プロローグ
ある朝、アデレイド・デシレーは唐突に目覚めた。あるいは理解した、といってもいい。
自分には前世の記憶があるのだと。
それは三百年程前の時代。前世の自分は公爵家の一人娘だった。蝶よ花よと大切に育てられた、未来の王妃候補。けれどその未来が実現することはなかった。
少女は婚約者だった王子に恋焦がれていた。けれどいつの日か、王子は他の女性に夢中になった。少女は一途に王子の訪れを待った。だがその願いが叶うことはなく、少女は次第に食事も喉を通らず、起き上がることもままならず、儚くその命を散らせた。
十四歳だった。
アデレイドが目覚めた朝、それは前世の自分が衰弱したまま眠りについた日の翌日だというくらいに記憶は生々しく、違和感なくすべてが自分の体験だった。
なのに、ぼんやりと目に映る部屋の天井や壁紙が記憶と違う。可愛らしい造りで心地いいが、これは自分の部屋ではないと感じずにはいられない。そっと起き上がる。と、身体がぐらりと傾ぐ。自分の感覚と身体の大きさが合わない。恐る恐る手に視線をやると、やけに小さい。
「…………」
ああ、とアデレイドは理解した。
これは今の自分。アデレイド・デシレーは今生の名前。
目が覚める寸前まで、十四歳の身体で過ごした感覚があるため、違和感があるが、アデレイドは自分が今生に生まれてから今日まで過ごした記憶を漸く思い出した。
(そう、か…私は生まれ変わった。…でも、なんというか、全く同じ容姿なのよね…)
前世の名前はレオノーラ・グランヴィル。
銀糸の髪に、紫紺の瞳。通った鼻筋に薄桃色の瑞々しい唇。
月の妖精のようだと賞賛された美しい少女。けれど、婚約者に捨てられた哀れな少女。
アデレイドは鏡に映る今の自分の姿をじっと見つめた。
記憶の中の少女と瓜二つの、紫紺の瞳、白銀の髪。
(どうしてこんなにそっくりなの…)
唯一違うのは、ふっくらとした頬くらい。
アデレイドは、五歳になったばかりだ。
胸の奥が苦しい。たった今失恋したみたいに。
でも、アデレイドは生まれ変わったのだ。全く同じ容姿なのはきっと、やり直すチャンスを与えられたに違いない。
アデレイドは決意した。
(もう、恋なんてしない)
今生では、前世のような、まさに身を滅ぼす恋など、封印するのだ。そして穏やかに生き延びて、適度に好きな人と結婚しておばあちゃんになって、孫を抱いて、寿命を全うしたい。
それがアデレイド・デシレー五歳の、密やかな野望だった。