064
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――見つけた。
魔女はその少年をじっと見つめた。
水色の髪に水色の少しつり気味の瞳。アール・ラングリッジの生まれ変わり。
魔女は口の端を吊り上げた。
***
「――オズワルド殿下。あの者の名をご存じ?」
真紅の異国の姫君はおっとりとオズワルドに微笑みかけた。姫が扇でそっと示した先にちらりと視線をやり、オズワルドは内心ぎくりとしたが、表情は全く変えずに手元の紅茶をこくりと飲み込んだ。
「………いいえ、存じませんね」
二人は庭園の一角でお茶を愉しんでいた。オズワルドにとってはちっとも楽しいものではなかったが。
季節はそろそろ冬に入る頃のため庭園に花はなく木々の葉も落ちてどこか物悲しいが、この日は柔らかな日差しが心地良く温かかったため、外でのお茶会となったのだった。北国生まれのレオノーラ姫にとって日光浴は何ものにも代えがたい癒しであるらしい。
「この場に召しても構いませぬか」
「………何故」
オズワルドが軽く眉間に皺を寄せると、レオノーラ姫はふふ、と笑った。
「勿論、美しい少年を愛でるため。……あの者の水色の髪、水色の瞳はとても美しい」
うっとりと瞳を細めるレオノーラ姫に、オズワルドは顔を顰めそうになるのを必死に堪えた。
「……姫さま、オズワルド殿下に呆れられていますよ」
姫の後ろに控える黒尽くめの従者がそっと姫を窘めると、レオノーラ姫はふ、と口元を綻ばせてオズワルドをひたと見つめた。
「……妬いておられるのか、オズワルド殿下」
「……いいえ」
まさか、と叩きつけてやりたい衝動をなんとかやり過ごしてオズワルドは冷たい笑みを浮かべる。その冷笑にレオノーラ姫は何を感じたのか、苦笑した。
「冗談だ。……戯言が過ぎた。ただ単に」
ぱらりと扇を開いて口元を隠す。視線はオズワルドから外さないまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……あの者が、殿下の従者に相応しいのではないかと、思ったまで」
そう言ってレオノーラ姫は真意の見えない微笑を浮かべた。
(……どういう、意味だ)
オズワルドの背中を冷たい汗が伝う。やはりこの女は覚醒しているのだろうか。
だが、オズワルドは根性で完璧な無表情を装い、素っ気なく答える。女が過去をなぞるようにジャレッドをオズワルドの側に置こうとするなら阻止せねば、と密かに腹に力を込める。
「……何を持ってそのようなことを仰るのか分かりかねるが、私には既に従者が十分足りているので、新たに雇うつもりはありません」
「ふふ、特に意味もなくそう思っただけ。あのように抜きんでた美しい色彩を持つ者を近習にすればオズワルド殿下がより煌めくと。だが殿下にその気がないのであれば……わたくしが召しても構わぬであろうな」
オズワルドは思わず眉間を顰めそうになった。
「……相当お気に召したと見える。だが彼は平民だ。我が国の民を気紛れにからかうつもりならばお止めいただきたい」
オズワルドが強めに諫めるとレオノーラ姫は肩を竦めた。
「……まぁ、殿下のお国の民ゆえ、殿下の許可が取れぬのであれば諦めましょう」
レオノーラ姫が思ったよりもあっさりと引き下がってくれたことにオズワルドは内心ほっと安堵の溜息を吐いた。同時にお互いに婚約者候補と目されているにも関わらず、その相手に見目の麗しい平民の少年を召したいなどと言い出す姫に少々眉を顰めずにはいられない。
(勿論この女との婚約など冗談ではないが、それにしても、非常識ではないか)
姫の方もオズワルドとの婚約など願い下げということだろうか。そうであるならばむしろ好都合だ。もしかしたら共同戦線を張れるかもしれない。
しかし姫が魔女の記憶を覚醒しているのであれば何かを企んでいるとしか思えない。安易に手を結ぶわけにはいかない。幸いなことに今ここに「レオノーラ」はいない。
(よかったのかもしれない……彼女が見つからないことが)
逢えないことは辛い。淋しい。けれど、「魔女」が目の前にいる現状、「レオノーラ」が現れないことはむしろ幸運だったのだと思い、オズワルドは切なげに目を伏せた。
***
何かが妨害している。
魔女は苛立っていた。学院にいるのは「王子」と「従者」のみ。
「聖女」も「騎士」も「聖職者」もいない。「聖職者」は忌々しいのでいなくていい。少し、その動向が気懸かりではあるが。
彼らは「魔女」の本性を知る者たち。「王子」が妨害している可能性は高い。
何故「王子」は「従者」を側に置かないのだろうか。こんなに近くに居るのに。「従者」は記憶を持っていないのか?
彼らが結託して「聖女」を隠している可能性は高い。
ならば一人ずつ攻略していくまで。
「王子」はなかなか猜疑心が強い。魔女は少々攻めあぐねていた。
(暫し「従者」を探ってみるか――)
***
「う、わわっ!」
派手に教科書や文具をぶちまけて転んだ青年に、ジャレッドは呆れた眼差しを向けつつも溜息を吐いて腰を屈めた。目の前でやられては拾うのを手伝わないわけにもいかない。
「ほら」
「あ、ありがとう」
ジャレッドが纏めた文具を手渡すと青年はぺこぺこと何度も頭を下げて受け取った。年の頃はジャレッドと同じか少し上くらいだろうか。青年は細枝のような頼りない身体つきだがジャレッドよりも拳二つ分も背が高い。
柔らかそうな黒い髪はふよふよとあちこちに跳ねており、シャツはズボンから裾がはみ出し、転んだせいで全身草や葉っぱまみれになっている。その上ひょうきんな黒縁の真ん丸の分厚い眼鏡を掛けているのでどこから見ても滑稽な道化のようだ。
(鈍くさいやつだな)
大変失礼ながら、青年に対するジャレッドの第一印象はそれだった。
そして青年に対する第二、第三印象もさして変わることはなかった。青年は出会うたびに転んだり木にぶつかったりしているのだ。
「……あんた、相当目が悪いんだな」
分厚い眼鏡越しにその瞳を見ることは出来ない。本当に見えているのかと首を傾げたくなる程厚みのある眼鏡だ。
ジャレッドは呆れながらも毎度のことなので最早慣れた様子で素早く辺りに散らばったノートを拾い集めて青年に手渡した。
「ありがとう、ジャレッド」
「どーいたしまして、アベル」
ジャレッドにとっては全く不本意ながら周囲からはこのドジ眼鏡青年ことアベルのお世話係りと認識されるようになっていた。
自分が世話をすべきは大切な主のローランドただ一人なので、アベルの世話まで引き受けるつもりはないのだが、毎回派手に転んでいる所を目撃すれば無視をするわけにもいかず、渋々散らばったものを拾う手伝いをしているうちになんだかんだと顔見知りになって、いつの間にか放っておけなくなっていたのだった。
「あ、ジャレッド、今度一緒にお昼食べない?僕、いつも君にお世話になっているから、たまにはご馳走させてよ」
「いーよ、そんなの気にしなくて。ていうか、俺はローランドさまの従者だからローランド様のお世話がしたい。ただでさえ授業はほとんど別々なんだ、昼くらいはローランドさまとご一緒したい」
一緒に居られる時間が少ないことに苦悶の表情を浮かべるジャレッドに、アベルはたじろぐ。
「……そ、そうなんだ。ジャレッドはご主人様大好きなんだね」
「まーな。生涯お仕えすると決めてるんだ。ローランドさまの幸せは俺の幸せだ」
ローランドのことを語るジャレッドの瞳はキラキラと輝いており、本当に幸せそうだった。
「っと、そろそろローランドさまの授業が終わる時間だ、そういうことだから俺もう行くわ」
いそいそと立ち去るジャレッドを引き留めることなどアベルには出来なかった。
近道をしようと生垣の間を通り足早に進んでいたジャレッドは学舎の角を曲がろうとしたところで反対側から来た人物とぶつかりそうになって慌てて横へ避けた。
顔を上げて、相手の人物を確認したジャレッドは心臓を潰されたような衝撃を受けた。危うく叫びそうになるのを堪えることが出来たのは奇跡に等しい。
(……魔女……!!)
真紅の髪にルビー色の瞳の隣国の王女。前世の魔女にそっくりの容貌の女。一番関わりたくない人物だ。
(なんで、こんなところに)
学舎の正面ではなく裏側だ。しかも王女は一人だった。
顔が強張ることは止められなかった。今すぐ逃げ出したい。けれど身体は石化したかのように動かない。焦りから思考が空回りし、呼吸もうまく出来ない。だからジャレッドは相手に声をかけられたことにも数拍、気付けなかった。
「……そなた、名はなんと申す」
「……………………………………!?」
はっと気づいた時には「魔女」が至近距離からジャレッドを興味深そうに観察していた。
ジャレッドとは正反対に王女は口元に扇を当てて楽しそうに瞳を細めていた。
「これ。応えぬか」
「……は……?」
聞かれたことが理解出来ない。難しいことを言われたわけではないはずなのに、全く意味が分からなかった。
「答えぬのなら勝手に名付けてしまうぞ?」
楽しそうに笑って王女は折り畳んだ扇をとんとんとリズムを取るように掌に当てて思案し出した。
「ふふ、――決めた」
真紅の王女は目を細めてつい、と扇をジャレッドに向けた。
「そなたの名は―――アール」
「――――――」
ジャレッドの呼吸が止まった。
王女の唇は三日月型の弧を描き、瞳は爛々と輝いていた。




