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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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23/103

022


 サイラスは屋敷の居間で肖像画を見上げていた。

 レオノーラの肖像画。それはジュリアンが当主となり、グランヴィル公爵家を継いだ後もずっと公爵家の居間に飾られ続けた。


 レオノーラの両親はジュリアンに、もうレオノーラのことは忘れていいと言った。このままではジュリアンが辛いだろうし、これからはジュリアンの血筋がこのグランヴィル公爵家を受け継いでいくのだからと。

 だが、ジュリアンは首を横に振った。

 レオノーラを忘れたくないと。彼女のことは子孫にも語り継いでいきたいと。


 サイラスは微笑んだ。

 レオノーラを忘れることなど出来ないと思っていた。けれど今日、一人の少女がそれを覆した。

 アデレイド・デシレー。レオノーラの生まれ変わり。レオノーラによく似ているけれど、全然違う少女。

 アデレイドは今幸せだと言った。それがサイラスは嬉しかった。よく笑って、泣いて。赤くなったり、ちょっとお転婆で、ひったくりに立ち向かったり階段から落ちたり。目が離せない。記憶の中のレオノーラが目の前の少女に塗り替えられる。


「レオノーラ…。やっと、貴女を思い出に出来そうですよ」

 目尻からは幾筋も透明な涙が流れていたが、サイラスは晴れやかに微笑んでいた。



**


 サイラスが前世のことを思い出したのは、彼が十一歳になった年だった。サイラスはアデレイドに出会って、それがアデレイドがこの世に生まれた頃だったのだと悟った。そこに何か深淵な意味があるのか、ただの偶然なのかは分からないが。

 ある日突然頭痛がして、サイラスは数日寝込んだ。その間、前世の出来事を夢に見ていた。そして目覚めた時、自分がジュリアンだったことを理解していた。

 十一歳はジュリアンがレオノーラを失う数か月前の歳でもあった。そのため、サイラスはジュリアンの感情を追体験するうちに、レオノーラを失う感覚をサイラス自身のもののように感じずにはいられなかった。まるで自分がジュリアンそのものになったように。

 サイラスはレオノーラの肖像画を見つめて、無意識に「レオノーラ」と口にしていた。それを聞いたサイラスの父である公爵は、まだ息子に当主が代々語り継いできたレオノーラの話をした覚えはないのに、息子が肖像画の少女の名前を知っていることを訝しんだ。

 サイラスは父親にすべてを話した。自分にジュリアンの記憶があることを。

 公爵は驚いたが、信じた。サイラスが話した内容に、当主以外知るはずのない事柄が含まれていたからだ。それは遠い昔に、ジュリアンが家訓に加えた一条。

 屋敷の内装を一切変えないこと。レオノーラの部屋をそのまま維持すること。レオノーラの部屋は誰も使ってはならないこと。

 ジュリアンはグランヴィル公爵家の中興の祖である。長い歴史を誇るグランヴィル公爵家だが、ジュリアンの代でその基盤はさらに盤石になったと伝えられている。その生まれ変わりとあって、公爵はサイラスを導くべき子供ではなく、むしろ自身が教えを乞うべき偉大な先祖として密かに敬った。そのため現在、グランヴィル公爵家においてサイラスの決定は絶対であり、至上事項として扱われる。



***


 サイラスと共に消えてから、アデレイドが戻ってくるまで兄たち二人はやきもきしていた。数時間後、戻って来たアデレイドは泣き腫らした顔をしていた。けれど笑顔で「お腹空いた」といい、美味しそうに朝食を平らげたので、兄たち二人はほっと胸を撫で下ろしたのだった。

 ただし、サイラスと仲良く手を繋いで戻って来た上、サイラスも泣いたような顔をしていたので二人の間に一体何があった、と別の意味でやきもきしている。


「兄さん、アディを置いて行っても大丈夫かな…」

 昨夜、サイラスにアデレイドを預けてもいいのではないかと言ったセドリックだったが、俄かに不安になっていた。ジェラルドも同じだった。

アデレイドは今日領地へ帰る予定だった。ところがサイラスがもう少し滞在していかないかと持ち掛けたのだ。


 朝食の後、アデレイドが暇の挨拶をするためにサイラスの部屋を訪うと、サイラスはアデレイドを熱心に口説いた。

「アディ。もう少し居てください。貴女に見せたいものがまだまだたくさんあります。折角用意したドレスもまだ着ていただいていません。お願いします。せめてあと三日だけでも」

 ジェラルドとセドリックもその場にいたのだが、サイラスは二人には目もくれなかった。跪き、アデレイドの両手を取って懇願するサイラスに、兄たち二人は唖然とした。

(いくらアディがレオノーラさまに似ているからってそこまで!?まだ十歳だぞ…)

(やっぱり王子と同類なの!?というかむしろ性質が悪い!!)

 アデレイドも困っているようだった。

「サイラスさま、あの」

「さま?」

「サ、サイラス」

(今二人きりじゃないのにー!)

――というアデレイドの心の悲鳴を無視して、サイラスはアデレイドが言い直してくれたことに嬉しそうに微笑んだ。

「はい。なんですか、アディ」

「だ、だから…今日、帰」

「…ダメですか?」

「…………………」

 アデレイドは折れた。サイラスに哀しそうな顔をされるとダメだ。

「あ、あと二日だけ…」

 サイラスはにっこりと微笑んだ。とても満足そうに。

(呼び捨てにさせた………)

(何その極上の笑顔………)

 最早言葉もないジェラルドとセドリックだった。



「アディ、あんまりサイラスさまに近寄っちゃダメだよ。あの人は危険だ」

「トマス、アディとサイラスさまを二人きりにするなよ?何としてもアディの側に張り付いてろ」

 ジェラルドとセドリックはせめてもの予防策としてアデレイドとトマスに念を押した。トマスはこくこくと頷いている。ただしもしもサイラスが強権を発動すれば彼の立場ではどうにもならないので、アデレイドにもしっかりと言い聞かせる。

「アディ、淑女は無闇に異性と二人きりになってはいけないんだ。だから常にトマスを側に置け。いいな?」

 アデレイドは頷いた。

(淑女は無闇に異性と二人きりになってはいけないって、似たようなことを昔ジュリアンに散々言われたな)

 そのジュリアンことサイラスなら、アデレイドが気を付けるまでもなく紳士だろうと思うので、特に心配はしていない。既に瞼にキスをされているのに、アデレイドにはあまり警戒心がなかった。なんとなくサイラスには気を許してしまうのだ。

 兄たちはぽやっとしているアデレイドが余計心配になった。

「アディ、よく聞いて。アディはすごく可愛いから、男たちがほっておかなくなる。だけどアディにはローランドがいるんだから、他の男に気を許しちゃダメだよ」

「アディ、本当に絶対に二日後には帰るんだぞ?絶対だからな。サイラスさまがもう一日、とか言い出しても、もうダメだぞ?」

 心配性な兄たちにアデレイドは微笑んだ。

「分かってるわ、兄さまたち。ちゃんと帰る。ローランドにも元気でねって伝えて」

 兄たちは順番にアデレイドをぎゅっと抱きしめた。

 心配だが二人は学院に戻らなくてはならない。後ろ髪を引かれながらも彼らは馬車に乗り込んだのだった。



***


 ジェラルドとセドリックが乗り込んだ馬車に、サイラスも乗り込んだ。

「私も学院に用事があるのでね。同乗させてもらうよ」

 ジェラルドとセドリックは驚いたが元々これはサイラスの馬車だ。否やはない。

 サイラスは二人の向かい側に座ると、にこりと綺麗に笑んだ。

「さて。君たちの答を聞かせて貰えるかな」

 ジェラルドの片眉が跳ねた。

「……もしもダメだと言ったら、サイラスさまは諦められるのですか?」

「まさか」

 間髪入れずに返ってきた答えにジェラルドは眉間を押さえた。

「……ならば聞くだけ無駄なのでは?」

「念のため、君たちがどの程度危機意識を持っているのか確認しておきたかったのだよ」

「…?」

 ジェラルドとセドリックが怪訝そうな顔をすると、サイラスは少し表情を改めた。

「王族が気に入った娘を、娘の意志に関わらず強引に召すという話は腐るほど聞いたことがあるだろう。王族は戯れに娘に寵を授けるが、飽きれば冷酷に打ち捨てる。娘にはなすすべもない。身分差が大きければ大きい程それは顕著だ。特に現王家は九百年以上続く絶対的権力を持っている。王族が一言命じれば、あとは誰にも止められない。…この私以外はね」

 ジェラルドは眉根を寄せた。

「サイラスさまには止められると?」

「止めるよ。アディが望むなら何でもする。グランヴィル公爵家が取り潰されても構わない」

 ジェラルドとセドリックは息を飲んだ。あまりにも悲壮な決意だ。

「そこまでされると、アディも困ると思いますが…」

 ジェラルドが言うと、サイラスは微笑んだ。

「勿論、アディに言うつもりはない。それにグランヴィル公爵家を潰させるつもりもないよ」

 ジェラルドはじっとサイラスを見つめた。本当だろうか。

「……俺たちの結論は昨日言った通りです。…選ぶのはアディだ」

 サイラスは頷いた。

「…わかった。ありがとう」

 礼を言われて、ジェラルドは少し驚いた。けれど直後にサイラスが「では張り切ってアディを口説くことにしよう」と続けたので、酢を飲んだような顔になった。

 …途轍もなくアディが心配だ。隣を見ると、セドリックも顔を蒼褪めさせている。

 二人はそっと目を見交わし、嘆息したのだった。




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