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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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閑話2

043話直後くらいのお話です。

 学院は新学期を迎えた。

 ジャレッドはローランドの従者として学院に入ったため、ローランドの部屋の隣にある従者用の部屋を宛がわれた。

 学院では侍女や従者を必要とする貴族の子女たちのために各寮の部屋の隣に使用人用の小部屋を用意しているのだ。各小部屋は主の部屋とベルが繋がれており、いつでも主が使用人を呼び出せるようになっている。

 ローランドは今まで特に従者を必要としていなかったのでジャレッドに何かを言いつけることはほとんどないが、一つだけ頼んできたことがあった。


「アデレイドさまの刺繍入りハンカチか」


 ジャレッドは丁寧に絹のハンカチを洗って日陰に干した。

 寮の洗濯は決められた曜日に各部屋の前に置かれた籠に洗濯物を入れておけば学院の使用人が籠を回収して洗濯をしておいてくれるのだが、時折他の人の洗濯物と混ざっていたり、紛失が発生するので、大切な物や繊細な絹などは出せないのだ。

 そのハンカチは先日のローランドの誕生日にアデレイドが贈った物だった。

 ハンカチの角に金色の刺繍糸でローランドの頭文字が丁寧に綴られている。

 ジャレッドはくすりと笑みを零した。

 男装の少女が一生懸命刺繍をしている姿を思い浮かべて微笑ましい気分になったのだ。なんとなくこういう事は苦手なのではないかと勝手に想像していたので意外だった。

 アデレイドは深窓の令嬢レオノーラの生まれ変わりだ。レオノーラならば刺繍などは得意中の得意だろう。とはいえ。

「今生の身体で練習しないとこんなにうまくは出来ないよな…」

 やはりアデレイド自身が修練を積んだ結果だろう。

 ローランドはこれを受け取った時、とても喜んでいた。その大切な品を任されたのだ。ジャレッドは丁寧にアイロンを当てて、折り畳んだ。


 ジャレッドは来年からは学生として学院に入学することになっている。従者が学生になったという前例はない。そのため従者としてあまり目立たないように髪を黒色に染めている。

 オズワルドとうっかりばったり遭遇してもアールだと見破られないようにでもある。

 ジャレッドはまだオズワルドと対面する勇気がなかった。それに、王子の不興を買って学院を追い出されるわけにはいかない。ローランドを守れなくなる。従者の身分の今は立場が弱い。ローランドにまで類が及ぶ危険性もあるのだ。

 幸いなことに今のところジャレッドが王子と遭遇することはなかった。

 なので目下のところ、ジャレッドが対処すべき課題はローランドに近寄る令嬢をうまく排除することだった。


 ジャレッドはローランドに張り付くようにして周囲を警戒した。

 その様子は過保護の一言に尽きる。

「君の従者は君のことを好き過ぎだろう…」

 級友が呆れるほどだ。それに対してローランドは穏やかに笑うだけだった。


 ある時、食堂で数人の男子学生がふざけ合って互いの身体を小突いた拍子に、丁度通路を通りかかった侍女にぶつかり、彼女の運んでいたお茶のカップが宙を飛び、その後ろを歩いていた女子学生にお茶が降りかかるという事件が起きた。

 幸いなことにお茶はそれ程熱くなかったようだが、女子学生は頭から濡れてしまい、呆然としていた。

 まだ幼い少年たちはそれを見て悪かったと思うよりも笑い出す始末。

 その時、すぐ近くに座っていたローランドは咄嗟にハンカチを取り出し、女子学生に差し出した。それはアデレイドから贈られたものではない、別のハンカチだ。

 ジャレッドは主の意を酌んで、側で青くなっている侍女を促して素早く令嬢を食堂から連れ出させた。


 その事件を機に、事件を目撃していた一部の令嬢たちからローランドへ熱い眼差しが送られるようになった。

 ローランドの咄嗟の行動が紳士的であったと評価されたのだ。

 ジャレッドにとっては主の行動は立派だが、令嬢たちに注目をされてしまうことは厄介でしかなかった。


 お茶を被ってしまった令嬢はハンカチを借りた礼にと、頬を染めてローランドの名前の頭文字を刺繍したハンカチを差し出した。

 ローランドは困ったように立ち尽くしていた。そこへジャレッドが必死の形相で現れ、ローランドへ何かを手渡したのだった。

それはジャレッドがアイロンをあてたばかりのアデレイドからの贈り物だった。

 ハンカチを受け取ったローランドは令嬢に丁寧に頭を下げた。

「…お心遣いは有難いのですが、私にはこのハンカチがありますので、それは受け取れません」

 大切な婚約者からの刺繍入りのハンカチ。しかし鬼気迫る様子のジャレッドの態度が令嬢に妙な誤解を与えたようだった。その令嬢は、それをジャレッドからローランドへの贈り物で、ジャレッドがまるで恋人を取られそうになったのを必死に牽制しているように見えたらしい。

「まぁ…。それは存じ上げずに失礼しました。…わたくし、お二人のことを応援致しますわ…!」

 勝手に何かを悟った令嬢は頬を染めたままいずこかへ走り去ったのだった。

 ローランドは令嬢がアデレイドとのことを応援してくれるつもりだと解釈し、嬉しそうに頬を綻ばせた。一方のジャレッドは令嬢が変な妄想をしたことに気付いていたが、敢えて否定するつもりはなかった。

 今後のことを考えれば、そう思われた方が都合がいい。

 ジャレッドはそれ以降もぴったりとローランドの側に張り付いて、時には一部の令嬢方の妄想を煽るような行為(敢えてローランドのタイを結びなおしてみたり)を取ったりもした。

 それにより、以前から少しだけ取り沙汰されていたローランドのとある噂はすっかり真実であると学院中に定着してしまったのである。




「…ジャレッド。おまえは主の評判をどうしたいんだ」

 ジャレッドが敢えて噂を助長させる行動を取っていることにジェラルドは眉間に皺を寄せた。

「…ローランドさまに変な虫が付かないようにです」

「…アディ一筋のローランドが他の令嬢に目移りするはずがないだろう」

「ローランドさまのお気持ちが揺るがないことは確信しています。ですが、ローランドさまに好意を抱く令嬢が現れれば、そう簡単に諦めて頂けるとは思えません」

 強い眼差しで言い切るジャレッドに、ジェラルドは顔を顰めつつも頷いた。

「…それは否定出来ないが…」

「そうでしょう!?ローランドさまとアデレイドさまが面倒事に巻き込まれでもしたら大変です。ローランドさまは素晴らしい方です。ローランドさまに好意を持たれる令嬢もたくさん出て来るでしょう。ですがそれは厄介です」

「…ローランドは婚約者一筋だと思わせればいいんじゃないか?」

「…それですとアデレイドさまに関心を示される方も出て来るかと。そうなると、中にはアデレイドさまを排除しようとする過激な方も現れるかもしれません。僕がその対象となっていた方がよいかと」

「……。おまえはそれでいいのか?」

「僕は構いません」

 きっぱりと言うジャレッドに、ジェラルドは目を瞠った。

ジャレッドはローランドの婚約者に注目が集まり、それが王子の耳に入りでもしたら厄介だと考えた。どんな令嬢かと根掘り葉掘り噂が飛び交い、銀髪の美少女だということが知れ渡ってしまったとしたら。

 その仮定はジェラルドにとっても歓迎出来ない事態だった。オズワルドにアデレイドのことを知られてしまうことは。

「まぁ…ローランドが気にしていないみたいだから、いいか」

 その辺りのことに関してローランドは無頓着なのだ。

 二人は多少ローランドに変な噂が立っても、致し方ないこととして割り切ることにした。

「…ローランドにそっち系の本物が近寄らないようにしろよ?」

「心得ています。僕が身体を張ってでもローランドさまを守ります」

 

 ジェラルドとジャレッドの間に奇妙な同盟関係が結ばれたことなど知る由もなく。

 ローランドはアデレイドから贈られたハンカチを愛しそうに見つめると、丁寧に胸の隠しに仕舞った。ハンカチというよりはお守りのような扱いだ。

 その光景を目撃した一部の令嬢たちの間では、ローランドと従者の切ない恋物語に興奮し過ぎて失神する者も出たとか出ないとか。


 ともかく、ローランドは令嬢たちからは遠巻きにされる存在となったのであった。





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