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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第三部

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067





 アデレイドはぱりっと糊の効いたシャツの襟元に細いブルーのリボンを結び、黒のベストに細身のパンツを着用した。従者の格好だ。

 髪は地味なリボンで首の後ろで一つに結ぶ。

 今のアデレイドの髪色は黒だ。

 学院にはアデレイドが留学を選ばざるを得なくなった元凶――紅い魔女がいると聞いて、気休め程度だが何もしないよりはと変装することにしたのだ。

(こんなことくらいで誤魔化せるとも思えないけど……)

 魔女に近付くのは危険でしかない。それでもアデレイドはローランドの側に居たいと思ったのだ。

「よし」

 身支度を整えて隣の部屋へと繋がる扉を開く。

 ここは学院の寮――ローランドの部屋だ。アデレイドが寝起きしているのは今までジャレッドが使っていた従者用の小部屋だ。ジャレッドは学生用の部屋へと移っている。ちなみにローランドの部屋の向かい側だ。

 アデレイドが学院に潜入して一週間が経っていた。






***






 一週間前、アデレイドは王都入りをし、学院に入る前にグランヴィル公爵家を訪れた。公爵邸は一年前と変わらず荘厳で美しい佇まいだった。


「アディ……」

 出迎えたサイラスは一瞬息を飲んでアデレイドを食い入るように見つめた。

「……サイラス、会いたかった」

 アデレイドは馬車から降りると花が綻ぶように微笑んでサイラスの前に立った。今日のアデレイドは簡素で地味な濃紺色ではあるが、ドレス姿だ。一見すると家庭教師か侍女といった風情だ。髪は結い上げて帽子の中に押し込んである。それでも少女の美しさは際立っていた。

(ああ、レオノーラ……)

 サイラスは思わず少女に前世の姿を重ねていた。アデレイドはもうすぐ十四歳。レオノーラが亡くなった年齢に差し掛かる。アデレイドの容姿はますますレオノーラに似てきた。

 だが決定的に違うところがあった。

 亡くなる直前のレオノーラは憔悴し、痛ましい程痩せ細っていた。目の前にいるアデレイドは健康そうで溌剌としている。紫紺の瞳には強い意志の光が宿り、弱々しさはどこにもない。

 ローランドの父親が亡くなるという辛い出来事があったことは聞き及んでいる。傷心の婚約者を支えるために留学先から急遽帰国したのだということも。

 まだ年若いアデレイドにとってその役目は些か荷が重いのではないかと思っていた。ローランドの哀しみに押しつぶされてしまうのではないかと。

 だが実際会ってみてその心配は杞憂だったと分かった。

(アディは強い)

 一人でも大丈夫、という意味ではない。アデレイドは人のために強くなれる子なのだとサイラスは思った。

前世の哀しい悲恋を胸の内に抱えている乙女。生まれ変わって兄や両親、幼馴染みや使用人、領民たちから愛されて育った。

 今世の彼女を取り囲む人々が穏やかに優しく彼女の傷を癒してきた。その優しい時間が、愛情深さが、彼女を強くしたのだ。


 サイラスはアデレイドが健やかでいることが何よりも嬉しかった。アデレイドならば何があっても闇に囚われて生きることを放棄したりしない。そう信じられた。

――だからこそ、今、彼女を抱きしめたかった。彼女が愛おしくて堪らない。


「アディ、私も会いたかった」

 サイラスは壊れ物を包み込むようにそっとアデレイドを抱きしめた。

「貴女はますます綺麗になった」

 容姿だけではない。生き生きと輝く瞳が彼女の内面を映し出している。留学生活は新しい出会いを齎し、少女の成長に良い影響を与えているのだろう。

「この一年の出来事を聞かせてください」

「うん。いろいろあったの」

 アデレイドはサイラスに抱きしめられたまま顔を上げてサイラスの紫苑色の瞳を見つめて微笑んだ。

 サイラスも穏やかに微笑んでアデレイドを屋敷内へと誘った。



「サイラス、ありがとう。貴方がずっと守ってくれていたのね」

 サイラスの私室に通されて向かい合って腰かけ、一通り留学生活の話をした後、アデレイドは姿勢を正して言った。

「あの人の生まれ変わりかもしれない人が学院にいるって聞いたわ」

 サイラスはアデレイドが魔女の存在を知ってしまったことに苦い薬を飲んだような心地になった。

「……貴女の心を煩わせたくなくてお伝えしなかったのです」

 本音を言うなら今も、アデレイドが知る必要はないと思っている。本来ならアデレイドが留学を終えるまで、遠い地で何も知らずに学生生活を満喫してほしかった。けれど彼女はこの地へ戻って来てしまった。運命の強制力だとは認めたくないが、不可避の事態が起きてしまったのは事実だ。

「ですが、学院に入るのであれば知っておく必要があるでしょうね」

「………殿下の生まれ変わりも……いるの?」

 アデレイドの質問にサイラスの穏やかな表情が凍り付いた。

「……………………………………………………………。…………はい」

 たっぷりの沈黙の後、サイラスは観念したように頷いた。

「…………そんなに言い難いこと?」

 アデレイドはサイラスが言いたくないことを無理矢理言わせてしまったことを察して狼狽えた。

「………いえ。………気になりますか?」

「ええと…………」

 どことなくサイラスの雰囲気が荒んでいる気がする。むしろサイラスの方が気になるが、そういえばジュリアンはエルバートを良く思っていなかったことを思い出した。彼のレオノーラへの仕打ちは確かに酷かった。きっとサイラスはアデレイドが辛い思いをするのではないかと危惧してくれているのだろう。

「サイラス。もうエルバートさまのことは気にしていないの。レオノーラの苦しみは終わったの。だから生まれ変わりに出逢ってもわたしは大丈夫。ただ、やっぱり何の前触れもなく突然ばったり会ってしまうと動揺するかもしれないから、知っておきたくて」

 言いながらアデレイドはエルバートの生まれ変わりが存在することをどこか他人事のように感じていた。

(そっか……本当に生まれ変わっていたのね)

 半ば予想していたことではあるが、半分くらいは意外だとも感じた。

「…………会いたいですか?」

 サイラスに問われて、アデレイドは既視感を覚えた。同じことを出会った頃にも問われたことを思い出した。その時自分は何と答えたのだろう。

「………自分から探し出そうとは思わないわ。絶対会いたくないというわけではないけれど……」

 以前は王子のことを思い浮かべることすら怖かった。

 でも今は。

「出来れば会いたくはないわ。今はローランドのことが一番大事だから。ローランドの気持ちが落ち着くまでは彼に余計な心配はかけたくないし」

 ローランドはアデレイドの前世のことを何も知らない。だから彼を巻き込みたくない。

 怖いとか怖くないなど二の次だった。アデレイドの心はローランドで占められていて、魔女や王子のことを思う余裕などない。

「そうですか」

 サイラスは満足そうに微笑んだ。ほんの僅か、彼女の一番がローランドであることに胸がちくりと痛んだが、気付かなかったことにして。

「一応情報として伝えておきましょう。殿下はエリスティアの第三王子として生まれ変わっています。容姿はエルバート王子そのもの。年齢はローランド殿と同じもうすぐ十七歳。名はオズワルド。……それから、あの女ですが。……隣国プローシャ王国の王女です。オズワルド殿下と同じ年で、容姿はブリジットそのもの。……ただ、忌々しいことに王女の名は……レオノーラ、と」

 サイラスは嫌そうに秀麗な面を歪めた。

 アデレイドは僅かに瞳を見開いた。

「レオノーラ……」

 かつての自分の名。

 偶然だとは思っても複雑だった。アデレイドはその気持ちを散らすように軽く目を閉じ、気持ちを落ち着けてからサイラスを見つめた。

「王女なのね。二人にも前世の記憶があるのかな」

 前世では平民だったため王子との身分差が二人の仲を裂いたのだろう。今世では王族同士だ。何も障害はない。

「オズワルド殿下には記憶があります。王女についてはまだ不明です」

 サイラスは忌々し気に軽く眉を顰めた。

「何か分かったらすぐに知らせます」

 アデレイドは頷くとサイラスに頭を下げて委ねた。

「ありがとう、お願いします」



 その晩はサイラスと共に公爵家料理長渾身の絶品料理に舌鼓を打ち、穏やかな時を過ごした。翌日早朝からアデレイドは公爵家の侍女たちに髪を黒に染めて貰い、少年従者の装いで夕刻、ひっそりと裏門から出た。

 夜になってハロルドの手引きにより塀を乗り越え、ローランドの部屋に侵入する。

 ローランドはハラハラしながらアデレイドの到着を今か今かと待ちわびていた。

 アデレイドが予定通り窓の外に現れた時は深い安堵の息を吐いた。

「アディ、よかった……」

 素早くアデレイドの身体を引き寄せて腕の中に閉じ込める。ハロルドが付いているので物理的な危険はそれ程心配していなかったが、万が一警備の者や学院の教師に見咎められ、アデレイドの正体が露見すれば一大事だ。

 そんな危険を冒してでも側に居てくれようとする婚約者が可愛くて愛しくて、ローランドはぎゅっとアデレイドを抱きしめた。

「ありがとう、アディ。来てくれて」

本来であればこんなことはするべきではない。ローランドはアデレイドを止めるべきだと理性では分かっていた。けれど胸に空いた穴があまりにも痛くて、優しく柔らかく包んでくれる温もりの誘惑を撥ね退けることが出来なかった。

(僕は弱いな)

「ローランド、あのね」

 腕の中で顔を上げて自分を見上げるアデレイドの表情は凛として美しい。

「辛かったら、泣いていいのよ?私、ローランドのハンカチになるから……」

「……ハンカチ?」

「うん」

 大真面目に頷くアデレイドが愛しくて仕方ない。

「だから、ハンカチのないところで泣いちゃダメよ?」

「……わかった」

 ローランドが頷くと、アデレイドはほっとしたように微笑んだ。ローランドの胸の奥からじわりと温かい気持ちが湧きおこる。アデレイドの肩に額を乗せて顔を伏せると、華奢な手が優しくローランドの頭を撫でた。その心地良さにローランドは目を閉じ、今だけは何もかも忘れようと決めた。

 








時間泥棒がいるよ…


遅くなりましたが今年もよろしくお願いします。

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