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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第二部

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056

 ヴィンセントは生まれたときからメイナードの記憶を持っていた。

(あぁ、生まれ変わったのだな)

 赤子でありながら、生まれ落ちた世界がメイナードだったころから数百年経た時代だと理解した。

 そして自分がまたメイナードと同じ容姿で生まれたことも。


 メイナードの美しすぎる容姿は自分をも犯す毒だった。

 それが反転したのはレオノーラの死が切っ掛けだった。聖者と崇められ、軽々しく近寄る者は減った。それをいいことに研究に没頭していたらいつの間にか地位が上がり聖堂院を束ねる存在にまで登りつめていた。


 ヴィンセントは自分の容姿が無駄に周りに影響を与えるだろうことを生まれた時から理解していた。故に早々に聖導師となり、世俗から離れることを選んだ。

 まだ子供の頃ならばいい。可愛い少年として、大人たちから可愛がられるだけで済む。けれど長じるにつれて少女たちや、女性、普通の成人した男性たちまでおかしくなる危険性があるのだ。

(あれ程逃げ出したかった聖堂院に自ら入りたいと願う日が来るとは)

 皮肉だなと乾いた笑いが零れる。それでもそれ以外の選択肢は考えられなかった。


 ヴィンセントの両親はごく普通の善良な人たちだった。

 そのためヴィンセントはメイナードとは比べ物にならないほど幸せな幼少期を過ごした。

 それで十分だと思った。

 五歳になった頃、各地を巡る聖導師がヴィンセントの住む村を訪れた。

 ヴィンセントはその聖導師を見て、今の聖堂院ならば大丈夫だと確信した。

 メイナードの行った改革が生きている。聖導師はその名に恥じぬ、尊敬される存在であると。

 ヴィンセントは聖導師に近付き、聖導師になることを告げた。

 聖導師は驚いたが、少年が纏う気配が普通とは違うことにすぐに気付いた。

 聖なる光気。そこまで神々しいものではないが、聖堂院が求めていた魔を祓う力を秘めた少年であると悟ったのだ。

 聖導師はすぐに少年の両親へ交渉した。両親は驚き、少年と別れることに難色を示したが、当の少年が「行く」と強く主張したため、両親は最終的に折れた。

「ヴィンセント、いつでもここはおまえの帰る家ですよ」

「辛かったらいつでも帰って来ていいんだぞ」

 優しい両親はヴィンセントにたくさん愛情を注いでくれた。前世では得られなかった温もり。無償の愛情。

 それだけでも生まれ変わった意味があったと思うくらいに、ヴィンセントは幸せだった。



 ヴィンセントは自分が生まれたこの時代に、「レオノーラ」が生まれているのか気がかりだった。

 ヴィンセントはエリスティア王国の隣国、ヴェネトに生まれた。だから隣国のことはなかなか伝わってこない。

 レオノーラがエリスティアに生まれると決まっているわけではない。

 けれど、手始めに調べるのならばその辺りからだろうか。

 とはいえ、聖堂院に入ったばかりの見習い聖導師に隣国の情報など調べようがない。

 ヴィンセントは焦りを感じながらも、今は自分のことに精一杯取り組むしかなかった。

 ただ、毎日聖歌を歌った。レオノーラの魂が無事であることを祈って。魔女に見つからないことを願って。


***


 目の前にいる少女にヴィンセントは目を細めた。

 レオノーラは生まれ変わったのだ。

 会えるかどうかは分からなかったが、やはり同じ時代に生まれていたのだなと奇妙に納得していた。

その魂の輝きに曇りはなかった。

 鮮烈なまでに清い輝き。ヴィンセントは微笑んだ。今はもう目を逸らしたいとは思わない。むしろもう一度その輝きを目にすることが出来て嬉しかった。


 そしてもう一人。アデレイドの側にいる「バラクロフ」に目をやる。

(彼もアデレイドさまと同じ時代に生まれてきたか)

 ブリジットに想いを寄せていた男。それは「魔女」の手管によるものだろう。彼が今も「魔女」に想いを寄せているのなら、アデレイドの側ではなく「魔女」の近くに生まれたはずだ。だからヴィンセントはハロルドはもう「魔女」への想いは失くしたのだろうと思う。

 アデレイドを見る限り、「魔女」の気配はない。「魔女」には見つかっていないのだろう。そのことにヴィンセントは一先ずほっとした。けれど油断は出来ない。


 アデレイドはヴィンセントに自分がエリスティアの下位貴族の娘であること、ヴェネトへは留学生として来たことなどを簡潔に話した。


「アデレイドさま。…貴女は三百年前のことをどの位ご存じですか」

 ヴィンセントは慎重に訊ねた。

 アデレイドは僅かに首を傾げた。

「どの位って…」

「魔女のことです」

「魔女?」

 アデレイドの反応に、ヴィンセントは彼女が何も知らないことを悟った。ちらりとハロルドを見やる。ハロルドは微かに首を横に振った。

 ブリジットが魔女だったこと、王子が裏切ったのはレオノーラへの想いが冷めたのではなく、魔女の力によるものだったこと。

 ヴィンセントは少し考えたあと、質問を変えた。

「今、貴女の周りには前世に関係する者がいますか」

 アデレイドは頷いた。目の前にいるヴィンセントとハロルドを別にすれば。

「…ジュリアンとアールがいるわ」

 ジュリアンの名に、ヴィンセントは目を瞠った。

「ジュリアン・グランヴィルですか…。そうか、彼も」

 深くレオノーラを想っていた。彼は「魔女」とは接触が殆どなかったはずだが、強い想いがレオノーラの魂へと導いたのだろう。

 ヴィンセントはアデレイドの側にエルバートがいないことに少し驚いたが同時に納得した。

 既にヴィンセントは聖堂院の情報網を駆使してエリスティアの第三王子がエルバートにそっくりの容姿を持つことを把握していた。

(殿下とは出会われていないということか…)

 ヴィンセントはハロルドに視線をやった。目の端でハロルドが微かに頷くのが見えた。

 もしも第三王子がアデレイドを見つけていれば、彼女が今頃こんなところにいるはずがないのだ。王子に囚われて溺愛されていることだろう、彼女が望もうと望むまいと。

(アデレイドさまはエルバート王子がこの時代に生まれ変わっていることを知らない、か)

 そしてそれはエルバートもまたレオノーラが生まれ変わっていることを知らないということだ。

 ヴィンセントはアデレイドをじっと見つめた。少女は幸せだと言った。王子の生まれ変わりとは出会っていない。それでも。それは彼女が現在をきちんと生きていることの証に他ならない。

(アデレイドさまにとってはエルバート王子の記憶は苦いものだろう…。知らない方がいいのかもしれない)

 ならば「魔女」のことはアデレイドに話すべきではないのだろう。けれど警戒は必要だ。

 ヴィンセントは低く落ち着いた声でその名を口にした。

「…ブリジットも生まれ変わっている可能性があります。…あれは執念深い、『魔性』の女でしたから。…お気を付けください、アデレイドさま」

 アデレイドはブリジットの名に、僅かに表情を強張らせた。

「…そう、なのかな…。彼女は幸せだったから、生まれ変わる必要がないと思うけど……」

 アデレイドの言葉にヴィンセントとハロルドは胸を衝かれた。

(そうか…。アデレイドさまはエルバート王子とブリジッドは幸せだと思い二人が生まれ変わることはないと思われたから王子を探さなかったのか)

不用意にブリジットの名を出すべきではなかったと後悔した。だが口にしてしまった以上はなかったことには出来ない。ヴィンセントは努めて穏やかな表情を浮かべた。

「……アデレイドさまは、ブリジットを憎んでおられますか。…それともエルバート王子を?」

 ヴィンセントの表情は慈悲深く優しい聖導師のものだった。だからだろうか、アデレイドは自然に素直な自分の気持ちを言葉にしていた。

「…ううん。憎んではいない…。ただ苦しくて…二人を祝福する気にはなれなかった…。…どうしてって、ずっと心が悲鳴を上げていて…」

 胸が詰まって何も食べられなくなった。

「…もっと強かったらよかったのに。二人を祝福出来ればよかった…」

 アデレイドはなんとか笑おうとした。けれどうまく出来たとは思えない。今でもよくわからないからだ。突然エルバートが自分から離れていったわけが。何か失敗をしてしまったのだろう。けれどそれが何かわからない。それとも離れている間に自然に自分のことを忘れていっただけだったのか。目の前に妖艶で美しい女性がいれば、幼い婚約者のことなど忘れてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。そんな風に忘れられてしまう程度の存在だったと思い知ることが怖かった。だから聞くことが出来なかった。どうしてと。

「アデレイドさま」

 労わるようなヴィンセントの声に、アデレイドははっとして顔を上げた。いつの間にか俯いていたのだ。

「二人を憎まなかった貴女は十分お強いですよ。…それに祝福などしなくても良いのです」

 ヴィンセントは穏やかに微笑んだ。アデレイドの瞳に戸惑いが浮かぶ。

「…ブリジットに殿下の妃となれる資質はなかった。資格も。殿下も一時の気の迷いだったとお気付きになられた。二人は結ばれなかったのです」

 アデレイドは驚いた。

 てっきり二人は幸せに暮らしたのだと思っていた。

 ヴィンセントは僅かに表情を引き締めた。

「……殿下がそのことに気付かれたのはレオノーラさまが亡くなられた後でした。レオノーラさまの死がきっかけだった。……それ故に、ブリジットはレオノーラさまを恨んでいるかもしれない。…完全に逆恨みですが」

 アデレイドは息を飲んだ。それは全く想定外の成り行きだった。

「そんな…。前世の恨みを持ったまま生まれ変わって来るかもしれないということ?私を…レオノーラを憎んで…?」

「…可能性はあります。ですが先ほども言った通り全くの逆恨みですから。…私はあれの憎しみに貴女を晒すつもりはない」

 ヴィンセントは深い決意を滲ませる強い眼差しでアデレイドを見つめた。アデレイドはその瞳に魅入られ縫いとめられるように動きを封じられた。

「貴女を守ります」

 いつの間にか流れるような動作でアデレイドの両手はヴィンセントの両手に包まれていた。アデレイドが僅かに視線を両手に落とした瞬間、ヴィンセントはアデレイドの両手を押し戴くように額に掲げ、そっと指先に触れるか触れないかの口付けを落とした。

 途端、痺れるような感覚がアデレイドの全身を駆け巡った。

「!?」

 びくりと身を震わせると、ハロルドがヴィンセントの手をぱしりと払った。

「…軽々しく触れるな」

 苦虫を噛み潰したような眼差しに、ヴィンセントは苦笑した。

「…失礼した。邪な気持ちで触れたわけではないが…君は許してくれないようだね」

「歩く媚薬を容認出来るはずがない」

 ハロルドの返答はにべもない。

「これでも聖職者なのだけれどね」

 ヴィンセントの返答にハロルドは益々嫌そうに顔を顰めた。

「性質の悪い冗談としか思えない」

「酷いな」

 対してヴィンセントはどこか面白そうに笑った。

 アデレイドはヴィンセントに口付けられた時、何か神聖な気持ちがした。ヴィンセントに邪な気持ちがないというのは本当のことだろう。

(本当に変わられた…。でもきっとメイナードさまにも、今のヴィンセントさまのような神聖な部分があったのだわ。レオノーラが知らなかっただけで)

 生まれ変わった魂が全くの別人ではないと、自身が一番よく理解している。多少の生活環境や関わった人の違いで性格や考え方に以前とは違うものが芽生えても、基本は同じなのだ。

「……私は、メイナードさまのことを何も理解していなかったのですね」

 ぽつりとアデレイドが囁くように言葉を零すと、ヴィンセントはアデレイドに視線を向けて微笑んだ。

「……私が変わったというなら、その切っ掛けはレオノーラさまです。……だから私は貴女を守りたい。…貴女に幸せになって欲しい」

 真摯な眼差しに、アデレイドは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

「……ありがとう、ございます。……私、生まれ変われてよかった」

 生まれ変わらなければメイナードのことを誤解したままだっただろう。

それに自分の幸せを願ってくれる人に出会えて嬉しくないはずがない。アデレイドは笑顔を浮かべた。

大輪の花が咲いたような、周りが明るくなるような笑顔にヴィンセントは目を奪われた。


 コンコンとノックの音がして、アマンダが彼女を案内してくれた少年とともに聖導師長室へ戻って来た。

 それを機に、アデレイドは辞去することにした。


「アデレイドさま。何かお困りのことがありましたらいつでも私を頼ってください。これでも一応このヴェネトの聖堂院の長ですから。お力になれると思います」

 去り際、ヴィンセントはそう言ってくれた。

 アデレイドは笑顔で頷いた。

「ありがとうございます、ヴィンセントさま。…お会い出来てよかったです」

 ヴィンセントは嬉しそうに笑った。アデレイドが思わず見惚れるくらい魅力的な笑顔だった。








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