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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第二部

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 メイナードはレオノーラを初めて見た時、その清麗さにたじろいだ。汚れを知らない、真っ白な魂に眩しさのあまり目を逸らしたくなった。

 こんな少女がいるのかと思った。

 彼の周りにいたのは、汚らわしい欲望を持つ者ばかりだったから。

 一見清純そうに見えても一枚皮をめくれば、内側にはどろどろと渦巻く欲望が見える。だから彼は最早他人に対して期待などしていなかった。


***



 メイナードは聖堂院の前に捨てられた孤児だった。

 だから親の顔は知らない。

 メイナードは聖堂院の聖導師長に拾われ、育てられた。慈悲深く、清廉で愛と平和のみが満ちているはずの場所でメイナードが受けたのはおぞましい行為だった。

 メイナードは美しい少年だった。それは一介の聖導師など簡単に堕ちてしまうほどの、魔性といってもいい美貌だった。

 だから皆、メイナードのせいで自分は道を外したのだと罵った。すべてはメイナードのせいなのだと。

 幼い頃は彼らの言葉通りに悪いのはすべて自分なのだと思っていた。

 けれど、次第にそんな彼らを嘲るようになった。

 簡単に誘惑に乗ってしまう聖職者など、聖職者とは呼べない。だから彼は彼に欲望を向ける者たちを破滅させていった。

 嫉妬を煽り、互いに争わせ、狂わせる。

 面白い程彼らはメイナードの思惑通りに踊った。

 そして自滅していった。

 メイナードが十四歳になる頃には、彼に近寄る者はいなくなった。けれど彼はまだ聖堂院から抜け出すことは出来なかった。彼の保護者である聖導師長が彼を手放さなかったからだ。

 その頃メイナードは王家が貴族の子女を対象とした学院を作るという噂を聞いた。優秀であれば庶民でも通えるという。

 メイナードは貴族ではないが聖導師長の養子である。聖堂院は世俗を捨て、聖職にすべてを捧げた者が入る場所とされ、聖職者に貴賤はない。彼らは生殖行為を禁止されているため、聖導師に血の繋がりはなく、聖導師長の座も世襲ではなく、最も徳を積んだ者が選ばれることになっている。その徳の高い聖導師長が育てた子はすべからく尊いとされた。

(何が最も徳が高い、だ。あのジジイが俺に何をしたと思っている)

 実際には聖導師長に就くのは継承権を持たない元王族や、爵位を継げない貴族の次男や三男などの高位の者たちばかりだ。メイナードの養い親である聖導師長も、そうした高位の貴族階級出身だった。

 メイナードは聖導師長の囲いから逃げたかった。

 聖職者でさえ、こうなのだ。

 ならば世俗の人間など推して知るべしだった。

 けれどそれでもメイナードは聖堂院から抜け出したかったのだ。それ程までに酷いところだった。

 王の名のもとに作られる学院ならば、聖堂院といえども手出しは出来まい。

 それに賭けて、メイナードは学院に入学したのだった。



 メイナードが王子に取り入ろうとしたのは、自分を聖堂院から切り離すためだった。

 王族の庇護でもなければ聖堂院からの脱走は難しい。聖堂院は身分の外にある独立した組織で、時には王族を上回る程の強い権力を持つからだ。

 けれどそれは昔の話で、今は王族に楯突くような者は聖堂院にはいない。

 メイナードは自分の容姿を最大限利用して高位の令嬢たちを搦めとった。そして王子に近付いたのだった。



 メイナードはすぐにその少女に気付いた。

 強い意志を持った眼差し。少女は一心不乱に王子を見つめていた。ぎらぎらと瞳を光らせて、獲物を狙う肉食獣のようにじっと。

 真紅の焔のようだった。しかしその赤は血色のように赤黒く、どこか恐ろしい。

 メイナードはそれを野心だと思った。究極の玉の輿を狙った平民の少女の野心だと。

 メイナードは別にそれを咎めるつもりはなかった。自分とて、似たようなものだったから。王子を利用しようとしている。聖堂院の軛から逃れるために。

 二人はお互い距離を取りながら相対していた。

二年後、メイナードは王子の側近の一人に、少女は王子の恋人になっていた。そして王子の誕生を祝う夜会に出席を許された。平民の二人がそこまで登りつめたのだった。


 夜会でメイナードはレオノーラを見かけた。

 澄んだ風が吹いているような、清涼な空気。

メイナードは我知らず息を飲んでいた。

初めてだった。誰かを美しいと感じたのは。彼女がいるだけで空気が違うのだ。けれどあまりにも清麗過ぎて、自分には息苦しいとも思った。

 王子とブリジットが踊り始めた時、それを目撃したレオノーラの表情が翳るのを見て、メイナードは漸くほんの少し息を吐き出せる気がした。




 学院にレオノーラが入学した。

 メイナードは汚れを知らない少女も王子の裏切りで黒く醜く堕ちてしまうだろうと思っていた。ところがレオノーラの白さは変わらなかった。日毎にその光は弱々しくなっていったが、色が濁ることはなかった。

(堕ちてしまえばいいのに)

 メイナードはどこか苛立たしい気持ちになった。少女はまだ現実を知らないだけだ。生々しい人間の欲望を知れば、誰であろうと白いままではいられないはずだ。

 レオノーラが一途に王子を想い続けるのならば、それを壊してしまおうと思った。王子への愛など所詮は簡単に忘れられる程度のものだと突きつけてやりたかった。



「レオノーラ姫」

 メイナードが軽く微笑んで相手の名を口にするだけで、大抵の者は恍惚とした表情を浮かべる。なのにこの相手だけは別だった。

「……………」

 困ったような、迷惑そうな表情。それは一瞬のことで、貴族の嗜みとしてあからさまに嫌そうな顔はしないが、レオノーラの瞳にメイナードへの恋慕の情は見当たらない。

 ブリジットですら、色を乞う瞳を向けて来ることがあるというのに。

 メイナードは興味をそそられた。レオノーラを振り向かせたい。跪かせたい。

 でも同時に、レオノーラが堕ちたら、自分に靡いたら、恐らく自分は彼女への興味を一切失うだろうとも予感していた。

 手に入れたい。でも失いたくない。矛盾した感情。本当はどうしたいのか、メイナード自身にもよくわからなかった。






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