8 二度目の再会
「お前らのその武器。一体どこで手に入れた?」
森で捕え、縛っていた賊の一人に、冷めた声音で尋ねる。
しかし、男は何も言おうとしない。
ジェイドは今、ボルダーの地を守る王国軍の基地にいた。
ローズに別れを告げてから、真っ直ぐに基地へ赴いた。そして、数人の兵士達に力を借り、賊を基地まで連れてきたのだ。
そして、牢で捕えた賊の男から話を聞いていた。
この賊は、普通の賊ではない。
賊の武器に仕込まれていた石は、今は存在しないとされている邪石である可能性が高い。邪石に関する事柄は、サーレット王国の機密事項だ。初代アレクサンド王のみが邪石についての真実を知るとされ、代々王族にその真実が受け継がれているという。
王族でないジェイドには、その真実は知る由もない。
しかし、その邪石が七年程前から裏ルートに出回っている、という噂が流れ出した。
その噂を聞いてから、王国軍では邪石について極秘で調べを進めていた。と言っても、邪石の情報収集が難しいため、ただ噂話を集めていただけだった。
集めた噂の内容は、信じ難いことばかりだった。
例えば、邪石の魔力を手に入れた者には永遠の命が与えられるだとか、邪石の魔力で何もかも思い通りになる、などといった類のものである。
しかし実際のところ、その噂が本当なのかどうかは分からない。ジェイドには、邪石はただ願いを叶えてくれるような代物には思えなかった。
それに、気になることもある。
どうして今まで存在しなかったはずの邪石が、突然現れたのか。どうして魔石の加護を受けたこの国で、邪石が力を発揮できているのか。
必ず、何か裏があるはずだ。
そして、邪石について調べれば、コラート侯爵の尻尾を掴めるかもしれない。あの陰謀にはおそらく邪石が関係しているだろうから。
そして今、ようやく邪石の手がかりを手に入れた。
賊の持つ武器に埋め込まれていた、怪しく黒い光を放つ石。おそらく邪石に間違いないだろう。
しかし、邪石を使っていた割にはあっさりやられたものだ。
やはり使用する人間によってその力に違いが出るのだろうか。
それとも、ジェイドの持つリビアン・グラスの魔力によって邪石の力が相殺されたのか。
あるいは、その両方か、どちらでもないのか。
とにかく、今は邪石の情報を得なければならない。
「これは、邪石だな? こんなもんどうやって手に入れた?」
殺気に満ち溢れた緑色の瞳は、鋭く、逃げる隙を与えない。
「あぁ……邪石だとかなんとか言ってた気がするなぁ……」
先程まで兵士相手に口を割らなかった男だが、ジェイドの殺気に観念したように口を開いた。
「闇の魔石商か?」
闇の魔石商は、魔石商人の中でも表ではなく、裏で闇取引をしている連中のこと。
盗品の石や人の怨念が取り憑いた危ない石などを闇市で売りさばいている。
ジェイドは闇の魔石商が怪しいと踏み、今までに何人もの闇の魔石商を捕まえたが、邪石の手がかりは得られなかった。
この男が邪石を取引している闇の魔石商の情報を持っていることを願って、ジェイドはじっと男が口を開くのを待った。
「……そうだよ。うちの頭が闇の魔石商と知り合って、けっこう良い値で売ってくれたんだよ。なんでも、強い力を持ってるとかで……はは、この石ほんとにすげぇんだぜ…無敵になれるんだ……ははは……」
男はうわ言のように、笑いながら訳の分からない言葉を喋り続けている。もう、ジェイドに対する恐怖心も忘れているようだった。
「何が無敵だ。あっさり捕まってるじゃねぇか……」
その呟きも、もはや男の耳には届いていなかった。男の話からして、邪石に何か力があるのは間違いなさそうだ。
その力がどんなものなのか知る必要がある。だが、目の前の男はもう使い物にならないだろう。ずっと目を見開き、笑っている姿は、異様だった。これも、邪石の影響なのだろうか。
ジェイドは、男のことを見張りの兵士に任せ、牢を出る。
基地の資料室へと向かうジェイドの元に、自分の名を呼ぶ声が慌ただしく聞こえてきた。
「一体どうした?」
駆け寄って来たのは、一人の若い兵士。
たしか、ロイという名だった。
「いえ、あの……ここにジェイド様がいらっしゃることは知られていないはずなんですが……」
ジェイドがここに来たことは、内密にするよう頼んでおいた。
王女を見つけることをよしと思わない人間に、彼女の居場所を悟らせない為だ。
実際、王城から出立した後を追って、王女の居場所を見つけようとする者が何人かいた。その追手をかわしながら、ジェイドはこの基地までやってきたのだ。
「それがどうした? ロイ」
王国軍総指揮官相手に緊張しているのか、ロイは不安そうに小さくなっている。そんな新米兵に、ジェイドはできるだけ優しく問うた。
「は、はい。それが、ジェイド様にお会いしたいという、それはもう美しい女性が尋ねて来ていまして……って、ジェイド様っ!?」
ロイの言葉を最後まで聞かずに、ジェイドは走り出していた。
*
「何度も言っていますが、ここにジェイド様はいません! こんな所にあなたのような娘さんが来たら危ないじゃないか」
と、ローズの美しさに見惚れながらも、しっかりと追い返そうとする兵士。
「そんなはずないわ。ジェイドは絶対ここにいるでしょう? 早く会わせてください!」
ローズは負けじと言い返す。
このやりとりが一体何度繰り返されただろうか。
ジェイドのリビアン・グラスの放つ魔力の気配を追うと、ボルダーに配置された王国軍の基地に来ていた。
そういえば、賊を兵士に引き渡すとかなんとか言っていた。
ジェイドはこの基地内にいる。
そう確信して正面突破を試みたところ、こうして門前払いにあっているのだ。
(ここで私が行方不明の王女だと名乗ったら、入れてくれるのかしら?)
という、最後の手段に出ようとローズが口を開きかけた時……。
門が開き、求めていた人物が姿を現す。
「ジェイドっ!」
その姿を一目見て、ローズはすぐに駆け寄った。
そして、その呼びかけに応えるかのように、ジェイドは強くローズを抱きしめた。
あの、王国を守ることしか頭にないようなお堅い総指揮官が女性と抱き合っている。それも、とびきりの美人と。
その場にいた兵士達は、目の前の光景が信じられない。
ただただ呆然とその光景を眺めていた。
「何故、こんな所まで来た?」
ローズを抱きしめたまま、ジェイドが口を開く。
その声には、焦りが滲んでいた。
「そんなの、思い出したからに決まってるでしょう? ジェイド、ずっと離れないって約束したじゃない……」
そう言うと、ローズを抱きしめる腕に力が込められる。
「思い、出したのか?」
少し緊張気味のジェイドの問いに、こくんと頷く。
「ローズマリー様……申し訳、ありませんでした……」
苦しそうな声で紡がれたのは、友人としてではない、家臣としての言葉。
ずっと自分を責め続けていたジェイドの心痛が、魔石リビアン・グラスから伝わってくる。
魔石を側に置いていると、持ち主の思いは魔石に宿る。そして、魔石は持ち主の心を守り、癒すのだ。
リビアン・グラスがジェイドの自責と後悔の念を引き取らなければ、彼は今頃、自分を責め続けて精神を病んでいたかもしれない。
その思いを感じ、ローズの目からはただただ涙が零れ落ちる。
「ジェイド、あなたがいてくれたから、私は今生きているのよ? 自分を責めるのは、もうやめて……」
そう。あの火事の夜、迫りくる炎からローズを助けてくれたのは、ジェイドだった。
火事の混乱の中、紛れ込んだ賊からも守ってくれた。
ローズは意識が朦朧としていてよく覚えていないが、ずっとジェイドが側にいてくれたことは感じていた。
しかし意識が途切れ、次に目が覚めた時には、彼の姿はなく、ローズは記憶を失っていたのだ。
ジェイドが守ってくれたから、今ローズは生きている。
あの火事が陰謀によるものだというならば、殺されていてもおかしくはなかったのに。
ジェイドは、ローズの存在を確かめるように強く、強く抱きしめる。
それに応えるようにローズも彼の背に腕を回す。ローズの腕では全てを包み込むことはできないけれど、少しでも気持ちが伝わるようにと精一杯腕を伸ばす。
少しでも、自分が側にいることで優しい彼の心が癒されるように。
そうしてしばらく抱き合っていると、周囲が騒がしくなってきていることに気付く。
周りをちらりと見ると、兵士達が何事かと集まって来ていた。松明の明かりを持って見物に来た兵士達は、ひそひそと何やら話している。
急に抱き合っていることが恥ずかしくなり、ローズはジェイドを突き飛ばす。
「ちょっと、調子に乗りすぎたかな」
そう言ったジェイドは、いつもの優しい表情ではなく、少し悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。
「もう、ジェイドの馬鹿……!」
今更ながら、先程の男らしい腕や、力強い暖かな感触を思い出し、自然と顔が赤くなる。
「……ローズは、本当に綺麗になったな。アーリン様にそっくりだ」
王国一美しいと言われていた、母アーリン。
記憶の中の母は、いつも笑っている。あの最期の時だって、笑っていた。本当に美しい人だった。
そんな母に似ている、と言ってくれた。ローズは、大好きな母に近づけた気がして嬉しかった。
「ありがとう」
ローズは、花が綻ぶような笑顔を見せた。
*
ローズの美しい笑顔に、近くにいた兵士達がうっとりと見惚れている。
(綺麗になりすぎだ……)
自分に向けられた笑顔だ。他の男には見せたくない。
ジェイドは、素早くローズの手を引き、足早に歩き出す。
「ちょっと、どこへ行くの?」
焦るローズを無視して、そのまま基地の中に入る。そして演習場を抜け、騎士達の生活の場である宿舎へと入った。
その空き部屋に、ローズを連れて行く。ベッドやテーブルなどが置かれているだけの簡素な部屋だ。部屋の中はあまり広くない。
「もう、真夜中だ。森の中を引き返すのは危ない。少し狭苦しいが、今晩はここで寝るといい」
その言葉を聞いて、美しい顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。
「今晩は、って……もしかして、明日になれば追い返すつもり?」
やはり、簡単には納得してもらえそうにない。
いつも人のことを気にかけている優しい少女だった。
そんなローズだから好きだったし、今も守りたいと思っている。
しかし、この状況でそれは無理だ。
コラート侯爵に目を付けられている自分の側にいたら、ローズにまで危険が及ぶ。
「そうだ。明日には、教会に帰ってもらう」
ジェイドは突き放すようにきっぱりと言った。
(何故会いに行ってしまったんだろうな……)
あの時、会いに行かなければローズは自分から危険に飛び込むようなことはしなかったかもしれない。しかし、あの時行かなければ、ローズはあの賊に襲われていた。
自分が側にいることで守れるならば、ずっと側にいたい。
「私は、ジェイドのことが心配なの。私の力が必要なんでしょう?」
確かに、邪石と対抗する為にはローズの力は必要かもしれない。だが、ローズはこの王国の希望だ。危険にさらす訳にはいかない。
「俺のことは心配いらない。それに、ローズの力を必要とすることなんて何もない。王国軍で解決すべき問題だ」
「ねぇ? 私を誰だと思っているの? この国の王女よ。王国の危機に私だけ何もしないなんて絶対に嫌よ」
そう言って全く引く様子はない。その瞳が、真っ直ぐにジェイドに向けられる。何もかも見透かすかのような、美しい桃色の瞳。
ジェイドは、観念したように溜息を吐く。
「分かった。もう、追い返すようなことはしない。でも、絶対に危ない真似はしないでくれ。簡単に力も使わないと約束してくれ」
きっと、ローズの力は各地の魔石や宝石、鉱石にまで影響するだろう。
そうなると、ローズの居場所はすぐに見つかってしまうかもしれない。記憶と共に封じられていた力は、もう解放されてしまったのだから。
それ程までに、ローズの力は強い影響を及ぼすのだと、昔アーリン様に聞いた。
本人は無自覚だから、周りの人間が気を付けてあげなければならない、と。
「分かったわ。約束する……」
仕方なく、と言った風にローズが頷く。
「よし、じゃあもう寝た方がいい。森の中を歩いて疲れただろう?」
そう言って、ローズをベッドに促す。
記憶を取り戻し、ジェイドを追って森の奥にある基地まで来て、緊張しっぱなしだったのだろう。
ローズはベッドに入り、ジェイドの顔を見ると、すぐに安心したように眠りについた。
その疲れ切った寝顔を見つめながら、頭を優しく撫でる。
「さて、外のあいつらどうするかな」
扉の向こうで聞き耳を立てている兵士達に、ローズのことをどう説明しようか、と考えていた。
「ま、明日の朝でいいか」
今は、この美しい王女の寝顔を見守っていたい。
八年ぶりに、ようやくこの手で触れられるところにいるのだ。涙の痕が残る目元にそっと触れ、ジェイドは言いようのないあたたかな感情が胸に湧き上がるのを感じていた。