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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第二部

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052

 聖堂院とは本来魔を祓う聖なる光気を纏いし者が集う神聖な組織だった。各国の王は土地の祓魔を聖堂院に委ね、聖堂院は魔の侵入を退けた。

 聖なる光気を纏う者がその地の中央に居るだけで魔は近寄れないという。そのため聖堂院は国の中心に置かれることとなった。

 ところが長きにわたる平和の間に人々の中から魔への恐怖が薄れ、聖堂院も元々の意義を忘れてゆき、いつしか内部は腐敗し、形骸化した組織だけが残った。

 そして事件が起きた。三百年前、エリスティア王国に「魔女」の侵入を許してしまったのだ。このことは聖堂院に衝撃を与えた。激震といってもよかった。

「魔女」が侵入したことは表沙汰にはなっていない。けれど聖堂院の全支部に通達がなされた。そして綱紀粛正が行われた。これは聖堂院の存在意義に関わる重大事項だったからだ。

 聖堂院の役割は祓魔。それが出来ずに魔の侵入を許したことが民に知られれば、聖堂院は無用の烙印を押され、組織を解体されかねない。危機感に聖堂院中が襟を正し、厳しい戒律を定めた。

 そのため現在では三百年前とは比べ物にならないほど聖導師の質も徳も高い。

 それでも聖なる光気を纏いし者が現れる確率は低かった。それは生まれ持った資質であり、修行を積んでも手に入るものではない。そして遺伝で受け継がれるものでもなかった。その上例えそれを持って生まれたとしても何もしないでその力を維持できるわけでもなかった。

 身を慎み、静謐な空気の中に身を置き、常に穏やかに心を保つこと。

 強い不安やストレスを受けると光気は失われてしまうという。それ故聖導師たちは各地を回って光気を纏いし者がいれば聖堂院へと勧誘し、大切に育てることにした。光気を纏いし者の存在は必要不可欠だと再認識したからだ。

 大々的に国の政策として生まれた子供を必ず聖堂院で確認出来れば楽なのだが、突然そのようなことをすれば何かがあったと宣伝するようなものだ。

 それは徒に民の不安を煽るだけだと聖堂院は考えた。地道に各地を巡って探し、勧誘するしかなかった。

 そのため聖導師の半数は常に各地を巡り歩く任に就いている。光気を纏いし者を見つけられなくても、聖導師を勧誘することも大事な任務だった。

 生まれ持った資質がなくても修行次第で手に入る力はある。清廉な心、誠実な態度、寛大さと慈悲深さ。それらを極めることによって魔を祓う光気とはなれなくとも、魔を見つける目にはなれる。

 見ることが出来るだけでも魔の侵入を防ぐことは出来る。あるいは監視・警戒をすることも可能だ。ただしこの「目」になれる者もそう多くはない。

 それでも三百年前とは比べ物にならない程、今の聖堂院は魔に目を光らせており、徳の高い聖導師も多く、人々から信頼されている。


***


 ヴェネトの首都・ユディネの街並みは異国情緒に溢れていた。

 目に映るすべてのものが新鮮で興味深かった。人々は男女問わず頭に領巾ひれと呼ばれる長い布を被り、端を首元で一重させている。暑さ対策なのだという。服装も一見ゆったりとしたスカートに見えるが実は幅広のズボンで動きやすそうだ。

 領巾は様々な色の、薄く透ける生地に刺繍が施された軽やかで綺麗で涼しげなものだ。

 建物は円筒形で、真っ白い土壁に円錐形の屋根は青い瓦で統一されている。

 アイボリー色の煉瓦造りの四角くて重厚な建物が多いエリスティア王国とは趣が大分違う。

「可愛らしい…」

 アデレイドは初めて見る景色に瞳をきらきらと輝かせた。そんなアデレイドにアマンダも楽しそうに微笑んだ。

「この地方独特の円錐屋根ですね。昔は平らな石を積んでいたそうですが、今は形を統一して作った青い瓦を積み重ねているようです」

 アデレイドたちは通りの店に入ると領巾を選んだ。この国を訪れた者は皆必ずそうするのだ。

 ハロルドは青色の生地に魚の刺繍が施された涼しげなものを、アマンダは薄紅色の生地に花の刺繍が施された華やかなものをそれぞれ選んだ。

 アデレイドはまろやかなレモンイエローの生地に鳥の刺繍が施された領巾に見入った。刺繍糸の色がオリーブ・グリーンだったのだ。

(ローランドの色だ…)

「それになさいますか?…ローランドさまの色ですね」

 アマンダにくすっとからかうように言われてアデレイドは真っ赤になった。

「…こちらはいかがですか」

 ハロルドがすっと、アデレイドが手に取っていたものとは逆の、生地が渋めの綺麗なオリーブ・グリーンで刺繍がクリームイエローの鳥柄の領巾を差し出してきた。

(こっちの方がローランドっぽい…!)

 アデレイドはその領巾にときめいてしまった。アデレイドの瞳がきらきらと輝いているのを見て、アマンダは微笑んだ。

 アデレイドははっとした。

(え、なんでハロルド、これを私に勧めるの!…からかわれてるの!?)

 恐る恐るハロルドを仰ぎ見ると、ハロルドはとても優しい顔をしていた。

 アデレイドは気恥ずかしくなって俯いた。

「…これにする」

 アデレイドが小声で告げると、ハロルドが微笑む気配がした。



 店を出て、早速領巾を頭に巻こうとした瞬間、強い突風が吹いてアデレイドの手から領巾を攫って行った。

「あっ…」

(ローランド色の…)

 店にはその配色は一つしかなく、気に入っていたので失くしたくない。アデレイドは慌てて走り出そうとしたが領巾は大通りを超えて飛んでしまった。馬車がひっきりなしに通っており、飛び出すのは危険だった。すると反対側にいた人が領巾を拾ってくれるのが見えた。

「アデレイドさま、私が」

 ハロルドが素早く通りを横切り、その人の元へと走る。

 アデレイドもアマンダと一緒に、馬車の切れ目を待って大通りを渡った。

 ハロルドの元へ駆け寄ると、ハロルドは領巾を持ったまま硬直していた。

「ハロルド…?」

 アデレイドが訝しんでそっと窺うようにハロルドを見上げると、ハロルドの前に立っていた人物が息を飲む音が聞こえた。

「…?」

 アデレイドが振り返ると、そこには長身の聖導師の服装をした青年がいた。

「拾って頂いてありがとうございました」

 アデレイドは丁寧に頭を下げた。青年は言葉を返さない。

 アデレイドは戸惑ったが、もう一度軽く頭を下げると、ハロルドを促して立ち去ろうとした。

 その時、青年が掠れた声で呟いた。

「…レオ、ノーラ…?」

 アデレイドは反射的に振り返った。

 青年の髪は短めだが、前髪が目を覆うほど長く、よく顔が分からない。その上眼鏡をかけておりその表情は窺えない。

 ハロルドが素早くアデレイドを自身の背に庇った。アデレイドはハロルドの背中からそっと青年を見つめた。

 青年は逡巡したのち、すっと眼鏡を外した。そして軽く前髪を上げた。

「…私の顔を覚えておられますか、レオノーラ姫」

 皮肉気な微笑み。けれど辺りが華やかになるほど美しく艶やかな容貌。蠱惑的なエメラルドグリーンの瞳。

 アデレイドは目を見開いた。

「……メイナード・ビショップ…?」

 アデレイドが小さくその名を口にすると、青年は艶やかに微笑んだ。

「…ええ。覚えていて頂けて嬉しいですよ」








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