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父親を喪ったローランドは喪に服すと同時に領主代行の地位に就いた。エリスティア王国において、遺族の服喪期間は三ヶ月。その間領主が不在になるわけにはいかないので自動的に継嗣がその地位に就く。その後服喪明けに、正式に国王より領主の地位を拝命するのが慣わしだ。
三ヶ月の代行期間はいわば次期領主のお試し期間といえる。領民や国王に次期領主として問題がないことを証明し、彼らを安心させなければならない重要な期間だ。ほとんど形式的ではあるが万が一継嗣が問題の多い人物である場合は、国王の認可が下りない事もないことではない。
ローランドのように次期領主が未成年の場合は領主を支える側近たちの力量が問われることになる。
幸いなことにレイ領の領主側近たちは優秀で、ローランドが幼い頃から仕えてくれている者ばかりだ。彼らはローランドを息子のように可愛がってくれていた。
ローランドが成人するまでの2年間、領地の実質的な経営は彼らが担うことになる。側近たちはローランドが学院を卒業できるよう、出来る限りのことをしてくれた。
それでも領主の裁可が必要な案件はあるし、すべてを彼らに任せきりにするわけにもいかない。ローランドは側近たちから領内の問題点や現在の税収の報告書など、たっぷりの課題と宿題を持たされて王都へと送られた。
やり取りは基本的に手紙だが、側近の一人がひと月に一度王都へ来てローランドの書類を受け取り、領地からの書類を手渡すことになっている。
***
アデレイドは一通りの演習問題をこなし、その日の授業を終えると、セドリックとのお茶を愉しみながらローランドの現状について相談した。
「ローランド、夜中まで領主の仕事を頑張っているの。だけど、身近に相談できる人がいないから大変みたいで」
「そうだね。兄さんみたいな次期領主仲間が近くにいれば心強いだろう」
仲間といっても自領の問題を外部の者に気軽に話すわけにはいかない。レイ領は牧歌的で平和な領で、今現在特に深刻な問題を抱えているわけではないが、領主としての悩みや決断すべきことで他領の者には言えないことも多々ある。それでも同じ悩みを持つ立場の者同士、協力し合えることもあるだろう。
「もしくは後見人とか」
セドリックの言葉にアデレイドはふとサイラスを思い浮かべた。
(彼なら……力になってくれるかも)
セドリックの研究室を辞して、人目を避けつつ足早にローランドの寮へと向かいながらアデレイドは思案していた。
(今週末にでも……サイラスを訪ねてみようか)
「従者殿」
薔薇苑を通り抜けようとしていたアデレイドにそっと生垣の中から声がかけられた。
「……!ハロルド?」
アデレイドはびくりと肩を震わせて背後を振り返り相手を確認すると、小さく息を吐いた。
薔薇苑は刈り込まれた生垣で囲まれており、中は外部から隠された秘密の花園のようになっている。
その生垣の脇に暗緑色の作業着姿の青年が佇んでいた。長身なのに、全く存在を感じさせない見事な気配遮断スキルを発動させながら。大変心臓に悪い。
ハロルドは庭師として学院内に潜入しているのだ。護衛として側に置くことは出来ないが、魔女のいる学院にアデレイドだけを行かせることなどハロルドを始め、サイラスが承諾するはずもなく。
サイラスが庭師としてハロルドを送り込んだのだった。
「これを。落としましたよ」
そっと差し出されたのはハンカチだ。
予め何か言付けがあるときは偶然を装って周囲に不自然に見えないよう、ハンカチなどに手紙を挟んで渡すことになっている。
「ありがとう、返事は明日」
後半は小声で告げて、アデレイドは軽く会釈してその場を去った。
ローランドの部屋に戻ってハンカチを開くと中には小さなメッセージカードがあった。
『いつでも相談にのる』
カードには簡潔に一言だけ。
(サイラスからのメッセージ……)
胸が温かくなると同時に泣きそうになる。いつも見守ってくれている、優しい人。
相談したいと考えていた矢先にメッセージをくれるなんて。
(ふふ、以心伝心?)
授業が終わりローランドが寮へ戻ってきた。
「お帰りなさい、ローランド」
「ただいま、アディ」
出迎えたアデレイドに、ローランドが微笑んで抱きしめる。
「ああ、幸せ……」
アデレイドを抱きしめたまま、ローランドが呟く。しみじみとしたその言い方におかしくなるけれど、何気ない日常こそが尊いのだということは平穏が壊れてしまったばかりのローランドにとっても、前世の辛い記憶を持つアデレイドにとっても共通の想いだ。
(そう、だね……私も)
まだ失った痛みは癒えないけれど、魔女や王子のことで不安はあるけれど、それでも。
「ローランドと毎日会えて、幸せ」
少しだけ上向いてローランドの瞳を見つめてはにかむと、ローランドがうっと息を飲んでアデレイドの肩に額を付けた。
「アディ、それ反則……」
「え、な、何が?」
「……明日も頑張れるってこと」
「ほんと?私、ローランドのためなら何でも出来るよ?」
「………………」
「でも最近のローランドは頑張り過ぎだと思うの」
無言で悶えているローランドに気付かずに、アデレイドはローランドの髪を撫でながら想いを伝える。
「私に出来ることは少ないかもしれないけど……何でも言って?ローランドの力になりたいの」
直後、ローランドはアデレイドの細い腰を抱き上げて居間へ向かった。長椅子にアデレイドを座らせると片膝を乗り上げて上から覆いかぶさるように口付けた。
「ローラン……んんっ」
いつもの優しくて甘い口付けと違い、噛みつくような性急なそれにアデレイドは怯えて肩を震わせた。
その微かな動きにローランドの衝動が一瞬止まった。
至近距離でアデレイドの紫紺の瞳と金の瞳が見つめ合う。
「~~~~~~~!!」
アデレイドの目尻に僅かに涙が溜まっているのを見てローランドはアデレイドの頭を胸に抱き寄せた。
「ごめんっ、アディ……」
完全に理性が焼き切れていた。
宥めるように優しく撫でられて、アデレイドの震えが治まった。
「アディ…大丈夫?……ごめん…怖かった?」
「すこしだけ……」
怖かった。ローランドが別人みたいで。でもそれだけじゃなかった。
(胸が……ぎゅって)
アデレイドはローランドの胸に耳を寄せた。心臓の音がはっきりと聞こえる。きっとアデレイドの心拍はもっと早い。
ドキドキが止まらない。でも今は離れたくない。
アデレイドがローランドにぎゅうっと抱き付くと、ローランドの身体がびくりと揺れて、一拍後、息も止まる程強く抱きしめられた。
***
「……ローランドさま!アデレイドさまが窒息します!」
夕食を運んで来たジャレッドによって甘い時間は強制的に終了させられた。
ローランドは名残惜しそうにしながらも大人しくアデレイドを解放した。
「危なかった…ジャレッド、助かったよ」
「……ええ、邪魔したくはなかったのですが……」
婚約者との甘いやり取りを見られたローランドより何故か見てしまったジャレッドの方が赤くなっていた。
「アディが可愛い過ぎて」
「惚気は結構です!」
「ジャレッドどうしよう……ローランドが好き過ぎて心臓壊れそう……」
「こっちもかー!!」




