037
「…なんで僕まで」
不機嫌な声を出したのはセドリックだ。
「そう言うなって。アディのためだと思えば安いものだろ」
「……そうだけど」
ジェラルドに宥められてセドリックは渋々頷いた。
二人はウィンストン伯爵邸で開かれている夜会に出席していた。
ウィンストン伯爵領は王都から馬車で一日の距離にある商業の盛んな豊かな領地だ。ちなみに辺境伯は別にして、爵位が上位の者ほどその領地は王都から近い。ジェラルドとセドリックは故郷に帰る前に、このウィンストン伯爵邸に寄り道しているのだった。
事の起こりはジェラルドがウィンストン伯爵令嬢であるクリスティーナの靴を拾って、彼女を抱きかかえて寮まで運んだことに因る。
*
顔を紅潮させ、唇を噛んだクリスティーナは一言も喋ることなく月の寮の前までジェラルドに抱きかかえられて到着した。
「さて、着きましたよ、クリスティーナさま。立てますか?」
さすがに寮内は男子禁制のため、部屋までは連れて行けない。ジェラルドが問うと、クリスティーナはキッと眦を吊り上げた。
「当然ですわ。降ろしなさい」
気合を入れないと返事もできないほど腰が抜けて、のぼせている状態だったため、必要以上にきつめの声になってしまった。
(わたくしのばか――!!)
言ってから後悔するが後の祭りだ。そんな惨めな祭りを何度も繰り返してしまう愚かな自分を穴に埋めてしまいたい。クリスティーナは馬鹿な自分の頭をガンガンと壁に打ち付けてやりたかった。
ジェラルドはそっとクリスティーナを地面に降ろそうとしたが、やはりクリスティーナは立てないようだった。悔しそうに顔を真っ赤に染めている。心なしか涙目だ。
気が強そうなのに、心細そうなその様子にジェラルドはクリスティーナを可愛いと思ってしまった。
だからそれほど彼女の暴言を暴言とは受け止めなかった。
「困りましたね…」
くすっとからかうように笑うと、クリスティーナの頬が紅潮した。
「!」
そこへわらわらと数人の女子生徒が現れた。
「クリスティーナさま、どうされたのですか?」
「そちらの殿方は」
ジェラルドは数人の女生徒に囲まれて、困ったように微笑んだ。
「こちらの令嬢がお怪我をされて、歩けないようでしたので私がお連れしました。ですが寮内には入れなくて困っていたところです」
白銀の髪と空色の瞳の美形に、女子生徒たちは色めき立った。
「まあ、構いませんわ。ロビーまででしたら入られてもよろしくてよ」
「わたくしたちが同行いたしますから。こちらですわ」
「お疲れではなくて?お茶くらいお出ししますわ」
「ここまでクリスティーナさまをお連れ下さるなんてご親切ですわね」
きゃあきゃあとはしゃぐ女生徒に連れられて、ジェラルドは寮のロビーへ足を踏み入れたのだった。
ロビーのソファにクリスティーナをそっと降ろすと、取り囲んでいた女生徒のうちの一人がお茶を差し出してくれた。
「クリスティーナさまをお連れ下さりありがとうございました。わたくしはナタリア
・オーウェンですわ。お名前をお伺いしても?」
「ジェラルド・デシレーです」
女生徒たちは興味津々にジェラルドを見つめていた。
クリスティーナはジェラルドが困っているのではないかと思った。
(あんまりお引き止めしては申し訳ないわ)
「もうお帰り頂いて結構よ、ジェラルド・デシレー」
しかしクリスティーナの口から出る言葉は相変わらずつんけんしたものだった。
これには他の女生徒たちから不満の声が上がった。
「クリスティーナさま、そんなすぐに追い返さなくても」
「ジェラルドさまはまだお茶も飲まれていませんわ」
「それに、クリスティーナさま。ちゃんとジェラルドさまにお礼は言いましたか?ここまで女性一人を運ぶのは結構大変だと思いますわ」
口々に言われてクリスティーナは言葉に詰まった。
「わ、わたくしは…」
クリスティーナだってちゃんとお礼を言いたい気持ちはあるのだ。しかし口を開くと高飛車な言葉しか出て来ない。呪われているとしか思えないこの口をどうにか出来ないものか。
うろたえるクリスティーナにジェラルドは思わず笑った。
「礼など不要ですよ。美しい令嬢を公然と抱き上げることができて得をしたのは私の方ですから」
乙女たちからきゃあと歓声が上がった。
クリスティーナは心臓がドキドキし過ぎて倒れるかと思った。
「ジェラルド・デシレー!不埒なことを言うのはおやめなさい!周りに誤解を与えます」
恥ずかしさのあまりクリスティーナは叫ぶように言った。おそらく顔は真っ赤だろう。羞恥に死にそうになる。
ジェラルドは少し困ったように首を傾けた。
「ご不快にさせてしまったようですね。すみません。私はこれで失礼します」
立ち上がったジェラルドの服の裾に重みがかかった。視線を下げるとクリスティーナが真っ赤な顔を横に向けたまましっかりとジェラルドの服の裾を掴んでいた。
自分で帰れと言ったくせに、いざジェラルドがいなくなってしまうと思ったら咄嗟に手が出ていた。
(ど、どうしよう…)
まだ行かないで、と素直に言えたらいいのに。
「…お待ちなさい、ジェラルド・デシレー。……責任を取って頂きますわ」
「責任?」
「寮まで、だ、抱き上げて運ぶだなんて大胆なことをなさったのよ。学院中の噂になってしまったに決まっていますわ」
「ああ…」
ジェラルドは気まずげに後頭部に手をやった。クリスティーナは運ばれている間中心臓がドキドキし過ぎて周りを気にする余裕がなかったから気付いていなかったが、ジェラルドは好奇の視線を嫌というほど浴びていることを自覚していた。
さり気なくクリスティーナの顔を自分の胸元に伏せさせて見えないようにしたつもりだが、気付いた者も多いだろう。
クリスティーナは仮定として学院中の噂になってしまうことを懸念しているのだが、現実は凄まじい勢いで既に想像以上の学生に知れ渡っているのだった。
「すみませんでした。軽率でしたね」
ジェラルドが言うと、周りの女生徒たちが一斉に口を開いた。
「ジェラルドさまが謝るなんておかしいですわ!善意の行為ですのに」
「そうですわ。素晴らしい騎士道精神ですわ。羨ましい」
「クリスティーナさまがお嫌なら、抱き上げられていたのはわたくしということにしてもよろしくてよ」
ジェラルドとなら噂になってもいいとまでいう女生徒が現れてクリスティーナは慌てた。それを譲るつもりはない。けれどうまく話せる自信がない。
そんな中、それまで黙って乙女たちの話を聞いていたナタリアがパンと手を打ち鳴らした。
「皆さま、お静かに。クリスティーナさまはジェラルドさまにお話がおありのようですわ。わたくしたちは席を外しましょう」
乙女たちは不服そうに眉根を寄せたがナタリアがにっこりと微笑むと、何も言わずにささっと席を立った。…ナタリアの笑顔には有無を言わせぬ迫力があった。
ナタリアはクリスティーナに軽く片目を瞑ると、ジェラルドに会釈して席を外した。
取り残されたクリスティーナはジェラルドの裾を掴んだまま顔を向けられずにいた。
(わたくしの口、思い通りに動け)
念じながらそろりとジェラルドに顔を向ける。と、困ったように立ちつくすジェラルドと目が合った。
(ジェラルドさま…)
上手く喋れますようにと縋る思いでジェラルドを見上げると、ジェラルドは片膝をついて視線を合わせて来た。
(か、顔が近い…!!)
クリスティーナは恥ずかしさのあまり俯きそうになったが、ぐっと堪えて身を乗り出すと、ジェラルドの耳元に囁くような小声でなんとか言葉を口にした。
「あ、ありがとう……」
(い、言えたわ――!!)
やっと想いと言葉が一致した。囁きレベルの小声だが、言えないよりはマシだ。
ジェラルドは驚いたようにクリスティーナを見つめた。クリスティーナはジェラルドに見つめられることに耐えきれなくて、パッと横を向いてしまった。そして恥ずかしさをかき消すためにまたもきつめの声を出してしまう。
「運んで頂いたことにはお礼を言いますわ。でも、責任は取って貰いましてよ」
「…どうしろと?」
ジェラルドが呆気に取られていると、クリスティーナは顔を増々赤くさせて言った。
「……わたくしの恋人になりなさい」
ジェラルドは目を見開いた。




