069
「ローランド、おはよう」
まだ眠っていたローランドの肩を軽く揺らす。
「ん………」
最近眠りが浅い彼をそのまま寝かせてあげたい誘惑に負けそうになるが、アデレイドは心を鬼にしてシーツに手を掛ける。
「ローランド、起きて」
「…ん…アディ?……おはよう……」
ローランドは薄く目を開いて挨拶したがまだ半分微睡んでいるような無防備な表情だった。そのままうっとりと目を閉じてまた眠ってしまう。
(ローランド寝起き悪いのね……)
このところ授業後は寝る直前まで領主の仕事をこなしており、それも深夜に及ぶこともしばしばのため、寝不足だからというのもあるのだろう。
アデレイドが眠るよう促さなければ、ローランドは朝まで仕事をしていそうだ。
(私も何か手伝えればいいのに)
少しでもローランドの負担を軽くしたい。
(兄さまに教えて貰おうかな)
今のローランドには人に教えている暇はないだろう。新米だが一年領主の元で仕事をしているジェラルドなら余裕もあるだろうし、力になってくれるだろう。
アデレイドはローランドの柔らかな髪をそっと梳いた。
(ふふ、少しくせっ毛。変わってない。……でも)
頬から顎にかけてのラインはシャープでもうすっかり青年の骨格だった。だが少々頬がこけている。
(痩せた……。二週間前よりはマシになったけど)
放っておいたら食事をしないこともざらなのだ。学院ではジャレッドが、寮内ではアデレイドが甲斐甲斐しく世話を焼いて、やっとまともに寝食をとるようになった。
(寝かせてあげたいけど……そろそろタイムリミット)
アデレイドは掛布を勢いよく剥ぎ取った。
ローランドが身支度を整えたタイミングでジャレッドが朝食のワゴンを押して部屋を訪れた。朝食は三人で一緒に摂る。最初は頑なに遠慮したジャレッドだったが、アデレイドに押し切られ、一緒に食べることを余儀なくされた。
(ジャレッドだけ別室で一人で食べるとかあり得ないわ)
――と考えるアデレイドだったが、ジャレッドにしてみれば目の前で二人の甘々な光景を見せつけられる方が辛かった。
(………砂糖大盛り祭りか!!)
「ローランド、あーん」
「ん…」
半分寝ぼけているローランドの口元にスープを掬ったスプーンを運ぶと雛鳥のようにぱくりと咥える。
別にアデレイドとしてはローランドを必要以上に甘やかしているつもりはない。今は誰かが支えてあげないとローランドの精神と身体が壊れてしまうと思うからしているだけだ。
寝惚けているローランドはたまに千切ったパンと一緒にアデレイドの指を咥えてしまう。
「ローランド!また間違えてる!」
アデレイドは焦っておろおろしているが、ジャレッドは確信している。
(ローランドさま……わざとだ)
その証拠にローランドがアデレイドの指を噛んだことはない。僅かに口角が上がっていることから焦るアデレイドの様子を可愛いと思っているのは間違いない。
「ごめん、アディ。また寝ぼけてた」
「もう、なんで指まで食べちゃうの。美味しくないのに」
「美味しいよ。アディの指は甘い味がする」
「え!?蜂蜜ついてたかしら?」
「そうかも」
「………………」
ジャレッドは無言でひたすらパンを噛み千切った。
「アディ、行ってくるね」
「ん、行ってらっしゃい、ローランド」
授業へと向かうローランドが両腕を広げると、アデレイドは恥ずかしそうにしながらもローランドの胸に抱き付いて腰に腕を回す。ローランドはアデレイドを大事そうに抱きしめるとこめかみに口付けを落とした。行ってきますの挨拶だ。
父親との突然すぎる別れから、ローランドは出かける際はしっかりと挨拶しなければ落ち着かなくなった。大切な人に大切だと伝えることも、以前より増えた。
「アディ、側に居てくれてありがとう。大好きだよ」
「わ、わたしも…ローランド、大好き」
抱きしめられたまま耳元で囁かれて、アデレイドの心臓が早鐘を打つ。かぁっと頬が真っ赤に染まる。
ローランドはもう一度アデレイドをぎゅっと抱きしめると、名残惜しそうにアデレイドの頬を軽く撫でてから部屋を出て行った。
扉が閉まった途端、アデレイドはぺたりとその場に座り込んだ。腰が抜けたと言った方が正しい。
(うう、心臓がもたない)
まだ心臓がドキドキしている。
ローランドが少し不安定で人肌を恋しがっていることは何となく察しがついている。
アデレイドも彼をぎゅっとしたいし、されたい。大切で大好きだということを伝えたい。ローランドの腕の中は穏やかで優しくて本当に大切にされていると感じて癒される。とても居心地がいいけれど、同時に逃げ出したくなるほど落ち着かない。
でも彼が側に居ないと途端に淋しくて切ない。
(変なの。さっきまで一緒だったのにもう会いたいなんて)
一年間も離れていたのが嘘みたいだ。
(今はローランドが辛いときだから……。でも、もう離れられる気がしない……)
留学は一時中断で、ローランドが落ち着いたらまたユディネに戻るつもりだった。
エリスティアの王立学院で学生として過ごすつもりはない。あくまでもローランドの従者として寮内で彼の身の回りの世話をするだけ。
魔女に見つかりたくないし、王子とも会わないでいられるのならその方がいい。
エリスティア王立学院では寮内に異性の従者を随従させることを禁じている。私的な護衛の随行も。そのためハロルドもアマンダも連れて来ることが出来なかった。
アデレイドは少年従者としてこっそりとローランドの従者用続き部屋に潜入している状態なのだ。だから暫定的でなく、ずっと側に居たいならきちんと学生として転入の手続きを取らなければならない。
(三か月くらいのつもり、だったんだけど……)
学院に潜入して一週間。今のところは問題なくうまくいっている。
だが、これからどうするかは決めていない。
(急いで決める必要はないか)
アデレイドは軽く頭を振って思考を切り替えると、窓の外の様子を窺い、誰もいないことを確かめると素早く庭に降り立った。
(――兄さまのところに行こう!)
――次兄セドリックは学院を卒業して大学院へ進学していたが、優秀さを買われてこの春から臨時教師として週に一、二回教鞭をとることになったのだ。大学院での研究が本業だが、セドリックは授業のない時間はほぼ学院内に与えられた研究室にいる。いつでもアデレイドの元へ駆けつけられるように。また、何かあった場合アデレイドが隠れられるようにと研究室の合鍵も渡されている。
昼間のローランドが居ない時間、セドリックの研究室にお邪魔することはほぼアデレイドの日課となっていた。




