021
アデレイドは身支度を整えると、兄たちと共に階下へと降りた。
階段下のホールには、既にサイラスがいた。サイラスはアデレイドの格好を見て僅かに目を見開いたが、直後ににっこりと微笑んだ。
「おはようございます、アディ。……少し、お時間を頂いてもよろしいですか?」
アデレイドも微笑んで頷いた。サイラスが微笑んでくれたことに、ほっとしながら。アデレイドは少年姿だった。
兄たちをその場に残し、アデレイドはサイラスの後に続いた。サイラスは扉開きの窓を開けると、庭園へ出た。アデレイドが戸惑っていると、少し振り返って優しく微笑んだ。
「貴女に見せたいところがあるのです。すぐ近くですから、どうか一緒に来ていただけませんか?」
アデレイドはこくりと頷いた。
サイラスがアデレイドを誘ったのは庭園の端、緩やかな丘のようになったところだった。そこには二本の巨木が堂々とした佇まいで聳えていた。
「サクラと楡…」
アデレイドは思わず呟いていた。
「………やはり、貴女はレオノーラなのですね」
ハッとして振り返ると、サイラスが泣きそうな、でも嬉しそうな複雑な表情でアデレイドを見つめていた。
*
レオノーラはジュリアンを連れてサクラの木の丘へと駆けた。
「ジュリアン、この木はサクラというの。とても珍しい木なのよ。お父さまが東方から取り寄せたのですって。わたくしの誕生を祝って植えられたの」
そこにはまだ若い木が植えられていた。
「春になると、薄桃色の綺麗な花を付けるのよ」
レオノーラはにっこりと笑みを浮かべて言った。
「この木の隣に、貴方の木を植えるつもりなの。わたくしたちが姉弟になる記念よ。貴方はどんな木がいい?」
ジュリアンが選んだのは楡の木だった。楡は寿命が長い。この先ずっと、何百年もグランヴィル公爵家を見守っていけるように。レオノーラの木の隣で。そんな願いを込めて。
*
遠い過去が蘇る。あの時二本の木はまだ若くひょろっと細かった。
今アデレイドの目に映る幹は大人二人で両手を繋いで輪になったくらいの太さだった。二本の木はグランヴィル公爵家を見守るように聳え、揺らぐことなどあり得ないと言わんばかりにどっしりと根付いている。葉は青々と茂り、風に揺れてさやさやと心地いい音を奏でていた。
この国にサクラは自生していない。その木の名前を、アデレイドのような少女が知るはずはなかった。
「サイラスさま…」
ふわりとサイラスの上着が広がって、次の瞬間にはアデレイドは彼の胸の中にいた。
「アディ。貴女に見せたかった。この木はこんなに立派になりましたよ。グランヴィル公爵家も…貴女が大切にしていたものすべて、私たちは守って来ました」
アデレイドは泣きそうになった。屋敷の内装も調度も三百年前と何一つ変わっていなかった。レオノーラの部屋も。
「サイラスさま…、貴方はジュリアンなの…?」
震える声でアデレイドが問うと、サイラスはぎゅっとアデレイドを抱きしめた。
「…そうです。十年前に、記憶が蘇りました。それ以来、私はずっとレオノーラを探していた…」
アデレイドはサイラスが震えていることに気付いた。アデレイドは胸が苦しくなった。レオノーラを失ったまま、身動きが取れないジュリアンがそこにいるようだった。アデレイドはサイラスの中に潜むジュリアンを抱きしめてあげたいと思った。それぐらいしか今のアデレイドに出来ることはなかったから。
背中に手を伸ばしぎゅっと抱き付くと、サイラスの身体がびくりと震えた。
「……サイラスさま。ごめんなさい。レオノーラはジュリアンを置き去りにした…。酷いことをした…。なのに、ずっと大切にしてくれていたのですね。ジュリアンも、グランヴィル公爵家も…。……ありがとうございます…」
サイラスが嗚咽を漏らした。
彼が忘れられないと言った、失った従姉妹とはやはりレオノーラのことだったのだろう。
だけど、もういい。もう十分だろう。
アデレイドはサイラスの背中を撫でた。アデレイドの瞳からも涙があとからあとから零れ落ちた。
涙が枯れるまで、二人は抱き合っていた。泣き過ぎて頭が痛い。
きゅるきゅるきゅる、と間抜けな音が響いた。
(う…)
朝食がまだだった。アデレイドの顔が真っ赤に染まる。
サイラスがくすりと笑った。
「……アディ。戻りましょうか」
アデレイドは恐る恐る顔を上げた。サイラスは胸が痛くなるほど優しい微笑を浮かべていた。サイラスはハンカチを取り出してアデレイドに差し出した。アデレイドはありがたく受け取った。顔がぐしゃぐしゃだ。
サイラスが手を差し伸べたので、アデレイドは己の小さな手を重ねた。サイラスの手は大きく、アデレイドの手がすっぽりと包まれる。
(昔は同じくらいだったのに、変な感じ…)
同じことを思ったのか、サイラスと目が合って、二人は同時に微笑んだ。
「……サイラスさま。あのね」
アデレイドが言いかけるとサイラスが遮った。
「サイラスと呼んでください」
「で、でも」
「せめて二人の時だけでも」
「う、…はい」
押し切られた。
アデレイドが頷くと、サイラスはそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。
(そんな顔されたら、嫌とは言えない…)
でもこれだけは言わなくては。アデレイドは気を取り直してサイラスに向き直った。
「…サイラス。……もう、レオノーラのことは忘れてほしいの」
サイラスの顔が強張った。アデレイドは慌てて首を振った。
「思い出として、大事にしてくれるのは嬉しいの!でも、それに囚われてほしくない…。それに今は、私はアデレイドとして幸せだから。…もうレオノーラじゃないの。私はアデレイドだから。……私を見て欲しいの!」
サイラスがなんだか哀しそうな顔をするから、アデレイドは焦ってしまい、うまく説明できた気がしない。何か最後におかしなことを口走った気もする。
サイラスが目を見開いた。そして数秒、じいっとアデレイドを見つめると、艶やかに微笑んだ。
(な、何か色っぽい…)
アデレイドはくらくらした。サイラスは凄絶に美しい。そこに何やら色気が加わると無敵だった。
「わかりました。…貴女を見ることにします。…アディ」
そしてうっとりするような微笑みを浮かべると、アデレイドを引き寄せて瞼の上に口付けを落とした。
(な――!?)
アデレイドが真っ赤になると、サイラスはくすりと微笑んだ。
「貴女はレオノーラよりも可愛らしいですね」
どういう意味だ。聞きたかったけれど、動揺したアデレイドは口をぱくぱくとさせる以外に何も言えなかった。




