002
エリスティア王国、グリフィス王朝歴九八一年。
第三王子オズワルドは、王宮の奥深く、王族のみが入ることを許された特別な部屋にいた。部屋には一枚だけ、とある少女の肖像画が壁に掛けられている。少女の髪は白銀色。瞳は紫紺。優しく微笑む様は、天使のよう。
肖像画の少女の年齢は十四歳だという。現在八歳の王子にとって、十四歳は決して年上過ぎるというものではなかった。有体にいえば、王子の初恋はこの少女だった。物心ついた頃から、王子は熱心にこの少女のいる部屋へと通い詰め、肖像画を見上げていた。そのため家族からは、肖像画に恋した王子とからかわれ、生温かく見守られている。
少女は実在の人物だ。三百年程昔、王国の危機を救った聖女と言われている。
当時、少女の婚約者だった王子は、どこからともなく現れた別の少女に心を奪われ、少女との婚約を破棄したという。王子を慕っていた少女は、心痛のあまり亡くなってしまった。そのことを知った王子は、激しいショックを受けたという。失って、初めて少女のことを愛していたことを知ったのだ。
王子が心を奪われた少女は、異界の魔女だった。魔女は王子に邪悪な魔法をかけ、少女への真実の愛を自分のものにしていた。ところが少女が死んだことによって、その魔法が解け、王子は我に返り、異界の魔女を撃退し、魔女に奪われそうになっていた王国の危機を回避したのだ。
少女の真実の愛が王国を救った。
幼いオズワルドにとって、それは哀しくも美しい、憧れの物語だった。いつの日か、自分にも清らかなる乙女との出逢いが訪れるのではと期待する日々は幸せだった。
だが、その幸せが砕け散る衝撃がオズワルドを襲った。
ある朝、オズワルドは目覚めたのだった。
三百年前、少女を打ち捨て、魔女に心を奪われた王子が自分であると、知ってしまった。
前世の記憶。
裏切り者の王子――エルバートは、蜂蜜色の髪に、漆黒に銀の星屑を散らしたような神秘的な瞳の、美しい青年だった。それは、今のオズワルド自身と全く同じ色彩、容姿だ。
記憶の中で、自分は冷たく少女を突き放し、背を向ける。最後に目に映った少女の瞳には、悲痛な涙が溢れていた。
少女にそんな表情をさせたのは自分だという事実に、オズワルドは鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
少女が自分に向ける眼差しはひたすら純愛に満ちて、健気だった。ただ愛しいと告げるその瞳を、無情にも切り捨てるエルバート王子に、オズワルドは怒りを抱かずにはいられなかった。
(なんて愚かな…)
隣に立つ、真紅の髪に、紅蓮の瞳の魔女を心底美しいと思っているなんて。
オズワルドは、肖像画の少女を見上げた。
レオノーラ・グランヴィル。彼女の死後、どれ程願ったことだろう。もう一度逢いたい。愛していると告げたい。だが、すべては遅すぎた。彼女は既に亡くなってしまった。エルバートは、永遠に愛しい少女を失ったのだ。
(当然の報いだな…)
オズワルドは自嘲する。エルバートはレオノーラを深く傷付けたのだから。
だが、もしも。もう一度出逢えたとしたら。
オズワルドはぐっと胸元に拳を当てた。やり直すチャンスが欲しい。今度こそ間違えないから。