026
居間に行くと、そこにはレオノーラの肖像画があった。因みにトマスは外の廊下に待機させられた。
アデレイドは肖像画に釘付けになった。
(レオノーラ…。改めて見ても、やっぱりそっくり)
記憶と違わず、自分がレオノーラの容姿そのままに生まれたのだと突きつけられた。
アデレイドはサイラスを見つめた。
「ジュリアンの肖像画は飾っていないの?」
レオノーラの肖像画を見て、気持ちがレオノーラに戻っていくような感覚だったのかもしれない。アデレイドは素のままに言葉を紡いでいた。
サイラスは微笑んだ。
「屋敷のどこかにはありますよ」
「ジュリアンが大人になった姿を見たいわ」
「目の前にいますよ」
アデレイドは首を横に振った。
「貴方はサイラスでしょう?」
サイラスが紫苑色の瞳を瞠った。そして艶やかな笑みを浮かべた。
「…そうですね。では、探しましょうか」
そうして、アデレイドはサイラスとともに屋敷を探索することになったのだった。
肖像画は居間だけでなく、階段や玄関ホール、食堂、ロング・ギャラリーなど、屋敷のありとあらゆるところに大小さまざまの形で飾られている。所々知らない肖像画が飾られているところもあったが内装などは変わっていないため、アデレイドにとってはすべてが懐かしかった。一部屋一部屋、ゆっくりと見て回る。
まだジュリアンが正式に後継者として決まっていなかった幼い頃、彼はよく公爵邸に遊びに来ていた。レオノーラとジュリアンは仲良く屋敷内を走り回ったりかくれんぼをしたりしていた。
(懐かしい…)
奥の廊下に、それはあった。
歴代の当主の肖像画が並ぶそこには、レオノーラの父の隣にジュリアンの肖像画があった。
(お父さま…)
アデレイドの胸に熱いものがこみ上げた。
「サイラス…、お父さまとお母さまは…」
「…レオノーラが亡くなったあとは、成人したジュリアンに家督を譲ると、ひっそりと都を去って、グランヴィル家の領地の奥で静かに過ごされていましたね…」
アデレイドの瞳から涙が溢れた。
(ごめんなさい…お父さま、お母さま…)
「…お墓は、領地に?」
「ええ。…綺麗なところですよ。…レオノーラの墓地もご両親の隣です」
いつかお墓参りに行こう。ついでにレオノーラのお墓にも。自分で自分のお墓を見るというのも不思議な気がしたけれど、供養しようと思った。
ジュリアンの肖像画は今のサイラスよりもう少し年を重ねた青年の姿で描かれていた。サイラスを描いたとしか思えないほど、二人はそっくりだった。
「ジュリアン…立派になったのね…」
思わず呟くと、サイラスにくすりと笑われた。
「まだ小さい貴女が言うと、少し可笑しいですね」
アデレイドは赤くなった。サイラスは目を細めてアデレイドを見つめた。
「…でも、嬉しいですよ。貴女に『立派になった』と言って貰えて」
アデレイドはジュリアンに想いを馳せた。大切な弟。ずっとレオノーラを心配してくれていた。サイラスとなった今も、アデレイドのことを心配してくれている。アデレイドの幸せを願ってくれている。
泣きそうになる。アデレイドはぎゅっと目を瞑って涙を払った。
「…これは『ジュリアン』に伝えたい、独り言なの。…レオノーラはジュリアンをとても大切に想っていたわ。ジュリアンが立派に公爵家を継いでくれて嬉しい。…ありがとう、ジュリアン」
先に死んでしまった『レオノーラ』が言っても、無責任だと言われかねない。それでもアデレイドは『ジュリアン』にありがとうと伝えたかった。それからごめんなさいとも。心配してくれたジュリアンを顧みることなく逝ってしまったことを。
ふわりと空気が動いてサイラスの腕がアデレイドの肩を引き寄せた。アデレイドはサイラスの腕の中に優しく包まれていた。
「…アディ。貴女が生まれてきてくれて嬉しい。『レオノーラ』の記憶を持っていることも。…それを持たない方が、貴女のためなのかもしれないけれど、…私はもう一度出会えたことが嬉しいのです」
アデレイドは泣きそうになりながら微笑んだ。
(サイラスの中に潜むジュリアンを解放してあげられるなら、記憶を持ったまま生まれ変われてよかった…)
「…私も、貴方に出会えてよかった」
噛みしめるように言うと、サイラスが微笑む気配がした。サラサラの白金の髪が零れ落ちてアデレイドを隠すように覆う。
「…アディ。ここで暮らしませんか?元々貴女の屋敷です。私は…ジュリアンの血筋は、レオノーラの帰りを待っていたに過ぎない。貴女にこの屋敷を返したい」
「な……」
アデレイドは驚いた。呆然とサイラスを見上げると、サイラスはアデレイドの唇に人差し指をそっと置いた。
「今すぐ返事をしなくていいのです。…ですが、考えてみてください。せめて、もう少し滞在を延ばすことだけでも」
とんでもないことを平然というサイラスに、アデレイドはただ愕然とするばかりだった。
翌朝、アデレイドはもう一度サクラと楡の丘へ行きたいとサイラスに告げた。そこが屋敷の中で一番、現在地がわかりやすい場所だったから。
三百年経った大樹は貫禄を漂わせてそこに鎮座していた。
「アディ。やはり今日帰ってしまうのですか」
哀しそうに言うサイラスに、アデレイドは困ったように微笑んだ。屋敷をアデレイドに譲るという話はともかく、いつまででもこの屋敷に滞在していいというサイラスの申し出はありがたかったが、自分はまだ未成年だ。今は親元に戻るべきだったし、戻りたかった。それにやはり自分がサイラスの側に居ては、彼がレオノーラに囚われ続けてしまう気がした。
離れる代わりに、サイラスが安心出来るように、アデレイドはとびきりの笑顔を浮かべた。
「サイラス。約束する。私は何があっても簡単に死んだりしない。幸せになってみせる。だから心配しないで」
艶やかに微笑むアデレイドに、サイラスは見惚れた。
「わかりました…。アディ。約束ですよ?…見守っています。でも貴女が辛いときはいつでも駆けつけます。私は永遠に貴女の味方です。忘れないでくださいね」
サイラスはアデレイドを胸に抱きしめた。
アデレイドは頷いた。
「…ありがとう、サイラス」
グランヴィル邸を立ち去る間際、サイラスがアデレイドに近付いた。
「アディ。これを受け取ってください」
サイラスが差し出したのは綺麗に装飾された小箱だった。宝石箱といってもいいような、凝った造りの箱だ。アデレイドが蓋を開けると、中には紫紺色のリボンが入っていた。
「これを、貴女の髪に飾って欲しい。…我儘をどうか、受け入れてください」
アデレイドは昔レオノーラがジュリアンに紫苑色のリボンを贈ったことを思い出した。
「…何年後になるか、わからないわ」
アデレイドはくすっと笑った。サイラスはどうしてもアデレイドに髪を伸ばしてほしいらしい。
「貴女が髪を伸ばして下さらないなら、私の髪を切って鬘をつくります」
「それ、どんな脅し方…」
でもサイラスの髪を切るのは惜しい。
「サイラスは髪を切っちゃダメ。…わかったわ、私も切らない」
降参したように言うと、サイラスは嬉しそうに微笑んだ。




