036
庭の奥の温室の横を通り抜けると敷地を囲むように森が広がる。森の中には小道が整備され、森林浴を楽しむことが出来るようになっている。アデレイドはその森の中にハロルドに頼んでハンモックを吊るして貰った。ハンモックは小道のすぐ脇に設置されているので森の中に迷い込む心配はない。
ハンモックは兄たちと一緒に寛げるよう、少し大きめに作って貰った。
「ローランド、乗ってみて」
アデレイドに促されてローランドがハンモックに上がると、続いてアデレイドもいそいそと上がって来た。
「え、アディ?」
「心配しないで、頑丈に作って貰ったから。二人乗っても大丈夫なの」
心なしか焦ったように目を見開くローランドに、アデレイドはハンモックの丈夫さをアピールしようとして少し揺らしてみた。
「ほら、びくともしないから――わっ」
「アディ!」
言葉通り、ハンモックは無事だったが揺らしたことでアデレイド自身はバランスを崩してローランドの上に倒れ込んでしまった。
「…大丈夫?」
「ローランド、ごめ…」
アデレイドが慌てて起き上がろうとすると、ローランドの腕がアデレイドの背中に回されてぐいっと下に引き寄せられた。
「アディ、動かないで」
「…う、はい」
揺れが収まるまで動くなと言いたいのだろう。アデレイドは息まで止める勢いでじっと大人しくなった。
柔らかな風が吹いてさやさやと梢が揺れている。けれどその風にはハンモックを揺らすほどの威力はない。ハンモックの揺れは次第に小さくなっていった。
「…ローランド、もういい?」
「……だめ」
なんとなく小声で話しかけると、ローランドも囁くように言葉を返した。
「いい子だからじっとしてて」
宥めるようにローランドの手がアデレイドの頭を撫でる。
「…でも、ローランド重くない?」
「重くないよ」
ローランドに離す気がないことを悟ると、アデレイドはくたっと身体の力を抜いた。
アデレイドはローランドの胸に耳をくっつけている体勢なのでローランドの心音が聞こえた。
(…落ち着く)
時折鳥の囀りが響き渡るほかは、葉擦れの音だけ。森は穏やかな空気に包まれていた。
「……ローランド、何か喋って」
「何かって…」
「ローランドの声聞きたい」
「…………………」
声が聞きたいと言ったのに、何故かローランドは黙り込んでしまった。
「ローランド?……寝ちゃったの?」
「…………寝てないよ。……眠れるわけない」
「寝てもいいよ。ハンモックってお昼寝するための場所だし。…子守唄歌ってあげる」
「……いや、子守唄は…」
「じゃあ、ローランドが歌って」
甘えるように言われてローランドに逆らえるはずがなかった。
ローランドが優しく囁くように歌い始めると、アデレイドは嬉しそうに微笑んだ。
(なんか、幸せ)
時折吹く爽やかな風に頬をくすぐられ、温かなローランドの腕に抱きしめられていると、ハンモックの微かな揺れと相まってうとうとと瞼が落ちる。
「……アディ、寝ちゃった?」
腕の中のアデレイドがすうすうと小さな寝息を立てていることにローランドは気付いた。あどけない寝顔に思わず微笑む。温かい体温と、微かに揺れるハンモック。空を覆うようにこんもりと青葉が生い茂り、柔らかな木洩日が降り注ぐ。ローランドは世界にアデレイドと二人きりになったような気がした。
(…本当に、そうだったらいいのに…)
「アディ」
ローランドは眠るアデレイドの耳元でそっと囁くように名を呼んだ。
「……サイラスさまは……」
(アディにとって、どんな存在…?)
聞きたいけれど聞きたくない。答を聞くのが怖い。それがローランドの偽らざる本心だった。
知ってしまったらもう後には戻れなくなるような、踏み越えられない境界線がある。だからローランドは一歩引いた。…今はまだ、その時ではないと感じて。
ローランドはぎゅっとアデレイドを抱きしめる腕に力を込めた。
(…離したくない)
風が吹いて青葉が全部落ちて自分たちを覆い隠してしまえばいいのに。そんな埒もないことを夢想しながらローランドは目を閉じた。
「ローランドさま」
名を呼ばれて、ローランドは目を開けた。アデレイドを抱きしめたままハンモックで眠っていたようだ。
「お風邪を召されます。そろそろお屋敷にお戻りください」
首を横に向けるとハンモックの脇に跪いたハロルドが目に入った。
「……ハロルド?」
「はい。アデレイドさまは私がお連れいたします」
ハロルドは立ち上がると、そっとローランドの上からアデレイドを抱き上げた。アデレイドはまだ起きない。
「…どのくらい時間が経った?」
「一刻半といったところでしょうか」
ローランドは頷くとハンモックから降りた。いつの間にか日差しは陰り、雲が出ていた。
「起こしてくれてありがとう。…行こうか」
「はい」
ローランドは隣を歩くハロルドにちらりと視線をやった。長身に引き締まった体躯、精悍な顔立ち。王都の騎士といった風情の彼が、何故アデレイドの下僕なのか。ローランドの訝しむような視線に気付いたのか、ハロルドは目をローランドに向けた。
「……何か」
「ごめん、じろじろ見て…。…ハロルドは下僕だと言っていたけど…」
「はい。下僕です」
「…それは、アディの専属の召使いという意味だよね…?」
「アデレイドさまに命じて頂けるならなんでもやります」
「……………………」
どこか恍惚とした表情でうっとりと言うハロルドに、ローランドは言葉を失った。
どういう経緯でアデレイドの下僕になったのかとか、騎士ではないのかとか、聞きたいことはいろいろあったのに何も言葉が浮かばない。
「そ、そう……。……程々に…」
「いえ、全力で。叶うならばより厳しく過酷な命令を希望します」
「………………………………………」
ローランドは何か聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。アデレイドはどこでこの男を拾ってきたのだろうと眩暈がしてくる。そして今度こそ完全に返す言葉を失い、二人は黙って屋敷へと歩いたのだった。




