027
アデレイドはデシレー家から王都までは、町と町を繋ぐ中距離辻馬車を貸し切りで利用して、町ごとに乗り換えて旅をしてきた。
サイラスはアデレイドのためにグランヴィル邸からデシレー邸まで乗り換えなしの長距離馬車を用意してくれた。しかも外見は普通の辻馬車なのに、内部は公爵家用の豪奢な造りで乗り心地抜群だ。公爵がお忍びで出かける際に使用する馬車らしい。御者は公爵家の人間で、長距離のため二人用意され、交代しながらアデレイドをデシレー家まで送り届けてくれるという。
アデレイドは遠慮したが、サイラスがそれを許すはずがなかった。
その上、道中食べられるようにと、公爵家料理長自慢の菓子や軽食、それから退屈しないようにと何冊もの本、さらにはお土産が詰め込まれた。至れり尽くせりである。アデレイドはありがたく受け取る以外になかった。
アデレイドの滞在中、サイラスはずっと側に居り、普段は滅多に見せない笑顔を大盤振る舞いしていたため、屋敷の使用人たちの間でアデレイドへの好感度は天井知らずの勢いで上昇していた。そのため、彼らもアデレイドにはずっと屋敷に居て欲しいと願っていたのだが、少女が今日帰ると知って多くの者が落胆していた。
侍女や執事にも惜しまれながらアデレイドはグランヴィル公爵家を後にしたのだった。
王都を抜ける途中でアマンダと合流し、馬車は隣の町を目指して軽快に進んでいた。馬車は驚くほど乗り心地がよく、アデレイドはうとうとと微睡んでいた。馬車の内部には仕切りがあり、貴人が乗る部分と従者が乗る部分とに分かれていた。その仕切り部分がこんこんとノックされ、トマスがアデレイドに声をかけてきた。
「お嬢様。…御者殿が言うには、この馬車は何者かに尾行されているそうです。なので、少し街道を外れた脇道に入って、追跡者を炙り出したいそうなのですが…」
「え…」
アデレイドは瞬いた。
(尾行?)
アマンダも驚いたように目を見開いていた。
(…まさか、『変態』?)
アデレイドが思い当ったのは、ジェラルドが言っていた『変態』だった。銀髪か紫紺の瞳の者だけを追うという『変態』に見つかってしまったのだろうか。アデレイドの顔が蒼褪める。すると、低く落ち着いた声が聞こえた。
「……ご心配には及びません。何者であっても、私が貴女をお守りします」
二人の御者のうちの一人だ。馬車に乗る際、二人に挨拶されたが、一人は帽子を目深に被ったまま黙礼したので顔はわからない。声は今初めて聞いたが、アデレイドはどこかで聞き覚えがあるような気がした。
「…貴方の名前は?」
「……ハロルド、と申します」
アデレイドが名を問うと、御者は少し躊躇うように一拍置いたが、アデレイドは記憶を手繰っていたので気付かなかった。
(公爵家の使用人なら、滞在中どこかですれ違ったかな…)
アデレイドが物思いに耽っていると、再びトマスが話し出した。
「脇道に入る際、少し馬車が揺れるかもしれませんので、しっかりつかまっていてほしいとのことです」
アデレイドははっと我に返った。
(ぼんやりしている場合じゃなかった。…尾行だなんて、気持ちのいいものじゃない。街中に入ってからでは撒き難いだろうし…。ここで、炙り出すというなら)
アデレイドは頷いた。
「…わかったわ。任せる」
アデレイドは不安そうにこちらを見つめるアマンダの手をしっかりと掴んで微笑んだ。アマンダは一瞬手元に視線を落とすと、ぎゅっとアデレイドの手を握り返し、顔を上げて毅然と頷いた。
王都から南隣の町へと真っ直ぐに続く街道の途中には、西や東へと向かう街道が整備されている。アデレイドが乗った馬車は追跡者を撒くために西へ向かう街道へ入った。それから程なくして目の前に現れた森に入ると、すぐに木々の間を縫うようにして馬車を進めて街道から見えない位置に止まった。先ほどアデレイドに声をかけた御者、ハロルドが素早く降りて、街道から森へと馬車が通った跡―倒れた草など―を、軽く起こして消していく。
暫く待っているとアデレイドたちが来た方向から一台の辻馬車がガラガラと音を立てて走って来た。街中でよく見かける普通の辻馬車だ。
(これが尾行者?)
アデレイドは胸がどきどきしていた。ハロルドは木立の陰に隠れて馬車が行き過ぎるのを見守っている。
(うまく撒けるかしら)
馬車が通り過ぎた。それでもハロルドは動かなかった。やがて完全に馬車の車輪の音が消えると、もう一人の御者とトマスも降りて行き、その辺に転がっていた倒木を引きずって街道に置いた。道を塞ぐつもりのようだ。
アデレイドがはらはらと成り行きを見守っていると、トマスが戻って来て状況を教えてくれた。
「あの馬車は必ず戻ってくるとハロルド殿は読んでいるようです。ですので、時間稼ぎのために少し妨害工作を」
「…でも、他の馬車も通れなくなるわ」
アデレイドが眉根を寄せると、トマスは朗らかに言った。
「この街道はそれ程交通量が多くないとのことです。後でハロルド殿が必ず障害物を取り除くのでご安心ください、と」
アデレイドは迷いながらも頷いた。
「…危ないことはしないのよね?」
トマスの目は心なしかキラキラと輝いていた。冒険にわくわくしているかのように。
「追われているだなんて…、なんだかどきどきしますねえ。悪党め。とっ捕まえてやりますよ!」
威勢よく言うトマスに、アデレイドは心配になった。
(撒くだけでいいんじゃないかな)
もう一人の御者も戻って来てアデレイドに出発を告げた。
「え?…でも、あの人は」
ハロルドは街道を見張るように木立の陰から馬車が走り去った方向をじっと睨みつけている。
「後は彼がなんとかします。隣の町で合流しますのでご心配には及びません」
御者は何でもないように言うが、つまりそれは彼一人でここに残るということだ。アデレイドは馬車から飛び降りてハロルドの元へと走った。
「お嬢様!」
トマスたちが慌てたが、アデレイドは構わず前を向いた。今日は少年姿なので走るのに支障はない。
アデレイドが木立の側まで来ると、ハロルドは驚いたようにアデレイドを凝視した。とはいえ、彼は目深に帽子を被っていたのでアデレイドにその目は見えなかったが、視線は感じた。
「馬車にお戻りください」
ハロルドは低い声で告げた。アデレイドは首を横に振った。
「貴方もよ。…一人で何をするつもりなの」
ハロルドは軽い口調で言った。
「…尾行者に何者かと問い質すだけです。…それには、私一人の方が都合がいい」
「でも、尾行者が複数だったら、分が悪いのでは?」
「…おそらく尾行者は一人でしょう。こちらの動きを探るだけの密偵です。それもこちらに尾行を悟られる程度だから大したことはない。こちらを襲ってくることはないと思いますが、目障りですので釘を刺しておきたいのです。それに万が一複数だとしてもあの馬車は小型でした。多くてもせいぜい六人。そのくらいならなんとかなります」
アデレイドは驚いた。六人もの相手を一人でなんとかできるものなのか。アデレイドはハロルドを見つめた。ハロルドは細見だが長身で、引き締まった身体つきをしている。御者というよりは騎士といったほうが合っているのではないかと思えた。ハロルドの口ぶりからすると、相当に腕に覚えがあるのだろう。
アデレイドは既視感を覚えた。
(やっぱりどこかで会った…?)
「お嬢様、馬車にお戻りください。貴女のお姿は、尾行者に見せない方がいい」
どこか切迫感の籠ったハロルドの声に、アデレイドははっとした。
「…尾行者に心当たりがあるの?」
(…やっぱり『変態』?)
アデレイドが問うと、ハロルドは視線を逸らした。心当たりはあるが言えないということだろう。それにアデレイドがいては足手まといになるのだろう。アデレイドは引き下がることにした。
「…わかったわ。馬車に戻る。……ハロルド、あんまり無茶しないでね」
ハロルドの顔は相変わらず帽子の陰に隠れて見えなかったが、僅かにたじろいだように見えた。アデレイドは首を傾げた。
(?…私何か変なこと言った?)
ハロルドは微かに頷くと、パッと横を向いてしまった。
アデレイドはハロルドの様子が気になったが、トマスたちが心配そうに自分を迎えに来たので、後ろ髪を引かれつつも仕方なく馬車に戻った。




