006
セドリックが学院に入学する年になった。
アデレイドは相変わらず男の子の格好だ。
「セディ兄さま…」
アデレイドは淋しくて仕方がなかった。ついに次兄がいなくなってしまう時が来たのだ。
セドリックも、まだ幼い妹を独りにしてしまうのは心配だった。勿論両親や侍女たちがいるので、本当の意味での独りぼっちではないし、ローランドもいるのだが、小さな妹は昔から悪夢を見る。そのことを知っているのは自分と兄のジェラルドだけなのだ。最近では魘されることも少なくなってきているようだったが、それでもたまに小さな悲鳴を上げて飛び起きることがある。それは隣の部屋にいる自分にしか聞こえない、助けを求める声。
また悪夢を見た時、誰がこの子の手を握ってやれるだろう。
セドリックは跪いて、小さな妹の身体を抱きしめた。
「アディ、また嫌な夢を見たら、手紙を書いて。すぐ助けに行くから」
アデレイドはセドリックの優しい瞳に胸の奥が熱くなるのを感じた。レオノーラの記憶が戻って、三年が経った。十四歳だったレオノーラの人生を引き継ぐように、生々しい記憶がある。けれど一方で、まだ幼いアデレイドとしての感覚もあり、アデレイドは自分の精神年齢が何歳なのか、よく分からなかった。十四歳から一歩も前に進んでいないような、それでも少しずつ時が傷を癒してくれるような、不思議な三年だった。精神は肉体に引きずられる部分もあり、自分はまだ八歳なのだと思える時もある。特に両親や兄の前では子供でいていいのだと思えて気が楽だった。そんなアデレイドにとって、今のセドリックはまだ十三歳なのに、レオノーラよりもずっと大人びていると思った。
レオノーラは自分のことに精一杯で、周りを思いやる余裕がなかったように思う。恋に破れ、両親や使用人たちがどれ程自分を案じているか気付きもせずに、悲劇のヒロインとして溺れるように死に至ってしまった。
セドリックは幼い妹のことをとても大切にしてくれている。ジェラルドもそうだった。アデレイドはそんな兄たちに恥じない存在になりたいと思った。
「兄さま、私、もう泣かない。兄さまが心配しなくても大丈夫なように」
きりっとした表情で、真摯に誓う妹に、セドリックはきゅんとした。寸前まで不安そうな顔をしていたくせに。なんて健気でいじらしいのか。
「そんなに急に大人にならなくてもいいよ。アディはいつまでも甘えっ子でいて」
兄さまは妹に甘えられたいんだよ、とアディをダメな子にする発言をしながらも、ちょっとほっとしたように微笑んだ。それを見て、アデレイドは随分心配をかけていたんだなと気付いた。
なんて子供だったのだろう。レオノーラの頃も含めて。アデレイドは、しっかりしなきゃ、と改めて自分自身に向き合うことを決意した。
***
アデレイドは少しずつ前世の出来事を紙に書くようにした。
気持ちの整理をつけるために。誰かに聞かせることは出来ない。でも、蟠った想いを吐き出す場所が必要だった。それが紙に書くということだった。
恋焦がれた人を待ちわびて、衰弱して死んでしまったのだ。想いは昇華されないまま、生まれ変わってしまった。この想いを引きずるつもりはない。もう三百年も前のことだ。既に王子もいない。アデレイドの中ではほんの三年前のことでも。
悪夢に魘される必要はないのだ。忘れていい。
アデレイドは、一行一行、書くごとに、忘れようと決めた。
そして今の自分が十四歳になった時、その時から新たな人生を踏み出そう。レオノーラが見ることのできなかった未来を歩む。それがレオノーラのためでもあり、自分のためでもあると思えた。
***
十歳になってもアデレイドの髪は相変わらず短いままだった。休みごとに帰省してくる兄たちの前ではドレスを纏っても、ローランドには決して見せようとしなかった。だからローランドは、アデレイドが最後にドレスを纏ったのは六歳の時だと思っている。
二人の兄はそんなローランドが不憫で、けれど可愛いアディのドレス姿は自分たちだけの秘密でいいとも思っていたので、敢えてそのことには触れなかった。
終にローランドが学院に入学する季節がきた。
アデレイドは泣くのを必死に堪えていた。今まではいつでもローランドが側にいてくれた。だから兄たちの旅立ちに耐えられたのだ。それなのに、今度こそ独りぼっちになってしまう。
(泣いちゃダメ。兄さまと約束したのに…)
「ローランド…」
ローランドは、大きな紫紺の瞳から溢れそうな涙を必死に押しとどめているアデレイドにハンカチを差し出した。
「アディ、僕がいない所で泣かないで」
でも今はいいよ、と言うと、アデレイドの涙腺が決壊した。
「うぅぅ…」
ローランドはアデレイドを抱き寄せた。アデレイドはローランドの胸を盛大に濡らしてしまった。
「淋しいよ…」
ローランドはアデレイドが泣き止むまでずっと、背中を撫でてくれた。