020
ジュリアンはレオノーラの従兄弟だ。グランヴィル公爵家の一人娘が王子妃となることが決まったため、彼はグランヴィル公爵家の養子となった。
ジュリアンが十歳になった年、彼は正式にグランヴィル公爵家の後継者として発表された。それまでは何人かの候補がいて、ジュリアンはその中の一人にすぎなかったのだ。
ジュリアンは嬉しかった。これで大好きなレオノーラの一番近い存在になれる。彼は生まれ育った家に何の未練もなくあっさりと別れを告げて、グランヴィル公爵家へと向かった。
「ジュリアン!今日から貴方はわたくしの弟になるのね」
出迎えたレオノーラは嬉しそうに駆け寄ってきて、ジュリアンを抱きしめた。ジュリアンはくらくらした。刺激が強すぎる。
「レオノーラ!淑女が無闇に異性に抱き付くものではありませんよ」
ジュリアンが顔を真っ赤にして抗議すると、レオノーラはきょとんとして言った。
「弟は例外でしょう?わたくし、嬉しいの!ジュリアンが弟になってくれて。来て!貴方の歓迎会の用意をしてあるのよ」
強引にジュリアンの手を引っ張って自室へと連行するレオノーラに、ジュリアンは降参した。少々強引で、天真爛漫で、でも綺麗で優しいレオノーラ。大好きな従姉妹。これからは義姉だけど、ジュリアンはレオノーラを義姉だと思ったことは一度もない。多分これからもないだろう。
彼女に王子という婚約者がいることは理解している。彼女がその婚約者を大好きなことも。別にそれでも構わなかった。レオノーラが幸せなら。
「ジュリアン、貴方に贈り物があるの」
ふふふと楽しそうに笑って、レオノーラは小さな箱を取り出した。小箱の中には紫苑色の綺麗なリボンが入っていた。
「貴方の瞳の色。綺麗でしょう?」
そう言って、レオノーラはジュリアンの後ろに回ると、その髪を掬った。ジュリアンの髪は肩までの長さで、サラサラとした白に近い淡い金色だ。
レオノーラに髪を撫でられて、ぞわりとした悪寒が背筋を這う。
「レオノーラ、くすぐったいです」
「あ、ごめんね。すぐに終わらせるわ」
(べ、別に嫌なわけじゃないけど…)
ジュリアンは形容しがたい感覚に戸惑っていた。
レオノーラはジュリアンの髪を丁寧に梳ると、リボンをきゅっと巻いた。
「出来たわ。思った通り、似合ってるわ」
レオノーラは満足そうに微笑んでいる。ジュリアンはその笑顔に見惚れた。
*
ジュリアンがレオノーラの屈託のない笑顔を見ることが出来たのは、王子の成人の夜会の日を迎えるまでだった。それまでの数か月間が、ジュリアンにとっては掛け替えのない、幸せな日々だった。
*
「レオノーラ。お願いですから少しでも食べてください」
レオノーラの綺麗な頬をはらはらと零れ落ちる涙をそっと拭いながら、ジュリアンは懇願した。
このところレオノーラは泣いてばかりだ。夜もあまり眠れていないみたいだった。
学院に通いだしてすぐに、体調を崩すようになった。
王子の成人の夜会の日から、ふさぎ込むようになっていた。それから半年後に学院に入学し、病休を繰り返しながらも何とか一年が過ぎたが、じわじわと削られるように痩せてしまった。
食べやすいようにと、侍女が用意してくれた柑橘系のゼリーをスプーンで掬って口元に運んでも、レオノーラは首を横に振る。
「今は要らないわ、ジュリアン。ごめんね、ありがとう…」
泣きながら謝られると、ジュリアンはそれ以上何も出来なくなってしまう。
どうしたらいい?レオノーラが欲しがるなら何でも用意するし、何でもするのに。
*
「エルバートさま…」
高熱を出して倒れたレオノーラが、譫言に零した名前。
深夜、レオノーラの側で看病していたジュリアンはレオノーラの望みを知って、胸の奥が苦しくなった。知っていた。レオノーラがエルバートを愛していることを。そのエルバートは婚約者が病に臥せっているとも知らず、妖艶な紅毛の女の隣でデレデレと鼻の下を伸ばしているのだ。どこがいいのだ、あんなやつ。
それでも、ジュリアンはレオノーラのためならなんでもしようと決めていた。
レオノーラの望みがエルバートに会うことなら、ジュリアンは頭でもなんでも下げて、エルバートをここへ引き摺ってこようと思った。
「待っていて、レオノーラ。貴女の望みを叶えてあげる」
汗で額に張り付いたレオノーラの前髪をそっとよけて、冷たい水で絞った手拭いを乗せると、レオノーラの呼吸が心なしか穏やかになった気がした。
「だから…貴女は元気になって」
そして笑顔を見せて。それが自分以外に向けられるものでも、構わないから。
*
ジュリアンは学院へと赴き、王子に面会を求めた。
表面上は、未だにレオノーラがエルバートの正式な婚約者だ。その義弟の面会申込みとあっては、エルバートも断るわけにはいかなかった。
「…用件は」
視線を合わせず、不機嫌そうに問うエルバートに、ジュリアンは内心苛立ちを覚えたが表情には全く出さずに静かに頭を下げる。
「お忙しいところ申し訳ございません、殿下。義姉のレオノーラのことでお話がございます」
レオノーラの名前に、ぴくりとエルバートの表情が強張る。
「…婚約のことなら」
「いえ、そのことではなく。レオノーラは現在病に臥せっております」
「……なに」
「どうか一度だけでも、会いに行ってやっては頂けませんでしょうか」
エルバートは驚いたように目を見開いて、呆然とした。
「…病状は、悪いのか」
「…そうですね、思わしくありません」
「……わかった」
蒼白な顔でエルバートは侍従を呼ぶと、レオノーラの見舞いに行くと告げた。
侍従はすぐに馬車をご用意致しますと言って、部屋を出て行った。
ジュリアンはほっとした。これでレオノーラにエルバートと会わせてあげられる。
「殿下、私は一足先に帰宅して殿下のご来訪を義姉に伝えたいと思います。義姉も喜ぶと思いますので」
「あぁ」
ジュリアンは後で、この時無理矢理にでもエルバートを一緒に連れて行けばよかったと後悔した。
結局エルバートはレオノーラの見舞いには訪れなかった。侍従から、殿下に病がうつってもしものことがあってはいけないからと、言い訳めいた断りの使者が遣わされたのだ。
その後は何度面会を申し込んでも、用事があるなどと言われ、一度も会って貰えなかった。
レオノーラはすっかりやせ細って、抵抗力も免疫力も落ちていた。それから一月後、彼女は愛しい人を待ちわびながらも叶わぬまま、永遠の眠りについた。
***
翌朝目覚めたアデレイドは、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
(レオノーラの部屋…)
自分が誰なのかも分からなくなる。だが。
「…アディ、起きた?」
「早く起きないと、食べちゃうぞ~」
声と同時に引き寄せられて、ぎゅうっと抱きしめられた。
「兄さま!?離して!!」
バタバタと暴れても、びくともしない。ジェラルドはアデレイドを抱きしめたままちゅと頬にキスをした。
「あ、兄さん、ずるい」
セドリックがアデレイドをジェラルドの腕から助け出してくれたが、今度はセドリックの腕の中に囚われてしまった。
「おはよう、アディ」
にっこりと笑って、セドリックもアデレイドの頬にキスをする。
「お…おはよう、兄さま」
アデレイドは兄たちのお蔭で、自分がアデレイドだということを強制的に理解させられた。何だか脱力してしまう。深刻に悩む隙間もない。
(あぁ、なんだかほっとする…)
アデレイドは微笑んだ。
そして、昨日の出来事を思い出す。
(サイラスさまは…、ジュリアン…なの…?)
容姿は間違いなくジュリアンそのものだ。大人になっているので少し印象が違うが、瞳の色や髪の色、目や唇の形、何もかもがジュリアンとよく似ている。自分のように前世の記憶を持って、前世と全く同じ容姿で生まれ変わったのだろうか。
(あり得ない、とは言い切れない)
もし、そうなら。
(サイラスさまと、話さなくちゃ…)




