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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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43/98

040

 アデレイドを見た途端倒れたジャレッドは高熱を発しそれから三日三晩寝込んだ。

 ローランドはジャレッドを動かすことが出来ず、そのままデシレー邸に滞在していた。

 アデレイドは複雑な気持ちでジャレッドの看病をするローランドを見つめた。

(ジャレッドは…アール・ラングリッジに間違いない、と思う…)

 エルバートの腹心の忠実な侍従。

 倒れたジャレッドを使用人用の空き部屋に運んだあと、ハロルドも複雑な表情でアデレイドに告げた。

「…恐らく、アール・ラングリッジの生まれ変わりで間違いないかと。アデレイドさまをご覧になって覚醒に至ったと思われます」

 まだ目を覚まさないジャレッドが本当にアールの生まれ変わりかは確かめようがない。けれどアデレイドにもハロルドにも予感めいた確信があった。それゆえにアデレイドはジャレッドが目を覚ましたときにどんな顔をして対面すればいいのかわからなかった。そもそも顔を合わせない方がいいのかもしれない。

(レオノーラのことを…アール・ラングリッジは嫌っていた)

 アールのことを考えると苦い思いが胸を圧迫する。アデレイドはぎゅっと目を瞑って首を横に振った。

(ダメ。この子はアールじゃない、ジャレッド。ローランドの従者)

 先入観に囚われてはいけないと分かっている。それでもアデレイドはジャレッドが覚醒しなければいいなと、後ろ向きな考えをやめることが出来なかった。



 アールは代々王家の侍従長を務める名門ラングリッジ家の妾腹の子だった。母親が亡くなったため幼い頃にラングリッジ家に引き取られたが、正妻や兄たちに疎んじられて育った。そんなアールを侍従に抜擢したのはエルバート王子だった。

 だからアールにとってエルバートは救世主だ。その時からアールはエルバートに忠誠を誓っている。




 アールは八歳から小姓としてエルバートの身の回りの世話をしていた。エルバートはアールの一つ年上の九歳。けれどアールにはとても大人びて見えた。

「アール。今度私の婚約者を紹介するよ。王宮に会いに来てくれるんだ」

 少しはにかみながらそう告げたエルバートはいつもより幼く見えてアールはびっくりした。

(殿下が照れている…)

「バラを用意しておいてくれないか。レオノーラには薄桃色がいい、いやそれとも白百合がいいかな。…どう思う、アール」

「いえ、僕はお会いしたことがないので」

 エルバートが婚約者に贈る花の種類でこんなにも悩むとは意外だった。アールがくすりと笑うとエルバートは決まり悪そうに横を向いた。

「…喜んでもらいたいから」

 アールはエルバートの婚約者はどんな少女なのだろうと、会うのが楽しみになった。



「エルバートさま」

 満面の笑顔で駆け寄って来た少女は天使のように愛らしかった。背の中ほどまで伸びた真っ直ぐな白銀の髪は陽光を受けてきらきらと煌めき、紫紺色の瞳はずっと見ていたくなるほど綺麗だった。淡いオレンジ色のドレスがよく似合っていた。

 エルバートも嬉しそうにレオノーラを迎えた。

「レオノーラ。会いたかったよ」

 エルバートが散々悩んだ末に選んだのは薄桃色のバラの花束だった。それを受け取ったレオノーラはパッと辺りが華やぐほど嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 アールはこんなに綺麗な女の子は見たことがないと思った。目が吸い付いたようにレオノーラから離れない。エルバートは振り返って、ポカンとしているアールに苦笑した。

「アール、見過ぎ。レオノーラが可愛いからってそんなに見たら減るからダメ」

 その言葉にアールはカッと頬が赤くなるのがわかった。

「み、見てません!!別に、全然可愛くない!!」

 そして失言に気付いたのは大きな瞳を見開いて泣きそうな表情のレオノーラを見たときだった。エルバートは天を仰いでいる。

 仮にも主の婚約者に向かってあり得ない暴言を吐いた。アールの顔から血の気が引いていく。

「レオノーラ、アールは照れているだけだよ。気にしなくていい」

 エルバートがとりなすようにレオノーラの手を取り目線を合わせて微笑むと、レオノーラの強張っていた頬が緩んだ。そしておそるおそるアールの方を向く。

 ここで謝るべきだった。エルバートの小姓としても、アール個人としても。けれどアールの取った行動は最悪だった。

 ぷいっと横を向いてしまった。

 レオノーラに見られていると思ったら、動悸が激しく乱れて真っ直ぐ前を向いていられなくなったのだ。

「アール」

 流石にエルバートが咎めるように名を呼んだがアールの頭は真っ白だった。

 そして逃げてしまった。


「アール」

 夕暮れになって、温室の隅っこに膝を抱えて小さくなっていたアールの元へエルバートが迎えに来てくれた。アールは顔を上げられなかった。

「殿下、ごめんなさい……」

 小さな声で泣きながら謝るアールに、エルバートは溜息を零した。

「謝る相手が違う」

「…………………」

 アールは押し黙った。その通りだった。

「……レオノーラさまは……」

「帰ったよ。……アールに嫌われたと思って哀しそうだった」

 その言葉にアールは胸を抉られたように苦しくなった。傷つけるつもりはなかった。けれど自分のしたことは最低だった。

「…ごめんなさい…」

 エルバートがレオノーラを大切に想っていることは一目でわかった。主の大切な婚約者を傷つけた小姓などクビを言い渡されるに決まっている。

 自業自得だ。それでもアールはエルバートにそれを告げられることを恐れた。

「アール」

 名を呼ばれてびくっとアールの肩が跳ねた。ぎゅっと目を瞑って顔を抱えた膝に押し付ける。

 エルバートの小さな溜息が落ちた。その失望の音にアールは胸を刺されたような痛みを感じた。…けれど。

「……怒ってないよ」

 次の言葉にアールは息を止めた。

「……え?」

 呆然と顔を上げると、苦笑しているエルバートが目に映った。

「アールがあんなことを言ってしまったのは私がからかったせいだからね。私も悪かった。でも今度レオノーラに会ったらちゃんと謝るんだよ?」

 労わるように優しく背中を撫でられてアールの瞳から涙が溢れた。

「殿下……」

 主の寛大な措置にアールは申し訳さなと有難さと情けなさで胸がいっぱいになった。

(なんであんなことを言ってしまったんだろう。レオノーラさま、泣きそうだった)

 次にレオノーラに会ったら絶対に謝る。そう決意していた。



「この間は失礼なことを言って申し訳ありませんでした」

 出会い頭に直角に頭を下げて謝ると、レオノーラはびっくりしたようだが「ゆるしてあげる」と言ってくれた。アールはほっとして顔を上げた。だが、後でそのことを後悔する羽目になった。もう少し頭を下げているべきだった。

 顔を上げたアールが見たのは仲直り出来て嬉しそうに微笑む天使のように可愛らしいレオノーラだった。

 かぁっと顔が真っ赤に染まり、心臓が突然暴走するように動き出す。アールはまたも逃げ出してしまった。


(なんだこれ…!僕は変だ)

 どくどくと異常に早い鼓動を刻む心臓に手を置き、頽れるようにその場に蹲る。逃げ込んだ先は以前と同じ温室だ。エルバートに頼まれてレオノーラのためにバラを摘んだ場所。

「アール」

 名を呼ぶ声にアールは心臓が止まるかと思った。振り返るとそこにはレオノーラがいた。逃げたアールを追ってきたのだ。

「え、…な、なん」

 アールは混乱のあまり口をパクパクとさせるだけでまともな言葉が一つも出て来ない。レオノーラは哀しげに眉根を寄せていた。

「アール…わたくしのこと、きらい…?」

 涙目で問われてアールはさらに心臓が豪速で動き出すのを感じた。爆発しそうだ。

「ち、ちかよるな!!」

 もう何を口走っているのかアール自身にもわからなかった。ただこれ以上レオノーラに関わるのは危険だと思った。

「きらいだ!だからもう僕にかかわるな!!」

 そして目を瞑ったまま後ろを振り返らずに逃げた。



 対レオノーラ限定のアールの挙動不審の理由をエルバートは察していた。だから二人をこれ以上会わせないことがお互いのためだと思った。

「アール、レオノーラにはもう近付かないで。理由は分かっているね?」

「……はい」

 アールを責めずに、解雇もせずにそのまま側に居させてくれるエルバートにアールは感謝した。もうレオノーラには会わない。会えば愚かな自分は無駄に彼女を傷付けてしまうだけだから。

 まだアールは気付いていなかった。この気持ちがなんなのか。気付かないまま、彼はその気持ちに蓋をして胸の奥底に沈めた。





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