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005

 アデレイドが六歳になる年、長兄のジェラルドは十三歳になり、王都の学院に入学することになった。

「兄さま、元気でね。私のこと、忘れないでね」

 アデレイドは淋しくて、三日前からずっとジェラルドの後をひよこのように追いかけていた。ジェラルドは、アデレイドを抱き上げておでことおでこをこつんと合わせた。

「俺がアディを忘れるわけないだろ。むしろアディが俺を忘れちゃうんじゃないかと心配だよ。…ああ、一緒に連れて行きたい…」

 アデレイドとジェラルドはこの世の終わりのように、二人でひしっと抱き合って、悲壮な雰囲気を漂わせていた。

「兄さん、一生会えなくなるわけじゃないんだから。アディ、泣かなくていいんだよ」

 呆れた口調でジェラルドからアデレイドを引き離して、セドリックはアデレイドの涙を拭いてやった。

(わかっているけど、淋しいのだもの…)

 生まれた時からアデレイドを可愛がってくれていた兄なのだ。これからはたまにしか会えなくなるというのは、切なかった。

(大人になるというのは、哀しいことだわ)

 ずっと、子供のままでいられたらいいのに。

 それでも、今はまだましなのだ。二年後にはセドリックもいなくなってしまう。さらにその二年後には、ローランドまでいなくなってしまう。

 想像したら、アデレイドの瞳から大粒の涙が溢れ出た。

「アディ!?泣かないでよ…」

 アデレイドが泣き止まないものだから、セドリックまで哀しくなってきた。今度は二人でしくしくと泣き始める。ジェラルドは困ったように後頭部に手を置いて、二人をまとめて抱きしめた。

「…ほんと、お前たちは可愛いなあ…」

「兄さま」

「兄さん…」

 そこへローランドがジェラルドを見送りにやって来た。

「三人とも、泣き過ぎ…」

 呆れたように言いつつも、ローランドまでもらい泣きをしてしまう始末。

「夏休みには必ず帰ってくるから。セディ、ローランドとアディを頼んだよ」

 いつまでも泣いているわけにはいかない。ジェラルドは明るく笑うと、アデレイドを抱っこしているセドリックの頭を優しく撫でた。セドリックは目元に涙を浮かべながらも、こくりと力強く頷いて、兄の門出を見送ったのだった。


***


 ジェラルドが旅立ってしまったあと、アデレイドの落ち込みようが酷かったので、二人の少年は励ますために、アデレイドをあちこちに連れ歩いた。

 湖へ遠出したり、花畑へピクニックに行ったり。次第にアデレイドも笑顔を取り戻し、増々活発に少年たちに交じって遊ぶようになり、近所の子供たちにはすっかり男の子と認識されるようになってしまった。


「ううーん…どうしてアディは男の子みたいになってしまったんだろう…。すっごく可愛いのに。小さい頃はお人形遊びとか、可愛いドレスが大好きだったのに」

 苦悩するセドリックに、ローランドは事もなげに言った。

「でも、みんながアディを男の子と思っていたほうが、ライバル減るから」

「…………」

「アディが女の子だってことは、僕たちだけが知っていればいいよ」

 ローランドの、アデレイドに対する独占欲の強さにちょっぴり慄くセドリックだったが、それもそうかと思い直す。アデレイドが普通に女の子の格好をすれば、可愛すぎて、余計な虫が集りそうだ。それに元気よく外で駆け回るアデレイドは、生き生きとしていて、魅力的だった。セドリックはそんなアデレイドの様子にほっとしていた。少し前まで、しょんぼりとジェラルドの不在を嘆いていた姿を見ていただけに猶更。

「まぁね。アディが元気ならそれでいいか」


**


 それでも、セドリックとしてはアデレイドのドレス姿が見たいと思わずにはいられなかった。

 夏休みに入ったジェラルドが帰ってくる日、セドリックはアデレイドを宥めすかしてなんとか女装(?)をさせることに同意させた。

「アディがドレス姿でお帰りって言えば、兄さんも喜ぶと思うな。泣いちゃうかも」

 アデレイドとしても、兄に対してなら別に女の子であることを強調しても構わないだろうと思っていた。

(兄弟なら、何があっても離れていかないと思うもの…)

「兄さま、喜ぶ?」

「絶対喜ぶ」

「じゃあ、ドレス着る」

 これには両親が一番喜んだ。侍女たちもだ。侍女たちは、可愛らしいアデレイドを着飾らせたくてうずうずしていたのだ。

 早速夏用の可愛らしいドレスが仕立てられた。空色の膝丈のふんわりとしたドレスだ。袖は提灯型に膨らみ、胸元にはリボン型の飾りがいくつも付いている。

「お嬢様、可愛い…」

「妖精さんみたいですね」

 侍女たちに大好評だ。母親のローズも嬉しそうだ。

「もう少し髪が長ければもっとよかったのだけど…。でも可愛いわ。母さまは嬉しいわ」

 ドレスと同色の髪飾りを付ければ、可愛らしいお姫様の出来上がりだった。白銀の髪がきらきらと輝いて、それだけでも宝石のようだ。紫紺の瞳は極上のサファイアのよう。

 アデレイドも久しぶりにドレスを着るのは楽しかった。みんなが褒めてくれるので、嬉しいけれどちょっと恥ずかしい。

 コンコンと扉がノックされ、セドリックと父親が入って来た。二人は天使のようなアデレイドを見て、口々に絶賛した。

「可愛いよ、アディ」

「可愛すぎる!!悪いやつに攫われかねない。心配だ」

(父さま、親ばか…)

 アデレイドは恥ずかしくなって下を向いた。頬がほんのり紅い。そんな姿が周りの者たちの心をぎゅっと鷲掴みにしているとも知らず、アデレイドはローズのドレスの後ろに隠れてしまった。

 その時、執事が部屋に入って来た。

「ローランドさまがお見えです」

「こんにちは」

(!ローランド)

 アデレイドは恥ずかしかったことも忘れて、ぴょこんとローズの後ろから飛び出した。

「ローランド!」

 小走りに近寄ると、ローランドの目が大きく見開かれた。

「…ローランド?」

 そのまま固まってしまったローランドに、アデレイドは小首を傾げて見上げた。次の瞬間、ローランドの顔が真っ赤に染まった。

(うぉ!?)

 茹で上がった蛸のようだ。アデレイドはびっくりして、じっとローランドを見つめた。その金の瞳の中に、見慣れない女の子が映っていることに気付く。

(あ…)

 ローランドは私がアデレイドだと、分からないのだわ。そう思ったアデレイドは、ローランドの両手を取った。

「ローランド、アディだよ」

「……………」

 ローランドは何も言ってくれない。アデレイドは不安になった。縋りつくように、ぎゅっと両手に力を込めると、ローランドの肩がびくりと跳ねた。

(どうしよう…ドレス、脱いだ方がいいかもしれない)

 助けを求めてセドリックに顔を向けた。何故かセドリックは横を向いて片手でお腹を押さえ、もう片方の手は口元を覆っていた。心なしか、肩が震えている。

(セディ兄さま、お腹痛いの?)

 困惑したアデレイドに気付いたのか、父親が助け舟を出してくれた。

「アディ、それ以上ローランド君を追い詰めてはいけないよ。おいで」

「?」

 父親に手を取られ、玄関ホールへと連れて行かれる。

「そろそろジェラルドが到着する時間だから、お出迎えしよう」

 言われてアデレイドはぱっと顔を輝かせた。

(そうだった。ジェル兄さまが帰ってくる!)

 二人の後からローズや執事も付いてきた。丁度玄関ホールに着いたとき、外で馬車が止まる音が響いた。

「兄さまだ」

 扉が開いてジェラルドが入ってくる。

「お帰り、ジェラルド」

 父親がにこやかに声をかけると、ジェラルドはそちらへ身体を向け、父親のすぐ横にいるアデレイドに目を留めると、驚いたように目を見張った。

「アディ!?」

「兄さま!」

 アデレイドが駆け寄ると、ジェラルドは破顔してアデレイドを軽々と抱き上げた。

「女の子に戻ったの?可愛い、可愛すぎる」

 ジェラルドはアデレイドの頬や額にキスの雨を降らせた。

「今日だけとくべつなの!兄さま、会いたかった」

 アデレイドも嬉しそうにジェラルドに抱き付いた。相思相愛の二人だ。

「父上、どうしよう…。俺はアディを嫁にしたい…」

「気持ちは分かるぞ、息子よ」

 兄ばかと親ばかの二人だった。


 一方、アデレイドのドレス姿を見たまま固まってしまったローランドに、セドリックは容赦ないデコピンを炸裂させた。

「こら。いつまで呆けてるの」

 ローランドははっとして、次いで額を押さえた。

「セディ兄、痛い」

「一言も口をきけなくなるとは、純情だねぇ、ローランドは」

 からかうように言われて、ローランドの頬に朱が上る。

「でも、だめ。アディが不安そうな顔してた。そんな顔させるなんて婚約者失格」

「!」

 ローランドは己の不甲斐無さを呪った。折角アデレイドの可愛いドレス姿を見られたのに。なぜ一言、可愛いと言えなかったのか。

「僕、出直してくる!」

 そう言うと、ローランドはデシレー家を猛然と飛び出して行った。


 数刻後、再びデシレー家に戻って来たローランドの手には白い可愛らしい花束が握られていた。

 アデレイドは庭の木の下で、ジェラルドの膝に抱えられて、絵本を捲っていた。ローランドに気付いたアデレイドは立ち上がると、一歩進もうとして躊躇った。

(ローランド、私がアディだって、気付いてないかもしれないんだった)

 だが、その心配は杞憂だったと、ローランドの次の言葉でわかった。

「アディ。…そのドレス、似合ってるよ」

 アデレイドが顔を上げると、ローランドが近寄って来た。はにかむように微笑んで、手に握った花束を差し出す。

「…これ、アディに」

「あ…ありがとう」

 アデレイドが受け取ると、ローランドはふわっと微笑んだ。

(わぁ…)

 アデレイドは思わず見惚れた。

「……おい」

 その時、低い声が響いた。二人がはっとして視線を向けると、不機嫌そうなジェラルドがいた。

「俺が帰ってきたっていうのに、何目の前でいちゃついてるんだ。いい度胸だな、ローランド?」

「!!」

 瞬時にローランドの顔が蒼褪める。ジェラルドはにやりと笑って、ローランドの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。

「まぁ気持ちは分かるけどな!アディのドレス姿は破壊力抜群だな」

「ジェル兄…お帰り」

 ローランドも嬉しそうに笑った。アデレイドも手元の花束に視線をやって、こっそりと微笑んだ。はにかむローランドが可愛かったな、などと本人が聞いたら落ち込みそうなことを思いながら。


 ジェラルドが夏休みで帰宅していた十日間だけ、アデレイドは女の子に戻っていた。ジェラルドがすごく喜んでくれたからだ。けれど、次第にローランドの態度が完全に女の子扱いになり、一緒に遊ぶことさえ心配そうな表情で止めるようになってしまったため、これではローランドの親友になるという目標が達成できなくなると危ぶんだアデレイドは、ジェラルドが寄宿舎に帰るとすぐにドレスを脱ぎ捨てた。

(これからは兄さまが帰ってきても、ローランドがいるときはなるべくドレスは着ないようにしなくちゃ)

 そうしてそれまで以上に活発に、男の子たちに交じってアデレイドは野山を駆け巡った。乗馬や剣も習った。セドリックは嘆いたが、ローランドはむしろほっとしていた。

 例えドレスを着ていようがいまいが、アディがアディであることに変わりはないのに、何故かドレス姿のアディにはうまく喋れなくなってしまう。可愛すぎて、ドキドキし過ぎるのだ。

 アデレイドのためにドレスが新調されるのは、ジェラルドが帰省するときだけだ。それだけでもいい、と侍女たちは思った。全くドレスを着ないよりも。最早基準が低すぎだった。

 年に二度だけ(夏休みと新年)、可愛いアディのドレス姿を拝める。両親もセドリックも、みんなそれだけで満足するほど、アデレイドは男装を貫いたのだった。



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