058
ジャレッドはその噂を耳にした時、戦慄を覚えた。
紅い髪、紅蓮の瞳の王女が留学してくるという話はハロルドから聞いていた。アデレイドがローランドの寮に忍び込んだ時だ。
だからそのこと自体は心の準備が出来ていた。問題は――。
「王女様らしいぜ。そんでうちのオズワルド殿下が付きっきりでお世話してるとか」
「もしかして結婚するとか?」
「あり得るかもな」
「エリザベス嬢はどうなるんだ?」
「さあな。でも別に婚約者ってわけじゃないんだろ?なら別に問題ないんじゃないか?」
ジャレッドはオズワルドが王女に付きっきりと聞いて眩暈を覚えた。
(殿下…。また魔女に誑かされてしまわれたのか?)
ジャレッドは他の学生たちの中に交じって木立の間から窺うようにその集団を見つめた。
今学院中で最も注目を集めているその集団は第三王子オズワルドとその取り巻きたち、そしてプローシャ王国の第三王女レオノーラとその側付たちだ。
ジャレッドは彼らから十数メートルは離れているが、一瞥して表情を歪めた。
王女はまさしくブリジットそのものだった。遠目からでもはっきりとわかった。聞いてはいたが、実際に自分の目で見るまでは断定出来ないと一縷の望みを繋いでいた。けれどそれを呆気なく断たれて絶望感に襲われる。
「魔女」の隣にオズワルドがいることも、覚めることの無い永遠の悪夢を繰り返し見せられているようだ。
苦い思いがこみ上げてくる。
ぎりっと唇を噛みしめて睨むようにオズワルドを見て、ジャレッドは気付いた。
(いや、殿下は警戒されておられる…?)
王女を見つめる瞳は厳しく、監視しているかのよう。勿論露骨に分かる程ではない。長年エルバートに仕えていたアールの記憶を持つジャレッドだからこそ分かるのだ。
***
オズワルドは真紅の王女を睨むように見つめた。
ブリジットそのものの容姿。
お互いまだ前世のことには触れていない。けれどオズワルドが警戒するには十分だった。
(関わりたくはないが…野放しには出来ない)
オズワルドは片時も王女から目を逸らさなかった。その眼差しは鋭く、恋慕の情は欠片も見当たらないが、周りの者にはオズワルドが王女に執心しているようにしか見えない。
オズワルドの取り巻きの一人、マクミラン侯爵家の次男・ハワードもその一人だった。
ハワードはエリザベスの兄だ。マクミラン侯爵家としてはエリザベスをオズワルドに嫁がせたい。ハワードも、エリザベスがオズワルドをどう思っているか直接聞いたことはないが、なんだかんだ言ってもオズワルドのことを憎からず想っているのだろうと思うので異論はない。
今まではエリザベスに対抗しうる令嬢はいなかった。だから油断していた。
ここに来て突然現れた他国の王女。厄介な相手だ。
プローシャ王国とは近年交易が盛んになってきている。王族同士の婚姻は両国の友好関係にとって歓迎すべき事案だ。しかも二人は第三王子と第三王女。継承順位の低い二人の婚姻は両国にとって政治的には全く問題がない。
加えてハワードがじっと観察するように王女を見つめると、オズワルドが慌てたように「見るな」と威嚇してくる。独占欲丸出しなのだ。
(おいおい…。オズの好みとは真逆じゃねぇか。いつの間に宗旨変えしたんだよ)
ハワードは呆れかえるも内心焦りを感じていた。だが態度にはおくびにも出さず弟分のオズワルドをからかうようにニヤニヤと見やる。レオノーラ王女が席を外した隙にオズワルドの気持ちを確かめるべくハワードは鎌をかけてみる。
「オズもついに生身の女に興味を持ったわけか。めでたいな」
彼もオズワルドが肖像画のレオノーラに恋をしていることを知っている。そこでふとあることに気付く。
「って、まさか名前が一緒だから気に入ったとかじゃねぇよな?」
その瞬間オズワルドから放たれた殺気にハワードはたじろいだ。
「……ハワード。僕の『レオノーラ』はあの王女とは一切無関係だ。それから僕はあの王女を気に入ってなどいない。あの女には油断するな。気を許すな。…目を見るな。取り込まれるぞ」
思いもしなかった辛辣な言葉にハワードは目を瞬いた。
「なんだよ、それ……」
その時レオノーラ王女が戻って来たのでその話はそのままになった。ハワードはオズワルドの言葉が心に引っかかって落ち着かなかった。
(レオノーラ王女には気を許すな、か………)




