068
夜更け、屋敷中が寝静まった頃、ハロルドはサイラスの前に跪いた。
「ハロルド、ありがとう。アディが元気そうで安心した」
アディが遠く離れた地にいても心配しないでいられるのはおまえのお陰だよ、と言うサイラスにハロルドは恐縮した。
「勿体無いお言葉です」
サイラスは物理的な心配はしていない。一番気掛かりなことは精神面だ。
「……メイナード・ビショップの生まれ変わりと出会ったそうだね」
「………」
サイラスの問いに、珍しくハロルドが表情を顰める。サイラスはおや、と思った。彼が好悪の感情を露わにすることは今までなかった。
「何か問題が?」
「…………………………………。……いえ」
かなり間をあけて、苦虫を噛み潰したような顔で否定するハロルドにサイラスは笑ってしまった。
「……今世の彼は好人物のようだね」
「………………」
ますます嫌そうに表情を歪めるハロルドに、サイラスは本当に珍しい、と思った。
前世でジュリアンはメイナードがレオノーラの魂を魔女から護ってくれたことに感謝していた。彼が晩年身を慎み、聖堂院を改革し聖王にまでなったこと、死ぬまでレオノーラのために祈っていたことを知っている。
「彼は……レオノーラの死後、変わった。学院にいた頃の彼は好きになれなかったけれど」
生まれ変わったメイナードがどういう人物かは分からないが、彼と対面したアデレイドに悪い影響がないところを見ると、聖王の頃のメイナードと同等と考えていいだろうとサイラスは結論付けた。
「……問題は件の王女だね」
低くなったサイラスの声にハロルドはぴくりと肩を震わせた。
「……ジャレッドとの接触については如何お考えですか」
「……前世の記憶を持っているのは間違いないだろうね。ただ……」
どこがどうとはっきりとはわからないが、何か違和感があった。
「私は王宮の夜会で王女と挨拶を交わしたが、『魔女』の禍々しさはなかった」
サイラスは「魔女」の最期を知っている。レオノーラの死によって暴かれた魔性は黒い灰となって消えた。あの異常な光景はそう簡単に忘れられるものではない。だが、対面した王女からはその異様さを感じなかったのだ。それでも勿論油断はしていない。グランヴィル公爵家を窺っていた者がいることは確かだからだ。
「王女には監視を付けている。彼女の手の者がレイ領に向かった形跡はない」
サイラスは考え込むように怜悧な瞳を細めて空を見つめた。
初めてアデレイドと出会ったころからグランヴィル公爵家を窺う影があることに気付いていた。だがその密偵の技術は拙く、うろついているのは明らかに素人で警戒するほどのものではなかった。ただしその黒幕が隣国プローシャの王宮絡みであると知れるまでは。
簡単にプローシャの王宮に辿り着く程度の、素人の密偵でありながら、それが他国の王宮から放たれた事実。そのアンバランスさにサイラスは眉を顰めた。
グランヴィル公爵家の周りを嗅ぎまわっていたのはエリスティア王国の破落戸だった。彼らは何者かに僅かな金でグランヴィル公爵に出入りする女がいたら正体を突き止めろと依頼を受けていた。当初はサイラスに入れあげたどこぞの令嬢が恋敵がいないか探るために放った密偵だと思われていた。その程度の緩い監視だった。
しかし彼らに情報を探らせ、その情報を集めていたのはプローシャの商人。
ただ、この商人も単に仲介に過ぎないようで、プローシャ国内にて別の人物に情報を提供していた。それが王宮の、第三王女の側近だった。
「真紅の王女は、グランヴィル公爵家を探っていた」
サイラスの言葉にハロルドは無言で頷いた。
黒幕がプローシャの王宮絡みであることは早い段階から掴んでいた。だがその人物が特定できたのは王女が留学してからだった。
プローシャ王国が絡んでいることを察知してから、サイラスは王家のことを探った。そして第三王女が真紅の魔女と同じ容姿をしていることを知り、彼女が来る前にアデレイドを避難させることが出来た。この結果からも、まだ王女がアデレイドの存在に気付いていないと確信していた。気付かれていたらみすみす彼女を他国へ行かせるはずがないからだ。
(アディを学院に近付けたくはなかったが……)
彼女の存在が露見するのは時間の問題だろうとサイラスは考える。その時にどうすれば彼女を守れるのか。
サイラスはハロルドを下がらせた後、学院内に密かに潜入させている公爵家の配下にアデレイドの守りを強化するよう指示を出した。




