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049


サイラスは配下の者が齎した情報に目を瞠った。

 グランヴィル公爵家を見張っていた黒幕はどうやら隣国プローシャ王国の王宮にいるようだとわかったのだ。

 そしてもう一つ。

 プローシャ王国の王族が来年エリスティア王立学院に留学するという。サイラスはその王族の絵姿に衝撃を受けた。

「まさか…」

 こめかみがキリ、と締め付けられるように痛む。アデレイドを学院に入学させるわけにはいかない。




***


 新年の休みに入る直前、密かに学院のセドリックの元へサイラスからの親書が届けられた。

セドリックが学院の並木道を歩いているときに軽くぶつかった相手がいた。それがサイラスの手の者だったのだろう。寮の自室でコートを脱ぐまで、ポケットに何かが入っていることにセドリックは全く気付かなかった。

(いつの間に…)

 中にはジェラルド宛の手紙と、それをジェラルドに届けて欲しいというセドリック宛の簡単なメモがあるだけだった。ジェラルドは既に学院を卒業し、領地に戻っている。

(僕は完全に配達係り扱いだな)

 別にそれについての不満はなかった。ただ、中に何が書かれているのかは気になった。

 ここまで秘密裏に届けてきたということは、何か重大な連絡なのだろう。

(アディの乗った馬車が何者かに尾行されたこともあったというし)

 セドリックは慎重に封書を胸の隠しにしまった。


 帰省したセドリックから手紙を受け取ったジェラルドは、一読するなり眉根を寄せた。ジェラルドは無言で手紙をセドリックに差し出した。

 手紙には簡潔に、オズワルドがアデレイドの書いた小説の作者探しに執心しているため、アデレイドの入学はやめた方がいいという内容が書かれていた。

「殿下のことは落ち着いたんじゃなかったの…?」

「作者探しというのが問題だよな。今までの銀髪紫紺色の瞳の令嬢探しとは違うのか…」

「でも確かあの話のヒロインも銀髪に藍色の瞳の令嬢で、アディに似ている…」

 オズワルドは小説の作者がアデレイドとは知らないはずなのに、同じ人物を探していることになる。この符号は偶然なのだろうか。

 二人は顔を見合わせた。

「……気になっていたんだけど、『ギルバート』は殿下に似ているよね」

「ギルバート」はアデレイドの書いた小説に登場する主人公の恋人の名だ。幼馴染の婚約者がいるにもかかわらず突然現れた妖艶な美女に心を揺らし主人公を苦しめる愚か者だ。主人公がアデレイドに似ているため、セドリックもジェラルドも「ギルバート」には辛口なのだ。そのギルバートの容姿はオズワルドにそっくりだった。

「アディは殿下にお会いしたことはないはずだよな」

「殿下がアディに会っていたらアディは今頃王宮に囚われているだろうね」

 二人は互いの存在を知らないはずだ。それなのに、アデレイドは小説の中で自分によく似た主人公とオズワルドによく似た青年の恋を書いている。オズワルドはアデレイドにそっくりのレオノーラを探している。

「……殿下はアディの小説を読んで、作者を探し始めたわけだろ」

「自分でもギルバートに似ていると思ったってこと?」

「……どういうことなんだ。……あの小説は…」

 二人は再度顔を見合わせると、同時に頷いてアデレイドの部屋へ向かった。


 セドリックが帰省の際に使った馬車は密かにグランヴィル公爵家が手を回し、御者はサイラスの配下の者が務めた。セドリックはそのことを知らず、普通の辻馬車だと思っている。

 サイラスがデシレー家との接触を極力秘密裏に行っているのは、オズワルドの作者探しの件と、未だに時折グランヴィル公爵家を窺う存在があるためだった。今のところ、こちらが監視に気付いていることは相手に悟らせていない。相手はグランヴィル本家だけでなく、分家のほうにも監視を送り込んでいるようだった。相手の監視が続いているということは、まだ欲しい情報が手に入っていないということだろう。そして監視の対象を広げてきたということは、相手が以前よりも力を手にしているからだ。サイラスは慎重にならざるを得なかった。

 御者はハロルド宛にサイラスからの手紙を届けた。

 ハロルドは手紙を読んで息を飲んだ。

 それにはアデレイドを学院に近付けてはいけない本当の理由が書かれていた。

 ハロルドはサイラスに同意だった。なんとしてもアデレイドの学院入学を阻止しなければならない。けれど理由を説明できない。表向きはアデレイドの小説が流行っており、アデレイドの容姿が小説の主人公に似ていることで注目を集めすぎてしまうことを懸念するため、と伝えるよう手紙に指示があったが、それで納得してくれるだろうか。

 ハロルドは急ぎアデレイドの部屋へと向かった。



「兄さまたち、どうしたの?」

 もうそろそろ寝ようかという時刻に、兄たちが二人揃ってアデレイドの部屋を訪れたことにアデレイドは不思議そうに小首を傾げながらも二人を迎え入れた。

 ジェラルドとセドリックは長椅子に腰を下ろすとアデレイドにも座るよう言った。セドリックは籐籠からアデレイド用にビスケットとココアを取り出した。自分たちにはチーズとワインだ。

「ちょっとした夜のパーティーだよ。…少しアディに聞きたいこともあって」

 アデレイドはウキウキしてきた。

(わぁ!もう夜は何も食べちゃダメって言われているのに。悪いことってどきどきする)

 アデレイドがココアを口にした直後、ジェラルドがさらりと聞いてきた。

「アディの好みは『ギルバート』なのか?」

 ごふっとココアを吹き出しそうになった。

「え、ち、違うよ?」

 アデレイドが狼狽えながらも否定すると、セドリックはほっと安心したように微笑んだ。

「そっか。よかった、アディの趣味なのかと思って心配していたんだ」

 確かに兄としては他の相手に心を揺らしてしまうような浮気性の優柔不断男を妹が好きだなどと言えば心配するだろう。

「あれは物語だから!私の趣味とかじゃないから」

「……ギルバートにモデルはいるのか?」

 ジェラルドがからかうように聞いてくるが、心なしかその瞳は笑っていない。

 アデレイドはうっと言葉に詰まった。

(兄さま!?)

 急にどうしたのだろう。アデレイドは目を泳がせた。兄はそれを見逃さなかった。

「……いるんだね?」

 セドリックの声が低く響く。

アデレイドは焦った。

(え、前世のことがバレちゃったの!?)

 冷や汗がこめかみを伝う。

「いつの間に…」

 ジェラルドも目を見開いていた。まさかアデレイドがオズワルドと出会っていたとは。

 ジェラルドが眉間に皺を寄せて言う。

「アディ、悪いことは言わないからそんな男はやめておけ」

「どういう人か分かっているの?」

 セドリックはアデレイドがオズワルドの身分を知っているのか確かめたくて問い詰めた。

「というか、どこで出会ったんだ?」

アデレイドは何か噛み合っていないことに気付いた。

(あれ?兄さまたちは私が現世で「ギルバート」のモデルに会ったと思っている?)

 アデレイドはほっと息を吐いた。

「違うわ。実際に会ったわけじゃなくて…ええと、古い歴史本で見つけた伝承を元に書いたというか…」

 実際、三百年前に実在した人物がモデルだ。全くの出鱈目ではない。そんなことが記された歴史本は存在しないが。

 アデレイドがそう伝えると兄たちはきょとんとした。

「…そうなのか?」

「それならいいけど…」

 一先ず納得してくれたようだ。

「…変な兄さまたち」

 くすっと笑うと、二人は決まり悪そうに苦笑した。

「……実際にはこの二人は結ばれなかったの。それが可哀想で…幸せになる物語にしたかったの」

 アデレイドがぽつりと言うと、二人の兄は一瞬息を飲んだ。セドリックは無言で対面に座るアデレイドの隣に行き、ぎゅっとアデレイドを抱きしめた。

「兄さま?」

 セドリックはどうしてか、アデレイドが物語の「クローディア」に重なって見えた。抱きしめてあげたいと思ったのだ。

「……クローディアが幸せになれてよかった」

 アデレイドはセドリックがぽつりと落とした言葉に僅かに目を見開いたが、静かに閉じると微笑んだ。

「……うん」

 胸に抱いたまま亡くなったため、昇華されなかったレオノーラの「想い」。前世の記憶を思い出してから七年が経った。

(…もう、いいよね…)

 時間が必要だった。気持ちの整理をする時間が。

 今はもういない相手に想いをぶつけるようにして書いた小説だった。相手からの返答が欲しかったわけじゃない。自分自身の気持ちを整理したかったのだ。

 書き終わった時、アデレイドの中で何かが昇華された。

 そして今、読んでくれた人がクローディアの幸せを喜んでくれたことが嬉しかった。

 日々、アデレイドとして生きて成長してゆく中で、レオノーラの記憶は遠くなりつつある。

 それは十四歳で止まったままの記憶よりも、今を生きるアデレイドが体験する物事のほうが圧倒的に色鮮やかに記憶に刻まれるからだ。

 アデレイドはもうレオノーラの記憶を忘れてしまいたかった。

 そんなものがなくても生きていける。むしろ今を生きるためには邪魔な記憶だった。…邪魔だと言い切ってしまうとレオノーラが可哀想な気がしたのでアデレイドは故意にこの記憶を忘れてしまおうとは思っていない。ただ自然に忘れていきたいと思った。

 取り残されていた想いが泡となってふわりと空へと昇ってゆく。それと同時にレオノーラがゆっくりとアデレイドの中に沈んでゆく気がした。微笑みを浮かべながら、眠るように。

 まだ完全に忘れることは出来ない。レオノーラが亡くなったのは十四歳の年。アデレイドは自分がその年齢を超えるまでは、レオノーラが完全に消えることはないだろうと思えた。

(でも…少しずつ穏やかに気持ちが落ち着いてきているみたい)

 春には学院に入学する。

 レオノーラにとってはあまりいい思い出のない場所だ。

(だからこそ私は学院生活を楽しみたい。お友達もたくさん作って)

 レオノーラのときには出来なかったことをやるのだ。

「兄さま。学院のこと教えて」

 アデレイドはしんみりした空気を払うように顔を上げるとにっこりと笑った。だが。

「…アディ。そのことなんだけどな」

 ジェラルドが少し言い辛そうに切り出した。



***



 二人の兄から話を聞いてアデレイドの頭は真っ白になった。既に兄たち二人は部屋を後にしているが、アデレイドは気付いていなかった。

 呆然としていると、ドアの外から躊躇いがちに声をかけられた。

「…アデレイドさま。少しよろしいでしょうか」

 ハロルドだった。

「…うん」

 時刻はとっくに深夜を回り、日付が変わっているこんな時間にハロルドが来るなど普段ならばあり得ないことなのだが、アデレイドは考えに耽っていたためそのことにも気付かなかった。

「…学院のことなのですが」

 気が付いたら目の前にハロルドが跪いていた。

(わぁ!)

 アデレイドはびっくりした。ハロルドは魔法使いかと一瞬本気で疑った。実際にはハロルドは普通に扉を開けて入って来ただけなのだが、アデレイドがぼんやりとしていたため気付かなかったのだ。

「ハロルド!いたの?」

「…いえ、先ほど入室の許可を頂きまして」

 返事も無意識にしていたようで全く記憶になかった。

「…ごめんなさい…私ぼんやりしてた」

「いえ。突然のことで無理もないかと」

 アデレイドはハロルドが兄たちからの話の内容を知っていることを悟った。この「下僕」は神出鬼没で、気配を消すのが上手く、すぐ側に居ても気付かないときがある。先ほどの話は近くで聞いていたのだろう。

「兄さまたちの話…どう思った?」

 アデレイドが問うと、ハロルドはじっとアデレイドの瞳を見つめた。真摯な眼差しだった。

「……私も、学院への入学は回避した方がよろしいかと。よくないことが起こる予感がするのです」

「……よくない、こと?」

「……はい。小説の熱烈な読者が作者を探し出そうとしています。その者は『クローディア』の大ファンで、『クローディア』によく似たアデレイドさまを見れば、……アデレイドさまを誘拐するかもしれません。…それだけでなく、ローランドさまに危害を加える恐れもございます」

「な……」

 アデレイドは言葉を失った。

 熱烈な読者で作者探しをしている人がいることは兄たちからも聞いていたので驚きはしなかったが、その人がローランドに危害を加えるかもしれないと聞いて身体が震えた。

「……そんなのダメ……」

 掠れる声で呟くアデレイドにハロルドは頷いた。

「……アデレイドさまと出会わなければ、そしてローランドさまがアデレイドさまの婚約者であると露見しなければ問題はないかと」

 アデレイドはぎゅっと両手を組み合わせた。心臓がどくどくと不安に慄いている。

(小説を発表したことは間違いだった…?)

「アデレイドさま」

 アデレイドの顔色は蒼白だった。

「…小説のことだけではございません。アデレイドさまはレオノーラさまに生き写しです。そのことで…何が起こるか分からないとサイラスさまは憂慮されています。…前世の記憶を持つ者が他にもいる可能性があるためです。…そしてその者がレオノーラさまに好意的とは限らないからと」

 アデレイドは表情を陰らせた。一瞬だけ、唇を吊り上げるようにして嘲笑う女性が脳裏に浮かんだがぐっと何かを呑みこむようにして幻影を消す。

自分のことだけならば立ち向かうことも出来る。けれど前世の柵のせいでローランドに危害が及ぶなど言語道断だ。だがその可能性が高いとサイラスが言うのなら、アデレイドはそれを受け止めて対策を考えなければならない。

 今更小説を発表したことを後悔しても遅い。それにそれは必要なことだったのだ。だからそのことを後悔することはやめようと決めた。

 だがアデレイドはどうするべきかわからなかった。


アデレイドはその夜眠れなかった。



 二日間、禿げそうなほど悩んだ。

 アデレイドは兄たちに相談し、アマンダや両親とも話し合った。

 そして決めた。


 アデレイドは一週間後、王都へ向けて旅立った。







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