060
アデレイドの留学生活がスタートした。
ヴェネトでは多民族が暮らしているため服装の規定はかなり緩い。
アデレイドはそれにあやかりすっきりとした女性騎士のような恰好で登校することにした。
髪は後頭部で高く括り、細身の乗馬ズボンを穿き、お尻が隠れる丈の上着を羽織る。首元にはお気に入りのオリーブグリーンの領巾を巻く。外に出る時はこれを頭に被る。
デシレー領にいた頃とほとんど変わらない格好で堂々と出歩けることはかなり楽だった。
同じような恰好の少女はいないが、特に奇異に見られることはない。他の人もそれぞれ独特の恰好をしているのでお互い様なのだ。
(ヴェネトは自由な国だわ)
アデレイドは意気揚々と教室へ向かった。
三日後、アデレイドは意気消沈していた。
何故かアデレイドは少女たちから避けられているようだった。
ヴェネトの学院では授業は選択制で、毎日同じ顔触れになることはない。だから最初は偶然だと思っていた。アデレイドの隣の席がいつも空席なのだ。
席は先着順でどこに座っても構わない。
全部の席が埋まるわけではないのでそういう事もあるのだろうが、毎回となると少し寂しくなる。
他の女の子たちが数人のグループで纏まっているので余計にそう感じるのだろう。
そんな時だった。
「……隣、いい?」
アデレイドは胸を弾ませた。
(ついに!初お隣さん!)
つい満面の笑みを浮かべてしまった。
「勿論、どうぞ」
すると相手は何故かカチンと音を立てて固まった。さらにどこかできゃあ!と小さな悲鳴が上がった気がしてアデレイドは教室内を見回すが、特に変わった様子はなかった。
(ん?)
首を傾げながらもわくわくして隣に座る相手をちらりと横目で窺う。
残念ながら相手は男子だったが、いないよりはいい。すると相手の少年もアデレイドを窺うように見つめていたので目が合ってしまった。
(う…)
内心動揺しつつもアデレイドはにっこりと笑った。途端、少年はバッと風を切って顔を背けた。
アデレイドはいたく傷付いた。
(……そんな化け物を見るような反応しなくても……)
その時アデレイドの後ろから呆れたような声が零れた。少し低めの耳に心地よい声だ。
「君。そんな態度では彼女に嫌われていると勘違いされてしまうぞ」
アデレイドが振り返ると階段状になった教室の後ろの列に座っていた生徒が軽く頬杖を付いて少年を半眼で見つめていた。
(…大人びた子だな)
柔らかな栗毛、切れ長の青灰色の瞳、通った鼻筋、肉付きの薄い唇。すらりとした身体つき。整った容貌は大人びておりアデレイドや隣の少年より一つ二つ年上に見える。授業の選択に年齢による制限はなく各個人の自由なので年上の学生がいても不思議ではない。
アデレイドはその生徒に目を奪われた。
(この人って……)
「そ、そんなつもりじゃ」
少年がしどろもどろに呟く言葉は口内を転がるだけで良く聞こえない。
後ろの席の生徒は軽く溜息を吐くとアデレイドに視線を寄越した。
「気にするな。思春期特有の恥ずかしがり病だ。君が可愛いから舞い上がっているのだよ、彼は」
「………」
アデレイドはなんと返せばよいかわからず沈黙した。先ほどの少年の態度は猛獣か幽霊を見たかのような反応だったとしか思えない。だから少年が否定するだろうと思い、彼に視線をやると、真っ赤な顔で俯いていた。
(え……)
「あぁ、そんなに見てやるな。そろそろ授業が始まるぞ」
アデレイドは慌てて前を向いた。
授業が終わると隣の少年は素早く席を立つと脱兎のごとく教室を後にした。アデレイドはぽかんとして暫し呆然としていた。
(行っちゃった……)
結局一言も喋ることなく初お隣さんはいなくなってしまった。
アデレイドが軽く落ち込んでいると後ろから声が掛けられた。
「ダメだなあれは。まぁでも君も婚約者のいる身なら隣の席に男を座らせるべきではないな」
アデレイドが振り返ると声の主は荷物を纏めて立ち上がったところだった。アデレイドは不思議に思って首を傾げた。
「婚約者がいるってどうしてわかったの?」
「首のペンダント。婚約を交わした相手の瞳の色の石を交換し合う。エリスティアの風習だろう?」
首飾りは服の下に着けていたが、たまたま石が飛び出していたため相手に見えたようだった。
「よく知ってるのね」
「姉がエリスティア人と結婚したからね」
青灰色の瞳の君は軽く肩を竦めると切れ長の瞳を細めてアデレイドを見つめた。
「忠告はしたよ」
隣の席に男を座らせるな、と言ったことについてだろう。確かにそうだとアデレイドは反省した。
「ありがとう。今まで隣に誰もいなかったからつい浮かれてしまったの」
「男装の令嬢というのはこの国でも珍しいからね。他の女子に遠巻きにされているみたいだね」
「……え、やっぱり偶然ではなく避けられていたの?男装のせいで?」
アデレイドは軽く落ち込んだ。
「ヴェネトは服装に寛大な国だと思っていたのに…」
「まぁ、君は目立っていたからね。男装していても君は可愛いから男には見えない。だがどこか凛々しく王子様的だ。女子からは理想の王子様として、男どもからは謎めいた美少女として注目されているよ。その服装は禁欲的に見えて逆に色気を醸し出しているからね」
「…王子様……、色気……?」
アデレイドは予想もしなかったことを言われてぽかんとした。
「……いえ、それは貴女のことでしょう?」
アデレイドがそう返すと、青灰色の瞳が見開かれた。その表情は少し幼く、可愛らしく見えた。アデレイドは確信した。
「――貴女は女の子、でしょう?」
「……!」
「話してみるまで気付かなかったわ。貴女の男装は完璧。でも今は女の子にしか見えないわ」
アデレイドからすれば彼女の方が余程王子様らしかった。中性的な顔立ち、短い髪、すらりと伸びた手足。けれど男のような骨格の太さはなく、輪郭は柔らかだ。
二人は数拍見つめ合った。
ややしてくすっと笑声が零れる。青灰色の瞳の君は悪戯が見つかった子供のように少し気まず気に頬を掻いた。
「……話しただけで分かるとは流石だな。同じ穴の狢ということかな。でも私は君と違って男装ではなく完全に男だと思われていると思うよ」
「……それは何か事情があって、男の子の振りをしているということ…?」
「いや?単なる趣味だよ」
アデレイドが恐る恐る問うと、しれっと答えが返ってきた。アデレイドはがくりと脱力した。だが、まぁ深い事情などなくてよかった。
「遠目からは男の子にしか見えないわ。それもとっても素敵な」
「それはどうも。君こそなんで男装?深い事情があるの?」
「私?…最初は婚約者と親友になるために男の子になろうとしたんだけど」
「何だいそれ。面白そうだ。詳しく聞かせてよ」
その時予鈴が鳴り、アデレイドは慌てて次の授業の予定を頭の中で確かめた。
「話はまた今度。…そういえばまだ名乗っていなかったわね。私はアデレイド・デシレーよ。ご明察の通りエリスティアからの留学生」
青灰色の瞳の君は楽しそうに笑った。
「申し遅れた。セレスティア・バルトレッティだ。私はヴェネトの伯爵家の次女だよ」
「次の授業は隣に座っていい?」
「勿論。……周りには恋人同士と思われてしまうかもしれないけれどね?」
セレスティアは茶目っ気たっぷりに片目を瞑って笑った。アデレイドもくすっと笑う。
「周りの反応はどうでもいいわ。私は貴女に興味があるから仲良くしたいだけ」
セレスティアは軽く目を見開いて、ふっと微笑んだ。
「いいね、君のそういう真っ直ぐなところ。私が男だったら求婚していたかもしれない」
アデレイドはセレスティアは意外と冗談好きな少女なのだなと思って可笑しくなった。楽しい人だ。
「貴女が女の子でよかったわ。既に婚約者がいるから求婚されるのは困るけれど、親友の座は空いているの」
セレスティアは片眉を器用に跳ね上げた。
「それは奇遇だね。実は私の親友の座も空席なのだよ。何しろ女の子には同性と思われてなくてね」
二人は顔を見合わせ、同時に吹き出したのだった。