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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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40/98

038

 三百年前は十五歳で成人と見做されたが、学院が創立されたことにより、現在では学院を卒業する十八歳を成人と見做すのが一般的になっている。けれど昔の名残で十五歳は節目の年とされ、現代でも盛大に祝う。学院に通う貴族の子女は学業を優先する傍ら、十五歳を過ぎると様々な夜会へ出席することが出来るようになる。そこで結婚相手を見繕うのだ。

 今宵の夜会はウィンストン伯爵の長女クリスティーナの十五歳の誕生日を祝う宴として開かれていた。


**


 クリスティーナは夢心地だった。

 まさかこんな日が来るとは思わなかった。クリスティーナはちらりと横に立つジェラルドを盗み見た。

 ジェラルドは「恋人」として、クリスティーナの誕生日の夜会に出席してくれている。それはまだ二人だけの秘密で、公にはしていないがクリスティーナには十分だった。

今夜のジェラルドは、銀髪に映える濃紺のジャケットとズボンに銀糸の刺繍が施された同色のベストを纏い、いつもよりも大人びて凛々しく見えた。

 クリスティーナは先ほどから胸がどきどきして苦しい。



 ジェラルドの隣にはその弟のセドリックがいる。

 まるで姫を護る騎士のように、クリスティーナの両隣に侍る二人の美青年に、会場中から女性たちの注目が集まっていた。


**



「……わたくしの恋人になりなさい」


「…恋人?」

 空色の綺麗な瞳にじっと見つめられてクリスティーナはかぁっと頬を赤く染めた。だが直後に自分が何を口走ったかに気付いて紅かった頬がすぅっと蒼褪める。

(って、わたくしは何を――!!)

 クリスティーナは寮まで運んでくれたジェラルドにお礼がしたかった。恥ずかしかったし緊張したけれど、立てないクリスティーナを運んでくれたジェラルドの優しさが嬉しかった。感謝していることを言葉だけではなくきちんと態度でも示したかっただけなのだが、「礼がしたい。望みを言ってほしい」と言うべきところを、うっかり言い間違えたのだ。


(間違えてわたくしの望みを言ってしまいましたわ……!!)


 以前から学院内で見かけて憧れていたジェラルドが恋人になってくれたらいいなと淡い望みを抱いていた。

 けれどそれは想うだけのもので、実現するはずのない願いだった。クリスティーナは伯爵令嬢だ。家のために、より上位の貴族との縁組が望ましい。それは理解している。そして父が候補者を絞ったことも聞かされた。だから例え憧れのジェラルドと奇跡的に接点を持てたとしても、それは通りすがりに擦れ違う程度の接触で、この先も続くものではないことも理解していた。

 それなのに。

 ぽろっと零れ落ちてしまったのだ、願望が。この機会を逃したら一生接点を持てなくなると思ったから。

 ささやかなはずの願い。それが何故に命令なのか。

(しかも責任を取れだなんて)

脅迫だ。親切にしてくれた相手に対して脅迫するなど恩を仇で返す行為だ。


 ごめんなさい違うんですわたくしの恋人になってくださいと言うつもりだったんです――。喉元まで込み上げていた言葉は本人の意に反してどうにもこうにもなかなか口を割らない。なぜならそれは本来言ってはいけない言葉だからだ。だから冗談だと言うべきなのだが、それは自分の気持ちを否定することになる。それは嫌だった。

もどかしさに涙目になった時だった。

「………俺でいいんですか?」

「………………。……………………………えっ」

 何かあり得ない答えが聞こえた気がする。幻聴だろうか。もしくは自分の都合のよい妄想だろう。

 しかし一縷の望みを捨てきれずにクリスティーナは恐る恐る顔を上げた。何故か仄かに目元を赤く染めて照れているジェラルドがいた。

 どうしてそんな反応が返ってきたのか理解に苦しむが、そんなことはどうでもよかった。

(――か、可愛いですわ……!!)

 クリスティーナの胸がキュンと高鳴った。



 瓢箪から駒、もしくは縁は異なもの味なものとでもいうのか。

 クリスティーナは未だに何故ジェラルドが承諾してくれたのか分からない。けれど。



「………………………………………」

 呆けたように言葉もなくジェラルドを見つめるクリスティーナに、ジェラルドは少し不安そうに眉根を寄せた。

「やっぱり今のは冗談だったのかな…」

 クリスティーナは瞬時に覚醒した。

 ぶんぶんと頭を振る。するとジェラルドはほっとしたように笑った。

「よかった。では俺は今から貴女の恋人ですね、クリスティーナ」

 ジェラルドはクリスティーナの瞳を見つめたまま悪戯っぽく笑うと、クリスティーナの手を取って指先に唇をそっと落とした。

「―――――――――!!!」

 クリスティーナの心臓が爆発したのは言うまでもない。



**



 ジェラルドがクリスティーナと別れてから寮に戻ると、すごい勢いでセドリックに詰め寄られた。

「兄さんがウィンストン伯爵令嬢と付き合ってるって噂になってるんだけど」

 ジェラルドは驚いて目を見開いた。

「すごいな。この学院は情報が早い」

「本当なの!?」

「あぁ、成り行きで」

「は!?」

「恋人になれって命令されたから、承諾した」

「はぁぁ!?」

 普段は冷静なセドリックが素っ頓狂な声を上げたことにジェラルドは吹き出した。

「落ち着けよ。…面白い令嬢だろ」

「命令ってなんなの。面白くないよ」

「いや、素直じゃないんだけど、なんか可愛いんだよ」

 眉根を寄せるセドリックに苦笑してジェラルドは出会いの経緯を説明した。

 話を聞き終えたセドリックは頭痛を堪えるように溜息を吐いた。

「……痘痕も靨…」

「失礼だな」

 苦笑しながらも、ジェラルドはその通りかもしれないと思った。ジェラルドは「恋人になれ」と命令されているというよりは「恋人になってください」と懇願されているように感じた。クリスティーナは頬を真っ赤に染めて潤んだ瞳で一途にジェラルドを見つめてきた。ジェラルドと目が合うとパッと横を向いてしまう。そんな風情が可愛らしかったのだ。

 セドリックはキッと兄を睨み付けた。

「兄さんはちょっと抜けてるところがあるから変な女に引っかかるんじゃないかって心配だよ。その令嬢に会わせて」

「…おまえ、兄をそんな風に…」

 ジェラルドは少し凹んだが、セドリックが本気で心配して落ち着かない様子なので仕方なく頷いた。

「わかった。……クリスティーナに話してみるよ」



 翌日、学院の森にクリスティーナを呼び出したジェラルドはセドリックを伴い、クリスティーナに紹介した。クリスティーナは驚いたが、完璧な作法でセドリックに挨拶した。しかしジェラルドがクリスティーナの名を呼ぶだけで挙動不審になる様子に、セドリックは何かを納得した。

 だが、確認しておくことがあったのでセドリックはじっとクリスティーナを見つめて言った。

「…ウィンストン伯爵家のご令嬢ともあれば、既に婚約者もお決まりではないのですか?」

 その質問にクリスティーナの肩が揺れた。セドリックはそれを見逃さなかった。

「…兄のことは、婚約前の火遊びですか」

 厳しい言葉にクリスティーナの顔が蒼褪める。

「セディ」

 ジェラルドがセドリックを窘めようとしたその時。

「…わ、わたくしが好きなのはジェラルドさまだけですわ!!」

 クリスティーナの絶叫告白が炸裂した。



 クリスティーナの絶叫に、驚いた鳥たちがバサバサと羽ばたいていった。

 驚いて固まっていたジェラルドははっとした。噂の渦中の今、人目を避けるために森で会っているというのに、これでは誰かに見つかってしまう。その時だった。

「ふふ…聞かせていただきましたわよ、クリスティーナ」

 木陰から人影が現れた。

「誰だ!」

 咄嗟にジェラルドはクリスティーナを背後に庇った。相手ははっきりとクリスティーナの名を口にしていたので今更無意味かもしれないが、好奇の目に晒したくなかったのだ。

 木陰から出てきたのはふんわりとした栗色の髪と茶色の瞳の可愛らしい令嬢だった。

「…な、ナタリア!?」

 令嬢を一瞥したクリスティーナは狼狽した。反対にナタリアは優雅に微笑んだ。

「素直じゃない貴女がよく言えましたわね。ご褒美にわたくしが協力して差し上げてよ」

 ナタリアはくすっと笑うと、クリスティーナ、セドリック、ジェラルドへゆっくりと視線を移してゆく。最後にジェラルドへ視線を定めると、挑むように微笑んだ。

「…クリスティーナにはお父さまがお決めになった婚約者候補がいらっしゃるわ。それでもジェラルドさまはクリスティーナを諦めずにいてくださるかしら」

「ナタリア」

 クリスティーナは焦った。そのことは秘密にしておきたかったのだ。知ったらジェラルドは身を引いてしまうだろうと思ったから。

 ナタリアの鋭い視線に、ジェラルドは口元に強気な笑みを浮かべた。

「婚約者候補、ということはまだ決定ではないということですか?」

「ウィンストン伯爵の心の中では既に決まっているかもしれないわ」

 ナタリアは容赦なく言った。だが一拍を置いてふっと力を抜くと、柔らかい苦笑を浮かべた。

「……でも、クリスティーナにとっては受け入れ難いのですわ。その理由は先ほど聞きましたでしょう?」

 ジェラルドの頬が僅かに赤くなった。

 ナタリアはセドリックを見やる。セドリックはふうと息を吐いた。

「……それが先ほどの答えですか。…それで、貴女が協力するというのは?」

 ナタリアはにっこりと微笑んだ。その笑顔にはどこか有無を言わせない迫力があった。セドリックは嫌な予感がした。

「勿論、クリスティーナの幸せな婚約成就に向けてのらぶらぶ大作戦ですわ!貴方も兄君のために協力してくださるでしょう?」

 セドリックは眉間に盛大な皺を寄せた。

 当事者であるジェラルドとクリスティーナは呆気にとられてナタリアを見つめた。

 クリスティーナはいろいろと暴露するナタリアに赤くなったり青くなったりと狼狽していた。ジェラルドはちらりとクリスティーナを見つめた。その視線に気付いたのか、クリスティーナもそっと隣に立つジェラルドを見上げる。二人の視線が交わった。

 クリスティーナの困ったような、途方に暮れたような表情はジェラルドが初めて見るものだった。

「…ナタリア嬢が言っていることは本当?」

 クリスティーナはそのことをジェラルドに知られたくなかった。だから本音では違うと誤魔化してしまいたかった。けれどジェラルドに嘘をつきたくはなかった。

 こくりと小さく頷く。

「…ナタリア嬢が言わなければずっと秘密にしているつもりだった?」

 クリスティーナはドキッとした。もしそうしていたら、ある日突然クリスティーナはジェラルドの前から姿を消して、他の青年と結婚するという酷い裏切り行為を働くことになっていたのだ。

 クリスティーナの顔が蒼褪めた。それではまさにセドリックの言った通り、婚約前の火遊びと思われても仕方ない。

「わ、わたくしは…」

 ジェラルドはじっとクリスティーナを見つめた。

 クリスティーナは卒倒寸前かというほど蒼白になっている。

 何を言っても言い訳にしかならない。クリスティーナの狡さがジェラルドを傷付けるのだ。

「ごめんなさい……」

 か細い声でなんとか謝罪の言葉を紡ぐとぎゅっと目を閉じた。そうしないと涙が零れそうだったのだ。自分が泣く権利などないというのに。

 必死に涙を堪えるクリスティーナの頬がふにっとつままれた。

「…!?」

「それは何に対する謝罪?」

 目を開けると、ジェラルドの空色の瞳が目の前にあった。

「…じぇらるろしゃま?」

 頬を引っ張られているのでうまく喋れない。ジェラルドは真顔でじっとクリスティーナを見つめている。

「答えて、クリスティーナ」

 クリスティーナはジェラルドが怒っていると感じた。当然だ。自分は大事なことを隠そうとしていたのだから。

「…あにゃたにこいびとになってほしいといってしまったことでしゅわ。…いってはいけにゃいのに…。あ、あにゃたがいけにゃいのでしゅわ!あんにゃことをしゅるかりゃ。すてきしゅぎるかりゃ、わたくしがあやまちをおかしてしまったのでしゅわ…」

 頬を引っ張られたままで喋るから何を言っているか不明瞭な上に、後半は我慢できずにボロボロ泣き出してしまった。

 口が横に引っ張られていたためだろうか。クリスティーナは自分の気持ちをそのまま口にすることが出来た。不明瞭だが。

 ぱっとジェラルドの指が頬から離れた。クリスティーナはジェラルドの頬が次第に赤く染まってゆくのを見た。

 直後にがばりと抱きしめられた。

「ジェラルド・デシレー!?」

 な・なにするんですのー!と内心で絶叫するも、声は全く出ない。心拍数が上がって息が浅くなる。クリスティーナははくはくと短い呼吸を繰り返した。

「…それなら俺も同罪。君に婚約者がいても、……もう手遅れ。……可愛いすぎる」

 クリスティーナはもう何も考えられなかった。頭から湯気が出そうなほど沸騰している。

 ジェラルドの指がそっとクリスティーナの頬に触れた。先ほどつままれた箇所だ。

「ごめん…痛かった?」

 クリスティーナは首を振った。軽くつままれただけなので別に痛くはなかった。

 二人はしばし見つめ合った。互いに目が離せなかったのだ。

 その時、ゴホンと咳払いが響いた。はっとして二人が振り向くと、眉間に皺を寄せつつも仄かに目元を染めたセドリックと、生温かい微笑みを浮かべているナタリアがいた。すっかりその存在を忘れていた。大変気まずい。

「ふふ…作戦会議、初めてもよろしくて?」

 ナタリアの言葉に、ジェラルドとクリスティーナは顔を見合わせ、思わず苦笑を浮かべた。そして同時にナタリアに向き直ると、頷いた。



**


 夜会には十五歳から十八歳までの婚約者のいない若者のために、パートナーなしで参加できる会がある。そこで親しくなって、次の夜会はパートナーとして出席することが出来るのだ。

 勿論参加者は主催者のしっかりとした選考により身元の確かな者だけを集める。

 階級も近しいものが集うようにするので、この会で身分違いの恋人を得る可能性は低い。

 だがこの会で知り合い、婚約に至ると、主催者の後見を得ることが出来るため、若者や親たちの人気が高い。

 主催者は伯爵位以上の貴族と定められているため、信用も高いのだ。

 ナタリアの提案した作戦とは、ジェラルドとクリスティーナがこの会へ参加し、主催者の後見を得るというものだった。

 クリスティーナの父であるウィンストン伯爵よりも上位の貴族の後見を得られれば、伯爵とて祝福せざるを得ない。

 クリスティーナは父親に婚約者を決定するのは卒業まで待ってほしいと懇願した。

 それも作戦のうちの一手だ。伯爵が婚約者を決定してしまえば、クリスティーナは最早逃げられない。

 伯爵もまだ決定打に欠けるらしく、幾人かの候補者を絞っただけで、決定は先送りにしているようだった。

 上位貴族の主催する夜会に出ることはジェラルドにとっても有益だった。

その場に行けば繋がりが持てるかもしれない。ジェラルドは少しでもオズワルドに対抗できる味方が欲しかった。


 ジェラルドとクリスティーナは夏休みに入る前にいくつかの夜会に参加し、親しく接した。それは多くの人に目撃され、ウィンストン伯爵の耳にも入ったようだった。


「父がジェラルドをわたくしの誕生パーティーに招待したいと言っていますわ」

 ジェラルドを見極めようということだろう。ジェラルドに拒否権はない。元よりそれが目的だったのでにっこりと笑顔で頷いた。

「まずは第一関門突破だな。…喜んでお受けしますと伝えておいて」

 そうしてジェラルドはウィンストン伯爵家の夜会に出席することになったのだった。



 ウィンストン伯爵家の夜会ならば上位の貴族が集まる。人脈作りには最高の舞台だが、自分はクリスティーナの側を離れるわけにはいかない。だからセドリックを連れて行き、彼に人脈作りを任せることにした。実際問題として、むしろセドリックと同学年かそれ以下の年齢の者との繋がりが欲しいのでセドリックがいたほうが好都合なのだ。勿論夜会にはセドリックよりも年下の者は参加しないので、その親や兄弟との接触ということになるが。

 セドリックはナタリアのエスコート役として夜会に潜り込むことにした。ナタリアは特に婚約者もいないためセドリックのエスコートを快諾してくれたのだった。

 セドリックがナタリアのエスコートを務めるのは会場に入り一曲ダンスを踊るまで、そして帰りの馬車まで送ること。それ以外の時間はお互い自由に行動することで了承していた。


 セドリックはジェラルドとは対照的に、水に一滴青色のインクを垂らしたような淡い水色のジャケットを着ていた。

 今夜は最近付け始めた伊達眼鏡は外している。紫紺色の瞳を物憂げに伏せ、淡いサラサラの金髪をかき上げて仕方なさそうに溜息を吐くと、先ほどからこちらをちらちらと見つめている少女たちの集団に顔を向け、にこりと微笑んだ。氷が融けて春がきたような、破壊力のある笑みだった。

 少女たちの息を飲む音が聞こえてきそうだった。

「すごいなおまえ……」

「うるさいよ、兄さん」

 ジェラルドが微笑めばその破壊力は自分の比ではない。それを少し天然気味の兄は知らないだけだ。そしてそれを知る必要はないとセドリックは思っている。

(兄さんとアディはそのままでいいんだよ)

 セドリックは綺麗に微笑んだまま、少女たちの集団へと近付いていった。



 クリスティーナには今年十二歳になる弟がいる。ウィンストン伯爵家の跡取りで名をアルフレッドという。まだ成人前だが、今夜は姉の十五歳の誕生日ということで特別に出席していた。

 アルフレッドはクリスティーナよりも濃い目の黒っぽいサラサラの髪を肩の辺りで綺麗に切りそろえた独特の髪型をしているが、それがとても似合っていた。瞳は深みのある翡翠色。秀でた額と通った鼻筋、綺麗な形の唇。動かなければ大理石の彫像かと見紛う程の白皙の美しい少年だ。

彼はいつもならば鬱陶しいくらい側に纏わりついてくる姉が見当たらないことに違和感を覚えていた。

(楽でいいのですけれど。でも、気になりますね)

 さり気なく周りを見渡して、そして見つけた。姉がでれっでれに相好を崩して傍らの青年に微笑みかけているのを。

 実際にはつんと横を向いているのだが、弟にはそう見えたのだ。

(あの姉上が、鬱陶しいくらい弟大好きの姉上が、私の存在を忘れるとは)

 アルフレッドはかなり驚いていた。表面上は眉一筋も動いていなかったが、内心は火山が噴火するほどの衝撃を受けていた。けれど一拍後、彼はすたすたと真っ直ぐ姉の元へと向かった。


「アルちゃん…」

 目の前に立たれて初めてその存在を思い出したかのように、クリスティーナは目を見開いて弟を見つめた。そんな姉に対し、アルフレッドはにっこりと微笑んだ。

「人前でその呼び方やめてください姉上。……そちらの方は?」

 クリスティーナの頬が赤く染まった。アルフレッドはそんな姉をじっと見つめた。

「ジェラルド・デシレーさまよ。学院の先輩で、……こ」

「…こ?」

 恋人よ、とさらりとクリスティーナが言えるはずもなく。

「…困っているところを助けて下さったのよ」

 滅多に本心を言えない口がこの時はするりと真実を吐き出した。言いたかった言葉ではないが。

「…素晴らしい方のようですね」

 アルフレッドは値踏みするような視線をジェラルドに向けた。ジェラルドはそんなアルフレッドが可愛く思えた。姉に近付く男を警戒するシスコン弟。気持ちは分かる。

 朗らかに笑って自己紹介する。

「デシレー子爵家の嫡男、ジェラルドです」

 アルフレッドは敵意を大人の余裕で躱されたと感じた。勿論本気で敵意を持ったわけではなく、軽く試しただけだが、それを見透かされたみたいだった。

(なかなかやりますね)

「ウィンストン伯爵家嫡男、アルフレッドです。姉がお世話になったようですね。礼を言います」

 アルフレッドは輝くような笑みを浮かべると、丁寧に頭を下げた。




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