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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第二部

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059




 時は少し遡る。

 それは新年を過ぎて暫く経った頃のこと。

 学院のハンモックの森で人知れず一組の男女が向き合っていた。

「…………。……………え?」

 衝撃に口を開けたまま固まってしまったクリスティーナに、セドリックは若干たじろぎながらももう一度同じ言葉を繰り返した。

「…アディは留学することになった」

「―――そんなのあんまりですわぁぁぁぁぁ!!!!」

 大絶叫が冬枯れた森に木霊した。

「ちょ、クリスティーナ!!落ち着いて!!!」

 セドリックは錯乱したクリスティーナの肩を掴んで丸太を半分に割った横長の椅子にめり込ませる勢いで座らせた。

「これが落ち着いていられまして!?わたくしアディちゃんが入学するのをとっっっっっっても楽しみにしておりましたのよ!?」

 ぎっと呪われそうなほど恐ろしい目付きで睨まれてもセドリックは動じない。

「……僕だって楽しみにしていたんだよ。……というか、アディを僕の目が届かない隣国なんかへやるつもりはさらさらなかったんだ」

 セドリックは穏やかに喋っているのに、何故かクリスティーナは恐怖に慄いた。

(なんですの!?この禍々しい気配は…!!ジェラルド助けて!)

「………それもこれもあの王子のせいで……」

 ぼそりと何か不穏なことを呟いているがクリスティーナは聞かなかったことにした。

(わたくしは何も聞いていませんわ!)

 だが万が一誰かに聞かれては拙い。今度はクリスティーナがセドリックを宥める番だった。

「落ち着いてください、セドリック」

(あぁ…アルちゃんもがっかりしますわね)

 クリスティーナは弟・アルフレッドのことを思って心の中で涙を流した。

 アルフレッドはクリスティーナの婚約式で初めてアデレイドに会って以来、どこかそわそわとして様子がおかしかったのだ。そしてアデレイドが学院に入学するのを密かに楽しみにしているようだった。

(どっちみちアディちゃんにはローランドさまという婚約者がいるのですけれどね……)

 それでも毎日会えるのと会えないのとでは大違いだ。例えそれが哀しい片思いだとしても。

「…クリスティーナ、アディのことは学院内では僕以外の人間には喋らないで」

「…わかっていますわ」

 落ち着きを取り戻したセドリックの言葉にクリスティーナは神妙に頷いた。そのことは恋人であるジェラルドからも念押しされている。

 詳しい事情は分からないが、デシレー兄弟はアデレイドの存在をある人物に隠したいらしい。それが先ほどセドリックが呪っていた相手・オズワルドだ。

 なんでもオズワルドが銀髪の令嬢を追いかけ回しているとかいないとか。

(そりゃ、アディちゃんは殺人的に可愛らしいですけれど…。オズワルド殿下がそんな好色な人物だとは聞きませんのに)

 何かの勘違いではないかとクリスティーナなどは思うのだが、万が一それが事実であればアデレイドの身が危ないのは確かなので兄弟の言う通りにしている。

 ともあれ、アデレイドが学院に入学しない事実にクリスティーナは溜息を禁じ得ないのだった。



***


 それから二ケ月後。

 隣国プローシャの王女レオノーラが留学して来たことで、オズワルドが彼女に付きっきりになってしまった。

 クリスティーナはそのことに心を痛めていた。

(エリザベスさまは大丈夫でしょうか…)

 実はクリスティーナの友人であるナタリアが「第三王子と侯爵令嬢の恋を応援する会」の現会長なのだ。友人の影響で密かにクリスティーナもエリザベスとオズワルドの恋を応援している。

 社交的で広い人脈を持つナタリアはエリザベスと懇意にしているらしく、時折エリザベスの話題を出すのだが、話を聞いているとどうやらエリザベスはオズワルドに対してなかなか素直になれないご令嬢のようだと感じた。

(とっても親近感ですわ…)

 クリスティーナにとっては他人ごとではない。自分は奇跡的にジェラルドと想いを交わすことが出来たが、それは本当に運が良かっただけだと感じている。

 たまたまジェラルドが自分の捻くれた言葉を言葉通りではなく受け取ってくれたから。

(なんとなくですけれどエリザベスさまもわたくしと似たところがおありだと感じますわ)

 捻くれた言葉をそのままに受け取られれば、本心は悲鳴を上げているだろう。

 素直になれれば一番いいのだがそれがどうしても出来ない人間もいるのだ。

 もしもエリザベスの本心がオズワルドを想っているのならば。

 オズワルドが急に現れた王女にご執心となれば、心穏やかではないだろう。

(ナタリアにお願いしてお会いしてみようかしら。…僭越ですけれど、お慰めして差し上げたいですわ…)


 そのお願いはあっさり叶った。

 ナタリアと共にエリザベスとお茶をすることになったのだ。


 週末のお休みに外出届を出し、ナタリアの屋敷のガーデンテラスで三人は会った。

「貴女がクリスティーナね。ナタリアからよく話を聞いていますわ。会えて嬉しいわ」

 エリザベスは気さくに話しかけてくれた。

「お会い出来て光栄です、エリザベスさま」

「畏まらなくていいわ。わたくしが一番年下ですし。リズと呼んで頂戴」

 クリスティーナとエリザベスはすぐに意気投合した。

「クリスティーナはあのジェラルド・デシレー卿と婚約しているのでしょう?素敵ね」

「えっ、ジェラルドをご存じなのですか?」

「有名よ。ファンが多かったの。卒業してしまわれてみんな哀しんだわ」

「知りませんでしたわ……」

「ふふ、本人の知らない所で密かに活動しているのがファンクラブというものなのよ」

 ナタリアがにっこりと微笑む。クリスティーナは彼女がエリザベスとオズワルドの恋を密かに勝手に応援していることを思い出した。

「リズ様はお好きな方はいらっしゃるのですか?」

「っ……、いないわ」

 一瞬エリザベスが息を詰めたことにクリスティーナは気付いた。けれど気付かなかった振りをしてにっこりと微笑む。

「そうですか。でもきっとリズ様を密かに慕う殿方は沢山いますわ」

「い、いないわよ」

 エリザベスは狼狽えて視線を彷徨わせた。頬は真っ赤だ。そんなエリザベスにナタリアが微笑んで言った。

「リズ様はオズワルド殿下とお似合いだと思うのですけれどね~」

「!?何言っているのよナタリア!」

 ナタリアは微笑んだままお茶を飲む。その様子は妹を見守る姉のようだ。

「言っておくけれどオズ兄さまには好きな人がいるのよ」

「……プローシャの王女様ですか?」

「……違うわ。オズ兄さまが幼い頃から想い続けている人。……といっても、生身の人間ではないけれど」

「え?」

「……いえ、過去の人というか。肖像画の姫君をずっと想っているのよ。笑ってしまうでしょう?」

「でも、それなら別に……」

「いいえ。オズ兄さまの入れ込みようは異常なの。彼の好みは銀髪に紫紺色の瞳の令嬢。わたくしとは似ても似つかないでしょう?」

「え……」

 オズワルドの好みの令嬢の形容にクリスティーナは虚をつかれたように言葉を失った。その態度を別の意味に捉えたのか、エリザベスは自嘲するように笑った。

「引くわよね。その特徴を持つ令嬢を国中から探そうとしたこともあるのよ、お触れを出してね。でも流石に陛下がお許しにならなかったけれど」

 クリスティーナは表情が強張るのを必死に抑えていた。

(どう考えてもアディちゃんのことですわよね~~!?)

 ジェラルドとセドリックがオズワルドから必死に隠そうとしている理由が分かってしまった。

 それまで黙って話を聞いていたナタリアがふと顎に手を置いた。

「……でしたら、プローシャの王女様と行動を共にされていることは完全に政治的な理由でしょうか」

「……よく、わからないわ。オズ兄さまの態度は儀礼的だと思うけれど片時も離れようとしないのは……」

 言いながらエリザベスは俯いて声は小さくなっていく。無意識なのだろうがその表情は少し寂しそうだ。

(~~~なんとかして差し上げたいですわ!!)

 クリスティーナはエリザベスをいじらしく思った。例えオズワルドの理想がアデレイドだとしてもアデレイドにはローランドがいるのだ。オズワルドには悪いがその想いが成就することはないだろう。ならばエリザベスの恋を応援したい。

(プローシャの王女様がどう思っているか、それと国の思惑も気になりますわね)

「リズ様、直接オズワルド殿下にお尋ねになってみては?プローシャの王女様についてどう思われているのか……」

「な、なぜわたくしがそんなこと」

「ではリズ様のお兄様にお尋ねになられては如何?ハワードさまは殿下と親しくされておられますわよね」

 ナタリアがエリザベスの兄、ハワードの名を出すとエリザベスはとんでもないというように首を横に振った。

「お兄様にそんなこと聞けないわ!」

 エリザベスの顔は真っ赤だ。

(可愛らしい方ですわ~~~)

 クリスティーナは内心ニヤニヤしてしまうのを抑えるのに必死で表情筋を総動員した。

 ナタリアも微笑ましそうにエリザベスを見ている。



 茶会の後、ナタリアとクリスティーナは一緒の馬車で学院へ戻った。

「ナタリアがリズ様に肩入れする気持がわかりましたわ…」

「ふふ。可愛らしい方でしょう?オズワルド殿下も早く一番近くにいらっしゃる可愛い方に気付いて下さればよろしいのに」

「肖像画の姫君、でしたわね」

 クリスティーナは慎重に言葉を紡いだ。ナタリアはクリスティーナの緊張には気付かず、特段秘密でもなんでもないという口調で話した。

「一部では有名な話なのよ。勿論王家に近しい者たちのみにはですけれどね。……その肖像画の姫君は悲劇の聖女さまと呼ばれているのですわ。詳しい伝承は不明ですけれど。とても美しく、気高い姫君で、王国を救ったのだとか。オズワルド殿下はきっとその伝承に心酔しておられるのね。理想の姫君なのでしょう。可愛らしい初恋ですけれど、そろそろ現実の女性に目を向けて頂きたいですわね」

 ふぅ、とナタリアは困ったものだというように頬に手を当て溜息を吐く。

 クリスティーナは冷汗が背筋を伝うのを止められなかった。

 その初恋の理想の姫君に限りなく近い容姿を持つ少女が現実に現れたらオズワルド殿下はどうするのだろう。それは火を見るよりも明らかな気がした。

(絶対に見つかるわけにはいかないですわね…!!)

 現在アデレイドが隣国に留学中でよかったと心底思う。けれど少しだけ不安が頭をもたげる。

(……隣国、では近すぎますでしょうか。もっと遠くまで隠れた方が……)

 一抹の不安を拭いきれないクリスティーナであった。









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