047
翌日の午後、ジェラルドの友人がデシレー邸に到着した。
ジャレッドも一緒だ。
ジャレッドは馬に乗り慣れていないため、道案内も兼ねて馬車に同乗させて貰ったのだった。
馬車から降りたのはブルネットの髪に少し勝気そうな碧の瞳の綺麗な少女だった。
アデレイドはジェラルドの友人としか聞いていなかったのでそれが少女であることに少なからず驚いた。この日もアデレイドは周囲の反対を押し切っての男装姿だった。
「ようこそクリスティーナ嬢」
両親との挨拶を済ませたクリスティーナの目がアデレイドに向けられた。それが一瞬きらりと光ったように見えたのは、気のせいだろうか。
なんとなく落ち着かなくてアデレイドは庭園をあてどなく彷徨っていた。そこへ背後からたたっと近寄ってくる足音が聞こえてアデレイドは振り返り、――固まった。
そこにいたのはクリスティーナだった。
アデレイドから十歩程の距離で立ち止まったまま彼女はじっとアデレイドを見つめていた。
クリスティーナは瞳をキラキラと輝かせていた。その頬は紅潮し、興奮のためか、若干鼻息が荒い。
「可愛いですわ…!!!」
アデレイドはたじろいだ。何やら身の危険をひしひしと感じる。一歩後ずさると反射的にクリスティーナの足が前に一歩進む。アデレイドはすぐさま一歩下がった。するとすかさずクリスティーナが一歩分距離を詰める。いつの間にかクリスティーナの両手はアデレイドを捕まえんとばかりに前方に突き出す形で伸ばされ、何やらにぎにぎと指が蠢いている。
(…怖いです、クリスティーナさま)
アデレイドが半ば本気で蒼褪めていると王子様が救出に来てくれた。
「アディ!」
「ローランド!」
思わずローランドの背に隠れると、クリスティーナがショックを受けたように項垂れた。
「そんな、本気で怯えないでくださいな…」
「いや、怯えるだろ、今のは。クリスティーナの顔、変質者ぽかった」
「酷いですわ!ジェラルド!」
「…ジェル兄……」
笑いながらクリスティーナの後ろから現れたジェラルドにローランドが少々剣呑な目を向ける。側に居たのならもっと早くアデレイドを救出できたはずだと言いたげだ。
「怒るなって。別に取って喰いやしないよ。クリスティーナは単に可愛いものが大好きなんだよ」
ただし好意がエスカレートし過ぎて、対象を構い倒し、対象から嫌われるという哀しい現実ではある。
「ジェラルド、この可愛い生き物はなんですの。わたくし連れて帰りたい……」
未だに目だけはギラギラとアデレイドをロックオンしているクリスティーナに、アデレイドはひっと息を飲んでローランドの後ろに隠れた。その反応にクリスティーナはがっくりと肩を落としている。
「…そんなに警戒しないでやってくれ。結構傷付きやすいんだ、俺の恋人は」
苦笑交じりにさらりと言われた最後の言葉にアデレイドはびっくりしてローランドの後ろから顔を出した。
「え、兄さまの恋人!?」
兄の恋人という存在に思った以上に衝撃を受けた。
「どうした?アディ。変な顔して」
ジェラルドが近付いて、アデレイドの両頬を両手で挟む。アデレイドは何と言えばいいのか分からない複雑な気持ちに戸惑っていた。なんとなく兄が遠くへ行ってしまう気がして、ジェラルドの背に腕を回してぎゅっとしがみつく。頭上に笑声が零れた。
「…例え恋人が出来ても、アディが大事な妹だってことは変わらないぞ」
ジェラルドの大きな手が柔らかなアデレイドの髪を撫でた。アデレイドは小さく頷いた。それは分かっているが、淋しさは拭えない。
(…祝福、しないといけないのに)
アデレイドはきゅっと目を瞑ると、目を開け、精一杯の笑顔を浮かべて兄を見上げた。
「兄さま、素敵ね。…私、クリスティーナさまにお花を摘んでくるわ。クリスティーナさまはどんなお花がお好きかしら」
ジェラルドはアデレイドの頭を優しく撫でた。
クリスティーナは感激して瞳を潤ませている。クリスティーナから青い花が好きだと聞いて、アデレイドはローランドの手を引っ張った。
「ローランド、行こう」
ローランドは頷いて一緒についてきてくれた。
庭園の隅の温室まで来ると、アデレイドは無言でローランドに抱き付いた。ローランドは何も言わずにアデレイドの背中をそっと抱きしめてくれた。
アデレイドは兄に恋人が出来たことで、いつかローランドにも恋人が出来て遠くへ行ってしまうのではないかと思えてならなかった。
(…お、落ち着け。私なんでこんなに動揺しているの)
「…アディ。クリスティーナさまと話してみようよ。どんな人か知れば、仲良くなれるよ、きっと」
ローランドの落ち着いた声に、アデレイドの心も凪いできた。
「……うん。…ローランドも一緒にいてくれる…?」
「勿論。…何かあの方とアディを二人きりにするのは危険な気がするし」
苦笑するローランドに、アデレイドは酸っぱい気持ちになった。確かに先ほど対面したクリスティーナは異常にアデレイドに関心を示していた気がする。
「……。仲良くなれる…かな…」
「好意的ではあったと思うから、多分…」
二人は顔を見合わせて微妙な顔つきになった。けれどその顔がお互いに可笑しくて同時にくすっと笑った。
「一先ずお花を選ぼうか。クリスティーナさまは青い花がお好きみたいだね」
「…多分、兄さまの瞳の色だからだと思う」
アデレイドはそのことに気付いて、ふわりと胸の奥が温かくなるのを感じた。
(…うん、クリスティーナさまのこと、好きになれそう…)
青い花はそれ程多くはない。空色に近い明るい青のリンドウやキキョウなどと白い花を組み合わせて涼しげな花束を作った。
*
アデレイドから花束を受け取ったクリスティーナは感激のあまりアデレイドに抱き付いて喜んだ。
「嬉しいですわ!そして可愛い…。めちゃくちゃ可愛い…!」
「く、クリスティーナさま…苦し…」
アデレイドが小さく呻くと、クリスティーナはパッと手を離してくれた。
「まあ、ごめんなさい…!わたくし、つい興奮して…。弟にもよく叱られますの」
しゅんとしてしまったクリスティーナに、アデレイドはつい微笑んでしまった。
(なんか可愛い方かも…。クリスティーナさま)
アデレイドが小さく笑ったのを見てクリスティーナは急浮上した。
「わたくし、アデレイドさまにお会いするのが楽しみで楽しみで仕方なかったのですわ。わたくし妹が欲しかったのです」
そうしてにこにこと笑ってアデレイドの両手を取った。
「仲良くしてくださいね」
アデレイドはふわりと微笑んだ。クリスティーナとならきっと仲良くなれると思えた。その笑顔は花が開くように艶やかだった。
「はい。クリスティーナさま、こちらこそよろしくお願いします」
クリスティーナは嬉しそうに頷いたが、ほんのりと頬を染めると少し躊躇うようにしながらもあるお願いをしてきた。
「あの…。よろしければわたくしのことは、その…、お、お姉さまと…」
お姉さま。アデレイドは瞬いた。
(そっか、お姉さまが出来るのか。…それは素敵かも)
「…はい、お姉さま、私のことはアディと」
呼んでくださいと言うより前に、アデレイドは再びクリスティーナに抱き付かれていた。
**
その後のジェラルドとクリスティーナの会話。
「何かクリスティーナが異常に素直なんだが。俺に対する態度と違い過ぎないか?」
「可愛いは正義ですわ!可愛い子には絶対服従ですわ。…ああ、アディちゃんが想像以上に可愛くて幸せですわ…」
小さき者、可愛いものには超絶素直なクリスティーナであった。
「アディが学院に入学したら気に掛けてやってほしい」
「当然ですわ!アディちゃんはわたくしの可愛い妹ですもの!」
そんなクリスティーナに、妹を溺愛するジェラルドは嬉しくなった。アデレイドを邪険にするような女性には側に居て欲しくない。隣に座るクリスティーナの頭をそっと引き寄せる。
「クリスティーナも可愛いよ」
「な、何をいきなり言いますの!?可愛くなんてないですわ!わたくしはつり目だし、高慢だし!」
「そういうところが可愛い」
にっこりと極上の笑顔を向けられて、クリスティーナは押し黙った。顔が真っ赤に染まってゆく。
クリスティーナとジェラルドはクリスティーナが十七歳になったら正式に婚約し、卒業後結婚することになっている。ジェラルドは学院卒業後は領地に戻って父親の元、領主の仕事を手伝う予定だ。あと半年で学院を卒業するため二人は暫く会えなくなる。
クリスティーナはそれが淋しくて仕方ないのだが、なかなかそれをジェラルドに言えずにいた。
「わたくし、このお屋敷が気に入りましたわ!」
「……それは早くお嫁に来たいという意味?」
「!!純粋に建物が気に入っただけですわ!……べ、別にジェラルドがいなくなったら淋しいからとかじゃなくってよ!」
と慌てたように言い足すクリスティーナにジェラルドは吹き出した。
「…やっぱりクリスティーナは可愛いな」
「!!」
二人は一緒に過ごせる時間を大切にしようと誓い合った。




