015
学院へは、何故かサイラスも付いていくと言い出した。
「少し理事長に用がありますので」
アデレイドはそうなんだ、と納得した。
アデレイドは事前に手紙のやり取りでローランドの時間割とだいたいの行動を聞いていた。学院に到着したのはお昼少し前だった。
(お昼休みに会いに行けるな。今日のランチはどこで摂るんだろう…。あ、前の授業の教室前で待っていればいいんだ)
アデレイドがそんなことを考えている間に、サイラスは手早く学内に入る手続きを終えてくれた。アデレイドは学院入学前に見学に来たという設定だ。付き添いがサイラスのため、グランヴィル公爵家の遠縁ということになっている。
(そっか、サイラスさまがいなかったら私、どうやって学院内へ入ろうとしていたんだろう。デシレー家の名前を出すしかなかったんだ)
構内見学には従者以外の付き添いの保護者の署名が必要だ。アマンダならば保護者として通用するが、彼女には打ち合わせがあるため元より頼むつもりはなかった。
兄に会いに来た、といえばことはすんなりと通るだろう。だが令嬢が少年姿では、兄たちが好奇の目で見られてしまう。アデレイドとしても、この格好は家の中だけという分別は持っているのだ。
(でもローランドに会うのに、ドレスはまずいし)
それに何故かローズからドレス禁止を言い渡されていたこともある。
ともかく何事もなく学院内に入れたことを、アデレイドはサイラスに感謝した。
「サイラスさま、ありがとうございます」
サイラスは優しく微笑んだ。
「さぁ、貴女は好きに行動してください。私は所用を済ませますので」
頷いて、アデレイドはサイラスと別れた。
サイラスは念には念を入れて、アデレイドが王子と出会わないよう、王子を呼び出すつもりだった。
アデレイドは、立派な石造りの建物の前に広がる芝生の中に植えられた木の根元に腰を下ろして、ローランドが出てくるのを待った。側には従僕のトマスもいる。
終業を告げる鐘の音が鳴り響き、一人二人と学生が外に躍り出る。学生たちは木の下にいるアデレイドに視線を送り、少なからず目を瞠った。
学院には入学前に構内見学に訪れる者が少なくない。学院は義務ではなく、希望者のみが入学するのだが、ほとんどの貴族の子弟が入学し、人脈を形成していく場として認識されているため、貴族であれば入学しないほうが稀だった。だから入学前年齢の幼い少年少女が従者や侍女を連れて構内を歩き回っているのはごく自然な光景で、普段なら学生たちは気にも留めない所だが、アデレイドは稀にみる美少年だった。
一途に建物の入口を見つめる大きな瞳は美しい紫紺、通った鼻筋に薄桃色の形の良い唇。さらさらの黒い髪は神秘的で色気を含む艶やかさ。期待と興奮に薄っすらと色付いた頬。なかなか現れない待ち人に、長い睫毛は時折哀しげに伏せられる。
少女だけでなく、少年たちもその姿に思わず足を止めた。美しい少年がそわそわと待つ人がどんな人物なのか、誰もが興味を惹かれた。
鐘が鳴ってから十分ほど経った頃、漸く美少年の待ち人が現われたらしい。
「ローランド!」
その人が出入り口のアーチを潜った瞬間、少年は瞳を輝かせて目当ての少年の元へと駆け寄った。
周囲の学生たちは、少年の待ち人が少年だったことに、何とはなしに背徳感を覚えた。
(仲の良い友達なんだろうな)
(うん、でもなんだろうこの色っぽさ)
(いけない関係に見えてしまう…)
(まだ子供なのに)
なんとなく、そっと目を逸らす者、興味津々で食い入るように見つめる者が半々くらい。
当のローランドは目の前に現れた黒髪の、けれど見慣れた紫紺の瞳の少年に、幻を見ているのかと思った。
「…アディ?」
「驚いた?会いに来ちゃった」
(ふふ、ローランド、目まんまる)
呆然としている幼馴染みに、悪戯が成功したような爽快感を覚える。
だが、ローランドの瞳に映る自分の姿に、今の自分が黒髪であることを思い出した。
(あ、髪黒いことに驚いているのかな)
ローランドは、何故いきなりアデレイドが目の前にいるのか、髪が黒いのか、色々と気になることはあったが、それよりも周囲の目が自分たちに集まっていることに焦燥を覚えた。
「アディ、とりあえず場所を移そう。ここでは注目を集めすぎる」
小声で告げて、無意識に手を差し出す。アデレイドも無意識にローランドの手を握り、二人は歩き出した。幼い頃から手を繋いで歩くのはごく自然な行為だったため、ここが学院内で、今の二人は少年同士だということを失念していた。少し距離を置いて従僕のトマスも付いてくるが、彼にも二人の様子はいつものことなので、特に気にしていない。
「あのね、変装したの。デシレー家の娘だとばれないように」
歩きながら髪に手をやって説明すると、ローランドは頷いた。
「びっくりしたけど、それがいいよ。今君がデシレー家の令嬢だとばれるのはすごく拙いんだ」
「?」
何故なのかは分からないが、ローランドは焦っているようだった。
校舎の端にたどり着き、周囲に誰もいないことを確認すると、ローランドはほっと息を吐いた。そうしてまじまじとアデレイドの黒い髪を見つめる。
「…別人みたい…。だから一瞬分からなかったけど、すぐにわかった。丁度アディのことを考えていたから、アディが急に現れて、本当にびっくりしたよ。幻かと思った」
そう言ってローランドは微笑んだが、微妙にまだ幻と疑っているのか、両掌をアデレイドの頬に当てて、じいっと見つめて来た。アデレイドは唖然とした。顔が赤くなる。
(私のことを考えていたって…ローランドの天然!)
恥ずかしくなったが、嬉しさの方が勝った。自然と笑みが浮かんでしまう。
「私のこと、忘れてなかったのね。よかった」
にっこりと笑うアデレイドに、ローランドはどきっとした。
「わ…忘れるわけない」
目を逸らしてしまうが、両手はアデレイドの頬に添えたままだ。
アデレイドはローランドの両手の上に自分の手を重ねた。
「ローランドの寮、見たい」
アデレイドの手が置かれて、ローランドは自分の手がアデレイドの頬に当てられていることに気付いて狼狽した。ぱっと手を離し、顔を背ける。
アデレイドはそれが気に入らず、ローランドの頬に両手を当てて顔をこちらに向けさせた。
「ローランド?どうして目を逸らすの?ちゃんと顔を見せて」
紫紺色の瞳がじいっとローランドを見つめた。ローランドは搦めとられたように目を逸らすことが出来なかった。二人は十秒見つめ合った。アデレイドは満足してローランドから離れた。にっこりと笑ってお願いする。
「寮、案内して」
ローランドは無言で頷くことしか出来なかった。




