007
ローランドが学院に入学した年、第三王子オズワルドも学院に入学した。
彼らが入学して三ケ月程が過ぎた頃。
学院内の並木道を歩いていたオズワルドの瞳は、無意識に白銀の髪を捉えた。それは彼が幼い頃からずっと、探し求めていた色だった。
白銀色の髪の主は、長身に引き締まった身体つきの上級生だ。並木道の脇に造られた噴水の縁に腰かけて誰かと話をしていた。瞳は明るい空色。これが紫紺だったらいいのに、と無意識に落胆の吐息を吐いていた。しかし青年から目を離せない。
その人は切れ長の瞳の凛々しい顔立ちで、決して顔が似ているわけではなかった。そもそも男性だ。それでもオズワルドにとっては、愛しい少女の特徴の一欠片を宿す人だった。
オズワルドは取り巻きにあれは誰だと訊ねた。取り巻きは、あれはデシレー子爵家の嫡男、ジェラルドだと答えた。デシレー子爵家には娘はいるかと訊ねると、確か一人いるはずだと答えがあった。オズワルドの胸は高鳴った。
オズワルドはふらふらとジェラルドに近寄った。ジェラルドは金髪の青年と楽しそうに話をしていた。その青年が振り返った。
オズワルドは雷に打たれたような衝撃を受けた。紫紺の瞳。オズワルドが探し求めていた、もう一つの色だった。
「貴方は誰だ」
突然詰問されて、セドリックは戸惑った。目の前にいるのは、確か第三王子オズワルド。デシレー子爵家は貴族といえども末席だ。王族とは殆ど関わりがない。なのに、今目の前にいる王子は、どこか懐かしむような、恐れるような眼差しで自分を見つめていた。
「これは私の弟です」
ジェラルドがすっと立ち上がって礼をし、王子に応えると、王子は熱に浮かされたような表情でジェラルドを見つめた。
「兄弟…?美しい色だな…」
そう言ってジェラルドの髪を、セドリックの瞳をじっと見つめる王子に、ジェラルドは悪寒がした。
(俺の髪とセディの瞳を見ている…?)
それはアデレイドの色だ。…嫌な予感がした。
「デシレー家には娘がいると聞いたが」
直球で、ジェラルドが危惧したところに切り込んで来た。嘘を吐くわけにはいかないが、明言は避けたいところだ。ジェラルドは曖昧に微笑んだ。
「…何故、そのようなことを?」
愛しい少女の面影を見つけて興奮していたオズワルドは、相手に警戒心を芽生えさせてしまったことに気付かなかった。
「会わせてほしい」
焦がれる気持ちが喉を焼き尽くしてしまったかのように、声はかすれて不明瞭だった。だがジェラルドにははっきりとわかった。心臓を握り潰されるような心地がした。
(…冗談じゃないぞ)
セドリックも警戒するように瞳を僅かに細めた。この王子は何を言っている?
その時、王子の取り巻きが近付いて来た。ジェラルドは彼らに丁寧に礼をして、一歩下がった。先ほどの王子の言葉を有耶無耶にしてしまおうと、ジェラルドは素早く言葉を紡ぐ。
「ご友人方がお迎えに来られたようですね。では我々はこれで失礼します、殿下」
取り巻きたちは、デシレー子爵家の兄弟が王子に取り入るのではないかと警戒しているようだったので、そんなつもりは全くないことを表して、さっさと退散する。
「あ…」
王子が何か言いかけたが、聞こえないふりをしてそのまま笑顔で遠ざかる。
オズワルドは、取り巻きが彼らを威圧するように囲んだため、逃げられてしまったと思った。あるいは、先ほどの言葉を王族の戯れと解して、本気に取らなかったのだと。
ジェラルドは熱っぽいオズワルドの瞳を思い出し、嫌な予感にぎゅっと眉間に皺を寄せた。
…なんだ、あれは。
白銀色の髪に、紫紺の瞳への、オズワルドの執着。
大切なアデレイドを王族などに嫁がせるつもりは全くない。そんなところへ嫁にやってしまったら、アデレイドが苦労をするのは目に見えている。デシレー家は貴族の末席の子爵家だ。公爵家や伯爵家ならばともかく、王族に嫁ぐには家格が低すぎる。それに、ローランドという婚約者がいるのだ。まだ社交界で正式に発表したわけではないが、家族同士で仲良くしているのは知られている。
ただの色彩だけで目をつけられるなど、迷惑以外の何物でもない。
王子に近付かれるのは危険だと思った。もう一度会わせてほしいと言われたら、誤魔化せないだろう。ジェラルドとセドリックは極力王子を避けることにした。
避けるだけでは、問題は解決しない。
ジェラルドは、学院の仲間内で白銀と紫紺の色彩を持つ令嬢がいないか、それとなく探すことにした。いざという時にアデレイドから王子の興味を移させる保険にするためだ。勿論、その令嬢が王子妃を望むなら、だが、切羽詰まればアディを守るために見知らぬ令嬢を売るだろうな、とジェラルドは思った。
セドリックも兄と同意見だった。街中へ出る際も、銀髪の娘を見つけては、こっそりと素性を調べた。
オズワルドがジェラルドたちに近付いた時、実はローランドもすぐそばにいた。
ローランドも、オズワルドの異常な執着に警戒心を抱いた。
(アディを会わせちゃ、いけない気がする…)
オズワルドは、なんとかデシレー兄弟と接触を図れないか思案していた。だがどうにもタイミングが合わないのか、なかなか彼らを捕まえることが出来ないでいた。
王族の権力を行使すれば、すぐに目の前に引きずり出させることは出来るだろう。だが、オズワルドとしては、今はまだあまりことを大袈裟にしたくはなかった。まだデシレー家の娘がレオノーラに似ているかどうかも分からないのだ。
王子が大々的に会いたいと言って、もしも気に入らなかったら娘を傷つけることになってしまう。
そのため、出来るだけこっそりと情報収集をするに留めた。そのくらいの分別はあった。集めた情報によると、デシレー子爵家には確かに娘がいるようだが、まだ幼いためかあまり令嬢らしからぬ少女のようだ、ということがわかった。近所の男の子たちと一緒に野山を駆け巡っているような、粗野な少女であると。
オズワルドはこの報告に落胆した。どうにもレオノーラのイメージとかけ離れている。
例えどれ程外見がレオノーラに似ている少女がいたとしても、それはレオノーラ本人ではない。だから、外見の似た少女を追い求めることに意味があるとは思っていない。それでも、オズワルドは肖像画の少女を想わずにはいられなかった。記憶の中のレオノーラを探し求めずにはいられなかった。
レオノーラは清楚で可憐な乙女だった。公爵令嬢として厳しい教育を受けた彼女の所作は美しく、その精神は気高く、誇り高い。
幼い頃に出会い、好ましく思っていたはずなのに、なぜあんなことになってしまったのか。
ブリジットとは学院で出会った。真紅の髪と紅蓮の瞳の、激しい気性の少女だった。火の玉のような彼女から目が離せなかった。勝気で気が強く、でも時折見せる淋しげな表情。
彼女は天涯孤独だと言った。そのため、辛い子供時代を送ったのだと。
エルバートは次第にブリジットに絆された。何不自由なく、幸福な子供時代を過ごしたレオノーラを、卑怯だとすら思った。それは彼女の落ち度ではないし、自分自身も王子として何不自由なく育てられたというのに。
落胆はしたものの、ジェラルドとセドリックの容姿は記憶の中のレオノーラとよく似ていたため、諦められなかった。
オズワルドは根気強くジェラルドと接触を図ろうとしてきた。
その度にジェラルドは、銀髪に紫紺色の瞳の令嬢の噂を流し、王子の興味を逸らせた。
「…しつこ過ぎだろ、あの王子…」
ジェラルドはオズワルドの妙な執着に辟易していた。
「こうなったら、おまえ、女装しろ。アディの身代わりになれ」
「兄さん、正気に戻って」
据わった目付きでやけっぱちなことを言いだした兄に、セドリックは至極冷静に対応した。
二人は学院の敷地内にある庭園の端の雑木林の中にいた。ここには品行方正な王子は近付かないが、所々にハンモックがかけられており、絶好のお昼寝スポットだったりする。
代々授業をサボる不真面目な生徒たちの密かな基地とでもいうべき場所だった。王子から逃げたい二人には格好の隠れ家だった。
「じゃあ、どうするんだよ。いつまでも逃げ切れない。アディと会わせたら終わりだ。気に入るに決まっている。何しろ俺のアディはとんでもなく可愛いからな」
「九割は同意するけど、一つだけ間違ってる。アディは『僕たちの』だよ」
「そこは今、さして重要ではないです…」
遠慮がちにツッコミを入れたのは、ローランドだ。
「…王子の執着は何か異常です。…アディを隠した方がいい」
ローランドはぐっと片手を拳に握りしめて、もう片方の手でそれを覆うように押さえつけていた。そうしなければ今すぐアデレイドの元へと駆け付けてしまいそうだった。ジェラルドは溜息を吐いて、そっとローランドの手を外した。握りしめられた拳は爪が食い込み、血が滲んでいた。
「落ち着け、ローランド…。今焦って動くのはまずい。アディに会いたいと言う王子の要望を無視して俺たちが妨害するのは反逆罪に当たる」
「なら僕がします!」
今のローランドなら本気でアデレイドを誘拐しそうだった。ジェラルドは宥めるようにローランドの手を軽く握りしめた。
「念のため、アディにはドレスを着せるなと母上に連絡してある。それと、可能なら髪の色も変えるようにと」
それはあまり嬉しい提案ではなかった。一生変装させておくわけにもいかないし、アデレイドの本来の姿を封印するのは勿体無いことだと思うからだ。
「今だけの応急処置としてな」
ローランドの表情が曇ったのを見て、ジェラルドは苦笑してローランドのオリーブ・グリーンの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「王子の執着のもっと詳細な情報を調べる必要があるね」
セドリックが言って、読んでいた本をぱたんと閉じながら、眼鏡を外した。彼は最近、紫紺の瞳を隠すように眼鏡をかけ始めた。セドリックは中性的で柔和な顔立ちのため、アデレイドとよく似ていた。ただし今は、不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、酷薄な表情で「あの王子マジで邪魔…」などと不穏な言葉を呟いているので、別人のようだが。
「あぁ、気は進まないが、王子の取り巻き連中にちょっと探りを入れてみようと思う」
ジェラルドは憂鬱そうに溜息を吐いた。
ローランドは何もできない自分が歯痒かった。
(早く大人になりたい…。アディを守れる大人に)