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もう、恋なんてしない  作者: 桐島ヒスイ
第一部

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15/98

014

 夕刻、出版社との打ち合わせを終えて来たアマンダはご機嫌だった。

「アデレイドさま、素晴らしい契約が纏まりましたよ!来月には出版されます!」

 筆名はリオ・グラントという、女性とも男性とも取れる名で出す。レオノーラの名前を元にアレンジしたものだ。

 主人公の名もレオノーラではなく、別名にしてある。勿論王子の名も。これは史実や伝記などではなく、レオノーラをモデルにした架空の物語なのだから。

 それでもアデレイドは、レオノーラが別の生き方を謳歌するこの物語が、彼女への追悼になると思った。


 サイラスが突如連れ帰って来た客人を持て成すべく、公爵家は盛大な晩餐会を開こうとしたが、当のアデレイドが、まだ成人前であることと、アマンダが貴族ではなく家庭教師であることから、ささやかな夕食会でお願いしたいと辞退したため、サイラスと三人のみで略装での夕食となった。

 とはいえ、そこは名門の公爵家だ。料理は素晴らしく、前世の記憶を持つアデレイドはともかく、アマンダは一生分の贅沢をしたと感涙した。

 翌日の予定を聞かれ、アデレイドが学院にローランドと兄たちに会いに行きたいと伝えると、サイラスは一つの提案をしてきた。

「髪を黒く、ですか?」

「ええ。その方がいいと思いますよ。今のままでは貴女がデシレー家の令嬢だと、すぐわかってしまいますから」

 アデレイドは頷いた。確かに、自分の色彩は兄たちと共通している。貴族の子弟が通う学院にお忍びで出向くのに、このままでは拙い。

 デシレー家の令嬢として会いに行くのなら、きちんとドレス姿で行けばいい。けれど、アデレイドはローランドの前にドレス姿を晒すつもりはなかった。少年姿をデシレー家の令嬢として他の貴族の子弟たちに見られるわけにはいかない。よって、少年姿で行くのなら、黒髪にするなどの変装を施すのは必要不可欠だと納得したのだった。



***



 深夜、サイラスは居間にいた。そこにはレオノーラの肖像画が飾られている。

 見れば見るほど、アデレイドに似ている。生まれ変わりではないかと思わずにはいられない。

 サイラスは今日、まさかアデレイドに会えるとは夢にも思っていなかった。

 アマンダが出版社との打ち合わせのため、王都に来ることは知っていた。その際、アマンダを捕まえて本の作者のことを詳しく聞くつもりで、出版社に使用人をやり、アマンダとの打ち合わせが終わったら先ほどの茶店へと連れて来させるつもりだったのだ。

 アマンダから出版社を紹介して欲しいと連絡を受け、原稿を送ってもらいそれを読んだ時のサイラスの感情は、泣きたいのか笑いたいのか叫びたいのか、そのすべてのようでもあり、どれでもないようでもあった。とにかく目まぐるしく変化し、心を揺さぶられた。

 作者に会ってみたくなった。どんな想いでこの物語を書いたのか、聞いてみたかった。そして実際に目にした少女に、サイラスは心を搔き乱された。

 遠目にアデレイドを見かけた瞬間、勝手に身体が動いていた。気が付いたらアデレイドの側まで駆け付けており、彼女が殴られそうになっていたのを見て怒りが湧いた。そして間近で少女を見て、心臓が止まるかと思った。


 サイラスは、アデレイドに黒髪にすることを納得させることが出来てほっとしていた。本当は彼女を学院に近づけたくはなかった。学院にはレオノーラに固執する王子がいるからだ。

 サイラスは筆頭公爵家令息として、また宰相である父からの教育で、王族の動向には注意を払っていた。

 その中で、第三王子であるオズワルドが王宮の奥の間に飾られている肖像画の少女に恋をしているという逸話を掴んでいた。

 その話をしたのは王子の兄たちで、それは弟をからかう、たいして意味のない、他愛ない世間話として、大臣や侍従長などのお年寄りなどにした冗談のようなものだ。だが、サイラスには重要な情報だった。

 サイラスはその肖像画の少女を知っている。そして現在、王子がデシレー家の兄弟に執心していることも。そこへアデレイドを遣れば、結果は火を見るよりも明らかだ。厄介なことにしかならない。しかしまだ出会ったばかりの自分には、彼女の行動を制限する権限がない。

 アデレイドに王子のことを話すつもりはなかった。もしも彼女がレオノーラの生まれ変わりなら、再び王子に恋をしてしまうかもしれない。それはなんとしても阻止したかった。グランヴィル公爵家は、二度とレオノーラを王子になど渡さないと決めているのだ。



***



 長旅の疲れと、思いもかけず公爵家に滞在することになり、前世の自分の部屋で眠ることなったアデレイドは、朝までぐっすりとよく眠った。

(うわぁ…、なんて違和感のない…)

 目覚めて最初に目に映った天井に懐かしさがこみあげる。天井だけでなく、何もかもが以前のままなのだ。

(三百年も…。公爵家はレオノーラのことを忘れていない…?いや、でもジュリアンの代からはレオノーラの直系じゃないし。単に古いものを大事にしているだけかな)

 何しろ屋敷全部が三百年前のままなのだ。


 侍女に支度を手伝って貰い、身形を整えて食堂へ行くと、綺麗なロマンス・グレーの髪の男性がお茶を飲んでいた。髪は灰銀だが、身体つきは引き締まっており顔立ちも若々しい。四十代半ばといったところだろう。

「おや」

 男性はアデレイドに気付くと、優しく微笑んだ。

「貴女がサイラスの大切なお客人ですね。普段滅多に笑わないサイラスが貴女には微笑んだとか。屋敷では、青天の霹靂と、ちょっとした騒ぎになっていますよ」

 楽しそうに笑って男性は立ち上がると、アデレイドに自己紹介をした。

「私はサイラスの父のウィリアムです。どうぞお見知りおきを、レディ・アデレイド」

 グランヴィル公爵にして、宰相その人だった。アデレイドの父であるデシレー子爵でさえ直接言葉を交わしたことなどないだろう、雲の上の人だ。アデレイドは少年姿で出会ってしまったことに、死にたくなった。

(こんな偉い人と知り合うつもりは全くなかったのに…)

 なんで宰相がこんなところにいるのだ、と文句を言いたい気分だった。彼の屋敷なのだから居て当然なのだが。

「…アデレイド・デシレーと申します」

 ドレスではないので、令嬢としてドレスを少し摘まんで腰を屈める挨拶もできない。引き攣った顔で挨拶を返したところへ、サイラスが姿を現した。

「おはようございます、父上。もう挨拶は済んでしまったようですね」

「ふふ、おまえが執心するのも当然だね。可愛らしいお嬢さんだ」

 サイラスは微笑むだけで、特に反論はしなかった。

「もう少し話したいが、私はそろそろ行かねば。失礼させてもらいます、レディ・アデレイド。御機嫌よう」

 宰相は多忙のようで、すぐに出かけて行った。

 サイラスはアデレイドに向き直り、にこりと微笑んだ。

「おはよう、アデレイド。よく眠れましたか?」

「…おはようございます、サイラスさま。はい、おかげ様で」

 アデレイドがやや顔を赤くして言うと、サイラスは問うように首を傾けた。

「どうかされましたか」

「…今更ですが、このような格好で申し訳ございません…。公爵様も、呆れておられたのではないかと…」

 アデレイドの声は段々小さくなっていった。サイラスは思わずくすりと笑った。

「気にする必要はありませんよ。父は男装の麗人を愛でる性質ですから」

 さらりと何かマニアックなことを言われた気がする。アデレイドが返答に窮していると、サイラスは楽しそうに続けた。

「貴女が気になるようでしたら、ドレスをご用意しましょう。私としても、貴女のドレス姿を拝めるのなら、嬉しいですし」

「え…」

 アデレイドが驚いて顔を上げると、サイラスは使用人に声をかけて仕立屋を呼ぶように、と命令を下した。

「サイラスさま!?待ってください、それは」

「ダメですよ、アデレイド。ほら既に侍女たちも楽しみにしていますから。私は横暴な家主ですから、客人は家主の我儘に付き合わなくてはならないのです」

 楽しそうに言われて、アデレイドもつられて笑った。周りを見ると、侍女たちがアデレイドに期待の籠った瞳を向けてにこにこと頷いている。これは断れない雰囲気だ。アデレイドは仕方ないかと腹をくくった。ちょっと気取って言ってみた。

「…仕方ないですね、言う通りにします、横暴な家主さま」

 サイラスは楽しそうに笑って頷くと、アデレイドを椅子に座らせた。

「客人の鑑ですね、アデレイド。ではそろそろ朝食にしましょうか」

 アデレイドに否やはなかった。


 朝食後、仕立屋に採寸され、その後侍女たちに髪を黒く染められ、アデレイドは黒髪の少年姿となり、学院へ行く支度を整えた。

 黒髪に紫紺色の瞳のアデレイドは神秘的な美少年だった。アマンダは頬を染めてアデレイドを見つめ倒した。

「…。先生、穴が開きそうです…」

「あっ、ごめんなさい。つい。…素晴らしい美少年で、目の保養です…、いえ、寿命が延びました」

「…………」

(寿命って)

 アデレイドが居心地悪そうに身動ぎしても、アマンダはお構いなしだった。そんな二人の様子を見に来たサイラスは、笑ってアマンダに話しかけた。

「ノックス、そろそろ打ち合わせの時間では?」

「あ、はい!うぅ、行かなくては…名残惜しいですけど…」

 心底悔しそうに、アマンダは視線をアデレイドから全く離さずに答える。まだ出版社との細かい打ち合わせが残っているのだ。執事が呼んでおいてくれた辻馬車に乗って、アデレイドに手を振る。

「では、夕方には戻りますので…それまでもう少しだけ、黒髪で…!!」

 おーねーがーいーしーまーすーと、憐れな声を響かせて、馬車は門を出て行った。


 


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