024
ジェラルドとセドリックが寮に戻ると、間髪入れずにローランドが部屋を訪れた。
「ジェル兄、セディ兄、アディは!?」
「ローランド、昨日はありがとな。助かった。アディは無事…、一応安全な場所に送り届けた。そっちは大丈夫だったか?」
ローランド一人に王子を押し付けて逃げてしまったのだ。そして学院に戻るやいなや、妙な噂が耳に入っていた。
ジェラルドは気まずそうに首の後ろに手をやった。
「…あー…、俺たちのせいで、おまえにとんでもない噂が」
ローランド・レイは黒髪の美少年と手を繋いで歩いていた。ローランド・レイは第三王子に気があるようだ。王子を押し倒したらしい。
ローランドは完全に同性愛者と思われてしまっていた。
「気にしていない」
しかしローランドはきっぱりあっさりと言った。
「あの後すぐに王子の取り巻きが王子を探しに来て、王子を連れて行ったんだ。僕はすぐに隠れたから、取り巻きには見つかっていないと思っていたけど…」
噂になっているということは、見られていたのかもしれない。けれどその後特にお咎めもなかったので、ローランドは気にしていない。王子としてもそんな噂はもみ消したいだろうから、敢えてローランドと接触しないようにしているのかもしれない。
「それより、アディは…」
ジェラルドとセドリックはサイラスから教えられた肖像画の少女の話をローランドに語った。
「それで、一応サイラスさまがアディを守ると約束してくださった。だから王子の件は大丈夫だと、思う」
「そっか…」
ローランドはほっとしたように微笑んだ。そんなローランドに、ジェラルドもセドリックも言えなかった。
(いや、王子はともかく、サイラスさまもヤバい…)
(ローランド、アディをしっかり捕まえておいて)
*
ローランドが午後の授業を終え、寮に戻ると、扉の下に紙が挟み込まれていた。
「……?」
拾い上げて中身を見ると、綺麗な字で簡潔に書かれていた。
『 ハンモックの森の奥、裏門の近くに来られたし。A嬢に関して話がある C・G 』
ローランドはくしゃりと紙を握りこんだ。
ハンモックのある森を進んで裏門の近くまで行くと、長い白金の髪の青年が佇んでいた。
ローランドは青年に声をかけた。
「…サイラス・グランヴィルさまですか?」
サイラスはローランドの声に振り返り、ふっと口元に笑みを浮かべた。そして見極めようとするように紫苑色の瞳でローランドの金の瞳をじっくりと見つめた。
「君がローランド・レイか…」
「…僕に何か」
「…来てくれてありがとう。一度君に会ってみたいと思っていた。…アディの婚約者だという君に」
ローランドは戸惑ったように僅かに首を傾けた。
アディ、と青年が親しげに己の婚約者の少女の名を呼ぶことに、ローランドの胸の奥がちくりと微かに痛んだ。
「…どういう意味ですか」
困惑顔のローランドにサイラスは軽く微笑んだ。
「言葉通りだよ。…私が大切に想う少女の婚約者がくだらない男なら、排除しておこうと思ったまでだ」
言い終わると同時にサイラスの表情からは笑みが消え、怜悧な眼差しが鋭くローランドを射抜いた。
「!」
(大切に想う少女…?)
ローランドは驚いたように目を大きく見開いてサイラスを見つめた。全身を緊張が駆け抜けた。サイラスから放たれる威圧感に押しつぶされそうになる。
だがローランドはふっと息を吐き、ふわりと微笑んだ。アデレイドを大切に想う気持ちは誰にも負けない自信がある。
ローランドは真っ直ぐにサイラスを見返した。
「…僕は、アディが好きです。家同士の政略結婚なんかじゃない。ずっと小さい頃から、大切な女の子です。この気持ちは誰にも負けません」
サイラスは気負わずに自然体で自分を見返すローランドに目を瞠った。意外と芯があると感じた。
「…勿論、貴方にも」
ローランドは口元に笑みを浮かべたまま、凛とした眼差しでサイラスを見つめた。その金の瞳は突然現れたサイラスに排除勧告される謂れはないと、はっきりと告げていた。
サイラスは目を見開き、くすっと笑った。
「…優しそうな風貌に反して、挑戦的だね、君は」
サイラスは目を細めてローランドを見つめた。一先ずは合格かな、と独り言ちながら。
「…貴方は以前からアディのことをご存じだったのですか?」
不思議そうに問いかけてくる少年に、サイラスはふっと力を抜いた。
「…そうだね、君にしてみれば私は突然現れた部外者なのだろう。でも、私とアディには浅からぬ因縁があってね。…ずっと昔から探していたんだ。…やっと逢えた。とても大切な人だよ。私は彼女の幸せを願っているのだ」
アデレイドの幸せを願っていると言ったときだけ、サイラスの顔には柔らかく温かな微笑みが浮かんだ。
ローランドはサイラスがアデレイドの幸せを願っていることは掛け値なしに本音なのだろうと思った。だがずっと昔から探していたというサイラスの言葉には首を傾げざるを得ない。ローランドはアデレイドが生まれる前からずっと家族ぐるみで付き合いがあり、お互いの交友関係はほとんど熟知している。その中にサイラスの気配は一切なかった。それなのにサイラスはどこか懐かしそうに、愛しそうにアデレイドのことを口にする。出会ったばかりの少女に対する態度ではない。そのことにローランドの胸は不安で苦しくなった。
ちりちりと胸を焼く鈍い痛みと、もやもやとした不穏な感情をローランドは意志の力で抑える。
「……浅からぬ因縁、ですか」
その問いに、サイラスは口元に笑みを浮かべただけで答えなかった。
「……アディが幸せなら、それでいい。アディが君を選ぶのならば私はそれを祝福する。でももし君が裏切るなら、あの子を哀しませるのならば、私は君を赦さない。――それを覚えておいて」
そう言い残すと、サイラスはゆっくりと踵を返して裏門へと歩き去った。
ローランドはその後ろ姿が門の向こうへ消えるまで、じっと身動ぎできずに立ち尽くしていた。