009
アマンダは情熱的でロマンチストな先生だった。翌日から、これでもかというほどのお勧めのロマンス小説を持ってきて、アデレイドに読ませた。
「アデレイドさまにはまだ、恋に破れて死んでしまうような小説は早いですわ。もっと幸せな恋愛小説はたくさんあります。まずはこれらを読んでください」
それらは、べったべたの甘々の王道恋愛物語だった。
「……………」
(先生は相当なロマンチストだわ…)
アデレイドは圧倒された。だが、面白さに寝食を忘れて没頭した。
何冊も積み重なる本の中に、紙の束をリボンで巻いただけのものが混じっていた。
「…?」
アデレイドは不思議に思ってそれを手に取ると、手書きの原稿だと分かった。
その物語は重厚で、恐ろしく難解だった。
「…これは、哲学書…?」
首を傾げるアデレイドに、お茶を持ってきたアマンダが慌てたように茶器をサイドテーブルに置いて駆け寄って来た。
「そ、それは…!」
「…先生が書いたの?」
もしやと思ってアデレイドが訊ねると、アマンダが硬直した。正解だったようだ。
「とても高度な内容でした。専門家向けの研究書ですか?」
「…娯楽要素の強い恋愛小説のつもりです!!」
「……!!」
アマンダは真っ赤になって叫んだ。やけっぱちだ。アデレイドは瞬いた。次いで、吹き出した。
「ふ…あははっ、れ、恋愛小説…!」
アマンダは屈辱だった。十歳の少女に笑われた。
アマンダの夢は恋愛小説家になることだったのだ。その才能は皆無だったようだが。
アマンダが書く文章は、何故か難解で、哲学的で、甘さの欠片もない研究論文のようになってしまう。
「ご、ごめんなさい先生、つい」
アデレイドが涙目になりながら謝ると、アマンダは仕方なさそうに溜息を吐いた。
「いえ、元はといえば、それを紛れ込ませてしまった私が悪いのです…」
言いながらも、アマンダはむしろほっとしていた。アデレイドが楽しそうに笑ってくれるなら、恥の一つや二つはどうということもない。
だが、教師として、教え子には少しばかり見栄も張りたい。
「小説というものは書くのが難しいのです。そうそう上手くいくものではありません」
アデレイドは素直に頷いた。それはそうだろう。
(小説か…)
そこでふと、思いついた。小説という形でなら、レオノーラの想いを昇華できるのではないだろうか。
現実とは違った結末を用意してあげることもできる。それはあり得たかもしれない「もしも」の話。
(面白いかも…)
アデレイドは前世の記憶を記した文書を元に、大胆に脚色を加えた物語を書き始めた。その物語の中では、レオノーラは婚約者の王子と相思相愛の幸せな少女だ。
(レオノーラ、どうか安らかに眠って…)
それはアデレイドの中に潜むレオノーラへの鎮魂歌。
失意の中に息を引き取った現実を塗り替えるように、アデレイドは物語のレオノーラを生き生きと躍動させた。あの時こうすればよかった、と思うことはたくさんあった。それらを物語のレオノーラには惜しみなく行動させるのだ。
一心不乱に書いていたら、寝食を忘れていたらしい。
心配した両親とアマンダが駈け込んで来て、アデレイドを机から引き剥がした。その際、アマンダは書きかけの原稿に目を留めた。
父親がアデレイドを寝台に運んでいる間、アマンダは原稿を走り読みした。そして衝撃を受けた。
素晴らしい才能だった。アマンダはボロボロと涙を零した。
「え…、先生どうしたの」
使用人が運んできた軽食を口にしながら、アデレイドは目を見開いた。
「アデレイドさま…、私は猛烈に感動しました」
アマンダはアデレイドの寝台の側まで来ると、がしっとアデレイドの手首を掴んだ。アデレイドはその剣幕にたじろいだ。
「アデレイドさまには才能がおありです。貴女は書くべき人だ」
アマンダは泣きながらも、頬を染め、瞳は爛々と輝き、口元には隠しようもなく笑みが浮かんでいた。ちょっと不気味だった。
「私には才能がなかった。だからこそ、才能のある貴女には書いて欲しい。私がサポートしますから」
アデレイドは興奮して顔を近づけてくるアマンダに少し引いたが、熱い想いは受け取った。手放しで称賛されるのは面映ゆいが嬉しい。
「ありがとう、先生」
「出版しましょう!これは絶対に世の乙女たちに読んでもらいたい!」
「えぇ、出版!?」
アマンダの情熱は留まるところを知らなかった。彼女は本の編集者にもなりたかったのだ。
あれよあれよという間に、なんとアマンダは本当に出版社と契約を結んできてしまった。
アデレイドは驚いたが、出版社もかなり乗り気だという。
両親も驚いていたが、アデレイドがやりたいならやってみなさいという態度だった。
アデレイドは興奮しているアマンダをなんとか説き伏せ、アデレイドの名前と素性を一切出さないことを約束させて、出版に同意した。アデレイドとしても、多くの人に物語を読んでもらえるのはレオノーラの想いが報われるようで嬉しい。だがそれによってアデレイドに注目が集まるのは避けたかった。
(男装の子爵令嬢の作家なんて、好奇の的になりそうだし…)
一応自分が奇抜な格好をしている自覚はあるのだが、止める気はさらさらない。未だに目標はローランドの親友になることだ。
アマンダが家庭教師として屋敷に来た頃は一度、もう少年姿は封印かなと思われたが、その後何故か母親が許してくれたのだ。何故なのかは知らないが、アデレイドはまぁいいかと結果に満足した。
「ローランドは何してるかな…」
ふとした瞬間に、いつもローランドのことを考えてしまう。
「会いたいなぁ…」
ぽつりと零れた言葉に、アデレイドは自分でも驚いた。無意識に転がり出た気持ちだった。
「いや、別におかしなことじゃない。こんなに長い間離れてたことないから、淋しいのは当たり前だもの」
誰になのか、言い訳するようにアデレイドは呟く。
「………………」
別に言い訳する必要はないはずだ。親友に会いたいと思って何がいけない?
「アデレイドさま?どうされました」
アマンダがお茶を持って部屋に入って来た。最近のアマンダは家庭教師というよりも侍女か秘書のようだ。出版社との話はすべて彼女が引き受けている。
「…先生、そういえば近々出版社との打ち合わせのために王都に行くって言ってたよね」
「はい、そのため二週間ほどお屋敷を留守に致しますが」
「私も行く」
「え!?」
「…王都の様子を見物しに。…次の作品のアイデアを考えるために」
「…!それは良いお考えです!」
ローランドに会いに行く口実に、作品制作を上げたら諸手を上げて歓迎された。両親にも熱く、王都見学は良い勉強になると説得してくれた。両親は心配そうにしながらも、アマンダと、もう一人護衛に従僕をつけることで許可してくれた。
尤も、アデレイドが一応両親には小さい声で「折角王都まで行くからついでに学院に寄って兄さまと、あとローランドにも会ってくる」ということを告げたため、喜んで許可してくれた可能性は高い。
ただし、何故か学院へ行く際はドレス禁止を言い渡された。アデレイドは素直に頷いた。元々そのつもりだったので、理由は特に聞かなかったが、変だなとは思った。
(母さま、どうしたんだろう。今までは渋々許してくれている感じだったのに)
その疑問にはアマンダが推測をしてくれた。
「アデレイドさまがお倒れになって、奥様は大変ご心配をしておりました。奥様はアデレイドさまがお倒れになったのはその、ドレスを強要したからではないかと、ストレスをかけてしまったのではと、心を痛めているようでした」
アデレイドは罪悪感に胸が痛んだ。
(母さま、ごめんなさい――。心配かけて…)
別にドレスにストレスを感じて倒れたわけではないのだが、着なくていいのならやはり着たくないので、誤解は解かないでおこうと決めた。
(それも、ごめんなさい母さま…)
「ええと、母さま、ごめんなさい…」
アデレイドが脈絡なく唐突に謝ると、ローズは目を瞬かせたが、にっこりと笑った。
「いいのよ。貴女が元気に笑ってくれていればそれだけで。ローランド君も別にそれでいいって言ってくれているしね」
何のことかは言わなくても、ローズにはお見通しだったようだ。アデレイドは母親に抱き付いた。
「母さま、大好き」
ローズはアデレイドの髪を優しく撫でた。
*****
ローズが普段のアデレイドの男装を許容したこととは別に、学院での男装を命じたのは、ジェラルドからの手紙が気になったからだ。
だが正直なところ、ローズは半信半疑だった。
(王子殿下が、アディにご執心?会ったこともないのに?)
一体学院でどんな噂が飛び交っているのやら。
確かにアデレイドは可愛い。親ばかかもしれないが、ローズはアデレイドをとても可愛いと思っている。だがしかし。
ローズは庭に出て、アデレイドが近所の子供たちと楽しそうに遊んでいるのをそっと見守った。元気に走り回る姿は少年にしか見えない。
「アディ兄ー!木登りしようぜー」
村の少年がアデレイドを誘う。ローズの眉がぴくりと跳ねた。側で子供たちを見守っていた村のおかみさんが、慌てたように少年を叱る。
「こ、これ!アディ坊ちゃんだろ!」
ローズの眉が二度跳ねた。
「アディお兄ちゃん、大好きー」
「私、アディお兄ちゃんのお嫁さんになるんだ!」
おまけに、小さな女の子たちに大人気だ。ローズは頭痛を堪えた。
(ええ、大丈夫よ、ジェラルド…。一体学院でアディがどんな風に美化されているか知らないけれど、殿下も実物を一目見れば、百年の恋も冷めると思うわ…)
だから学院行きを止めなかった。
(ありのままのアディを好いてくれる物好、いえ、ごふん、素敵な婚約者はローランド君くらいよ。アディ、ローランド君を逃がしちゃダメよ)
むしろローランドに会いに行くと言ったアデレイドを褒めてやりたい気分だった。




