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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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25/98

閑話

 これはまだアデレイドが前世のことを思い出す前、4歳の頃のお話。


 アデレイドの母・ローズはうねるような巻き毛の濃い金髪と、アメジストのような綺麗な紫色の瞳の持ち主だ。

 対してアデレイドの髪は、月光を紡いだような淡い銀色で、真っ直ぐだった。

 兄たちは「アディに似合っているよ」「ストレートでサラサラは誰もが憧れるんだよ」と褒めてくれるが、アデレイドは母さまのようなふわふわくるくるの髪がいいのだ。

「いや!かあさまといっしょがいい!」

 駄々をこねて、侍女にくるくるにしろと癇癪をおこしている。

「お嬢さま、申し訳ございません。お嬢さまの髪はとても真っ直ぐで、くるくるにならないのです…」

 侍女は困り顔で説明するが、4歳児が納得するはずもない。大きな瞳に、じわりと涙が浮かぶ。

 そこへ婚約者のローランドが遊びにやって来た。

 侍女たちはこれ幸いと、ローランドにアデレイドを丸投げした。

「お嬢さま、ローランドさまが来てくださいましたよ。遊んで来ましょうね」

 ローランドは侍女たちの目配せを受け、アデレイドがなんで泣きそうなのかを瞬時に理解した。

 アデレイドに手を差し出して、にっこり笑う。

「アディ、お外に行こうか」

 アデレイドは泣きそうな顔ながらも、こくりと頷いた。小さな手をローランドの手に重ねて、ぎゅっと握る。温度の高いアデレイドの手を、ローランドはしっかりと握り返して二人は仲良く庭へと出て行った。


 ローランドは小さなアデレイドを庭のベンチに座らせると、庭師にお願いして色とりどりの花を持って来てもらい、花冠を作りはじめた。

 アデレイドはじっと興味深そうにローランドの手元を見つめている。

 ローランドは微笑んだ。

「アディも一緒に作る?」

 アデレイドが頷いたので、二本の花を繋げてブレスレットにする方法を教えてあげた。これなら4歳でも、簡単に出来る。

 ローランドはせっせと花冠を編んで、アデレイドはブレスレット作りにしばらく熱中した。

 数分後、完成した花冠にローランドは満足そうに頷くと、アデレイドに被せた。

「アディ、可愛いよ」

 アデレイドの表情がぱぁっと明るくなった。ローランドはアデレイドが一生懸命作ったブレスレットを腕に嵌めてあげる。

「いっぱい作ったね」

 両腕に三つずつ付けてもまだ余る。

 ローランドは少し考えて、アデレイドの髪を掬うと所々に短めの三つ編みや編み込みを入れた。そこへブレスレットの花を括り付ける。

 アデレイドの頭は大変華やかになった。

「アディ、花のお姫様みたいだよ」

 屋敷に戻って一緒に鏡を見ると、アデレイドの顔が嬉しさに輝いた。

「ローランド、すごぉい!!」

 そして屋敷中を駆け回って家族全員に見せて回る。

「兄さま、みてみてー」

 ちょっと花を盛り過ぎじゃないかと思わないでもないが、アデレイドが心の底から嬉しそうなので、みんな生暖かい目で見つめた。

「うんうん、可愛いな~」

「おひめさまみたい?」

「アディは俺たちのお姫様だよ」



 その日一日、アデレイドのご機嫌は最高に良かった。ただし、夜寝る時間になってもアデレイドが花を取りたがらず、侍女たちは手を焼いた。そのまま寝てしまったため、アデレイドが寝ている間にせっせと花を取り除くしかなかった。付けたままでは翌日目が覚めた時に枯れた花が散らばって、トラウマになりかねないからだ。

「これは朝起きる前にこっそり花を付け替えておくべきかしら?」

「そうね~。あんなに喜ばれていたものね」

 優しい侍女たちの献身によって、それから三日間、アデレイドの頭には花が咲いていたのだった。


**


その後の侍女たちの会話。

「あの頃は大変だったけど、懐かしいわね…」

「お嬢様がいきなり髪を切られてしまわれた時はびっくりしたわ…」

「私がクルクルにしてさしあげられなかったからじゃないよね!?」

 若い侍女が涙目になっていると、年配の家政婦長が慰めるようにトントンと侍女の背中を叩いた。

「違うわよ。…あの時はローランドさまのお蔭でお嬢様はクルクルにしたかったことを忘れて下さったじゃないの」

「はぁ~、可愛かったなぁ、お嬢様。お花いっぱいで」

「今も可愛らしいけど、なぜ!ドレスを着て下さらない!」

 ドンと拳に握った両手をテーブルに叩きつけて侍女の一人が唸る。呑んだくれのオヤジか、とみな内心で突っ込んだ。だが気持ちは同じだ。

「そうなのよね…。着飾らせたいのに…。ご家族の前ではともかく、ローランドさまはもうずっとお嬢様のドレス姿を見ていないはずよね。婚約者なのに」

「お可哀想…」

「私たちはまだマシよね。年に二回は見られるのだから」

「そうね、ローランドさまがお可哀想だわ。なんとかならないかしら」

 いつの間にか同情されているローランドだった。

「次にお坊ちゃん方がお帰りになるときには、お嬢様をうんと可愛く着飾らせて、ローランドさまにも見せて差し上げましょう!」

「そうね!『花のお姫様』再び!!」

「おー!!」

 当人たちを差し置いて、勝手に盛り上がる侍女たちだった。


***


 まだローランドが学院に入学する前のこと。

 アデレイドはレイ家に遊びに出かけた。


「そういえば、アディ、小さい頃は巻き毛に憧れていたよね」

 唐突にローランドがそんなことを言いだした。

 アデレイドは瞬いた。

「そうだっけ…?…言われてみれば、そうだったかも…。ああ、母さまに憧れていたのよね」

 アデレイドは思い出した。それはレオノーラの記憶を思い出す前のことだ。

「今も憧れてる?」

 聞かれてアデレイドは首を横に振った。そのあとすぐ前世のことを思い出してそれどころではなかったのだが、それだけではない。

「ローランドに花冠を作って貰った気がする…」

 今となってはレオノーラの記憶よりも遙かに彼方のことに思える記憶を引っ張り出す。

「ローランド、なんで花冠作るの上手なの?」

 アデレイドが不思議そうに聞く。ローランドはくすっと笑った。

「アディ、覚えてないかな。小さい頃、うちの領に遊びに来た時、花嫁さんを見たこと」


 アデレイドが3歳の頃、デシレー一家はレイ家とともにレイ領の避暑地である村に遊びに出かけた。そこは小さな村だが湖や草原、山々が見渡せる風光明媚な土地で、レイ一家のお気に入りの場所だった。そこに仲良しのデシレー家を招待することは一家の長年の夢だったのだ。

 その村で、村の若者の結婚式が挙げられていた。小さいアデレイドの手を引いて村内を歩いていたローランドに、花嫁が話しかけた。

「あら、可愛い。よかったら、ベールの裾を持ってもらえないかしら」

 アデレイドは花嫁の姿に瞳をキラキラさせた。そして二人で花嫁のベールの裾を持つことになった。

 花嫁の友人たちが急遽小さな花冠を作ってアデレイドの頭に被せてくれた。アデレイドは頬を赤く染めて、嬉しそうだ。ローランドは思わず微笑んだ。

 花嫁がローランドにこっそりと教えてくれた。

「この村にはね、好きな女の子に手作りの花冠を捧げて求婚すると、うまくいくという言い伝えがあるのよ。これは私の旦那様が作ってくれた花冠なの」

 そう言って自分の頭に飾られた素晴らしい花冠を指さす。ローランドはアデレイドが喜んでくれるなら、たくさん花冠を作ってあげたいと思った。

 それから数日、ローランドは花嫁とその友人たちに花冠の作り方を習うために彼女たちの家にせっせと通った。それはアデレイドに花冠をあげたいからだったが、突然ローランドが遊んでくれなくなったため、アデレイドは拗ねた。


「思い出したわ。…あの時ローランド、花嫁さんにでれでれだった」

 じとっと睨み付けられ、ローランドは慌てた。

「え!?いや、そんなことは全然」

「何日もどこかに出かけて、私と遊んでくれなくなった」

「それは」

「ローランドは年上のお姉さんが好きなのよね」

 口ごもるローランドに、アデレイドは冷ややかな視線を投げる。

 花冠を作って求婚することは、花嫁(になる予定のアデレイド)には内緒にしたい。ローランドは何も言えず、心底困ったような、途方に暮れたような顔をした。それを見てアデレイドはくすっと笑った。ちょっとからかいすぎた。

「冗談よ。…あの時ローランドが花冠を作ってくれて、私、すごく嬉しかった。…だから巻き毛じゃなくても、気にならなくなったの」


 4歳の頃のアデレイドにとってローランドは王子様だった。穏やかで優しいローランドはアデレイドが手を伸ばせばいつでもその手を握り返してくれた。アデレイドが例えば苺を美味しそうに食べれば自分の分をアデレイドにくれた。アデレイドはローランドが怒ったところを見たことがない。小さなアデレイドが纏わり付けば面倒だと思ったこともあるだろうに、嫌な顔一つせず、いつでも笑顔でアデレイドを受け入れてくれた。

兄たちも大概アデレイドに優しくて甘いが、それは「兄」だからだと、幼いながらも認識していたのかもしれない。だがローランドは違う。まず第一に毎日会えるわけではない。その頃は月に数回、お互いの屋敷を行ったり来たりしていたが、それは幼いアデレイドにとっては半年ぶりくらいの間遠な間隔だった。ローランドと会えると、嬉しくてアデレイドはローランドにくっついて回った。毎日会える兄とは違い、ローランドとはたまにしか会えないことを理解していたから。

ローランドのことは「たまにしか会えない大好きなお兄ちゃん」という感覚だっただろうか。ローランドは会いに来るたびに花束やお菓子、可愛らしいぬいぐるみなどをプレゼントしてくれた。それはローランドがアデレイドの「婚約者」で、アデレイドのことを大好きだからだと母が教えてくれた。

アデレイドは「婚約者」がなんなのかよくわからなかったが、その頃読んでいた絵本の王子様みたいだと思った。王子様はお姫様に優しくて、素敵な贈り物をしてくれたり、危ない時は助けに来てくれる。優しいローランドはまさに理想的な王子様だった。

 だからアデレイドはお姫様になりたかったのだ。ローランドのお姫様に。

 アデレイドのイメージする「お姫様」は、母のような素敵な巻き毛をしている。アデレイドは自分の髪がどことなく地味だと思っていた。

(母さまのようなふわふわくるくるがいいのに…)

 そんな時に、ローランドが花冠をくれたのだ。「お姫様みたいだよ」と言って。ローランドがアデレイドの髪にいっぱい花を付けてくれたことも嬉しかった。地味だったアデレイドの髪が華やかになった。絵本のお姫様みたいに。


 アデレイドは4歳のころを懐かしく思い返した。

(あの頃私、ローランドを王子様だと思っていたのよね…)

 思い出して恥ずかしくなる。アデレイドの頬が薄っすらと紅く染まったのを見て、ローランドは不思議そうに聞いてきた。

「アディ…どうかした?」

「な、なんでもない」

 ちらりとローランドを窺うと金色の瞳と目が合った。あの頃アデレイドは絵本の王子様の瞳を黄色に塗った。

 何か猛烈に恥ずかしくなって、両手をローランドの目に被せた。

「ローランド、こっち見ないで!」

「え、アディ?なんで…」

「なんでもないの!!」

(ひみつひみつ!ローランドを王子様だと思っていたことは絶対秘密。恥ずかしすぎる)

 そうして脱兎のごとくどこぞへと走り去って行く婚約者の後姿を、ローランドは呆然と見送った。

(え…、巻き毛は禁句だった?)

 いや、それはもう気にならなくなったと言っていた。では何が地雷だったのだろうか。年上のお姉さん?それは完全に誤解なので後で訂正しておくべきか。でも怒っている感じではなかった。ローランドはわけが分からなかった。

 ローランドは片手で自分の目を覆った。アデレイドがそうしたように。

(アディは見るなと言った)

それは無理だとローランドは思った。理由はわからないけれど、その言葉には従えない。

(もう一度、花冠を作ってみようか)

 喧嘩をしたわけではないけれど、アデレイドに機嫌を直してもらいたい。

 でも花冠は求婚するときにとっておきのものを作りたいので、今は花束にしよう。そう思い直して、ローランドは温室へと向かった。


 恥ずかしさから図書室の隅っこに小さくなって隠れていたアデレイドの元に、ローランドが白と薄紅色の可愛らしいバラの花束を持って迎えに来てくれたとき、アデレイドは思った。

 ローランドはやっぱり王子様かもしれないと。





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