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「アディ。今日も可愛いね」
アデレイドがセドリックの研究室の扉をノックすると、待ち構えていたように扉が開いて一瞬のうちに中に引き込まれ、気が付いた時にはぎゅっと抱きしめられていた。
「兄さま、くるし」
「ああ、毎日アディに会えるなんて幸せ過ぎる……。アディ、可愛い、可愛すぎる」
セドリックの重度のシスコンは一年間のアデレイド断ちを経てより悪化してしまっていた。
額や頬、旋毛に口付けの嵐を受けてアデレイドは力が抜けてセドリックの腕の中でぐったりとしていた。
(~~~ジェル兄さま助けて――)
セドリックはくったりしているアデレイドを軽々と抱き上げると長椅子へと運びそっと降ろした。
「お茶を用意するから少し待っておいで」
セドリックは部屋の隅に備えられている茶器に手際よく茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
そこへ不意にノックの音が響いた。
アデレイドはびくりと肩を震わせ、扉に顔を向けた。セドリックはちらりと扉に目をやると、淹れたての紅茶をアデレイドの前に置いて優しく頭を撫でた。
「アディ、紅茶飲んでいて」
「セドリック。居るのは分かっていてよ」
なかなか返事をしないセドリックに業を煮やしたのか、扉の外から声がかけられた。声には少し苛立ちが含まれている。
聞いたことの無い女性の声だった。
(兄さまとどういう関係?)
アデレイドは胸がドキドキした。名前で呼ぶと言うことはそれなりに親しい間柄だ。
しかしセドリックは嫌そうに眉間を寄せて溜息を吐いた。
「いない。帰れ」
「居るじゃないの!相変わらずつれないですわね~」
女性はめげる様子もなく、むしろ楽しそうに笑う。
「わたくしたち、『第三王子と侯爵令嬢の恋を応援する会』の同志でしょう。大事な話がありますの」
(「第三王子と侯爵令嬢の恋を応援する会」?)
なにそれ?という視線を兄に向けると、セドリックは仕方ないな、というように軽く溜息をついてアデレイドに向き直り、心配いらないと言うように微笑んでからくしゃりとアデレイドの頭を撫で、扉を開けた。
部屋に入って来たのは栗色の髪に茶色の瞳の知的な美人だった。ナタリア・オーウェン伯爵令嬢だ。
ナタリアもセドリック同様、大学院に進学したが優秀さを買われて学院の臨時講師を依頼されていた。ナタリアの場合はエリザベスとオズワルドの恋を見守るために堂々と学院内に入り浸れる願ってもない申し出だった。
「……!!」
室内に足を踏み入れたナタリアは先客の存在に息を飲んだ。先客がいたことにも驚いたが、何よりもその少女の美しさに驚嘆した。
(なんて美少女……!!)
艶やかな黒髪に神秘的な紫紺色の瞳。女神が作ったのではないかと思わずにはいられないほど整った花のかんばせ。
アデレイドとナタリアはお互いに一言も発さずしばし見つめ合った。
(ど、どうしよう……)
アデレイドは内心困惑していた。
席を立つべきか、このままでいいのか。自己紹介をすべきなのか。
相手の女性も何も言わずに自分を凝視しているので、増々戸惑う。
そんな二人の硬直を解いたのはセドリックの面倒くさそうな声だった。
「――それで。話とはなんだ、ナタリア」
言いながらセドリックはアデレイドを抱き上げると膝の上に座らせて後ろからぎゅっと抱きしめた。
(え、兄さま!?)
「セドリック、その子は」
ナタリアは驚愕に目を見開いた。セドリックが誰かに執着したところを初めて見た。
「僕の可愛い侍女だよ」
「「え」」
アデレイドとナタリアの声は見事に重なっていたが、それぞれが困惑と驚愕に混乱していたためそのことに気付いていなかった。
「……セドリックに侍女に侍従服で男装させる趣味が……」
(兄さま、今の私侍従だよ!侍女って言っちゃダメじゃ)
アデレイドがセドリックの耳元に唇を寄せ小声で抗議すると、セドリックは何故か嬉しそうに頬を染めた。
「やっぱり侍女服を用意しよう」
「なんでそうなるの!?」
「……学院の学生、ではございませんわよね?」
惚けたようにアデレイドを凝視していたナタリアだが、じゃれ合う二人を見て、雰囲気がよく似ているなと気付いた。
アデレイドはびくっと肩を揺らした。
(どうするの、兄さま!っていうかこの方との関係は――!?説明して兄さま!!)
アデレイドが狼狽えていることなどお構いなしにセドリックはアデレイドの柔らかな髪を梳きながら優雅に紅茶を飲んだ。
「言っておくが君は招かれざる客だ、ナタリア。用件を言わないならさっさと出て行ってくれ」
面倒だということを隠す気のないセドリックはナタリアの分の紅茶は用意しない。
(あ、私が用意しなきゃいけないんじゃ)
アデレイドは現在侍従姿だ。動こうとするも、セドリックにがっちり固定されている状態だ。
(アディ、いいから)
セドリックに耳元に囁かれてアデレイドは仕方なく大人しくする。二人の関係性が分からない以上、余計なことはするべきではない。
「ちょ、温度差酷すぎません!?~~わかりましたわ、そちらの侍従姿のご令嬢のことはとっっっても気になりますけれど!一先ず本題に入りますわ」
抗議しかけたナタリアだが、セドリックの冷たい視線に怯んで用件を切り出すことにした。
「『第三王子と侯爵令嬢の恋を応援する会』の活動についてですわ。最近、オズワルド殿下のお側には常に隣国の王女がおられますでしょう。そのことにエリザベスさまは胸を痛めておいでなのですわ」
(……!!)
思いがけず耳にした第三王子の名にアデレイドの胸がドキリと震えた。側に魔女がいるという情報にも微かに胸がざわつく。
(……でも、侯爵令嬢って…?)
セドリックは無言で続きを促す。
正直、セドリックにとっては王子が誰と恋仲になっても構わないのだ、相手がアデレイドでさえなければ。
現在王子が隣国の王女に執心しているというなら結構なことだと思うだけだ。別に侯爵令嬢と破局したところでどうでもいい。
だから今更二人を応援する会の活動に参加するつもりはなかった。だが、万が一王子と王女がうまくいかなかったときに備えて保険は必要だと考えていた。
「それで何かいい案はないかと相談したくて……」
ナタリアの話を聞いたアデレイドはエリザベスがかつてのレオノーラと似たような境遇だと感じた。
(婚約者…というわけではなさそうだけれど……ずっと好いていた相手がある日突然現れた別の女性に恋をするって辛い……)
「……では、頼みましたよ」
ナタリアの言葉にアデレイドははっとして顔を上げた。
アデレイドが暫く物思いに耽っている間に話は纏まったようだった。セドリックは仕方なさそうに息を吐いて頷いた。
ナタリアはアデレイドに好奇心に輝く瞳を向けながらも、セドリックに帰るよう促されて渋々引き上げた。
「兄さま、今の方……」
「ああ、アディは気にしなくていいよ」
「気になります!兄さまの……こ、恋人?」
アデレイドが恐る恐る窺うとセドリックは目を瞬かせた。
「仲がいいように見えた?」
「えーと……」
そう聞かれるとかなりの塩対応だったような気がするが、お互い気安いからこそのやり取りともとれる。
「わたしのこと、すぐに女の子だって見抜かれちゃって」
「そのことは心配ないよ。彼女はクリスティーナの友人でもあるから信用は出来る」
「あ、クリスティーナお姉さまの」
なんとなくセドリックと彼女の関係が把握できた。
(兄さまが信用できるというのだから、気にしなくて良さそうね)
「それより、今日の授業を始めようか」
アデレイドは休学中の勉学が遅れないよう、セドリックに見て貰っている。
「あ、うん。よろしくお願いします」
研究室の棚からアデレイド用の教科書を出してテーブルに広げた。
教科書を読み込み、演習問題を解く。分からなければセドリックに聞く、というスタイルだ。
ナタリアやエリザベスのことは気になるけれど、あまり深入りしない方がいいと胸の奥で警鐘が鳴っている気がした。だから努めてそのことを頭から追い出し、問題集の頁を捲って問題文に意識を集中させた。
生存報告的な




