナタリアが背後からずずいとエリザベスをオズワルドの前まで押し出し、ささっと身をひるがえして去って行った。
あまりの早業にエリザベスもオズワルドも唖然として一言も発せなかった。
「……っ」
お互いに顔を見合わせて、どちらからともなくぷふっと吹き出す。
エリザベスは自然に笑えたことが嬉しかった。
「行きましょう、お兄さま。……最近のオズ兄さまははっきり言ってダメダメですわ!食事をきちんと摂らないからそんな辛気臭い顔をしておいでなのです!」
「リズは手厳しいな……」
苦笑しながらもどことなく嬉しそうなオズワルドの表情に、エリザベスはふふんと得意気に笑った。
「まったく!世話が焼けますね、わたくしのお兄さまは」
なんだか似たようなことをハワードにも言われたな、やっぱり兄妹だなと思ってオズワルドは久しぶりに笑顔を浮かべたのだった。




