013
案内された部屋は、レオノーラの部屋だった。
アデレイドは息を飲んだ。
「あの、ここは…」
公爵家令嬢の部屋は、この屋敷で当主と夫人の部屋に次ぐ、良い部屋のはずだ。そして家族のための部屋。ただの客人(それも子供)を泊まらせる部屋ではない。
サイラスは扉を開けながら、アデレイドに優しい笑顔を向けた。
「この部屋は、貴女に相応しいと思ったのですよ」
部屋はレオノーラの部屋そのものだった。
「……!」
可愛らしい花柄と薄桃色の壁紙と揃いで整えられた寝台。白で統一された家具。サイドテーブルの花瓶には生花が活けられ、常にいつでも使える状態に整えられていることが窺える。
(サイラスさまの妹様の部屋とかじゃ)
室内に足を踏み入れることを躊躇うアデレイドの背を、サイラスはそっと押した。
「…この部屋はね、特に三百年間、変わっていないそうですよ」
知っている。
「貴女の小説は、三百年前の時代を舞台にしていますね」
「!!」
アデレイドはドキリとした。具体的に三百年前と書いたわけではないが、時代背景は紛うことなきレオノーラの生きた時代である。
「まだお若いのに、よく調べられている」
サイラスは感心したようにアデレイドを見つめる。アデレイドは下を向いた。そこはズルをしている自覚があるので褒められると、いたたまれない。
「私は若い作家の支援をしたいと思ったのですよ。…勿論、一番は貴女を気に入ったからです、アデレイド」
アデレイドは驚いてサイラスを見上げた。サイラスは紫苑色の瞳を柔らかく細め、跪くと、アデレイドと視線を合わせて優しく微笑んだ。
「最初は貴女の作品を読んで、才能を感じたから会いに行ったのです。貴女は素性を伏せる予定だと聞いたので、無理矢理押しかけてしまいました。そこは強引だったと、申し訳なく思っています。ですが、私は会えてよかった」
アデレイドは顔が真っ赤に染まっていくのを感じた。手放しで褒められて、嬉しいが恥ずかしい。そんなアデレイドを、サイラスは微笑ましそうに見つめ、ふと視線をアデレイドの髪に留める。ほんの僅か、表情を陰らせ、指先が、触れる寸前まで髪に近付く。アデレイドが緊張にびくりと肩を震わせると、サイラスははっとしたように動きを止め、アデレイドと視線を合わせた。
綺麗な紫苑色の瞳が、少し切なそうに細められる。
「…すみません、貴女の髪がとても美しいから…惜しいと思ったのです」
アデレイドは困ったように下を向いた。
サイラスはふっと微笑むと、立ち上がり長椅子へとアデレイドを促した。
「不躾でしたね。どうぞこちらへ。…お茶をご用意しましょう」
アデレイドは促されるまま長椅子に座ると、少し迷った末に、切り出した。
「あの…、サイラスさま。私のことは、女の子だと、先生から聞いていたのですか?」
向かい側の一人掛けの椅子に座ったサイラスは、アデレイドの質問に柔らかく答えた。
「いいえ。文章を読んで、女性だとわかりました」
「…!でも、この姿を見て、少年だとは思わなかったのですか?」
アデレイドは文章から性別が分かるものなのかと驚きながら、核心に迫る。サイラスはさらりと白金髪を揺らして、微笑んだ。
「少女にしか見えませんよ。それもとびきり可愛い」
「…!!」
サイラスさまはリップサービスが過剰すぎやしないか。アデレイドは、今自分の顔は林檎よりも赤いに違いない、と思った。
(って、違う!可愛いとか言われて浮かれている場合ではないわ。問題はそこじゃなくて)
アデレイドは男の子になりたいのだ。女の子に見えるというのは、由々しき問題だ。
「もっと髪を短くした方がいいのかな…。それとも真っ黒く日焼けするとか」
ガタンと大きな音が響いて、アデレイドはびくりと身体を揺らした。
サイラスが身体を乗り出すようにして、テーブルに両手をつき、アデレイドを蒼白な顔で見つめている。
(え?)
アデレイドが驚いていると、サイラスが切迫した様子で訊ねてきた。
「今のはどういう意味です?もっと髪を短くするとは…」
(あっ、声に出てた?)
アデレイドは狼狽えた。だがサイラスは見逃してくれるつもりはないらしい。アデレイドは仕方なく、事情を話すことにした。
「私は、男の子になりたいのです」
一言目で、サイラスの顔色が更に白く、表情が絶望に染まった。
「……何故」
地の底から響いたような、低い声だった。アデレイドはちょっぴり慄いた。
「え…、と、ローランドの、親友に、…なりたいから」
サイラスが立ち上がった。
「ローランド・レイと話さなければならないようですね」
サイラスの背後に黒い靄が見えた気がした。アデレイドは目をこすった。その隙にサイラスが部屋を出て行こうとしていた。アデレイドは慌ててサイラスの腕を掴んで引き留めた。何かとんでもない誤解を与えた気がする。
「待ってください!ローランドと話すって何を」
サイラスはしがみつくアデレイドの髪に手を添えると、そっと撫でた。
「…何故、ローランド・レイと親友になるために、少年になる必要があるのです?」
「それは…、私が…」
アデレイドの表情に苦痛が混じる。サイラスは驚いて少女を見つめた。アデレイドは胸を押さえた。痛みをやり過ごそうとするように。
「――アデレイド」
不意に、温かいものに包まれた。
「すみません。貴女を傷つけるつもりはありませんでした」
アデレイドはサイラスの腕の中に抱きしめられていた。サイラスは壊れ物を扱うように、そっと、優しくアデレイドを包み込んでいた。
びっくりしたけれど、嫌な気持ちはしなかった。
「ですが、少年になるつもりでも、髪を短くする必要はありませんよ。ほら、私も短くはないでしょう?」
言われてアデレイドは頷いた。確かにサイラスの髪は長くて、綺麗だ。
「理由は聞きません。でもお願いですから、髪は切らないでください」
言葉と共にぎゅっと抱きしめる腕に力がこもる。切実な声に、アデレイドは困惑した。
「サイラスさま…どうして?」
サイラスは切なそうに瞳を揺らした。
「…すみません。貴女には迷惑な話かもしれません。…ですが、貴女は私の大切な少女によく似ている。つい、重ねて見てしまうのです」
アデレイドは胸が苦しくなった。
「その方は…」
「…亡くなりました。……随分前にね」
サイラスは未だに少女のことを忘れていないのだ。アデレイドはサイラスを励ましたくて、その背に手を回してぎゅっと抱きしめた。
忘れられないのは辛い。それでも彼が前を向いて歩いていけるよう。祈るように。
サイラスは縋り付くように抱き付いてきたアデレイドに驚いたが、頬を綻ばせて、アデレイドの華奢な身体を抱きしめ返した。




