043
夜、ジャレッドの部屋にハロルドが訪れた。
「……!バラクロフ…」
「…アール・ラングリッジ。久しいな」
お互いに転生者だとその一言で理解した。ジャレッドは動揺した。まさかアデレイド以外にも転生者がいたとは。
「…俺だけではない。……ジュリアン・グランヴィル殿の転生者や、……エルバート殿下もいる」
「……!!」
エルバートの名を聞いてジャレッドは心臓を鷲掴みされた心地がした。
ハロルドはジュリアンが現グランヴィル公爵家の次期当主として生まれ変わっていることや、自分がサイラスに仕えていたことをざっと説明した。
「……アデレイドさまには教えていない。現王家の第三王子オズワルド殿下がエルバート殿下の生まれ変わりだとは。……そして殿下もアデレイドさまの存在を知らない」
ハロルドの話にジャレッドは息を飲んだ。
「…殿下は、記憶をお持ちなのか?」
「…ああ。俺が対面した時はまだ幼くて何もご存じないご様子だったが、サイラスさまによると八歳頃に覚醒されたらしい。…今殿下は十三歳だ」
「…殿下は魔女のことはどうお考えなのだ。もしもアデレイドさまがレオノーラさまの生まれ変わりだとお知りになったら、どうなる」
「…魔女のことには一切触れておられない。だが幼い頃よりレオノーラさまの肖像画に恋をされていたという。覚醒後は尚更レオノーラさまを求めておられるだろう。ゆえに、アデレイドさまの存在をお知りになったら、囲われてしまうかもしれない」
「…………」
ジャレッドは言葉を失った。恐らくその可能性が高いことは自身が一番理解していた。
(そうだ、殿下はレオノーラさまのことを)
とても大切にしていた。そのエルバートが心変わりをしてしまうなどと誰が思っただろう。
(魔女はするりと殿下の懐に潜り込んだ。気付かぬうちに)
じわりとこめかみに冷たい汗が浮かぶ。
前世の記憶を持って生まれた者たちが集い始めている。アデレイドを中心に。ならば「魔女」も、生まれ変わっていないと誰が言えよう。
(また魔女が現れたら、どうなる…)
「……俺はアデレイドさまをお守りする。命に代えても」
ハロルドの静かな声にジャレッドははっとして顔を上げた。
「魔女に好き勝手はさせない。……おまえはどうする?」
鋭い眼差しで射抜くように見据えられてジャレッドは無意識に呼吸を止めた。
ジャレッドはクライヴがブリジットに想いを寄せていたことを知っていた。
「貴殿は魔女を」
「…まやかしだ。俺は彼女の表面しか見えていなかった。…その結果、レオノーラさまを見殺しにしてしまった。その罪は重い。だから今度こそ守る」
「……」
ハロルドの強い言葉にジャレッドは口を噤んだ。
当時の記憶は鮮明だが所々曖昧な部分があり、なぜそんなことをしたのか、自分でも説明のできないことがある。
魔女に想いを差し出してしまったことや、エルバートの想い人がブリジットだと思い込んでいたこと。幼い頃のレオノーラとエルバートの仲睦まじい記憶も確かにあるのに、どこかで捻じ曲げられたことに気付かず、エルバートがブリジットを愛するのは必然なのだと納得していた。
記憶を操作されていたことに気付いたのはレオノーラを喪った後だ。それまで気付くことができないほど巧妙で、そのことに気付いた後でも、そんなことをされたとは俄かには信じ難い程、自分の感情に基づいて行動していたとしか思えない。
クライヴがブリジットに抱いていた想いが本物なのかまやかしなのかは本人にも分からないかもしれないとジャレッドは思った。
それでもその記憶は確かに胸に有るはずだ。一度は好いた相手を、敵と思い切れるのか。けれどそんな問いなど愚問だとはっきりとハロルドの眼差しが告げていた。
(バラクロフは、強い…)
「…おまえはどうする」
再び問われてジャレッドは一瞬迷うように瞳を揺らしたが、一度ぐっと強く目を瞑ってから瞼をあげた。その瞳にはもう迷いはなかった。
「俺は――」
**
ジャレッドはハロルドに頼んで翌朝ほんの少しでいいからアデレイドに会いたいと伝えて貰った。アデレイドは朝食前のひととき、庭にいると答えた。
ジャレッドが庭に向かうと、アデレイドは生垣の奥に隠されるように置かれたベンチに腰掛けていた。側にはハロルドが付いている。
ジャレッドが近寄ると、アデレイドがふわりと微笑んだ。
「ジャレッド」
ジャレッドはそれだけで胸がいっぱいになった。心臓がどきどきと高鳴る。
アールであったならばここで逃げ出していただろう。けれどジャレッドはぐっと踏みとどまった。逃げ出してしまったら生まれ変わった意味がない。
アデレイドの座るベンチから数歩手前で止まると、真っ直ぐ目を逸らさずにアデレイドを見つめた。
「……アデレイドさま。信じて貰えなくてもいい。……アールは決してレオノーラさまを嫌っていたわけじゃない。あんな態度をとってしまって………たくさんレオノーラさまを傷付けてしまって、愚かとしかいいようがないし、赦して貰えるとも思っていないけれど。…これだけは伝えておきたくて。……僕は貴女に幸せになってほしい。…レオノーラさまの分まで。…貴女が身を引く必要などない」
アデレイドは驚いて目を見開いた。ジャレッドは一生懸命自分の気持ちを伝えようとゆっくりと一言一言、紡いだ。緊張したため、言い終わった時には軽く疲労困憊だった。そこが限界だった。
「そ、そういうことですから」
くるりと踵を返して走り去ろうとすると、アデレイドが引き留めた。
「待って、ジャレッド!」
ジャレッドの足が止まる。恐る恐る振り返ると、アデレイドが微笑んだ。花が開くように、艶やかに。
「……ありがとう、ジャレッド」
ジャレッドはその笑顔に見惚れた。胸の奥底から温かい感情が湧き出してくる。
…伝えられてよかった。…アデレイドが笑ってくれて嬉しい。
自然とジャレッドの顔にも笑顔が浮かんだ。それと同時に涙も溢れそうになったので、ぱっと後ろに向き直るとジャレッドは慌ててその場を走り去った。
**
「ローランドさま。お願いがあります」
帰りの馬車の中でジャレッドはローランドの向かいに座り、真っ直ぐにその瞳を見つめて言った。
側近はある程度主に近付くものを操作できる立場だ。アールはエルバートの侍従として彼に近付く人々の思惑を受け止めて来た。
権力に阿る者、利用しようとする者、威を借りようする者、搦めとろうとする者。
人間の汚い部分もたくさん見て来た。それらをローランドに見せたくないと思った。
ジャレッドはローランドが持つ清廉な雰囲気が好きだった。まだ子供で、世間を知らないだけかもしれない。けれどなんとなく、ローランドは大人になってもその清涼感を失わないだろうなと思った。失ってほしくないとも思った。だから。
邪な人間に触れてローランドが変わってしまわないように、ジャレッドが盾になるのだ。
(アデレイドさまに、レオノーラさまのような思いはさせない)
アールはレオノーラが好きだった。主の婚約者である少女を。想うことすら許されない相手だ。元より気持ちを告げるつもりはなかった。二人の幸せを側で見続けるはずだった。それは辛いことだっただろう。けれどあんな結末よりはマシだった。主の想いが別の女性へと移ってしまった時に、アールがレオノーラへの想いを失くしていなければ彼女を救えただろうか。
どうなったかはわからない。けれどこんな後悔はしなかったはずだ。
ジャレッドは辛くて苦しいばかりだった恋心を手放したばかりにアールが過ちを犯したことを後悔した。
手放すべきではなかった。どれ程苦しくても、自身を苛むだけだとしても。大切な想いを魔女に売り渡してはいけなかった。
(レオノーラさま……)
レオノーラは死んで、アデレイドとして生まれ変わった。けれど彼女は心に傷を負い、髪を切り、ドレスも脱ぎ捨ててしまった。
(俺は)
アデレイドは笑ってくれたけれど、それでは足りない。ジャレッドではアデレイドの傷を癒すことは出来ないだろうと思った。だからせめて彼女の大切なものを守りたいと思ったのだ。
(アデレイドさまにはバラクロフが付いている。バラクロフなら安心だ。だから俺は)
「僕を学院へ連れて行ってください。ローランドさまの従者としてお側にいたいです」
ジャレッドはあらゆる誘惑からローランドを護ろうと思った。ローランドの側で、アデレイドのために。
そのためには学院へ行かなくてはならない。アデレイドと離れている隙に「魔女」がローランドに近付かない保証はないからだ。
ローランドは王子ではない。だから権力に群がる者がローランドに近付くことはないだろう。けれどローランドは誠実で温厚な美しい少年だ。その価値に気付く令嬢は必ず現れる。
令嬢が頑張って近寄れば、ローランドとて心を奪われてしまうかもしれない。けれど阻止できるならジャレッドは可能な限り他の令嬢をローランドに近付かせないつもりだ。お邪魔虫になる気満々だ。
エルバートの心変わりは「魔女」を主に近付けてしまった自分の失態によるものだ。
二度と自分の気持ちを手放さない。
自分の好きな少女が誰か分からなくなるなど、あってはならないのだ。それは自分の核でもあるのだから。
そしてもう一つ。
(もう主を失いたくない)
今度こそ最期まで主の側に居たい。それが「従者」としての己の責務であり誇りだ。主を憎んでしまった前世の自分は辛く惨めな最期を迎えた。当然だ。半身を失ったようなものなのだから。
ジャレッドは緊張しながらローランドの返事を待った。ローランドがダメだと言ってもあらゆる手段を使って学院に潜り込みこっそりと陰から守ろうとまで考えている。けれど出来れば正々堂々と側に居る許可が欲しい。
固唾を飲んで身構えているジャレッドに、ローランドはふわりと微笑んだ。
「…急に何を言い出すのかとびっくりしたけど…、ジャレッドが本気なら、父上に頼んでみるよ」
ジャレッドはぱぁっと辺りが明るくなるような笑顔になった。それを見てローランドは驚くと同時に嬉しくなった。ジャレッドがそんな風に笑ってくれたのは初めてだ。ジャレッドが主に「お願い」をしたのも初めてで、その内容は前向きなものだった。
叶えてあげたいと思った。それに勉強することはいいことだ。将来の選択肢が増えるだろう。ジャレッドがローランドの従者ではなく、別の職に就きたいと言ったら、少し寂しいけれどローランドは喜んでジャレッドの意志を尊重するつもりだ。
屋敷に帰り、早速父親に相談すると、ロバートは呆気にとられたようだったが構わないと言ってくれた。
屋敷の使用人たちはジャレッドが熱を出して倒れたことを心配してくれていた。
「よかったわ、無事帰って来られて。心配したのよ」
ジャレッドは心配をかけたことを詫び、礼を言った。まだ屋敷で過ごした期間はほんの僅かだが、ここが「帰る場所」なのだとすとんと心に落ちた。
前世の記憶を取り戻したジャレッドは見違えるように器用になった。記憶と共に身体も従者としての作法を思い出したのだ。
これには皆驚いた。
「熱を出して、アイロンはうまくなるし、学院に行きたがるし、どうしちゃったの」
驚いたが皆喜んでくれた。
ジャレッドは学院入学に必要な知識を備えていた。学院は従者の存在を認めているので、ジャレッドは従者として学院に行くことも出来るが、ロバートはジャレッドを学生として学院に入学させることにした。まだ十二歳なので正式な入学は来年だが、ジャレッドがローランドの側に居たいと強く願ったため、一先ず従者として夏休み明けから一緒に学院に行くことになった。グレアムは身内を学院に通わせてもらえることに恐縮した。
ジャレッドも学生として通わせて貰うつもりはなかったので驚いたが、ロバートとそして何よりもローランドがそれを望んでいるのだった。
ローランドの気持ちとしてはジャレッドが自分を慕ってくれるのは嬉しいが、やはり自分の身分で従者を連れ歩くことは憚られた。だがジャレッドが側に居たいと望むなら、いっそのこと学友として一緒に学べたらいいと思ったのだ。それはジャレッドの為にもなるだろうから。
ジャレッドは胸が熱くなるのを感じた。
学費は決して安くはない。それをポンとただの使用人の子供に出してくれるロバートに頭が下がる。それを後押ししてくれたローランドにも。
彼らに報いたいと思った。
もしもあらゆる努力をしてそれでもローランドが心変わりをしてしまったとしたら。
(それでも俺はローランドさまのお側にいよう)
アデレイドを哀しませたくはない。けれどローランドのことも裏切りたくないのだ。
そんな未来など来なければいいと願う。
けれど未来は誰にもわからない。ジャレッドは改めて身が引き締まる思いがした。わからないからこそ、人は理想の未来を引き寄せるために努力する必要があるのだと思ったのだ。
学院に行くにあたって一つだけ不安なことがあった。それは学院に在籍しているというオズワルドのことだ。
(エルバート殿下の生まれ変わり…。出会ったら、どんな顔をすればいいのだろう)
かつて袂を分かってしまった、けれど大切だった主。あの時は離れなければならなかった。自分が彼を殺してしまう前に。きっとそれは正しい選択だった。けれどその行為は完全に裏切りだ。彼は自分を覚えているだろうか。別れたのは十代の半ばの頃。その後の長い人生を思えば、既に忘れられている可能性も高い。それならそれでいいとジャレッドは思った。自分のような汚点は殿下の記憶から抹消されていて欲しい。でもどこかで覚えていて欲しいとも感じている。強欲だなと自嘲する。もう自分は彼の従者にはなれないというのに。
(清算するしかない)
オズワルドに出会ったら、贖罪をして、過去を清算し、改めてやり直すのだ。ジャレッドとしての生を、ローランドの従者として。ローランドが待っていてくれるのなら、ではあるが。
ジャレッドは恐れと不安と、一欠けらの希望を胸に、学院での新生活のための荷造りに取り掛かった。
*おまけ*
ハロルドにアデレイドの男装の感想を聞くジャレッド。
「……バラクロフは、アデレイドさまの格好を…どう思う?」
ジャレッドがドキドキしながら訊ねると、ハロルドはしばし目を瞬かせたが、重々しく頷いた。
「……いいと思う」
「……は?」
「……女性が男物の衣服を纏うのは、衝撃的ではあったが、……凛として、美しいあの方には似合っていると思う」
「………………」
ジャレッドはハロルドの言葉に衝撃を受けていた。
(え、なに、その発言は。バラクロフ、アデレイドさまのことを…。…え!?)
心なしかハロルドの目元がほんのり紅い、ように見える。何故かジャレッドは焦った。張り合うように急いで言う。
「……!!うん、僕も似合っていると思う!」
「ああ。そう言っていたな」
「え?」
「ローランド殿に」
「……。バラクロフ、どこにいたの?」
「庭に。…アデレイドさまとおまえを二人きりにするわけにはいかないからな」
ずっと見張っていたらしい。
「…………」
ジャレッドは酸っぱい気分になった。
ジャレッドが目を逸らすと、ハロルドに頭を撫でられた。
「な、なにをする!」
驚いて叫ぶと、何故か生暖かい眼差しを送られた。
「…随分小さくなったと思って」
「…!僕はこれから成長するんだ。バラクロフが無駄に大きすぎるんだよ!」
ジャレッドの反論にハロルドは微笑むだけだ。
「……絶対バラクロフよりでかくなってやる……」
ぼそりと怨念のこもった呟きがジャレッドの口から洩れた。ハロルドは破顔した。
「それは楽しみだ」
ハロルドはジャレッドが大人になるのを見守りたいと思った。しかしジャレッドにとっては挑発されたも同然だった。
(……今に見てろ……!!)
闘志に燃えた瞳で睨み付けられても、ハロルドにしてみれば「元気があっていい」という印象だった。嬉しそうに笑う。
「………………………」
ジャレッドはがっくりと項垂れた。敗北感でいっぱいだ。
(……。なんなんだよ、その好々爺みたいな顔は……)
ハロルドはアール・ラングリッジの生まれ変わりであるジャレッドに出会えて思った以上に自分が喜んでいることを自覚していた。
レオノーラの葬儀の後、姿を消したアール。
それが一生の別れになるなどとは思いもしなかった。クライヴはあの時アールを引き留めておけばと後悔した。
生まれ変わったジャレッドはアールと同じようにどこか純粋な部分を持っている。そのまままっすぐ成長してほしいとハロルドは思った。アールのようにどこかで捩じれてしまわずに。そんな気持ちを込めてもう一度ジャレッドの頭を撫でるとジャレッドはもはや抵抗せず、どこか諦めたように目を細めた。
ハロルドはそんなジャレッドに微笑むと、励ますように言った。
「…誓いを守れ」
「…!」
自分の望みを叶えるために。前世のような後悔をしないために。大切な人を守るために。
ジャレッドはぐっと顎を引くと、ハロルドの瞳を見つめた。
その瞳は温かく、この再会を喜んでくれているのがわかった。ジャレッドはどうしていいかわからずうろうろと視線を彷徨わせたが、その間もずっとハロルドが見守るように自分を見ていることに気付き、狼狽えるのをやめた。
ハロルドの瞳に目を合わせて頷くと、ハロルドも小さく頷き返した。それだけで勇気が湧いてくる。ジャレッドは覚えておこうと思った。ハロルドが自分を見ていてくれていることを。弱くて愚かな自分に負けないように。




