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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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18/99

017

 森の反対側へと辿り着くと、兄たち二人はぜいぜいと荒い息を吐いてその場に座りこんだ。

「あー…、寿命縮んた」

「バレてないよね…」

「恐らくな」

 兄たちの謎の会話に、アデレイドは小首を傾げた。

「兄さまたち、なんで走ったの?」

 本当はローランドのことを聞きたかった。けれど、ローランドが少年に抱き付いていたことが心に刺さって、その話題に触れることを避けた。

 胡坐をかいたジェラルドの膝の上にちょこんと座ったアデレイドを抱きしめたまま、ジェラルドは森の方へ目をやった。追手はない。

「兄さまたちは、変態に追われていたんだ」

「変態!?」

「特殊な嗜好の持ち主ってことだ」

「兄さん、アディに変な言葉教えないで」

「ローランドが!」

 蒼白になって森へ駈け戻ろうとしたアデレイドを、ジェラルドは慌てて抱きしめた。

「ローランドは大丈夫だ。変態が追いかけるのは、銀髪か紫紺色の瞳のやつだけだ」

 それを聞いてアデレイドは安心した。

「そっか、よかった…」

 だがふと気が付いた。

「銀髪か紫紺?」

「…おまえのことだ、アディ」

 ジェラルドが重々しく言った。

「えっ!?な、なんで。私、変態に狙われているの!?」

「あぁぁ…。兄さんが変な言葉教えるから…。アディの可愛い口から変態なんて言葉、聞きたくない…」

「髪を黒くしてくれて助かった。本当は、そんなことさせたくないけどな。でも、黒髪も可愛いなー、さすが俺のアディだ」

 ジェラルドはでれでれと口元を緩めて、アデレイドの頭を撫でた。

「だから、僕たちのアディだってば」

 言いながらセドリックもアデレイドの髪を撫でる。後ろからアデレイドの両脇に手を入れて抱き上げると、一旦地面に降ろし、前に回ってアデレイドの顔を覗きこむ。

「アディ、よく顔を見せて。淋しくなって、会いに来たの?」

 セドリックに優しく聞かれて、アデレイドは泣きそうになってしまった。

 セドリックはふわりとアデレイドを抱きしめた。

「よく来たね。僕も会いたかったよ」

 今度こそアデレイドは泣いてしまった。ぎゅうっとセドリックにしがみつく。

「兄さま」

 ジェラルドは微笑ましそうに二人を見つめる。

 アデレイドは兄たちの前ではいつだって、小さな子供になってしまうのだった。

 そこへ、おずおずと近付いて来る人影があった。

 従僕のトマスだ。

「あぁ、トマス。馬車の用意が…」

 出来たのか、と言いかけたジェラルドは言葉を飲み込んだ。トマスの背後に見知らぬ青年がいたからだ。

 銀髪に紫苑色の瞳、二十代前半。ジェラルドは頭の中で貴族年鑑を高速で捲る。だが答にたどり着く前に、アデレイドが青年の名を呼んだことに衝撃を受けた。

「サイラスさま」

 サイラスはにこりと微笑むと、親しげにアデレイドの名を呼んだ。

「アデレイド。用事は済みましたか?」

 アデレイドはこくりと頷いた。本当はもっとローランドと喋りたかった。けれど会えただけでも十分だった。

「…サイラス・グランヴィルさま?」

 警戒したような口調でジェラルドはサイラスに問う。サイラスは口元に笑みを浮かべたまま、軽く頷くとジェラルドを見下ろした。

「君はアデレイドの兄君だね。ジェラルド君、そしてそちらの彼はセドリック君」

 ジェラルドとセドリックは素早く立ち上がった。

「失礼いたしました。…ですが、何故貴方が妹のことを?」

 公爵令息であるサイラスとアデレイドの接点など、どう考えても見当たらない。サイラスは、尤もだ、というように軽く微笑むと、森の奥をちらりと見やってジェラルドに微笑みかけた。

「話せば長くなるが、今君たちは一刻も早くここから立ち去るべきではないのかい?追われているのだろう」

 ジェラルドは息を飲んだ。何故それを知っている。だが、ふと考え付く。追手は王子だ。むしろサイラスは王子の動向に注目していたからこそ、デシレー家の兄弟の名を知ったのだろう。

 納得してジェラルドが頷くと、サイラスは付いてこい、というように踵を返した。ジェラルドとセドリックは目を見合わせ、同時に頷き合った。

「ともかくここから移動しよう、兄さん」

「だな」

 二人は両側から片方ずつアデレイドの手を握ると、サイラスの後を追った。


 森を抜けた先には学院の裏門があった。そこを潜り抜けると、塀の側に辻馬車が停まっていた。サイラスはデシレー三兄弟をその中へと押し込むと、自身も乗り込んで素早く発車させた。トマスは御者台だ。

「私の馬車は別の場所に待機させている。裏門に停めるのは目立ちすぎるのでね。途中で乗り換える」

 それからサイラスはアデレイドとの出逢いの経緯を簡単に説明した。二人の兄たちはその話に衝撃を受けた。

「アディが出版!?」

「そんな才能があったなんて、初耳なんだけど」

 なんで両親は真っ先に自分たちに知らせてくれなかったのか、と憤る兄たちだった。他人の公爵令息から知らされるなんて、切なすぎる。珍しく、アデレイドにも怒りの矛先が向けられる。

「アディ…。兄さまたちは哀しい。アディから一番に聞きたかったな」

「アディにとって、兄さまたちは相談すらして貰えない、頼りにならない存在なのかな」

 両側から責められて、アデレイドは縮こまった。しどろもどろに言葉を紡ぐ。

「ち、ちがうよ!!ただ…本になるなんて、思ってなくて…。びっくりしている間にどんどん話が進んで。兄さまたちには、本が出来てから直接会って伝えたかったの。お、怒らないで…」

 泣きそうな顔で代わる代わる兄たちの顔を見上げるアデレイドに、兄二人は白旗を上げた。

「怒ってないよ。アディ、そんな顔しないで」

「そうだな、折角のめでたい話題なんだから、まずはおめでとうと言うべきだったな。というか、すごいぞ、アディ。さすがは俺の妹」

 ぎゅうっとジェラルドに抱きしめられて、アデレイドは悲鳴を上げた。

「兄さま、きつい!」

「兄さん、サイラスさまの前だよ!」

 焦ったように言うセドリックの声に、ジェラルドとアデレイドは目の前に座るサイラスの存在を思い出した。目が合うとにこっと微笑まれた。

「仲がいいのですね、アデレイド」

 それから、羨ましそうに言う。

「私もアディと呼ばせていただけませんか?」

「な…」

「……」

 唖然としたのは兄たちの方だ。

(サ、サイラスさまは…幼女趣味なのか…?)

(なんか、アディには敬語なんだけど。僕たちには普通なのに)

 凝視していたら、ちらりとサイラスが視線だけ寄越した。口元は笑っているのに、目は笑っていない。凍り付くような、絶対零度の眼差し。二人はぶるりと震えた。

(…馬車に乗って、よかったのか…?)

 二人の兄は、この先は考えてはいけない、と己に言い聞かせた。




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