5 遠き日の出会い
「私が、行方不明の姫?」
そんなことはありえない、とローズは笑う。
どんな答えが返ってくるのかと思えば、ローズが王女だなどと突拍子もない話だ。
この国の王族は、魔石の加護を得るという。
ローズは魔石の加護など感じたことはない。
それに、もし本当に加護が存在するならば、記憶喪失になどなっていなかったのではないだろうか。
しかしジェイドは、真剣な顔でこちらを見ている。その瞳は、嘘を言っているようには見えなかった。
でも、何故だろう。
彼が苦しんでいるように見えるのは。
「嘘ではありません。俺は、ローズ様にこの魔石を賜り、石の契約をした守護者です。この魔石のおかげでローズ様を見つけることができました」
そう言って、ジェイドは剣の柄に埋め込まれていた魔石を見せた。
それは、太陽の輝きを閉じ込めたかのように、まばゆく美しく輝く金色の石。
ジェイドがローズから与えられた魔石は、リビアン・グラス。
これは、魂の進むべき道を照らす。そして、この魔石にはローズの力が込められている。
この魔石がある限り、ジェイドの魂は、守るべき姫を見失うことはない。
しかし、記憶を失っているローズにこの石の意味が分かるはずもない。
魔石の輝きに、何か懐かしいものを感じながらも、ローズは何一つ思い出せずにいた。
「ごめんなさい。私、何も覚えてなくて……」
思い出せないことが、こんなにも寂しく、切ない気持ちになるなんて。
今までは、ただ自分自身のことを知る為だけに思い出したいと思っていた。
昔のローズを知る人は現れず、誰かの為に思い出そうと思った事などなかったから。
「かまいませんよ。俺は、ローズ様の無事が分かっただけで十分です」
本当に大切に思われていたのだと、その優しい眼差しから伝わってくる。ローズが教会で過ごしていた八年間、彼はローズのことをどれだけ思い出してくれていたのだろう。
きっと、ローズとジェイドは何か強いつながりがあったのだ。記憶はないのに、不思議とそう確信できた。
(でも、私は彼のことを何一つ思い出せない……)
「ローズ様が忘れてしまったとしても、俺は覚えていますから」
ジェイドはそう言って、ふわりと優しくローズを抱き締めた。
「本当に、無事でよかった……!」
ローズは胸が締め付けられるような気持ちになりながら、その抱擁を受け入れていた。
ペイン神父以外の男の人と抱擁するのは、初めてだった。それなのに、何故こんなにも落ち着くのだろう。
昔も、こうやって抱きしめられたことがあるのだろうか。
そんなことを思いながら、力強い暖かな腕の中に包まれていた。
* * *
ジェイドがローズに初めて出会ったのは、十歳の時だった。
父ケインに連れられて、ジェイドは初めて王城に来た。王城を訪れたのは、国王への目通りの為である。
「ジェイド、王様と王妃様の前で失礼があってはいけないぞ」
「はい、父上」
父に念を押され、緊張した面持ちでジェイドは王の間に入った。
美しい調度品の数々と豪奢なシャンデリア、アレクサンド王の伝説が描かれた天井画。それらの美しさに目を奪われていると、父に小突かれてしまった。ハッとして前を向くと、部屋の奥にある玉座には、すでに王が座っていた。
慌てて王の前に、ケインと共に跪く。
「そなたがケインの息子か」
バルロッサ王の威厳のある声が響く。しかし、それはとても優しい雰囲気を持っていた。肩まで伸びた金色の髪は綺麗に整えられ、口元には髪と同じ色をした髭があった。アメジストのような紫の瞳は、じっとジェイドを見つめている。国王の側近である父に、何度か国王の肖像画を見せてもらったことはあるが、肖像画と実物ではやはり実物の方が迫力が違う。それに何より、男から見ても憧れるかっこよさが国王にはあった。だから尚更、ジェイドはすぐには反応できなかった。
「……はい。お初にお目見え致します。ジェイド・サーペンティンと申します」
緊張で声が震える。
うまく言えただろうか。ジェイドは不安になる。
「まあ、そう硬くならずともよい。いつも、そなたの父ケインには助けられているぞ」
そう言って、国王は優しく微笑んだ。
「もったいないお言葉にございます」
ケインは、尊敬の眼差しで王を見る。目に見えずとも、深い信頼で結ばれた主従関係であることがわかった。ジェイドもいつか父のように、王族の信頼を得られるような家臣になりたいと心から思った。
「そうだ、娘のローズを紹介しよう」
そう言って、王が家臣の一人に合図する。
王の一人娘である、第一王女ローズマリー・セラフィナイト。王や王妃は、王女のことを愛称で『ローズ』と呼んでいる。
可愛いと評判の王女様に会えることを嬉しく思いながら、ジェイドは扉が開くのを待った。
しかし、入ってきたのは美しい女性ただ一人。黄金色の髪を結い上げ、宝石が散りばめられたティアラを頭に乗せている。ドレスは落ち着いた藍色で、華美な装飾はないシンプルな意匠のものだった。
間違いなく、王妃アーリンだろう。ジェイドが見惚れていると、王妃は、少し申し訳なさそうに笑って口を開いた。
「すみません、ローズはまた森に遊びに行ってしまったようですわ」
「そうか。なら仕方ないのう。そうだ、アーリン。紹介しよう。ケインの息子ジェイドだ」
国王は、何やら楽しそうに笑っている。
王女が森に行っているというのに。ジェイドは王女のことが気になり、上の空で話を聞いていた。
「こら、ジェイド。挨拶せんか。王妃アーリン様だぞ」
小声で父に怒られ、ジェイドははっとする。改めて王妃に向き直り、また見惚れかけていると、父がわざとらしくゴホン、と咳をした。
「よいのですよ、ケイン」
「……ジェイド・サーペンティンと申します」
慌てて名乗るジェイドを見て、王と王妃は優しく微笑む。
ジェイドは、この優しい王と王妃が一目で好きになった。きっと二人が王族であるのに贅沢をせず、その立場を利用しようとしない人物だからだろう。
自分のことより、国民のことを第一に考えているような心優しい王族。代々国王の側近を務めてきたサーペンティン家の一員として、この命に代えても守り抜きたい、そう思った。
しかし、ジェイドにはどうしても気になることがある。
「あの、姫様が森に行ったということですが、もしかしてお一人で、ですか?」
その言葉を聞いた王と王妃は、顔を見合わせ、楽しそうに笑う。
「ローズのことが心配でしたら、あなたが森へローズを迎えに行ってくださる?」
王妃が微笑んで、ジェイドに提案する。王女のことが心配で、いてもたってもいられなかったジェイドはその問いに失礼ながら即答した。
「はい。では、そうさせてもらいます」
まだ見ぬ王女のことを思い、ジェイドは王の間を後にする。
その後ろ姿を、王妃は嬉しそうに見守っていた。しかし、父のケインだけは頭を抱えていた。
王城がある敷地内には、小さな森がある。そこは自然の森のようでいて、きちんと手入れが行き届いている。
しかし、幼い姫が一人で出歩くのは危険なのではないだろうか。ジェイドは何事もないことを祈りながらも、何かあったのではないかと不安にかられる。
(ローズマリー様、本当にお一人で大丈夫なのか……)
たしか、王女はまだ六歳。
そんな幼い姫が護衛もつけずに一人で森の中にいる。王や王妃はいつものことのように笑っていたが、それはそれで問題だろう。
ジェイドは、森の中を姫の名を叫びながら歩く。
しかし、いくら歩いても森の最深部には辿り着けない。だんだんと、本気で焦りを覚え始めた時……。
「私のこと、呼んだ?」
という声が突然聞こえた。しかし、辺りを見回しても人影はない。王女の名を呼ぶ声に反応したということは、王女ローズマリーであるはず。ジェイドは一生懸命目を凝らして辺りを見回す。
「ローズマリー様! どこですか?」
「そこじゃないわ。こっち! 上よ」
その声に導かれるように上を見上げてみると、金色の髪とピンクの瞳を持つ天使が太い木の枝にちょこんと座っていた。
装飾はあまりないが、その可憐な容姿を引き立てる、裾の膨らんだ可愛らしいピンク色のドレスを着ている。天使のように可愛らしい王女は、細くか弱そうな足をぶらぶらさせながら、こちらを見ていた。
「ローズマリー様! そこで何をされているのですか?」
木の上にいる王女に声が届くように、ジェイドは上に向かって叫ぶ。
「あのね、木登りしてたら降りられなくなっちゃったの……」
今にも泣き出しそうな顔をして、王女は罰が悪そうに言う。
「俺が来たから、もう大丈夫です!」
「ほんとう?」
王女は可愛らしく小首を傾げる。その仕草に目を奪われつつも、このまま王女を木の上に座らせておくわけにはいかない、と意識を切り替える。
「はい! 受け止めますから、飛び下りてください」
そう言って、ジェイドは大きく手を広げた。
王女は少し考えた後、思い切って木の上から飛び降りた。その小柄な身体を受け止め、ジェイドは少しバランスを崩して尻餅をつく。
「ごめんなさいっ……痛くなかった?」
顔をしかめるジェイドの顔を心配そうに覗き込む王女に、ジェイドはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。それにしても、何故木に登っていたのですか?」
「あのね、小鳥さんが、おうちから落っこちちゃったみたいで。おうちに帰してあげようと思ったの」
王女が指差した木の枝には、確かに鳥の巣があった。彼女の言う小鳥は、無事に巣の中で元気に鳴いている。
「お優しいのですね、ローズマリー様は」
そう言うと、王女は大きな目を見開いたあと、照れたようにはにかんだ。
この愛らしい無邪気な王女様を、自分が側でお守りしたい。ジェイドはそう思い、その天使のような笑顔を見つめていた。
「あ、あの。助けてくれてありがとう。えっと……」
言いかけて、王女は小首を傾げる。
「ジェイドです。ジェイド・サーペンティン」
「サーペンティン……? あ、ケインと同じ!」
「はい。俺は、ケインの息子です」
父ケインを慕っているのか、表情が輝く。
少しばかり父に嫉妬心を覚えながら、ジェイドは王女に微笑んだ。
「ジェイドはね、私のこと『ローズ』って呼んで」
「え、それは……」
大切なこの国の王女を、家臣が馴れ馴れしく呼ぶことなどできない。それも、親しい者が呼ぶ愛称などとんでもない。
「私、お友達が欲しいの……ねぇジェイド、私のお友達になってくれない?」
王女は、寂しげな表情でジェイドに問う。そんな表情を見たくなくて、ジェイドは思わず答えていた。
「分かりました」
「本当?」
「はい、ローズ様」
と、にっこりと笑いかけたのに、王女は何やらぷりぷり怒っている。
「お友達は『ローズ様』って呼ばないわ。ただのローズでいいの。ローズって呼ばないと、もう返事しないもんっ!」
頬を膨らませ、自分が本気で怒っているのだとアピールしている。その姿がなんだか可愛らしくて、ジェイドは含み笑いをする。
「ローズ、その顔は反則ですよ」
一瞬、王女はぷいっとそっぽを向くが、ジェイドが『ローズ』と呼んだことに気づく。
「今、『ローズ』って! ジェイドが初めてだわ。みんなお願いしても絶対呼んでくれないのに」
それはそうだろう。誰も王女を呼び捨てにはできない。
「ジェイドと私は友達なんだから、敬語もやめてね」
などと可愛らしい笑顔を向けてくる。
(あぁ……王女様とお友達になった上に呼び捨てにしたなんて知られたら、後で絶対父上に怒られるな……)
そう考えながらも、目の前で喜ぶ王女の為なら、自分が怒られるぐらい我慢しようと思えたのだ。
この出会いの日から、ジェイドはローズに仕えることになる。
* * *
「あの、もういいですか?」
という声で、ジェイドは過去から現実に引き戻される。どうやら、ずっとローズを抱きしめてしまっていたらしい。
「申し訳ありません。昔のローズ様を思い出してしまって……」
抱きしめていた腕を緩め、名残惜しいが解放する。目の前のローズは、少し頬を染めて首を横に振った。
「あ、いいんです。ジェイドさんにとっては久しぶりの再会ですもの」
そう言って微笑むローズに、思わず見惚れてしまう。
あの頃よりも、はるかに美しくなった。女神のように美しかった王妃アーリン様に良く似ている。王妃も美しかったが、ジェイドにとって、この世界で最も美しいと感じるのはローズだけだ。それは、昔も今も変わらない。
そして、その穢れを知らない無垢な笑顔に癒される。
あの火事の日、助けられなかった後悔は、今でもずっとジェイドの中にある。
強い自責の念にかられ、とにかく強さを求めた。今度こそ、大切な者を守れる守護者になる為に。
「本当に、お久しぶりですね。あの日以来だ……」
「あの日って、もしかして……王様と王妃様が亡くなったという、火事の日ですか?」
ローズの顔から笑顔が消え、真剣な眼差しをこちらに向ける。
話すべきか否かを思案し、ジェイドは静かに口を開いた。
「あの日は、ローズ様の十歳の誕生日で、別邸では、盛大にパーティが開かれていました。火事が起きたのは、その夜のことです……」
「私の誕生日に? でも、パーティには多くの人が参加するはずですよね……何故、誰も気が付かなかったの?」
ローズの疑問は当然のことだろう。
あの日の警備は完璧だったのだ。何の問題も起きるはずがなかった。
それなのに、あの大火事は起き、王と王妃は亡くなった。
いや、正確には殺されたのだ……。
「それは、あの火事が陰謀によるものだったからです……」
憤りを滲ませたその声は、自分でも驚く程冷たく響いた。